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1031 出雲ぜんざいの日

2012-10-31 01:51:46 | 雑記

1031を千三十一とみなして、「ぜん(千)ざ(3)い(1)」の語呂合わせから、出雲ぜんざい学会が制

定。

 ぜんざい(善哉)

ぜんざいは、主に小豆を砂糖で甘く煮て、この中に餅や白玉団子、栗の甘露煮などを入れた食べ物。

一般的に、小豆の粒のあるものを西日本などの地域では「ぜんざい」、漉(こ)し餡(あん)のものを汁粉

と呼び、大阪では「こしあんのぜんざい」と呼ぶ。、関東の場合は小豆餡の汁物全般を「汁粉(しるこ)」

と呼び、区別するなら、粒なしのものを御前汁粉、粒ありなら田舎汁粉と呼び分けている。関東で「ぜん

ざい」といえば、餅などに餡を添えたものである。

ぜんざいと同様の材料ながら、ぜんざいより水分量がはるかに多く、飲料に近いものもあり、これは関

東では「ゆであずき」と呼ばれている。

語源

(1)仏教用語である「善哉(ぜんざい、よきかな)」に因んだ説で、一休宗純が最初に食べたとされ、あ

まりの美味しさに「善哉」と叫んだといわれる。「善哉」とは仏が弟子を褒める時に使う言葉である。

(2)出雲地方の神事「神在祭」で振舞われた「神在餅」に由来する説。「神在餅」の「じんざい」が訛り

、「ぜんざい」へと変化し京に伝わったと言われている。

出雲地方では、正月の雑煮は、白い丸餅が入った小豆を砂糖で甘く味付けをした汁で煮る、つまり

「ぜんざい」を普通の雑煮として食べている。

■関東のぜんざい

関西の「ぜんざい」を「汁粉」と呼ぶ関東地方では、餅や白玉に汁気のない粒餡をかけたものを「ぜん

ざい」と称すことがある。関西地方ではこれを「亀山」や「小倉」と呼ぶ。 

■沖縄のぜんざい

沖縄で「ぜんざい」と呼ばれる食べ物は氷菓である。黒糖で甘く煮た金時豆にかき氷をかけたもので、

「冷やしぜんざい」とも呼ばれる。

■その他

*栗ぜんざい:栗餅に濃い目の漉し餡をかけたもの。

*懐中汁粉:もなかの皮の中に粉末の漉し餡とあられを入れた日本古来のインスタント食品。湯を

 掛けて溶いて食べる。

*クリームぜんざい:粒餡の汁粉を冷やし、その上からソフトクリームやアイスクリームといった冷た

 い洋菓子をのせたもの。

■地域色

*小豆ほうとう:山梨県で、餅の代わりにほうとうを入れたもの。

*そばがき汁粉:長野県松本市周辺で、餅の代わりに蕎麦がきを入れたもの。

*かぼちゃ汁粉:昔、米の収穫が困難だった青森や北海道十勝地方では、餅の代用としてかぼちゃ

 ・かぼちゃ団子を入れたものがある。

*ぜんざい:高知県とその周辺でよく作られる皿鉢料理では、甘味料理として小倉汁粉が鉢に盛って

 出され、ぜんざいと称される。作り方はほぼ普通の小倉汁粉と同じだが、餅や白玉団子の代わりに

 、鳴門巻きや蒲鉾が用いられ、時にはホウボウなどの茹でた魚が丸ごと入れられることもある。

*へっちょこだんご:岩手県北部。たかきび(もろこし)粉のだんごを煮立った小豆汁にそのまま入れ、

 浮き上がったらできあがり。へっちょことはだんごの真ん中に親指でつけた窪み(へそ)のことで、へ

 そに味がしみて美味しく、「すすりだんご」とも言う。同様なものが群馬・大分などにある。

添え物

塩(塩化ナトリウム)、塩昆布、沢庵漬けなどを添えることで、ぜんざい・しるこの甘味を引き立たせ、

また小腸で分解されたグルコースとナトリウムとの共輸送によりグルコースの速やかな体内への吸

収を助ける。

インスタント

冬場になると、従来からの懐中汁粉のようなものでカップラーメンのようにカップにお湯を注いで作る

「即席汁粉・ぜんざい」や、缶入りジュースのようにそのまま飲むことができる「汁粉ドリンク」などが店

頭に見られるようになる。

 小豆

■アズキ:マメ科ササゲ属の一年草。東アジア原産

■1.小豆の歴史

古く中国の薬学書『神農本草経』には、小豆の煮汁が解毒剤として用いられたという記述がある。

やがて、中国から世界に広まった小豆は薬効がある食材として王侯貴族に珍重され、日本にも3世

紀頃伝来し、中国同様薬として使われた。

■2.「小豆(あずき)」の語源

古代日本では、大型の豆に対して小型の豆「小豆(しょうず・こまめ)」の意味で使われ、アズキと呼 

んでいなかった。この豆を「小豆(アズキ)」と呼ぶようになった次のような説がある。

(1)平安時代の『本草和名(ホンゾウワミョウ)』には阿加阿豆岐(アカアズキ)という名で紹介されて

されている。江戸時代には阿豆岐(アズキ)、阿加阿豆岐(アカアズキ)と呼ばれている。赤小豆、赤

豆などとも書き、赤粒木(アカツブキ)からアズキになったと言われている。

(2)江戸時代の学者『養生訓』で有名な貝原益軒の説では、アとは赤色のことで、ツキ・ズキは溶け

るという意味、要するに赤くて、他の豆より早く柔らかくなることから、アズキと呼ぶようになった。

(3)アズ・アヅは『地方用語辞典』によると「崖崩れ」、あるいは「崩れやすい所」の意味で、他の豆と

比べて煮崩れしやすいことから、アズキという名がついた。

■3.小豆の産地

(1)栽培家庭・・・産地や天候によって時期・機関は多少のずれはある。

*5~6月種まき;発芽までは約2週間

*7~8月:開花(約40日)

開花は早朝3時頃に始まって、陽が昇るころ満開となり、小豆の黄色の花が畑、丘一面を埋め尽くす

光景は美しい。しかし、一つの花の開花時間は短く、午前中で開花は終わり、花はしぼみ、翌日には

咲いた順に枯れていく。早く咲いた花ほど結実率が高く、、最後近くに咲いた花のほとんどは結実しな

い。ふつう、小豆1株には30~40の莢(サヤ)がつき、その莢には6~9粒の種子(小豆)が入って

いる。莢の色は緑色から褐色へ変化してゆく。

*9~11月:収穫

刈り取られた状態で2~3日地干し。2週間程度、自然乾燥。乾燥後、脱穀し莢から小豆を取り出す。

粗選別後、袋詰めされ、食品工場へ流通される。

(2)生産地

小豆は温暖作物で、適度な乾燥土壌を好む。北海道の夏は梅雨がなくカラッとして、特に小豆の成

育上重要な6~8月は日照時間も長く、質がyぴ小豆を栽培する好条件がそろい、いまや国内生産の

約85%を占めている。

※2010年小豆:日本の生産量54.9千トン 1位北海道88.7% 2位兵庫1.0% 3位岩手

 0.7% 4位京都0.5% 5位0.1%

※2011年十勝の生産地ベスト5(トン)

 1位音更町4,860 2位帯広市4,780 3位芽室町4,610 4位幕別町2,570 5位士幌町

 2,230 6位更別村2,050

 


1030 香りの記念日

2012-10-30 00:12:55 | 雑記

1992年10月30日石川県七尾市で第7回国民文化祭「世界の香りフェアIN能登」が開催され、この

ことに因み、七尾市が「香りの記念日」を制定した。

今年の第2 7回国民文化祭は徳島県で開催されていて10月28日開会式が行われた。

 香り=匂い

(1)においは、空気中を漂ってきて嗅覚を刺激するもの。物質から発散されて鼻で感じる刺激。漢字で

は、良いにおいを「匂い」、悪いにおいを「臭い」と書く。匂いはかおりとも言い、漢字は香り・薫り・芳りを

当てる。

(2)においは、物質が揮発して鼻の中にある嗅覚器に作用することによって感じる。したがって、物質

が「におう」ためには揮発できることが必須条件となる。揮発しない物質ではにおいを感じることがで

きない。概して、軽くて小さい物質は揮発しやすいためにおいを感じやすく、反対に大きくて重い物質

は揮発しにくい。 

しかし、人間にとって重要なことはにおいの「質」で、嫌なにおいはたとえ少量でも感じやすい。例え

ば「イソ酪酸」と呼ばれる物質はほんの少量でも鼻が曲がるほど嫌な、汗の腐ったようなにおいを感じ

る。一方、ジャスミンの香りの成分「ジャスモン」は多量でも不快感を与えない。 ジャスミンの香りは副

交感神経の活動を増大させ、交感神経を抑制し、精神性の負荷を減少させると考えられる。

アロマテラピーは、主として花や木に由来する芳香成分の香りを活用し、ストレスを解消したり心身の

健康の維持に役立つ技術である。健康法の一つにハーブを使うアロマテラピーがある。これはハーブ

から抽出した精油を、健康や美容に役立てる。一般には香りの働きでリラクゼーション・リラックス効果

を得るという認識が強いが、他にも消化器、循環器、ホルモンの分泌など体のあらゆる面に効果を発

揮する。その用法もマッサージ、湿布、吸引などさまざまある。ところでアロマテラピーは手軽な健康法

と思われがちだが、精油にはハーブの成分凝縮されていて、数滴程度で強力な作用がある。そのた

め実際に行う場合には専門家から正しい用法を学ぶことが大事なことである。

■秋の香りキンモクセイ

秋のこの時期(9月下旬~10月中旬ごろ)、街を彩る香りの正体がキンモクセイ。誰もがその香りの

記憶があるはず。しかしこのキンモクセイ、実は匂いだけの植物ではなかったのである。キンモクセイ

の花の匂いの成分ガンマーデカラクトンには、虫を避ける効果がある。唯一この匂いが平気なのがホ

ソヒラタアブというアブ。このアブだけがキンモクセイの花に付くので、決して開花期間が長くない(10

日ほど)キンモクセイの花は、このアブが専門的に受粉してくれることにより効率的に受粉できるわけ

である。しかし、キンモクセイが中国から伝来したとき雄株だけであったので日本ではキンモクセイは

実をつけないのである。

みどりの香り

※「みどりの香り」の正体は、炭素が6個つながったアルコール類とそれが酸化したアルデヒド類。

アルコール類:CH3-CH2-CH2-CH2-CH2-CH2OH(ヘキサノール)とその類似物質

 3種類で、その仲間の1つは青葉アルコールと呼ばれる。ーOHを含むのが特徴。

アルデヒド類:上のアルコール類と同じ骨格のヘキセナールと、その類似物質3種類で、その仲間の

 1つが青葉アルデヒドと呼ばれる。ーCHOを含むのが特徴。

人間がこの青葉アルコールや青葉アルデヒドの匂いを嗅ぐと、「新鮮な匂い」を感じる。また、青葉

アルコ-ルは「新緑の匂い」など青臭さが特徴で、青葉アルデヒドは「甘い香り」、「果肉の匂い」など

果実様の香りが特徴。 

森林の香り(フィトンチッド)

※森林の香りは、緑の香りの加えて、新緑や樹幹、更には土壌などから発散される各種の香りのミッ

 クスされたものである。 

※緑葉や樹幹からは主としてテンペン類が多く発散される。例としてタイワンヒノキやヒバなどに含ま

 れる「ヒノキオール」が有名。

※植物は他の植物の生長を阻害する作用や病害虫から自分を護る作用などを持っており、この植物

 の不思議な力を「フィトン(植物)チッド(殺す)」と言う。

※ポプラ、ミズナラなどに傷をつけると青葉アルコールを発散する。これは、青葉アルコールを発散し

 て周りの仲間の樹木に昆虫の防護を呼びかけているのだと言われている。

※フィトンチッドとは植物が分泌・発散する各種の物質で、植物の自己防衛ののための秘密兵器で、

 他の生物には攻撃的に作用する武器である物質でも、人間にとっては精神の安らぎや爽快感をも

 たらし、ストレスを解消する効果がある。

※森林の香りに限らず、一般に香りの成分の中には殺菌作用が強いものが多い。例えば、ユーカリの

 葉の芳香油には蚊に対する忌避物質が含まれる。

■おいしいメロンの香り

※とろけるような美味しいメロン。分析すると100を超える揮発性物質が検出されるが、その基本は、

 下に示す4つの物質である。

*シスー6-ノネノール:メロンの基本的な匂いでウリの生臭い匂い

*エチルブチル酸:フルーティーな果実の匂い

*フェネチルアルコール:花のようなフローラルな匂い

*シスー3-ヘキセノール:干草のような、あるいは緑葉のようなフレッシュ感を感じさせる匂い

※エチルブチル酸由来の匂いは、メロンが熟することによって発散される。

花の香り

花もメロン同様100を超える揮発性物質が織りなす複雑な香りを有している。例えばラベンダーには

約300種類もの香り成分が含まれる。しかし、メロンのように特徴的な香り物質で代表される例もあ

る。ウメやサクラ、モモなどバラ科サクラ属の香りはほぼ同じで、ベンジルアルコールとベンズアルデ

ヒドであり、ジャスミンの主な香り成分は、ジャスモン、ジャスモン酸メチル及びジャスミンラクトンの3

種類で示される。最近、花の香りの持つ効用としてアロマセラピーへの利用が増えつつあり、このため

花の成分の研究が進みつつある。香り成分の多くは「精油」成分と呼ばれ、水よりも油やアルコールに溶

け易い性質を持っている。香り成分を芳香油などと呼ぶのはこのためである。

 臭い

嫌なにおいは、「臭」という漢字をあて「臭い」と書く・。臭いの中でも不快感をもたらすものを「悪臭」と

いう。

加齢臭(かれいしゅう)・・・おやじ臭

※加齢臭の原因物質:不飽和アルデヒドの「ノネナール」。

 加齢臭の成分は青臭さと脂臭さを併せ持ち、男女の性差がなく、40歳以降に増加が認めれる。

 加齢臭の原因であるノネナールの臭いは、ロウソクやかび青臭いチーズまたは古い本を置いてある

 図書館など、そういった臭いである。

わきが

わきが(腋臭症:えきしゅうしょう)は、皮膚のアポクリン腺から分泌される汗が原因で強い臭いを発す

る体質である。

※症状

腋窩部からの腋臭臭、つまり運動時や辛いものを食べた時などに出るエポクリン線の汗の臭い(酸っ

ぱい臭い、汗臭いと表現される)とは異なる特有の臭いがする。その臭い自体は人やその時の環境

等によって違いがある。ゴボウの臭い、ネギの臭い、鉛筆の臭い、香辛料のクミンの臭い、古びた洗

濯ばさみ臭いなど喩えられる。

※原因

腋臭臭発生の原因は腋窩部のアポクリン腺から分泌される汗が原因であるが、アポクリン腺の分泌

自体は無臭である。しかし、その汗が皮膚の上に分泌されると皮脂腺から分泌された脂肪分やエクリ

ン腺から分泌された汗と混ざり、それが皮膚や脇毛の常在細菌により分解され、腋臭臭を発する物

質が生成される。

 ※腋臭臭(えきしゅうしゅう):わきがの臭い

 


1029 おしぼりの日

2012-10-29 01:22:59 | 雑記

10月は「て(ten)」の語呂合わせと10本の指から、29日は「ふ(2)く(9)」(拭く)の語呂合わせで、

「手を拭く」の意味から、日本おしぼり協同組合連合会が2004年に制定した。

 おしぼり

■歴史

おしぼりは、日本では客向けに飲食店などで使用される手を拭く道具で、「(お)てふき」とも言われる。

おしぼりの歴史は、古くは『古事記』、『源氏物語』の書かれた時代まで遡ると考えられる。おしぼり

の前身となっているものは公家が客人を持て成す際に出される「濡れた布」。江戸時代になると木綿

の手ぬぐいが普及し、旅籠(はたご)と呼ばれた宿屋の上がり口に、旅人をもてなすために、水を張っ

た桶と手ぬぐいが用意され、客は手ぬぐいを桶に浸して水を絞り、旅で汚れた手足をぬぐった。この「し

ぼる」という行為が「おしぼり」の語源になったと言われている。  

現在のようなレンタルを中心としたおしぼり専門業者が登場したのは、昭和35年(1960年)前後で、

戦後復興と高度経済成長にあわせて、外食産業などと共に発展した。現在関東地区1都6県で、組合

に所属する業者が取り扱う貸しおしぼりの出荷本数は週間約5,600万本、1日当たり実に800万人

の人々に使われている。

おしぼり「行間」に潜むもてなしの心

「おしぼり」。もとは木綿のタオル。それが水の重みを含み、二つ折で丸められ供されると、単なるモノ

でなくなる。付け加わるのは、お客さんを迎える人の真心そのもの。言葉はいらない。暖かさや肌触

りといった感触を入り口に、客は「おしぼり」の行間に潜む「もてなしの心」を感じ取るのかもしれない。

おしぼりを使ってまず感じるのは「ほっとする」こと。暑い日のツメシボ、寒い日のアツシボで「あ~」と

か「う~」とか思わず声が出てしまうのも、大脳生理学的には体性感覚のシグナルが脊髄、延髄、視

床やらを駆け巡っているそうでしごく当然のこと。おしぼりはとかくストレスを感じる現代社会において、

ささやかながら一時(いっとき)のリラックス感を与える癒し系のサービスなのである。

■おしぼりに関する意見

※「四季がはっきりしている高温多湿な風土だからこそ、おしぼりの爽快感は魅力的。本題に入る前

 に”ため”を作りたがる日本人の所作にあっていた」

※「例えば『愛している』と思っていてもそのまま口には出しにくいでしょう?チップを払う習慣はない

 し。恥ずかしがり屋で笑顔も苦手。(そんな)日本人だからこそ編み出せたもてなしの形だと思うん

 です」「そんな寡黙なコミュニケーションは文字通り空を飛んで世界に知れ渡っていく」→日航のおし

 ぼりサービス

「もてなす(持て成す)」とは「ご馳走で歓待すること」。しかし、「表裏なし」が語源という説もある。

表も裏もなくまごころで接することで、そこには英語のサービスという言葉にはない温かみがある。 

 手拭(てぬぐい)

手拭は汗や手や顔を洗った後の水を拭ったり、入浴時に体を洗ったりするための木綿の平織りの布

である。その他寒暑除けや塵除けなどの目的や祭礼において装身具として頭にかぶるものである。

江戸時代にほぼ現在と同じの大きさ約90cmX35cm程度になった。手拭の端が縫われていない

は、清潔を保つため水切れをよくし早く乾くようにという工夫である。

染物としては、晒(素地、白地)のものや、藍染めなどを施しただけの無地や、無地や白地に柄を施し

たものがある。本来日本古来のものを指すが、明治時代に西欧からもたらされたタオルを含むことも

ある。

■歴史

手拭の歴史は、日本の織物の歴史でもあり、古くは麻や絹でできた平織物であった。平安時代から

養老律令の衣服令により、庶民は麻を高貴な者は絹織物を使用した。綿は主に中国大陸から輸入

され絹より高価であったが、江戸時代初頭前後に、日本で大々的に栽培されるようになり普及した。

また用途においても神仏の清掃以外では、神事の装身具や儀礼、日除けなどにおいての被り物(

簡易な帽子や頭巾)であったとされ、木綿が普及するにつれ、手拭きとしての前掛けなどの役割を

帯びていったと考えられる。

●江戸時代

江戸時代木綿の着物がよく作られるようになると、手拭は端切れなどからも作られ、生活用品として

庶民に欠かせないものになった。このころから「手拭」と呼ばれるようになり、入浴に使われたものは

湯手(ゆて・ゆで)とも呼ばれた。

また、実用だけでなく、自身を着飾るおしゃれな小間物として、己の気風や主義主張を絵文字の洒

落(しゃれ)で表し、染め抜いたものを持ち歩いたり、「手拭合わせ」などの品評会も開かれるなど、

庶民文化として浸透していった。

職業による手拭の被り方にも差異が生まれ、芸能や舞踊の「見立て」としての小道具として使用され

たりもした。その他に贈答、餞別、心付け、大入り、不祝儀などとして配られた。

この時代には、手拭は手拭染屋といわれる専門の染屋があり、意匠が複雑に詳細になるにつれ、染

色業の細分化もあり染色の技術も向上していった。 

●明治時代

注染」という染色技術が新たに考案され、もっと複雑な図柄にも対応できるようになり、繊維産業の

隆盛とともに染色の技術も普及していった。ただし、文明開化とともにタオルやハンカチといった物の 

流入や、日本古来のものは、古い時代遅れといった風潮から排斥されたり廃れる傾向にあり、手拭

もその一つであった。

●現状

もともと布巾(ふきん)と呼ばれる生活必需品は晒し手拭・晒し木綿といわれるものが原型。ガーゼや

包帯などの役割から、今日のタオル、雑巾やハンカチなどの役割を担っている。そして現代日本での

日常生活では、タオルやハンカチの使用が多いが、手拭は廃れたわけではない。

粗い平織りの手拭にはタオル地の製品にはない利点があり、農作業、伝統芸能、祭り、剣道などでの

被り物、ヘルメットの裏地、鉢巻、目隠し、汗ぬぐいなどとして、あるいは布巾として今なお利用されて

おり、古来から慣習として商店などの贈答品やイベントの際の記念品としての需要も少なくない。近年

では見直され、風呂敷同様の包装としての利用法の提案もあり、いろんな柄の手拭が和小物や手芸

店等で見られるようになってきた。

 タオルの種類

タオルと一括りに言っても、いろいろな種類があり、目的に適したサイズ、重さ、厚さなどがある。

乾いた状態で使うドライユースと濡らして使うウェットユースに大きく分けられる。一般的にドライユース

のタオルはボリューム感があり、ウェットユースのタオルはもともと手拭の用途をタオルに流用している

ため、薄手であることを良しとされる。

ドライユース(乾いた使い方

濡れた体や顔、髪の毛などを拭くことを目的として作られている。従って、吸水性や給水容量の大きい

ものが要求され、ウェットユースのものに比べ厚手。(例)バスタオル、フェイスタオル、ウォッシュタオ

ル、スポーツタオル。タオルケット

ウェットユース(濡らす使い方)

お湯などにつけて濡らした状態で使うことを目的として作られている。代表例として浴用タオルがあり

水を含んだ状態で使いやすい仕様とサイズを持ち、絞りやすく、乾きも早い。(例)おしぼりタオル 

 


1028 もめんの日

2012-10-28 02:06:17 | 雑記

愛知県尾西市の天竹(てんじく)神社には綿が伝わったという伝説がある。10月の第4日曜日には「棉

祖(めんそ)神」のお祭りが行われる。それに因み「もめんの日」は制定された。

 もめん(木綿・木棉)

もめんはワタの種子から取れる繊維。ワタはアオイ科ワタ属の総称。もめんは種子の表皮細胞の周り

に付いた細い繊維状の綿毛のこと。これが集まった子房の部分をコットンボール(日本では桃)と呼び、

繊維の成長が熟すとコットンボールが弾けて、中から白い綿毛が顔を覗かせる。その様子が花のよう

に見えることから綿花と呼ばれる。

ワタ属の栽培種には、4大種と呼ばれる相互に異なる野生種に由来する系統がある。これらは相互に

交配できないとされる。

●オーストラリア野生綿(スツルチアヌム)・・・オーストラリア

●アジア綿(アルボレウムとヘルバケウム)・・・アジア・アフリカの野生種と栽培種

●アメリカ野生綿(アルモウリアヌム)・・・北米西南とガラパゴス島

●アメリカ栽培綿(ヒルスツム)・・・北米、南米、アフリカ、太平洋諸島

※和綿は、古くはインドに発達し、中国や日本に伝わったアルボレウム(アジア綿)と呼ばれる種類。

和綿の特徴:

下向きに実(朔果)がなる。

綿花は比較的小粒で弾力がある。

綿毛が太く短い。

■もめんは単にめん(綿・棉)とも言う。摘み取ったまでの状態を棉、種子を取り除いた後のものが綿

だが、棉・綿を区別しないことも多い。

■性質

ワタの種子は硬い朔果(サク)の中にあり、成熟するとはじけて綿花が現われる。サクの中は数室に分

かれ各室には数個の種子があり、それに綿毛が密生している。この綿毛は種子の外皮細胞が変形し

たもの。生の綿毛は管の中に水を入れたようなもので、熟するにつれて中の水分が涸れて中空になり

、更に全く乾燥すれば、綿毛はよじれてくる。

■材料

綿毛には長く伸びた繊維と短い地毛がある。繰綿(くりわた)機で実綿から分離された長繊維をリント

または繰綿(くりわた)と呼び、次いで地毛除去機で分離された地毛主体の短繊維をリンターまたは

繰屑綿と呼ぶ。リントは紡績し、綿糸・紐・綿織物製品や装飾品、または不織布あるいはそのままの

形で医療・衛生用品、ぬいぐるみ等の充填物(中綿)として広く使用される。リンターは紡績材料には

ならないが、リンターパルプ、レーヨン、セルロース誘導体調整の材料になる。

■歴史(麻から木綿への変化

戦国時代に木綿は日本に入るが、最初は普及しなかった。

苧麻(ちょま)は1反(成人の着物1着を作るのに必要な量)織るのに40日くらいかかるのに対し、木

綿ではおよそ4日で織ることができる。ワタの栽培が日本で始まり、衣料に木綿が普及すうようになる

と(織る)その作業量の少なさから急速に普及したようだ。

作物として木綿は必ずしも日本の気候に適したものではなかったが、それまでの日本にあった衣料

向けの繊維であった苧麻(ちょま)・大麻(おおあさ)に比べ繊維の質がよく、収穫後の加工も容易であ

った。また木綿の服は藍染めとの相性がよく、藍の栽培も木綿の普及にに伴い拡大する。更に都市で

は夜に起きて生活するようになっていたが、農村でも夜仕事をするようになり、ナタネ油の必要性が

増し、ナタネ栽培も増加した。ナタネは冬作物で、稲やワタと競合することもなく好都合だった。

こうしてワタ・アイ・ナタネという工芸作物は農業だけでなく、農産加工、流通を通じ日本の社会を大

きく変えていく。

ワタは畑だけではなく、水田にも植えられるようになる。水田に畝(うね)を立て、畝にはワタを、稲を

溝に植える半田(はんだ)という栽培方式も考え出された。

ワタは水ばかりでなく肥料も多量に必要。綿毛の繊維は基本的には光合成生産物に由来するセルロ

ースからなり、光合成の量が多ければ繊維は多くなるので、窒素を中心とした肥料を多く与えると多く

生産できる。ワタは種子の周りの綿毛を収穫するので、施肥を増やせばそれによく反応して収穫量は

増える。それで干鰯(ほしか)など金を払って肥料を購入しワタを栽培するようになった。刈敷きや下

肥などの自給的な肥料から購入する肥料の転換は、日本農業の近代化をいろんな面から進めること

になる。例えば肥料を購入するわけだから経営的観念が生まれ、肥料を効果的に施用するため施肥

を分けて与える分施技術なども考案された。除草・中耕などの集約的管理をワタ栽培は要求する。

したがって労働力を効率よく割り当てる必要も生まれる。更にワタは周到な栽培を要求するが、うまく

栽培すれば高い収益を約束したので農家は勤勉になった。それまでの日本ではいくら働いてもその

働きに応じて収入が増えるわけでもなかった。一方農繁期には勤勉に忙しく働き、農閑期には祭りや

神社仏閣へのお参り、旅などを楽しむようになった。

そしてワタは製品である着物になるまで、様々な工程を経る。江戸時代には村々に紺屋があった。

江戸時代後半になるとワタの栽培の中心が畿内(奈良、大阪)などから東海、関東、山陽、山陰に移

り始める。ワタの栽培が全国的に広がった結果、もめんの価格は低下し、一方、肥料の需要が拡大

し、肥料の価格は高騰する。山陰のワタ栽培は肥料の干鰯の量を少なくし、代わりに中海、隠岐、山

陰海岸に豊富な海藻を肥料にした。安価な肥料によって山陰地方のワタ栽培は明治時代に発達し

た。しかし、日本で栽培できるワタでは、太くて短い繊維の綿花しかとれなかったため、新型の紡績

機が登場すると不適当になった。結局。外国産綿花の関税が撤廃されると、ここで日本のワタ栽培

は事実上終焉することになった。

 わた(綿)

わた(綿)は、繊維または繊維状のものが絡み合って、ひとまとめの状態になっているもの。

現代日本では通常、ワタから取られた木綿(もめん)を意味する。しかし戦後時代に木綿綿が普及

する以前の古代や中世では、蚕の繭から作られた絹の真綿を意味するのが普通である。

現代でも布団や座布団の中の詰め物は、繊維の種類を問わず「綿(わた)」と呼ばれる。

■綿の種類

●木綿(もめん)・・・ワタのわた。布団の詰め物などに用いられる。

●木綿(きわた・もくめん)・・・キワタの種子からとるわた。 

●木綿(ゆう)・・・楮(こうぞ)の木の皮を剥いで、蒸した後、水にさらして白くした繊維。

●真綿(まわた)・・・絹繊維による「わた」。保温性・通気性・吸放湿性が良く軽い。高級詰め物。

●パンヤ(カポック)・・・カポックの果実から取る「わた」。吸油性にすぐれる。

●麻綿(あさわた)・・・麻繊維による「わた」。吸放熱性が良く、さらっとした肌触りが特徴。夏用布団。

●羊毛綿・・・羊毛繊維による「わた」。弾力性・吸湿性・吸放熱性に優れる。

●合成綿・・・合成繊維による「わた」。主にポリエステル製が多い。木綿綿の2倍のカサがあり、保湿性

 に優れ、軽く、体に馴染みやすい。木綿綿と混合されて使われる場合が多い。

 


1027 九月十三夜

2012-10-27 00:02:47 | 雑記

 九月十三夜・・・旧暦

八月十五夜に対し、「(のち)の月」と呼ばれる。十三夜は日本独自の風習と言われている。ちょうど

食べごろの大豆や栗を供えることから、この夜の月は「豆名月」または「栗名月」と呼ばれる。

十五夜・十三夜のどちらか一方の月見を欠かすことを片月見と言って忌む風習がある。

※「中秋の名月、十年に九年は見えず」「十三夜に曇りなし」・・・十三夜の方が見える確率が高い。

※かつては秋の収穫祭の一つだったと考えられている。『故事・俗信ことわざ大辞典』によると、「十三

 夜が曇るようだと小麦の収穫の当てが外れることが多い」と群馬の諺にはある。また、武蔵野の伝

 承として『民俗歳時記』に「十五夜をやって十三夜をやらないと、雨が降りすぎて大麦が不作になる

  といい、十三夜だけだと小麦が不作になる」という。

※江戸時代の吉原では、十五夜、十三夜両方とも祝い、どちらか片方お月見しか行わない客は「片月

 見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行うために、十五夜

 に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜に来なければならないための風習があった。

※十三夜にも綱引きをやる地方があり、十五夜には萱で作った綱を使うが、十三夜の綱引きは新しく

 稲藁で作った綱が使われる。これは、十三夜は稲作儀礼が強いためである。綱引きは豊作を占うた

 めの神事として行われていたと考えられる。

※十三夜のお供えものでは、梨、柿、林檎といった丸い果物を供える。団子と芋を13個供える。豆腐

 を半丁供える。閏年にはお供えものの数を変える。お供えものを子供が盗む習わしは十五夜と同じ

 だが、未婚の女性は食べないなど地方によって違いがある。

※福岡県の海岸部では、十三夜を「女名月」と呼んで、女が威張ってもいい日だと伝えている。

■童謡における「十三七つ」と歌う十三夜には諸説あるようで、「九月十三夜深更七つ時(月齢。午前

四時ごろ)」が定説。また琉球には「月ぬ美しゃ十三日女童美しゃ十七つ」なる歌も伝わっている。

これは完全な満月より、たとえば花に「七分咲き」の美を観るのと同等で、「十三夜が満月に向かう

明月の姿は、まるで「可憐な乙女」にも似たものがあるらしい。この歌が琉球から本土に伝わったと

いう説もある。

■由来

*919年醍醐天皇の月の宴に始まるとも、宇多天皇がこの夜の月を無双と賞したものによる。

 童謡「お月さん幾つ」

(1)子守の問い:お月さん幾つ

   月の答え:十三 七つ

   子守  :まだ年ァ若いね あの子を生んで

(2)月の問い :この子を生んで 誰に抱かしょ

  子守の答え:お万に 抱かしょ

(3)月の問い :お万どこへ行た   

  子守の答え:油買いに茶買いに

       油屋の前で 辷ってころんで 油一升こぼした

(4)月の問い :その油どうした

  子守の答え:太郎どんの犬と 次郎どんの犬と みな舐めてしまった

(5)月の問い :その犬どうした

  子守の答え:太鼓に張って 鼓に張って

       あっち向いちゃ ドンドコドン

       こっち向いちゃ ドンドコドン

       たたきつぶしてしまった      

※(1)、(2)とその後の問答とでは異質の印象を受ける。(3)以下の問答は所謂尻取り歌になってい

るばかりでなく、滑稽味を追求したナンセンスな遊戯歌であるからだろう。

※前と後ろの境目にある「お万に抱かしょ」の原義は「お前さんに抱かせよう」で、これに続く歌詞は

「お万」を人名と受けとって、あとは問答体が自由に展開していったという解釈がある。

この説に立つなら、この歌の前部は子どもの相手の飽きた月と子守が互いに子どもを押し付け合って

いる労働歌としての子守歌だと理解できる。

■「子持ち月」の嘆き

現代ではほとんど必要性がないが、月の満ち欠けをを観てその日の月齢を言い当てる「月読み」の技

能は、太陰暦の世界では極めて重要なものであった。それは単に月の何日目を知り得る便宜ばかり

でなく、夜間の作業や外出のために、あるいは未婚の男女の恋のために明るい月は必要だった。

例えば八重山の民謡「新安里屋ユンタ」では

「田草取るなら十六夜月よ 二人で気がねも 水入らず」

だから十五夜前後の明るい月の月齢を読み取ることは特に重要で、そのためにこのころの月には

「十三夜」、「十六夜」、「宵待ち月」、「立待ち月」などのように固有の名前が付けられていた。月読み

は子どものころから身につけておくべき大事な技能だったのである。「お月さん幾つ」の問答も、そう

いう必要性から生み出されたのであろう。

もし明るい月が人々の生活に欠かせないものだったならば、「お月さん幾つ」の答えは、二十夜とい

うような遅くて暗い月夜ではなく、十五夜前後の明るい月のはずで、「十三一つ」以外には考えないの

である。そこで十四夜月は何を意味していたのかが問題になってくる。中世には十四夜月は「子持ち

月」と呼ばれていた。このことから「十三一つ」という答えは、月齢が「十四歳」で、しかも「子持ち」であ

ることを示している。十四歳で母親になったのであるから、「まだ年ァ若いね」という感想に連続する。

 子守:まだ年ァ若いね あの子を生んで

 月 :この子を生んで 誰に抱かしょ

 子守:お万に抱かしょ

ここで「あの子生んで この子を生んで」は二人の子どもの存在を意味するのではなく、月の手元に

いる子どもを子守が「あの子」、月自身が「この子」と呼んでいる。

「年が若い」という文句は、未婚であるということを暗示しているから、「この子誰に抱かせよう」とは単

なる赤ん坊の押し付け合いではなく、世話をすべき正当な保護者がいない幼児の境遇を語っている

とも解釈できる。抱いて十分な世話をしてくれる者がいない悲しみから、子守が「お月さん、お前が抱

いておくれ」と哀願しているかのようである。

さて最後に十四夜月を「子持ち月」といったのか。中世においては十四日目の月を「小望月」と呼ばれ

るのが一般的であった。その輝きが十五夜に少し欠けるからだという。この「コモチヅキ」の発音を借

りて十四日の月は「子持ち月」と呼ばれた。

 藤原俊成の十三夜を詠んだ和歌

平安後期になると「十三夜の月」は中秋の名月に劣らずよく詠まれるようになる。

※『山家集』西行法師;十三夜

「雲きえし秋のなかの空よりも月ぞ今宵に名におへりける」

「秋なかばの空」は八月十五日の月夜。それよりも晩秋の十三夜の月の方が「名に負へる」(名に相応

しくすばらしい)と西行は言っている。

※『丹後守藤原為忠家百首』藤原俊成;十三夜月

「先まくりいま二夜をば満てずしてくまなきものは長月の月」

「先回りをして後二日を満たさずに隈なく照らすのは十三夜の月である」

「花はさかりに、月はくまなきものを見るものかは」は『徒然草』の中の名文句である。雲一つない月を

見るより、少し雲に隠れた月。満月より少し欠けた月。いかにも中世的・隠者的な風雅の趣味である。

こうして、中世になると九月十三日の晩には歌会や歌合が盛んに催され、十三夜の月が競って詠ま

れるようになった。

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※上杉謙信 九月十三夜

 http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_A11_1.html

※Cocco 十三夜

歌詞:http://www.uta-net.com/song/99635/ 

動画: http://www.youtube.com/watch?v=_41gBiWSj_E

※月(つき)ぬ美(かい)しゃ(沖縄・八重山民謡)

動画:http://www.youtube.com/watch?v=LvPT9MmDBXM 

歌詞:http://imagine3.blog20.fc2.com/blog-entry-41.html