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1026 きしめんの日 原子力の日・反原子力デー

2012-10-26 00:06:32 | 雑記

食欲の秋の10月と、きしめんはつるつる感が特徴であり、「つ(2)る(6)」の語呂合わせから、愛知県

製麺工業協同組合が10月26日を「きしめんの日」に制定した。

 きしめん(棊子麺)

薄くて平たい麺を使用したうどん料理。愛知県名古屋市の名物。

■起源

[現在の愛知県刈谷市今岡町・今川町(旧・三河国芋川)で作られた「芋川うどん」がきしめんの先祖]

という説が有力。17世紀半ばの 『東海道名所記』が三河の芋川の名物として「ひらうどん」を紹介して

いる。この平打ちうどんときしめんとの関係が言及されるのは江戸時代後半のことである。当時の江戸

では平打ちうどんを「ひもかわ」と呼んでいた。幕末の風俗の詳細な記録である『守貞漫稿』は「ひもか

わ」は芋川の訛りと指摘した上で、名古屋では「きしめん」と呼ぶと断言している。また、明治の初期の

名古屋ではすでに、油揚げと青味を具にした「きしめん」が確かにあったという。

■きしめんの名前の由来

(1)「雉(きじ)めん」を語源とする説

江戸時代の尾張藩では麺に雉肉を入れるのが伝統であったが、雉肉は貴重であったので代わりに油

揚げを乗せることで庶民に広まった。

(2)「棊子麺」を語源とする説

「碁石麺」はうどんの生地を竹筒で碁石大に押し切り、茹でて豆の粉を付けたもので、名古屋の碁打ち

は大局中一服するときに好んで食べたということである。これが後に平たくて細長い麺の形になって

「棊子麺(きしめん)」という名前になったという説

(3)[紀州麺(きしゅうめん)」ではないかという説

尾張に修行にきていた紀州出身の料理番が考え出し、「紀州麺」と呼ばれていたのがいつの間にか

縮まったという説。他に紀州藩の殿様が尾張藩の殿様にお土産で持ってきた麺類を紀州麺と呼んで

おり、それが変化して「きしめん」になったという説。

■きしめんの特徴

*一般的なうどんに比べ生地を薄く伸ばすため麺が長く、薄く平らなため茹で上がる時間が短い。

*小麦粉と塩を練って作るのはうどんと同じだが、うどんよりも平たく薄く伸ばすためには職人の技術

 と手間がかかる。

*麺のコシが無いのがいいきしめん。あまり噛まずにつるつるっと喉に流し込むのがきしめん通の食

 べ方である。

*茹でた麺に熱いつゆをかけ、油揚げか鶏肉、青菜などの具を入れ、ネギ、鰹節をたっぷりのせる

 のが一般的な食べ方である。

*しかし、カレーきしめん、味噌煮込みきしめん、力きしめんなどのようにうどんと同じように調理され

 たきしめんもあり、夏場にはざるきしめんや「きしころ」などの冷やし麺としても食べられる。 

 ころ(香露)

■ころ(香露)は、うどん・きしめんに汁をかけた料理。主に中部地方で食べられる。うどんコロ・コロ

うどん、きしコロ・コロきしなど麺を区別するために名前にコロを付けて呼ぶ場合と、単にコロと呼ぶ

場合がある。

■由来

通常のかけ汁とは異なり、濃い目に合わせた汁の香りが良いことから「香露(こうろ)」と呼ばれるよう

なり、後に漢字はそのままで「ころ」と縮めて呼ばれるようになった。なお、発祥の店は戦前名古屋

にあった信濃屋で、当時まかないとして食べられていた冷たいうどんが「香露かけ」と呼ばれていた。

■特徴

元来は温・冷どちらにも用いられたが、現在では一般に冷たいものを指す。ざるではなく丼に盛り付け

られ、ネギやショウガなどの薬味とともに予め汁をかけた状態で出される場合が多い。薬味以外の

具を乗せた場合は「コロ」と呼ばないことから、ぶっかけうどんに近い。 

*****************************************

 原子力の日・反原子力デー

1956年の10月26日、日本は国際原子力機関IAEAに加盟し、1963年の10月26日、茨城県東

海村の日本原子力研究所で、日本初の原子力発電が行われた。日本政府は1964年、10月26日

を「原子力の日」に制定した。原子力の日に因み、日本各地で原発反対の運動が行われる「反原子

力デー」でもある。

■原子力

核分裂反応によって得られるエネルギーは、石炭・石油などの燃焼の化学反応によって得られるエネ

ルギーに比べ桁違いに大きい。この点が原子力発電を行う根拠となっている。つまり、経済的効率が

良いのである。

しかし、原子力発電には、放射線、放射線を放出する能力(放射能)を持った物質(放射性物質、放射

性廃棄物)を発生させる。放射線は、その量・強さに応じて生物に悪影響(放射線障害)を与える。

放射線

放射線の恐さは、生物が感覚器で認識できない点であろう。したがって、ガイガー・カウンター(GM管)

で計測するわけである.

放射線とは、放射性元素の崩壊に伴い放出される粒子線または電磁波で、主にアルファ線、ベータ線

、ガンマー線の3種を指す。

放射線が人体に当った時、第一の目標となるのがDNAだ。体内に含まれる水分子が壊され(分解

され)、生体を攻撃する活性酸素が生じ、DNAを傷つける。放射線が直接DNAの鎖を切り、細胞の死

やガンを引き起こす場合もある。

■放射性物質

* 放射性物質は空気中の水分子などと結合し雲になり、風に乗って遠くに運ばれる。そのため、事故

 地より遠く離れていても、異常な被爆を受けることがある(外部被爆)。

*体内に取り込まれた放射性物質は様々な組織にたまり、消滅するまで放射線を出し続ける(内部

 被爆)。

*放射線を浴びると、細胞分裂のための設計図DNAが損傷し、間違った設計図で作られた細胞は

 異常を来たし易く、ガンなどの様々な不具合を引き起こす。

*一度傷ついたDNAは元に戻らないので、たとえ放射性物質が消滅しても一生人体に悪影響を及

 ぼし続ける。また損傷したDNAは遺伝するので、体質的に弱い子供ができやすくなる。

■放射性核種

★セシウム134(人工生成物):半減期約2年

★セシウム137(人工生成物):半減期約30年

体液や筋肉にたまりやすく肉腫などの原因となる。

*********

★ヨウ素131(人工生成物):半減期約8日;ヨウ素剤有効

甲状腺にたまりやすく、甲状腺ガンの原因となる。

※これら3つを主要3核種といい、軽いため飛散しやすく水溶性で人体に取り込まれやすい。

※半減期:放射性核種は自然に放射線を出しながら壊れていく。この現象で放射線核種の量(放射

 能の強さ)が半分になるまでの時間を半減期と言う。

※半減期: http://irobutsu.a.la9.jp/movingtext/hangenki/hangenki.html

***まとめ***

東日本大震災による福島第一原発のレベル7(チェルノブイリ事故と同レベル)の大惨事を振り返り、

改めて原子力発電に依存しなければならないジレンマ。これから必ず来るといわれている東海地震

、東南海地震、南海地震に備えて早急に原子力発電に代わる電源開発事業を考えるべき時が来て

いることだけは確かであろう。

 


1025 世界パスタデー

2012-10-25 00:10:49 | 雑記

1995年10月25日イタリアで世界パスタ会議が開催された。EUとイタリアパスタ製造業者連合会な

どが合同でパスタの販売促進キャンペーンを行っている。

現在のようなソースをからめて食べるパスタ料理がイタリアに普及し始めたのは、*17世紀のトマトと

の出会いがきっかけになった。17世紀末、料理人アントニオ・ラティアーニのスペイン風トマトソースが

きっかけとなり、パスタをトマトソースで食べる食べ方が普及し、18世紀になってパスタ料理はイタリア

から世界中に広まっていった。

*新大陸からイタリアにトマトが上陸したのは16世紀だが、初めトマトは鑑賞用で、食用トマトの出現

は17世紀になってから。

 パスタ(イタリア語pasta)

パスタは、日本語の「麺類」とほぼ同義の概念をもつイタリア語で、スパゲッティ、ペンネ、ラザニアなど

を含む。日本では細長いものを「スパゲッティ」、細長くないものを「マカロニ」と呼び分け、「小麦粉の

イタリア風の練り物」のことを総称してパスタと呼んでいる。

■概要

パスタの主な原料は小麦粉で、他に水、塩、鶏卵などが用いられる。デュラム小麦のセモリナ(粗挽き

粉)を使ったものが最も良いとされる。デュラム小麦は、パンや天ぷら粉に使われる小麦とは種類が違

い、その特徴はガラス質と呼ばれる半透明の胚乳で、硬い良質のタンパク質を多く含み、弾力性に富

んでいるので生地を形成しやすく、ゆでてもコシが強く形がくずれにくいことである。

●パスタはスパゲッティに代表される麺状のロングパスタと、マカロニに代表される小型のショ

ートパスタの2種類に大きく分類できる。

 スパゲッティ

イタリア本国で数あるパスタのの中でヌードルの一種を指す代表的なもので、よく食べられているパ

スタの一つである。

■歴史

現在までに発見されているスパゲッティの最も古い遺物は、チェルヴェーテリで紀元前4世紀のエトル

リア人の墓から出土したしたものである。

■スパゲッティと日本

1928年、日本で初めての国産スパゲッティ「ボルカノ」が製造された。当時は「スパゲッチ」と称した。

占領期にアメリカ軍兵士がレエーション(野戦食)としてよく食べていたことから知られるようになった。

1960年代半ば頃には広く一般家庭でもよく料理されるようになった。1960年代後半までは、スパ

ゲッティと言えば、アメリカ式のミートソースと日本生まれであるナポリタンが双璧をなしてい

た。

 ミートソース

イタリアではミートソースに該当するものをラグーソースと呼ぶ。ラグーソースは食材を細かく切り、そ

れを煮込んで作る(煮込み)ソースのことで、中でもラグー・アッラ・ボロニェーゼ(ボロニア風ソース)

は肉とトマトを主な材料とするソースで、ボロネーゼ(ボロネーズ)と略され、日本語ではミートソース

と訳す。ボローニャ地方が発祥地である。普通ラグーといえば、ボロネーゼと考えてよい。

イタリア南部の簡単な調理法しかなかったパスタを、「肥満の街」即ち食の都である北部のボローニ

ャ地方の富裕層が、隣接するフランスのラグー(煮込み)をもとに肉や野菜、ワインなどを贅沢に使い

作らせたのが起源だといわれている。

■日本のミートソース

戦後兵庫県宝塚市にあったイタリア料理店「アベーラ」の初代店主オラッツィオ・アベーラが「スパゲテ

ィミートソース」 として店に出したのが日本初という説がある。1959年、キューピーが独立した缶入り

商品として「ミートソース」を発売したことが、家庭によりミートソースを普及させる下地となった。

これに追随する形でスパゲッティ・ソースの販売が各社で行われ、レトルト食品を中心にバラエティー

を極める現在でも、未だミートソースの人気は衰えていない。食べる際にはパルメザンチーズやタバス

コをかけることが多い。麺をナポリタンのようにからめたり、ソースにトマトケチャップやウスターソース

で味付けしたりもする。

 ナポリタン

トマトケチャップで味付けした日本独自のパスタ料理で、典型としては、スパゲッティにトマトケ

チャップをからめ炒めて作る。代表的な具材はタマネギ、ピーマン、これにハム、ウィンナソー

セージ、ベーコン等の加工肉、好みでタバスコや粉チーズ等をかけて食べるのが一般的であ

る。洋食メニューや弁当の付け合せなどにもトマトケチャップ味のスパゲッティは定番である。コンビニ

の弁当やレトルト食品としてナポリタンは一定の人気がある料理である。

■つけナポリタン

テレビ東京の番組「チャンピョンズ」と静岡県富士市の吉原商店街が共同開発した御当地グルメであ

り、つけ麺と喫茶店おなじみメニュー「ナポリタン」を組み合わせ、麺をトマトベースのWスープにつけ

て食べるのが特徴である。

●つけナポリタンの定義

*スープはトマトをベースとしたWスープ(2種類のスープをブレンドしたもの)である。

*提供する際は、麺とスープを分けた「つけ麺」スタイル。

現在、50店舗を超える取り扱い店がある。

 マカロニ

■語源・・・『図解食文化百科』(ミラノ、1990年)によると、「小麦などを練る」という意味の「マッカレー」

から派生した「マッコ」を語源としている。

■マカロニの違い

国や地域によってパスタの形状に違いがある。

*日本・・・短い穴の開いた棒状や貝殻状のもの、意匠を凝らしたものの総称。

*イタリア・・・イタリア語のマッケローニは主に穴の開いた棒状のものを指し、普通茹でる際に適当な

 長さに折って使う。

*英語・・・穴の開いた棒状の短いパスタのみ。ただし、ニューヨークやフィラデルフィア周辺のイタリア

 系アメリカ人の間ではパスタ全般を指す。

■日本のマカロニ料理

*マカロニグラタン・・・マカロニにソースを絡めて、溶かしバターとパン粉で焦げ目をつける。

*マカロニサラダ・・・茹でたマカロニと、キュウリなどの刻んだ野菜とマヨネーズで和えて作る。

*アラビアータ・・・唐辛子を多めに入れたり、オイルに味付けしたりして、唐辛子の味を強くしたトマト

 ソースを作り、それを茹でたマカロニに絡めたもの。アラビアータのレトルトパック入りソースが市販

 されている。

★日本のマカロニの形は現在は円筒形が主流だが、もとはひし形だった。

■アメリカ合衆国のマカロニ料理

*マカロニ・アンド・チーズ・・・茹でたマカロニに塩味の効いたチーズソースを絡めたグラタン

 料理の一種で、チーズはチェダーチーズを使うのが一般的である。手軽に作れるとあって、アメリカ

 やイギリスでは家庭料理として普及している。特に子供に人気が高い。アメリカのほとんどの学食の

 メニューに載っている定番料理である。作り方は沸騰した湯でマカロニを茹で、湯を切った後、鍋に

 戻したしたマカロニと一緒にチーズソースの粉末、バターと牛乳(もしくは水)を入れ、ソースとマカロ

 ニが十分絡み合うまでかき混ぜればできあがる。好みで刻んだハムやソーセージ、タマネギ、挽肉、

 ツナ缶を加えるときもある。

 アルデンテ

*スパゲッティなどのパスタで茹でる時の理想の茹で上がり状態の目安とされる表現。

*麺が完全に茹で上がらずに麺の中心が髪の毛の細さ程度の芯を残して茹で上げることをいう。

■誤解

パスタは一般に茹で上げた後、うどんやそばのように水でしめない為、その後も余熱で火が通ってい

く。その為アルデンテとは、茹で上げた状態なのか、フライパンでソースを絡めた後なのか、皿に盛ら

れ口にする瞬間なのかどの時点を指しているなのかによって、実際に食べたときの堅さには開きが

ある。

■日本国内のアルデンテ

うどんやそばなどの独自の麺文化がある日本においては、アルデンテでは若干硬く、日本人の嗜好

に合わないと考える人もいる。日本で売られているスパゲッティに書かれている茹で時間も、もちもち

として程よく芯が柔らかい状態になる時間である。

 

 

 

 

 

 

 

 


1024 文鳥の日

2012-10-24 04:46:45 | 雑記

10月が手乗り文鳥の雛が出回る時期であることと、、「て(10)に(2)し(4)あわせ」(手に幸せ)の語

呂合わせから、また1024の数字を使って文鳥を描けるということ、1は嘴、0は目、2は頭から尾にか

けて、4はお腹と脚を表す。ライターの伊藤美代子氏による提案により制定。

リンク→http://www.annie.ne.jp/~linda/1024.html

 ブンチョウ(文鳥)

スズメ目カエデチョウ科Padda属に分類される。インドネシア(カンゲアン島、ジャワ島、バリ島)の固

有種。インド、中国に移入・定着。

■形態・・・全長17cm位、重さ25~26g(23g以下痩せすぎ、29g以上肥満)、大きさはスズメより小

さめ、嘴はピンク色(オスは上嘴の基部が盛り上がる)、黒目の周りが赤く(アイリング)、脚はピンク

色、脚の指は前3本、後ろ1本でそれぞれ爪がある。

■種類

●ナミブンチョウ(野生種)・・・頭部の羽衣は黒く、頬は白い。体上面や胸部の羽衣は青灰色、腹部や体

側面の羽衣は薄ピンク色、尾羽は黒い。幼鳥は顔の羽衣が淡褐色、体の羽衣が灰褐色。

●サクラブンチョウ・・・ナミブンチョウによく似るが、胸に花びら様に白い部分がまだらに入り、それが桜

の花びら様に見え、胸元はふわふわしていて灰色に白がほんのり入っている。色分けがはっきりして

いて凛々しく見えるほうがナミブンチョウである。

●シロブンチョウ・・・全身の羽衣が白い。アルビノではないので瞳は赤くない。

●シナモンブンチョウ・・・1970年代にオランダで作出された文鳥で、別名フォーン文鳥。

●シルバーブンチョウ・・・1980年代にヨーロッパで作出された銀灰色の文鳥。

■寿命・・・平均寿命7~8年(健康寿命12~14年)

■産卵時期・・・秋~春(9~6月)、年に一度5~7個産卵、抱卵16~18日、巣立ち20~40日

■飼育・・・鳥籠・庭籠で飼う。水浴びが好きなので水容器を設け、水は毎日取り替える。餌として、アワ

キビ、ヒエなどの穀物、青菜、ボレー粉(牡蠣殻を砕いたもの、カルシウム摂取に必要)、配合飼料など

を与える。

************手乗り文鳥************

雛のうちから愛情を持って接し、信頼関係が築けてはじめて、人懐っこい手乗り文鳥になるが、

その場合は飼い主を同じ仲間の文鳥或いは親鳥と認識しているらしい。

■豆知識

●文鳥の名前の由来・・・未詳

 ジャワ雀を初めて見た日本人に「彩色のある鳥=文鳥」と中国人が説明したのを「文鳥」という種類

の鳥だと誤解して、ジャワ雀が日本で文鳥と呼ばれる発端とも考えられる。中国では「瑞紅鳥」と呼ば

れる。

●『本朝食鑑』によると1688年に始まる元禄初期にはもう既に伝来していたらしく、1620年くらいまで

は南蛮貿易が盛んで、このころ南蛮貿易を通じて文鳥は持ち込まれたと考えてもよさそうである。

●シロブンチョウはサクラブンチョウから生まれた。

●サクラブンチョウは初めナミブンチョウから生まれ、シロブンチョウが生まれてからはシロブンチョウ

とナミブンチョウの掛け合わせでサクラブンチョウが生まれるようになったと考えられる。

サクラブンチョウとナミブンチョウはとてもよく似ているのでそのように考えた方が自然だと想われる。

要するにシロブンチョウはナミブンチョウの突然変異によってサクラブンチョウより先に作出されたか

のような誤解があるが、あくまでもサクラブンチョウからシロブンチョウは作出されたのである。 

シロブンチョウの創設者について、「白文鳥発祥の地」碑が建てられている愛知県弥富町では、

「幕末当地に嫁いできた女性が持ってきたつがいの桜文鳥に起源する」と伝えている。


1023 ヤマノイモ

2012-10-23 00:19:48 | 雑記

 ヤマノイモ(山の芋)

ヤマノイモ科ヤマノイモ属のつる性多年草。また芋として発達した担根体(根でも茎でもない器官)の

こと。日本原産で、粘性が非常に高い。ジネンジョウ(自然生)、ジネンジョ(自然薯)とも呼ぶ。ナガイ

モは別種である。

 
■特徴・・・本州から四国・九州、朝鮮半島、中国に分布し雌雄異株で、葉はハート型、夏には白い穂状
 
の花序をつける。種子のほかに葉腋に発生する「むかご」によって栄養生殖する。
 
■採取・栽培・・・元来は野生の植物で、かつては山に行って掘ってくるものだった。秋になって地上部
 
が枯れる頃が収穫期であった。現在では、むかごの状態から畑で栽培されており、流通しているもの
 
は栽培ものが多い。収穫しやすいように長いパイプの中で栽培する。
 
■食用・・・長く伸びた芋を食用にする。この芋のデンプンは非加熱状態でアルファ化しているため生食
 
でき、すりおろして「とろろ」にする調理法が一般的で、ナガイモと比べはるかに粘り気が強く、普通に
 
すりおろしただけでは餅のようになり食べづらいため、白醤油や出汁などを加えてのばす。むかごは
 
加熱調理してたべるが、生食も可。
 
 ナガイモ(長芋)
 
ヤマノイモ科ヤマノイモ属の肥大した担根体の通称である。漢名の「山薬(さんやく)」、「薯蕷(しょよ)」
 
、チャイニーズヤムとも呼ばれ、自然薯(ヤマノイモ)とは別種である。
 
■分類
 
中国原産で、日本へは17世紀以前に渡来した。最も高緯度で栽培されるヤムイモのひとつで、雌雄
 
異株のつる性植物で、夏に花をつける。
 
芋の形から長形のものを長芋、平たいものを銀杏芋(いちょういも)、かたまりになったものを捏芋(つく
 
ねいも)と呼ぶ。
 
長芋・・・現在最もポピュラーな山芋で、栽培される山芋の3分の2が、この長芋。水分が多く、粘りが
 
少ないため、とろろにはあまり向かない。サクサクとした歯ざわりを活かして、やまかけや和え物、サラ
 
ダなどにすると持ち味が活きる。主産地は青森県上北地方、北海道帯広市、幕別町、長野県中信・北
 
信地方など。
 
●銀杏芋・・・通称:大和芋(やまといも)[関東]、仏掌芋(ぶっしょういも)、とろろいも
 
いちょう形、手のひら形、ばち形などあるが、いずれも扁平な形が特徴で、関東では大和芋と呼ばれ
 
る。なめらかでムチンを多く含み粘りが強くとろろに最適で、とろろとしてよく使われるので「とろろいも」
 
と呼ばれ人気が高い。主産地は群馬県太田市尾島地区。
 
●捏芋・・・通称:大和芋[関西]
 
関西でよく出回る品種で、ゴツゴツしたこぶしの形をし、粘り、きめの細かさが最も強く、食感も濃厚。
 
すりおろしてとろろ汁したり、揚げ物にしたりする。もともと奈良に多く見られたところから関西では大和
 
芋と呼ぶ。主産地は、兵庫県丹波市・篠山市(黒皮種の丹波ヤマノイモ)、奈良県・三重県(白皮種の
 
大和イモ、伊勢イモ)で、黒皮・白皮ともに中身は白い。土質を選び乾燥を嫌うので、栽培は難しく、産
 
地は限られる。高級料理の食材として珍重される。薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう、じょよまんじゅう)の
 
などの和菓子の原料になる。
 
■山芋の加工品
 
★薯蕷饅頭・・・高級蒸しまんじゅうで、上用まんじゅうともいう。皮だねは上用粉を主とし、砂糖と山芋
 
 を加えて練り上げる。山芋は膨張剤の役目をする。
 
★軽羹(かるかん)・・・鹿児島の銘菓。すりおろした山芋に砂糖、米粉を加え練り上げ蒸す。薩摩藩主
 
 島津斉彬候が江戸から連れ帰った菓子職人の考案と言い伝いがある。
 
■零余子(むかご)
 
*別名:ぬかご、いもご、いもしかご、ばちかご、肉芽(にくが)、珠芽(しゅが)
 
葉の付け根の部分に養分を貯えて小指の先程の球状になったもの。黒褐色をしていて、そのまま食
 
用にしたり、種芋に使ったりする。10~12月頃収穫される。蒸してそのまま食べたり、ご飯に炊き込ん
 
でむかごご飯にしたり、塩茹でやから揚げにする。
 
■薬用
 
山芋の皮をむいた根茎を乾燥させたものを「山薬(さんやく)」といい、生薬として利用される。
 
滋養強壮、止瀉・止渇作用などがある。
 
 まとめ
 
■一般に、栽培されているものをナガイモ(長芋)、自然薯をヤマノイモ(山の芋)と区別する。
 
■山芋は、長芋、大薯(だいしょ;ヤムイモ)、自然薯の3種を言う。
 
■山芋の旬
 
*10月中旬から翌年4月まで収穫されるが、長芋、捏芋は11~12月、銀杏芋は12月~翌年1月。
 
*収穫してから少し時間をおいた年末以降のものの方が水分が抜けて粘り気が増し、糖質も増えて
 
 美味しい。
 
*低音貯蔵により出荷調整ができるので1年中出回っている。
 

1022 平安遷都の日

2012-10-22 00:13:50 | 雑記

794年のこの日、桓武天皇が長岡京から山背(やましろ)国葛野の新京に遷った。翌11月8日山背国

を山城国に改め、「平安京」と号した。平安京は後世においては「へいあんきょう」と音読みするが、当

初は「たいらなみやこ」と訓読みした。京の名前は地名を冠するのが一般的で、本来ならば「葛野宮」と

すべきところを、長岡京の騒動が原因の一つとして遷都したわけで、新京では悪いことが起こらず、

「平らかで安らかな都」、「平安(たいら)」であって欲しいという桓武天皇の願いが込められている。

784年、桓武天皇は平城京から長岡京に遷都した。遷都の際、桓武天皇は朝廷内の改革に取り組

み、藤原種継とその一族を重用し、反対勢力を遠ざけた。785年、造長岡京使の種継が暗殺され、桓

武天皇の皇太弟早良親王がこの反逆に関わっていたことが判明し、親王は配流先で恨みを抱いたま

ま死去する。親王の死後、日照りによる飢饉、疫病の大流行、皇后・皇太子の発病など様々な事変が

起こったことからその原因を占ったところ、早良親王の怨霊によるものという結果が出て親王の御霊を

鎮める儀式を行う。しかし、その2ヵ月後、大雨で都の中を流れる川が氾濫し大きな被害を蒙ったこと

から、和気清麻呂の建議もあり桓武天皇は再遷都を宣言する。

平安京を造営する際、古来の中国の風水思想を取り入れたといわれている。風水とは土地の形状、

や方位、陰陽五行説など考え合わせて都市や住宅、墓などの位置の吉凶禍福を決定するために用い

られて来た、気の流れを物の位置で制御する思想。その土地の良し悪しを判断し、王城などが繁栄

するように都市計画する。

■「背山臨水」。背後の山があり、前方に湖沼や海の水がある。背山臨水が風水の基本であり、中国

の「四神相応」の考えに通じる。東西南北の方向を守護する青龍(せいりゅう:東)、白虎(びゃっこ:西)

、朱雀(すざく:南)、玄武(げんぶ:北)。キトラ古墳の壁面にこの四神が描かれていて四神が墓を守る

ものとされてきた。平安京にも、四神が山や海、川や道などに相当する四神相応が盛り込まれている。

青龍は東山や吉田山に加茂川、白虎は双ケ丘や西山、朱雀は今は埋め立てられた巨椋池、玄武は

船岡山や北山に見立てることができる。

平安京の大内裏を中心にみると、背後は船岡山や北山があり、前方は大椋池。まさに背山臨水で、

四神も配して、「”気”が大内裏に集まる」ように工夫している。

四神を山や川に見立てるのは、山や川抜きでは都市計画を考えることが出来ないという事だ。

山により風の吹き方が変わり、水の流れ方が決まる。これは現代も同じだが、造成によって容易に変

えることができる。昔の人々は自然と共生する形で、都市計画と繁栄を実現している。そのために風

水は古代科学の基本といえよう。

また、桓武天皇は、仏法によって国家の災いを鎮めるために、表玄関である羅生門の両脇に[東寺」

と「西寺」を建てた。西寺は衰退したが、後の天皇に鎮護国家を託された空海は真言密教の総本山

として東寺を造り上げていった。 

ところで、今の元号「平成」の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平らかに外成る)」、『書経』の

大禹謨「地平天成(地平らかに天成る)」からで、「内外天地とも平和が達成される」という意味。

2011年3月には東日本大震災と福島第一原子力発電所事故が発生し、放射能汚染で福島県の広

範囲が居住不能となり、多くの人々が移住を余儀なくされ「戦後最大の国難」と称された。

日本列島はもともと地震列島であり、プレートによる地震ばかりでなく活断層による地震の恐れもあり

、今後どこに首都機能を移転しようとも安全なところはないといえよう。

1995年1月17日の阪神淡路大震災が起きるまでは、西日本は比較的地震が少ないと考えられてい

た。平安遷都より1218年目に当るわけだが、風水という古代科学も想定しなかった地震という現実

を今突きつけられている。