82年・服部と結婚
85年、二千翔(にちか・長男)誕生
87年、服部ガンで死亡
88年、さんまと結婚
89年、長女のいまる誕生
93年~99年、野田秀樹と同棲
大竹は僕が知っている女優の中では、もっとも本来の女優らしい女だと思っている。雑誌編集の仕事で、たまたま芸能をやっていた時代もあり、たまたま大竹しのぶに接近した時代もあった。彼女がブームの自伝を出したらしい。読んではいないがおおよそのことくらい、それ以上のこともわかる。
TBSに勤務していた服部は、東大卒のディレクターで、女関係にだらしないプレーボーイだったが、仕事はできた。当時彼は2度目か3度目の結婚中で、歌手の中村晃子とこれは公然と交際していた。二人でハネムーンにも出かけていた。中村晃子といえば、「虹色の湖」の一発屋だったが、今でも相当なファンが多い。ちょっと不良っぽくて、ゴルフでいえば、10年後のさくらみたいな感じがする。私も嫌いじゃない。せめて、彼女は30年前のヤンキーで、テレビで野球拳をやれば、本当に生番組でそれをやって、ビキニになってしまったし、司会者の前田とフィーリングカップルだといわれて、生中継で泣いてしまったというかわいい、危ない女だった。
ところが大竹がこの交際に割って入って、服部を奪うことになる。有名な談話がある。「服部さんは、マイカーの赤いフェアレディZに彼女を乗せて、車のなかでキスをしていました」と、中村がいう。大竹も「服部さんの赤いフェアレディZに乗せられて、デートはしました」。当時大竹23歳くらいのアイドルだったか。
若さで女が男を奪うというのは、こういうことだ。ヤンキー中村晃子もモテモテだったのだが、たとえば米倉涼子みたいだとしても、やはり20歳のアヤヤに軍配が上がる。男を落とす場合、女は若さを使う。
しかしそういうどうして、タダのプレーボーイごとき女ったらしがそんなにももてるのか。大竹はすでに映画青春の門で裸にもなっていたし、演技派として力もある。しかし・・・、女優という水商売はある時期とんでもなく失敗して、一気に食えなくなる不安が、そこまで映画の主役を張れるようになっても、恐怖心がある。
実は私は埼玉の川越の高校時代の同級生に「中学のとき、大竹しのぶと同じ中学だったんです」という友達に当時あっていた。なんだ?どこだ? 埼玉の鳩山村というとんでも田舎だった。大竹は、実は小中学校の6年間くらい、こんな山の中に住んでいた。学校教師の父親が結核もちで、空気のきれいなところにへと、転地療養していた。母親はえすてるさんというが、二人ともキリスト教だった。父親がこうして働けなくて、一家は貧乏生活をする。普段着も、教会のバザーからただでもらっていた。「大竹しのぶの赤貧時代」なんていう、記事もいくらでも当時書いた。でも心は豊かだったというのが、キリスト教の教えである。
大竹は高校時代にオーディションから芸能界に入って、しかし、その貧しかった時代にはどうしても戻りたくない。服部というプレーボーイを選んだのは、彼がTBSのディレクターであり、彼を夫に持てば、少なくとも自分がいくらへぼをしても、食いっぱぐれはないだろう。三田佳子がNHKのディレクターを結婚したのと同じだ。当時三田と夫の間には50倍の給料差があったのだが、それでも不安なのが女優という商売でもある。
中村晃子がその後二度と恋愛せずに、結婚しないのは、この破局の大きさを物語っている。
さて長男の出産は、服部がガンの宣告を受けた後だと思われた。夫が死んでも、子供は残したい。大竹は計算する。今となればこの計算は正しかった。抗がん剤を使用した夫との間の子供は、薬で異常になるばあいがあると、素人判断されていたが、多分にこれは美談であって、そんなことはあるまい。大竹はどの道健康体であって、避妊さえしなければいつでも子供を妊娠できた。
さて服部が死んですぐに、さんまと恋愛、結婚になる。さんまは、当時も年収10億円、今も10億円。お笑い芸人は、こんな出戻りの大竹じゃなくて、20歳くらいの若い子を吉本ならいくらでも紹介できた。売れっ子芸人というのは、そういう嫁さんをもらえば本来は安泰なのだが、大竹はここでも金づると結婚したいと思う。そこまでまだ、貧乏はいやだ。
この二人の結婚は本当に不思議だった。百恵、友和と同じように、周囲の誰もがそれを望めば、自然と二人は「そうかなあ」と思ってしまうというような感じだと思われる。
二人はドラマで競演して、仲良くなった。時々お泊りデートもした。そのとき、大竹は「今日は大丈夫」だとさんまにいう。そそっかしいさんまは、「ほなら、中出ししまっせ」と、それで妊娠した。今回この本のテーマは、その妊娠で結婚宣言したものの、実はそれは流産だったという告白がメインとなっているらしい。しかし、当時週刊誌は確かに「流産だった」と大きな記事を書いた。
それを書くときに、私は大竹本人に会った。「流産」と書いていいのか。間違いだったら、相当な名誉毀損になるが、違うなら違うと言えと彼女に迫る。
この子がいいのは、決してウソは付かないということだろうか。彼女はほとんど無言で、「無言なら認めたと理解して記事を書く」と宣言しても、無言だった。そうして記事にした。何もクレームはない。
あの頃マスコミは逐一二人の行動を追っていて、数日間の大竹の空白と状況証拠などで、詳しくはもう忘れたが、妊娠を確認し、そのまま終わったことで「流産」の結論を出す。
問題は、彼女はさんまと結婚したいために、「大丈夫」のウソをいい、あるいは男のその瞬間に、相手の体を抱き寄せたということだ。さらに大竹はベッドの上でもさんま相手に演技をした。大竹はすでに演技派として、誰にも負けなくなっている。さんまというシロウト芸人は「男女七人夏物語」や「秋物語り」では競演して人気を得たが、大竹の演技の前では、とんでも子供。後家となった女にだまされた。
そしてその後また妊娠して長女出産するが、離婚する。
離婚の経緯は、女優はやはり普段は男なのだ。大原麗子が森進一と離婚したときに、森が「家庭内に男は二人はいらない」といったのは有名で、普段の女優は間違いなく男性分になる。あれだけ望んだ女が、実はこういう生態だったというのに、さんまはそのとき気が付く。キャバクラで20歳を口説いてお持ち帰りするなど簡単なこと。それだけを繰り返していたさんまは、女とはそういうものだとあの年、30歳を越えても、対女性関係の認識などはシロウトといっていい。それだけの男だ。気が付いたときは遅かった。その後さんまは、再婚できない。総理大臣の小泉と同じだ。
さんまと大竹がバブル時代に建てた、偏屈なつくりの豪邸とは、10億円といわれたが、売却すると3億円だった。7億円の損は離婚したさんまが被る。ただ、離婚後また人気の出たさんまにとって、この返済は少しの苦労ではあったが、難しいことではない。こうして彼女は服部との間に長男、さんまとの間に長女をもうけた。彼女はその後、いくらかの貯金はある。3億円くらいで一戸建てを深沢に建てて、今もそこにいる。その長男は慶応高校から慶応大学に進んでいる。父親が厳格なキリスト教で、学校教師をしていたのだから、三田佳子の馬鹿親のように、子供が覚せい剤をやるということにはならない。しかも二千翔、いまるという素敵な本名は、誰もが知っているという自然の要塞が世間にあって、二人は間違った生き方はできない仕組みになっている。
その後の野田秀樹との同棲は、これは大奥と子供みたいなこっけいな顛末だった。野田は片時の父親代わりに大竹に利用だれただけで、演劇界の才人とはいっても、あの同棲記者会見の本人のはしゃぎようは、よくいいってタイゾーくんであって、私も笑い出した。「どうせまもなく厄払いになるというのに」。大竹の手のひらにいただけのこと。
同年代の男優では役所広司が一番の演技派だと私は思う。その大竹と役所を使ったドラマは、読売テレビの鶴橋が何度かいい作品を作った。鶴橋というのは、浅岡ルリ子のボーイフレンドともいわれた男で、演出家としては、かなりの実力者と、多くの作品賞に輝いている。業界では、鶴橋ドラマに出られれば一人前ともいわれる。芸能界のドラマ映画の製作者側に、大竹のファンというのは、とんでもなく多い。吉永小百合よりも、三田佳子よりも、誰よりも多いと私は思う。
結局大竹は仕事でも私生活でももっとも女優らしい道を歩んできた。今でも来る仕事はいくらでもあって、断るだけが仕事となる。そして普段しゃべっているあのまどろこしい、たどたどしいしゃべり方は、多分演技がそのまま自分のしゃべり方になっている。普段はヒステリックな女が、愛犬と話しをするときには、子供に返ったような言葉になるのと同じことだ。知っている者には見えすいている。しかし、それであっても好感がある。知らないものは、くもの巣につかまった蝶々のように、恍惚となる。
自分のトラウマで、精神的に恵まれていても、経済的に子供でも苦しかったことを、そういうことだけにはなりたくないと思って、そして実践してきた。抜き差しならない女で女優なのだが、だからこそ女優らしいと私は思う。
85年、二千翔(にちか・長男)誕生
87年、服部ガンで死亡
88年、さんまと結婚
89年、長女のいまる誕生
93年~99年、野田秀樹と同棲
大竹は僕が知っている女優の中では、もっとも本来の女優らしい女だと思っている。雑誌編集の仕事で、たまたま芸能をやっていた時代もあり、たまたま大竹しのぶに接近した時代もあった。彼女がブームの自伝を出したらしい。読んではいないがおおよそのことくらい、それ以上のこともわかる。
TBSに勤務していた服部は、東大卒のディレクターで、女関係にだらしないプレーボーイだったが、仕事はできた。当時彼は2度目か3度目の結婚中で、歌手の中村晃子とこれは公然と交際していた。二人でハネムーンにも出かけていた。中村晃子といえば、「虹色の湖」の一発屋だったが、今でも相当なファンが多い。ちょっと不良っぽくて、ゴルフでいえば、10年後のさくらみたいな感じがする。私も嫌いじゃない。せめて、彼女は30年前のヤンキーで、テレビで野球拳をやれば、本当に生番組でそれをやって、ビキニになってしまったし、司会者の前田とフィーリングカップルだといわれて、生中継で泣いてしまったというかわいい、危ない女だった。
ところが大竹がこの交際に割って入って、服部を奪うことになる。有名な談話がある。「服部さんは、マイカーの赤いフェアレディZに彼女を乗せて、車のなかでキスをしていました」と、中村がいう。大竹も「服部さんの赤いフェアレディZに乗せられて、デートはしました」。当時大竹23歳くらいのアイドルだったか。
若さで女が男を奪うというのは、こういうことだ。ヤンキー中村晃子もモテモテだったのだが、たとえば米倉涼子みたいだとしても、やはり20歳のアヤヤに軍配が上がる。男を落とす場合、女は若さを使う。
しかしそういうどうして、タダのプレーボーイごとき女ったらしがそんなにももてるのか。大竹はすでに映画青春の門で裸にもなっていたし、演技派として力もある。しかし・・・、女優という水商売はある時期とんでもなく失敗して、一気に食えなくなる不安が、そこまで映画の主役を張れるようになっても、恐怖心がある。
実は私は埼玉の川越の高校時代の同級生に「中学のとき、大竹しのぶと同じ中学だったんです」という友達に当時あっていた。なんだ?どこだ? 埼玉の鳩山村というとんでも田舎だった。大竹は、実は小中学校の6年間くらい、こんな山の中に住んでいた。学校教師の父親が結核もちで、空気のきれいなところにへと、転地療養していた。母親はえすてるさんというが、二人ともキリスト教だった。父親がこうして働けなくて、一家は貧乏生活をする。普段着も、教会のバザーからただでもらっていた。「大竹しのぶの赤貧時代」なんていう、記事もいくらでも当時書いた。でも心は豊かだったというのが、キリスト教の教えである。
大竹は高校時代にオーディションから芸能界に入って、しかし、その貧しかった時代にはどうしても戻りたくない。服部というプレーボーイを選んだのは、彼がTBSのディレクターであり、彼を夫に持てば、少なくとも自分がいくらへぼをしても、食いっぱぐれはないだろう。三田佳子がNHKのディレクターを結婚したのと同じだ。当時三田と夫の間には50倍の給料差があったのだが、それでも不安なのが女優という商売でもある。
中村晃子がその後二度と恋愛せずに、結婚しないのは、この破局の大きさを物語っている。
さて長男の出産は、服部がガンの宣告を受けた後だと思われた。夫が死んでも、子供は残したい。大竹は計算する。今となればこの計算は正しかった。抗がん剤を使用した夫との間の子供は、薬で異常になるばあいがあると、素人判断されていたが、多分にこれは美談であって、そんなことはあるまい。大竹はどの道健康体であって、避妊さえしなければいつでも子供を妊娠できた。
さて服部が死んですぐに、さんまと恋愛、結婚になる。さんまは、当時も年収10億円、今も10億円。お笑い芸人は、こんな出戻りの大竹じゃなくて、20歳くらいの若い子を吉本ならいくらでも紹介できた。売れっ子芸人というのは、そういう嫁さんをもらえば本来は安泰なのだが、大竹はここでも金づると結婚したいと思う。そこまでまだ、貧乏はいやだ。
この二人の結婚は本当に不思議だった。百恵、友和と同じように、周囲の誰もがそれを望めば、自然と二人は「そうかなあ」と思ってしまうというような感じだと思われる。
二人はドラマで競演して、仲良くなった。時々お泊りデートもした。そのとき、大竹は「今日は大丈夫」だとさんまにいう。そそっかしいさんまは、「ほなら、中出ししまっせ」と、それで妊娠した。今回この本のテーマは、その妊娠で結婚宣言したものの、実はそれは流産だったという告白がメインとなっているらしい。しかし、当時週刊誌は確かに「流産だった」と大きな記事を書いた。
それを書くときに、私は大竹本人に会った。「流産」と書いていいのか。間違いだったら、相当な名誉毀損になるが、違うなら違うと言えと彼女に迫る。
この子がいいのは、決してウソは付かないということだろうか。彼女はほとんど無言で、「無言なら認めたと理解して記事を書く」と宣言しても、無言だった。そうして記事にした。何もクレームはない。
あの頃マスコミは逐一二人の行動を追っていて、数日間の大竹の空白と状況証拠などで、詳しくはもう忘れたが、妊娠を確認し、そのまま終わったことで「流産」の結論を出す。
問題は、彼女はさんまと結婚したいために、「大丈夫」のウソをいい、あるいは男のその瞬間に、相手の体を抱き寄せたということだ。さらに大竹はベッドの上でもさんま相手に演技をした。大竹はすでに演技派として、誰にも負けなくなっている。さんまというシロウト芸人は「男女七人夏物語」や「秋物語り」では競演して人気を得たが、大竹の演技の前では、とんでも子供。後家となった女にだまされた。
そしてその後また妊娠して長女出産するが、離婚する。
離婚の経緯は、女優はやはり普段は男なのだ。大原麗子が森進一と離婚したときに、森が「家庭内に男は二人はいらない」といったのは有名で、普段の女優は間違いなく男性分になる。あれだけ望んだ女が、実はこういう生態だったというのに、さんまはそのとき気が付く。キャバクラで20歳を口説いてお持ち帰りするなど簡単なこと。それだけを繰り返していたさんまは、女とはそういうものだとあの年、30歳を越えても、対女性関係の認識などはシロウトといっていい。それだけの男だ。気が付いたときは遅かった。その後さんまは、再婚できない。総理大臣の小泉と同じだ。
さんまと大竹がバブル時代に建てた、偏屈なつくりの豪邸とは、10億円といわれたが、売却すると3億円だった。7億円の損は離婚したさんまが被る。ただ、離婚後また人気の出たさんまにとって、この返済は少しの苦労ではあったが、難しいことではない。こうして彼女は服部との間に長男、さんまとの間に長女をもうけた。彼女はその後、いくらかの貯金はある。3億円くらいで一戸建てを深沢に建てて、今もそこにいる。その長男は慶応高校から慶応大学に進んでいる。父親が厳格なキリスト教で、学校教師をしていたのだから、三田佳子の馬鹿親のように、子供が覚せい剤をやるということにはならない。しかも二千翔、いまるという素敵な本名は、誰もが知っているという自然の要塞が世間にあって、二人は間違った生き方はできない仕組みになっている。
その後の野田秀樹との同棲は、これは大奥と子供みたいなこっけいな顛末だった。野田は片時の父親代わりに大竹に利用だれただけで、演劇界の才人とはいっても、あの同棲記者会見の本人のはしゃぎようは、よくいいってタイゾーくんであって、私も笑い出した。「どうせまもなく厄払いになるというのに」。大竹の手のひらにいただけのこと。
同年代の男優では役所広司が一番の演技派だと私は思う。その大竹と役所を使ったドラマは、読売テレビの鶴橋が何度かいい作品を作った。鶴橋というのは、浅岡ルリ子のボーイフレンドともいわれた男で、演出家としては、かなりの実力者と、多くの作品賞に輝いている。業界では、鶴橋ドラマに出られれば一人前ともいわれる。芸能界のドラマ映画の製作者側に、大竹のファンというのは、とんでもなく多い。吉永小百合よりも、三田佳子よりも、誰よりも多いと私は思う。
結局大竹は仕事でも私生活でももっとも女優らしい道を歩んできた。今でも来る仕事はいくらでもあって、断るだけが仕事となる。そして普段しゃべっているあのまどろこしい、たどたどしいしゃべり方は、多分演技がそのまま自分のしゃべり方になっている。普段はヒステリックな女が、愛犬と話しをするときには、子供に返ったような言葉になるのと同じことだ。知っている者には見えすいている。しかし、それであっても好感がある。知らないものは、くもの巣につかまった蝶々のように、恍惚となる。
自分のトラウマで、精神的に恵まれていても、経済的に子供でも苦しかったことを、そういうことだけにはなりたくないと思って、そして実践してきた。抜き差しならない女で女優なのだが、だからこそ女優らしいと私は思う。