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930 十五夜なのに月見えず 

2012-09-30 09:31:11 | 雑記

 月見

月見は主に旧暦8月15日から16日に夜(八月十五夜)と、日本では旧暦9月13日から14日

の夜(九月十三夜)にも行われる。

八月十五夜の月を中秋の名月と呼ぶ。今年(2012年)の中秋の名月は9月30日である。

●十五夜の行事が旧暦8月15日に行われた理由

ちょうど里芋収穫期にあたるから、と言う説がある。日本の十五夜の月見行事は、中国の中

秋の名月の影響を多分に受けているが、この行事の起源を辿っていくと、2万5千年前前まで

時間を遡る。およそ2万5千年前、私達日本人のの祖先である縄文人の一部は、ヤムイモやタ

ロイモといった、いわゆるイモ食文化を持つ南洋の島々から渡ってきたと考えられている。しか

し、熱帯の南洋の島々と日本では自然環境が異なっていたので、彼らが携えてて来たヤムイ

モやタロイモの多くは環境に適応できず絶えた。しかし、その中には辛うじてこの環境の変化を

き永らえたものがあった。それが里芋と山芋である。里芋はタロイモの仲間で、球状の地下茎

が食用として里で栽培されるようになったことから、この名前ついたと言われている。また山芋

はヤムイモの生き残りだと言われていて(ヤマイモとヤムイモの音が似ている)、山の斜面など

に自生する。縦に長く伸びた山芋に比べ丸っこい形をしているせいもあってか、里芋は十五夜

の供物としてよく使われる、十五夜の(お)月見行事が「芋名月(いもめいげつ)」の名前で知ら

れているのもそのためだとも言われている。こうした事柄も、十五夜という行事が、里芋の収

穫期と重なるこの時期に行われていたという説を裏付けるものである。

●十五夜なのに月見えず?

江戸時代の書物に「中秋の名月、10年に9年は見えず」と言った記載もあり、この時期の晴

天率は、昔から高くなかったけれど、私達日本人の祖先の月への思いは熱く、秋の長雨や

台風のせいで月が見れないと、月を拝めなかったことを惜しんで、日本人特有の感性で美し

い言葉を作り出した。

*十五夜(15日)の晩に月を見れないと、人々は十六夜の月の出を「十六夜(いざよい:さあ、

 宵だ、月を見に行こうという意味)」

*十七夜に出る月を「立待月(たちまちづき:月が出るまで立って待っているという意味)」

*十八夜に出る月を「居待ち月(いまちづき:立って待っていたけれど、疲れて座ってしまった。

 それでも月が出るのを待っているという意味)」

*十九夜に出る月を「寝待月(ねまちづき;待ち疲れて横になってしまった。それでも月の出

 を待っているという意味)」

*二十夜に出る月を「更待月(ふけまちづき:夜更け、つまり深夜になっても月の出を待って

 いるという意味)」

*遂には「晦(つごもり:月籠もり由来の言葉で、月が隠れてしまって全く見えないことを意 

 味し、それから転じて陰暦の毎月の末日をさすようになった)」と呼ばれた三十夜まで日毎

 に変わる月を楽しみに待った。

●中秋の夜に雲などに月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」

●中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」

 月見団子

十五夜の日にはススキ(魔除けの力があるとされる)を花瓶にさして、団子をお供えする。

団子の個数は一般的に平年は12個、閏年には13個お供えする(15個の所もある)。

十五夜ではこれから始まる収穫期を前にして、初穂祭の意味合いがあり、9月頃収穫される

「芋」(里芋)をお供えすることから「芋名月」とも呼ばれる。

月見団子はこの里芋の名残だとも考えられる。 

十五夜に団子を備える風習は江戸時代に一般的になり、団子の形は江戸では丸型、京都

では芋型だったという記録が残っている。今でも地域によって素材や形は異なり、色々な

バリエーションがある。

 その他

(1)月見は農耕儀礼だった!

室町時代には、十五夜の月を神として崇める月見の習慣が始まり、野菜や果物を供えて月

を拝むことが、上流社会ばかりでなく、庶民の間にも広まっていった。この月見行事は古くか

らこの時期に行われ、「、収穫した里芋を供え、悪霊を払うために薄を飾って豊 

作を感謝する」という農耕儀礼が変化したものだと言われている。秋の収穫を前に豊作を祈

願する厳かな行事であり、決して風流なものではなかった。

更に十五夜は「芋名月」といわれ、今でこそ米が主食になっているが、当時の主食は里芋。

畑で採れた初物の里芋を神に供えたことから、この名がついたと考えられる。

では今では「団子とススキ」の組み合わせになっているが、この団子はどこから来たのか?

それは、主食の変化がカギを握っている。稲作が盛んになってくると、里芋より米の収穫を

祈願するようになり、それに伴いお供え物は米粉で作った月見団子へ変わっていった。

それでも里芋を一緒に供えることも多かった。今でも関西では月見団子の形は丸型でなく

里芋型で作るとか。

(2)きぬかつぎ

サトイモの小芋を皮のまま蒸し、その皮を剥いて食べる料理。サトイモの皮のついた様子を

平安時代の女性の衣装「衣被(きぬかづき)」になぞらえて名付けたもので、由来から「き

ぬかづき」と呼ばれたり、「絹かつぎ」と表記する場合もある。また、早川早生という品種の

サトイモの、特に秋口にのみ出回る小芋もきぬかつぎと呼ばれる。

(3)十六夜

いざよいは「ためらう」「躊躇する」意味の動詞「いざよう」の連用形が名詞化した語。旧暦

8月16日の月の出は十五夜の月に比べてやや遅いところから、月がためらっていると見

立てたものでである。「十六夜」も上代には「いさよい」と清音であった。

(4)静岡県の今日(9月30日)の天気は、台風17号からの湿った空気の影響で曇りまた

は雨で、台風の接近または上陸に伴い、夕方以降暴風域に入り、非常に激しい雨が降る

大荒れの天気になりそう。今日の十五夜は雨月。

明日(10月1日)は台風一過で晴れそう。十六夜の月を愛でよう。因みに1日の静岡の月

の出は17:53で月齢15.0の満月である。

 

 


929 苦肉 狗肉 招き猫

2012-09-29 08:58:35 | 雑記

 苦肉の策(くにくのさく)

「苦肉」は敵を欺くため手段として自分の身(肉)や味方を苦しめることを意味する。

人は自らを傷つけることはなく、他人に傷つけられるものなので、傷つけられた人を信用してし

まうといった心理を逆手にとった考えである。

『兵法三十六計』の第三十四計の戦術には、この心理を使った「苦肉計」があり、その代表的

な例は『三国志演義』の赤壁の戦いで描かれている偽計ぎけい)で、これが「苦肉の策」の語

源ともいわれる。赤壁(せきへき)の戦いにおいて黄蓋(こうがい:呉の宿将)は周瑜(しゅうゆ:

呉の武将)との確執を演じ周瑜により棒たたきの刑を受ける。その後曹操(そうそう:魏の丞相)

へ投降の意思を伝える。始め曹操は疑心を抱くが、魏より呉へ偽りの投降をしていた蔡和・蔡

中や黄蓋と周瑜の確執に関する報告があり、黄蓋を歓迎する。黄蓋は曹操の陣営に潜入する

と火を放ち、呉軍は大勝利をおさめた。

自身や味方を苦しめて敵を欺くことをいった「苦肉」だが、「苦」という語の連想から、苦し紛れに
 
考え出した手段、切羽詰った状態から逃れる手段をいうようになった。

 羊頭狗肉(ようとうくにく)

(1)語源

「羊頭狗肉」は「羊頭を掲げて狗肉を売る」を略した四字熟語。出典:禅書『無関門』

店頭の看板には「羊頭(羊の頭)」を掲げ、実際には「狗肉(犬の肉」を売る意味が転じて、見せ

かけは立派だが、実物は違うといった意味になり、ごまかしの喩えとして使われるようになっ

た。

(2)意味

見かけや表面と、実際・実質が一致しないたとえ。良品に見せかけたり、宣伝は立派だが、実

際には粗悪品を売るたとえ。

(3)類句・・・「牛首(ぎゅうしゅ)を掲げて馬肉を売る」『晏子春秋』

     「羊質虎皮(ようしつこひ)」:羊が虎の皮をかぶる。見掛け倒し。

     「羊頭馬脯(ようとうばほ)」*馬脯・・・乾燥馬肉

(4)用例

*「政府の取り組む姿勢を見ると、羊頭狗肉の感が否めない」

*「このお店、外観と宣伝文句の割には味がイマイチ。羊頭狗肉だ」

 招き猫

招き猫は前あしで人を招く形をした、猫の置物。猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するた

め古くは養蚕縁起物であったが、養蚕が衰退してからは商売繁盛縁起物とされている。

「くる(9)ふ(2)く(9)」の語呂合わせで「招き猫の日」を制定(日本招き猫協会)

(1)由来・・・全国各地に色々な説がある。 

●豪徳寺(東京都世田谷区)説

豪徳寺の門前にいた猫に招かれて、侍が立ち寄ったところ、突然天候が悪くなり雷雨となっ

た。雷を避けることができた侍は寺に感謝し、当時さびれていた寺を復興させた。当時、世田

谷郡は彦根井伊家の江戸領地で、その侍こそ彦根藩第2代藩主井伊直孝だった。その後、

豪徳寺は井伊家の江戸菩提所に指定され栄えた。この猫の死後、寺の和尚は猫の墓を建

て、そして後世この猫の姿を「招福猫児(まねきねこ)」と称した。豪徳寺正面左側に「招猫堂

」があり「招猫観音」が祀られている。 

(2)招き猫の手の違い

 招き猫が手を挙げるているのは、猫の毛繕いの動作ではないかという説がある。その手が

右か左でご利益の意味が違っている。一般には、右手を挙げているものは幸運、金運を呼び

、左手を挙げているものはお客さんを呼ぶと言われるが、その逆の場合もあり、両手を挙げて

いるものもある。両手を挙げているものは、欲張りすぎるとか、「降参」を意味するからいけな

いとする説と、一挙両得、全ての福を招くという説など色々ある。

右手を挙げた猫・・・幸運運を招く

左手を挙げた猫・・・お客さんを招く

*高く手を挙げた猫・・・遠くのお客さんを招く

*低く手を挙げた猫・・・近くのお客さんを招く

(3)招き猫の色の違い

一般的に三毛猫が多く、白地に黄色と黒の模様が多い。招き猫は90年代にブームとなり、色

とりどりでたくさんのバリエイションが生まれた。例えば黒の招き猫といえば成田山新勝寺のも

のが有名。さて色の意味は、の招き猫は幸運を呼ぶと言うこと以外特別な意味付けはされ

ていない。黒は魔除けの意味が、赤は厄除けあるいは疫病よけの意味があるといわれてい

る。今では、黄色と金色は金運、紫色は学業、ピンクは恋愛、緑色は才能・能力の開花、オレ

ンジは仕事運など、色々なご利益の意味が増えている。

 猫が顔を洗うと雨が降る?

(1)猫はどうして顔を洗うのか

猫は自分の唾液を前足につけて顔をこすって洗う。顔をこすっては前足についた汚れを舐め

て、また前足に唾液をつけて顔をこすることを何度も何度も繰り返すので、顔を洗うと言われ

るようになった。 

 ●顔を洗うわけ

*口の周りについた食べ物臭いや汚れを消し、獲物に気づかれないようにするため。

*レーダーであるひげをピンと張っておくため

*猫がいつもより念入りに顔や体を洗うときは、ストレスを感じているためで、ストレスを発散

 するために念入りに顔や顔を洗う。

(2)猫が顔を洗うと雨が降るのか?

湿気を敏感に感じとることができる猫は、湿り気を嫌がり顔を洗うとされている。

雨が近づいて湿気が多くなると、大切なヒゲの張りがなくなり、狩の成功率が低くなるのでヒ

ゲを整えるために念入りに顔を洗う。また、湿気が多くなると猫の毛が伸びて、それが筋肉に

刺激を与え、体がムズムズして顔を洗い出すともいいます。

個体差はあるが、湿度が高い日や低気圧が近づいているとき、猫は耳の後ろまで何度も何

度も前足で顔をこすりながら顔を洗って気分を整えようとする。90パーセントの確率で、

*「猫が耳の後ろまで顔を洗う」と雨が降る(間もなくかその日のうち)

*「猫が耳の前で顔を洗う」と曇りでも雨は降らない。

*ただし、猫が顔を洗うと雨が降るかというとそうではない。他の理由で顔を洗う場合もある。

 観天望気 (かんてんぼうき)

 自然現象や生物の行動の様子などから天気を予測すること。

●「夕焼けの次の日は晴れ」・・・地球上の多くの場所では、天気は西から東へ移動するため

●「太陽や月に輪(暈)がかかると雨か曇り」・・・温暖前線の接近に伴う巻層雲のため

●生物

*「ハチが低く飛ぶと雷雨」・・・湿度が高いと昆虫は低く飛ぶとされる

*「ツバメが低く飛ぶと雨」・・・湿度が高いとエサとなる昆虫が低く飛ぶためだと説明される

*「猫が顔を洗うと雨」・・・湿度が高い時、顔やヒゲに水滴がつき易くなる。 

*「蜂の巣が低い所に作られると台風が多い」

 

 

 

 


928 轡 鶏肋

2012-09-28 12:19:05 | 雑記

 轡(くつわ)

轡は馬の口にくわえさせて馬を制御するのに用いる用具で、大部分は金属製。馬を使う上で最

も重要なもの。

*馬の口中に入る部分を銜(はみ

*銜の両端につけて轡(くつわ)を面繋(おもがい:馬の頭にかける緒;おもづら)につなぐ部分

 を鏡板(かがみい

*銜の両端に組み合わせて手綱(たづ)を結びとめる棒状の部分を引手(ひきて

という。騎乗者や御者はこの手綱を通じて馬を制御する。轡の字はもともと「たづな」の意で、現

在の中国でも手綱を指し、銜の字が「くつわ」を意味するように、同一の漢字でも内容が違う場

合があるので注意が必要である。

 クツワムシ(轡虫)

バッタ目キリギリス科の昆虫。体は緑色、赤褐色、黄褐色で、翅は幅広い。雄は「ガチャガチャ

と鳴く。が馬の動きとともにガシャガシャと音をたてるが、この音と鳴き声(翅を擦り合わす音

)が似ることよりクツワムシと名付けられた。また、ガチャガチャはクツワムシの俗称でもある。

また、「管巻き」という別称もある。「管(くだ)」は繭(まゆ)や綿から糸をとったり、撚り合わせた

りする糸繰り車の部品で、糸を巻く小さな軸を指す名前。糸を紡ぐときに生じる「ぶうぶう」と音

の連想からうるさく鳴くキリギリス類の昆虫クツワムシが「管巻き」と呼ばれる。地方によっ

てはウマオイやヤブキリを指す場合もある。酔っぱらってウダウダ話すのを「管を巻く」というが

、同じ意味である。

クツワムシは日本固有種で、関東以南から九州まで分布する。夜行性で、開けた場所は好ま

ず、林縁の下草に棲む。マメ科植物、とりわけクズを好んで食べ、生息地もクズが繁茂し

ている場合が多い。肉食もするが、クズの葉だけでじゅうぶん生育する。これはマメ科植物が

タンパク質を多く含むためだといわれている。

 成句・故事・諺

(1)轡くつわ)を並べる

馬の首を一線に並べる。転じて同じ目的で集まった人がずらりとそろう。轡を揃える。

「一流選手が轡を並べて優勝を狙う」

(2)轡をはめる

[馬に轡をくわえさせる意から]利益を与えて口をふさぐ、

「金の轡をはめる」

(3)荒馬の轡は前から取れ

困難ことに対処するには、正面から堂々とぶつかるがよいということ。

思い切って正面からくつわを取れば、暴れ馬もおとなしくなる。困難にはくよくよせず、また下手

な小細工を弄せず、堂々と当たるのが良い。そのほうが案外うまくいく。

 鶏肋(けいろく)

毎月28日は「ニワトリの日」なので、鶏に関することを取り上げる。

「宮廷女官チャングムの誓い」の第4回「母の教え」に「鶏肋」のくだりは登場する。

見習い女官になる為の試験の直前、罰として試験は受けさせないと教育尚宮に言われ、何で

もするから試験を受けさせて欲しいと教育尚宮にお願いするチャングム。結局、水の入った甕

を一晩中そして次の日も持つことになる。試験の終わりそうな時、女官長が一名不足している

ことに気付く。それがチャングムだった。女官長は諸事情を教育尚宮に聞いた上でチャングム

に試験を受けさせることにした。

 一問目は、大監、令監、ナウリと称される全ての官職を答えるというもの。チャングムは一呼

吸したあと一気に完璧に回答し、尚宮たちを驚かした。次の問題として、女官長はおおよそ

こんな問題を出す。「昔、曹操が漢中にいる諸葛亮(劉備軍)を攻めきれずに、ある暗号の命 

令を出し軍を撤退させた。このときの暗号は何か」・・・まだ幼い子に故事である「鶏肋」という

言葉を、故事の由来を用いて質問したことになる。さすがのチェ尚宮でさえ、この問題は無理

であろうと哀れみ表情を浮かべる。しかし・・・チャングムは答える。・・・「鶏肋です」・・・立て続

けに「鶏肋は食べるところは少ないが、捨てるには惜しいところ・・・大して役に立たないが

捨てるには惜しい物事の例です」と回答した。大人顔負けの回答に驚いた尚宮たちは感

心しがら幼いチャングムを見守るのであった。

 木鶏 (もっけい)

(『荘子』達成篇)木製の鶏。強さを外に表さない最強の闘鶏のたとえ。「木鶏に似たり」とも言

う。真に強い闘鶏はまるで木で作られた鶏のようだということ。木で作られた鶏には敵意がな

い。敵意がないものに反抗する敵も無い。無心で対することが、物事を処理し、困難を乗り越

える最良の道であるという例えとして使われる。

 鶏群一鶴(けいぐんのいっかく)

多くの凡人の中に、一人だけ抜きん出てすぐれたが混じっていることのたとえ。

鶏の群れの中に一羽だけ美しい鶴がまじっていることから転じた。

『晋書』ケイ紹伝には「稠人の中に於いて、はじめてケイ紹を見る。昂昂然として野鶴の鶏群

に在るが如し(多くの人がいる中でケイ紹を見た。ひときわ高く抜きん出ており、まるで野生

の鶴が鶏の群れの中にいるようだ)」とある。「鶏群の孤鶴」「野鶴の鶏群に在るが如し」とも。

類義:砂に黄金泥に蓮|鶴立鶏群|紅一点|芥溜めに鶴|珠玉の瓦礫に在るが如し|砂

 の底から玉が出る|砂の中の黄金|堆肥の中の宝石|塵塚に鶴|泥中の蓮|天水桶に

 龍|掃きだめに鶴|万緑叢中紅一点|藪に黄金

英語:Triton among minnows(小魚どもの中の海神)

対義:鳳は藪のなにはいない|千石見晴らしの田でないと鶴は下りぬ

用例:「学生時代から彼は成績優秀で、スポーツ万能、かつ人望もあった。まさに鶏群の一鶴

 だ」

 

 




927 くちなわ(くつな)

2012-09-27 08:26:15 | 雑記

 朽ち縄(くちなわ、くちな、くつな)・・・ヘビの異名

*京言葉(くちなわ)・・・蛇。「みぃさん」とも言う。

*大阪弁(くちなわ、くちな)・・・蛇。口縄(縄に口が付いている意)。近畿から中国、四国、西

 九州まで広まっていた語の系列。もと忌み詞。

*広島弁・・・蛇。 *出雲弁・・・蛇 *熊本弁・・・蛇

くつな石・・・明日香村(奈良県高市郡)の伝説

由来・・・昔、ある山に巨石があり、これに目をつけた石屋が石を切り出そうと石斧を一打ちする

と石の割れ目から赤い血が流れ出し、傷ついた蛇が顕れた。驚いた石屋はそのまま逃げ帰っ

た。ところがその晩からひどい熱と激しい腹痛におそわれとうとう亡くなってしまった。村人はこ

れを「祟り」と恐れ敬い、この石を「神が宿る石」として祀った。これが「くつな石である。

 蛇

(1)ヘビ・・・有鱗目ヘビ亜目の爬虫類の総称。円筒形で細長く、うろこで覆われ、四肢が無

い。体をくねらせて前進する(蛇行、直進、横這い)。有毒種と無毒種がある。日本には4科

19属39種14亜種のヘビがいる。

★語源・・・ヘビの語源には「ハヒムシ(這虫)」の略など這うように動く様子からとする説や脱

皮することから「ヘンミ(変身)」の転とする説、小動物を丸呑みすることから「「ハム(食む)」

の転といった説がある。古く「ヘビ」は「ヘミ」と呼ばれており、「ヘミ」が変化して「ヘビ」になっ

たと考えられている。

(2)ヤマカガシ(赤棟蛇、山棟蛇)・・・ナミヘビ科のヘビ。全長100~150cm、緑褐色で黒

や赤の斑紋がある。カエルや小魚を食べ、有毒種である。

★語源・・・巨大なヘビをいう「やまかがち(蟒蛇)」の転であろう。「かがち」は眼が赤く丸いも

のをほうずきの古名「かがち(酸漿)」に喩えたもので、「かがち」から転じた「かがし」も「ヘビ」を

表した。

(3)マムシ(蝮)・・・クサリヘビ科の毒蛇の総称。灰褐色の地に大きな銭型の斑紋がある。

カエル・ネズミなどを捕食する。はみ。くちはみ。

★語源・・・マムシは「虫」に「本当」「真性」を意味する「真」がついた「真」が語源であろう。

ヘビは「長虫」とも呼ばれ、虫の一種とされていた。その中でもマムシは毒を持っていて恐ろ

しい虫であるから、虫の中の虫という意味で「真虫」と名付けられと考えられる。また、マム

シは古くは「はみ」といったから「はみむし」の略転で「まむし」になったという説も有力である。

(4)アオダイショウ(青大将)・・・ナミヘビ科のヘビで、体長2m前後で日本で最大、背面は

青みがかった暗緑色。無毒。ネズミトリ。サトメグリ。ヤシキマワリ。

★語源・・・「アオダイショウ」の「アオ」は背中が青みがかった色をしていることからの名。

アオダイショウは日本最大のヘビであることから、ヘビの中の長として「大将」と命名し、

「青い蛇の大将」で「青大将」とする説が妥当と考えられる。

 (1)おろち(大蛇)・・・極めて大きな蛇。うわばみ。だいじゃ。

語源・・・「長い尾の神」の意からと考えられる。「おろち」の「お(旧かなはヲ」は「尾」の意味。

「ろ」は助詞で「の」の意。「おろち」の「ち」は「いかづち(雷)」「みずち(水霊)」の「ち」と同じ

で、霊的な力を出すものを表す語である。

(2)うわばみ(蟒蛇)・・・巨大な蛇の俗称。大蛇。おろち。大酒飲みをいう俗称。

うわばみは15世紀頃から見られ、古代語の「を(お)ろち」に代わって用いられるようになっ

た語。うわばみの「うわ」は「上回る」「上手」などと同様な「うわ」とする説と、「大(おほ、うは

)」が転じたとする説がある。うはばみの「ばみ(はみ)」は、食物を食べたり噛んだりする意

の「食む(はむ)」の連用形から転じたとする説、蛇の古形「へみ」から転じたとする説などが

あるが、ヘビの古形「へみ」やマムシの古語「はむ」の語源は「食む」なので、同源と考える

べきであろう。

 ヘビの脱皮

●季節に関係なく、年に1~2回脱皮

脱皮の時期は季節に関係なく、回数も、ヘビの種類や環境で変化する。1ヶ月に1回から、

年に1~2回が普通。子ども時は多く、大人のヘビになると年1回ぐらいである。

●脱皮の仕方

ヘビは一度に全部の皮を脱いで、新しい皮と取り替える。脱皮の時期になると、体の光沢

がなくなり、目が濁ってくる。新しい皮ができると、口の先端の古い表皮を、とがったものに

ひっかけておいて前に進む。すると、皮は裏返しになりながら抜けていく。女性のストッキ

ングの脱ぎ方と同じで、脱皮は2~3分で終わる。5mくらいのニシキヘビでは10分くらい

かかる。

●脱皮するわけ 

 ヘビやトカゲは、皮膚が角化した「うろこ」で覆われている。うろこは硬く伸び縮みできない。

そのため体が大きくなり窮屈になると脱皮する。ヘビのぬけがらはきれいに残るが、トカゲ

の脱皮はヘビと違って、古いうろこが、ぼろぼろと剥げ落ちる。 

 ヘビと象徴

ギリシャ神話においてもヘビは生命力の象徴である。杖に1匹のヘビが巻き付いたモチー

フは「アスクレビオスの杖」と呼ばれ、欧米では医療医学象徴し、世界保健機構のマー

クにもなっている。また、このモチーフは世界各国で救急車の車体に描かれていたり、軍

隊等で軍医や衛生兵などの兵科記章に用いられることもある。また、杯に1匹のヘビが巻

き付いたモチーフは「ヒュギエイアの杯」と呼ばれ、薬学の象徴とされる。


926 風呂

2012-09-26 08:36:31 | 雑記

 風呂の歴史

火山国日本では、いたるところで温泉が湧き出している。伊豆(いず)の地名は温泉が湧き出

るところから「ゆいずる」と呼ばれ、、更に縮まって「いず」に転化したとされる。昔はそんな温

泉で入浴するのではなく、自然の洞窟や岩屋を利用した石風呂(蒸気風呂)に入浴していた。 

「ふろ」の語源も、「窟(いわや)」や「岩室(いわむろ)」を意味する「むろ」が転訛したという説

 がある。

☆入浴スタイルは、6世紀中国から仏教と共に伝来したといわれる。仏教では、「入浴は、七病

 を除き七福を得る」と説かれているほか、「汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事」

 ととも説かれている。

 このような背景のもと、「業」(修行)の一つとして「体を洗い清める」ための「浴室」が寺院に

 備えれるようになり、浴室のない庶民にも入浴を施したため、「入浴する=お風呂に入る」習

 慣が広まった。

☆宗教的な入浴スタイルは室町時代になっても続いていた。宗教的なものではなく、純粋な公

 衆浴場「湯屋」が登場するするのは江戸時代になってから。当時の湯屋は、「戸棚風呂」とい

 って膝から下をお湯につけ、上半身は蒸気で蒸す「蒸し風呂」方式が主流だった。また、蒸気

 が外にもれないように「石榴(ざくろ)口」という小さな引き違い戸から出入りしていた。この頃

 は男女混浴だった。

首まで浸かる風呂は「据え風呂」といわれ、17世紀初め、慶長年間の末に登場した。据え

 風呂は、井戸水を沸かして入れるので「水(すい)風呂」と呼ばれ、庶民の家庭にも広まっ

 た。

☆湯舟は、湯量が少なく済むよう人一人が入れるほどの木桶を利用し、浴槽の内側の縁に通

 気口のついた鉄製の筒を立て、その中に燃えた薪を入れる。通気口から入る風により薪は

 燃え続き、鉄製の筒が熱せられることにより湯が沸く「鉄砲風呂」が発明され、江戸の主流

 となった。

☆関西では、桶の底に平釜をつけ、湯を沸かす「五右衛門風呂」が普及した。

★明治になり、湯屋・銭湯の方式は大きく変化した。石榴口は取り払われ、蒸し風呂方式は

 やめ、浴槽板間に沈め湯をたっぷりと入れた。更に洗い場を広く天井を高くし、開放的な

 清潔感のある銭湯に変わった。「改良風呂」と呼ばれ、評判になった。石榴口の豪華な破

 風造りは改めて入り口に据えられ、今も残る古い銭湯の原型となった。

大正時代になると、さらに銭湯は近代化し、板張りの洗い場や木製の浴槽は姿を消し、

 タイル張りになった。昭和に入って水道が普及すると、浴室に水道のカランが取り付けられ

 、衛生面においても向上した。

★因みに家庭内にお風呂が普及し一般的になったのは、高度成長期の昭和30年代後半。

 日本人がお風呂好きな限り、これからも家庭風呂は進化し続けるでしょう。

 風呂好き

風呂は、日本人の日課であり、一日の疲れを癒すためには欠かせない。海外では、シャワー

のみで、浴槽内で体を洗う国が多いが、日本人は湯に浸かるのが習慣になっている。

また、風呂は娯楽でもある。全国に数千余りある温泉やヒノキ風呂や打たせ湯、石風呂など

様々な風呂を集めた施設は人気がある。人々は温泉に浸かりながら親しい友人や家族と談

笑し、時に酒を飲み良い気分になる。

人生の最初の沐浴は産湯であり、死後は湯灌(ゆかん)によって清められる。

  その他

(1)菊湯・・・菊の芳香には、カフェインなどの精油成分があり、皮膚を刺激して血行を促進し、

体の痛みを和らげる効果がある。また保温効果も高く、体の芯まで温まるので、夏の疲れを

ほぐすにはぴったりの風呂。一般に菊湯というと乾燥したものを使うが、野生のリュウノウギク

の生の葉を摘んで使ったり、花びらを浮かべて秋の香りを愉しんでもよいでしょう。

リュウノウギクの花期は10~11月。葉を30gほど布袋に入れ、風呂桶で上から1.8リットル

のお湯をかけ20分くらい蒸らし、汁ごと風呂に入れよくかき混ぜるか、少し多めの量を布袋に

入れ水から風呂を沸かしてもよい。

参考: http://matsue-hana.com/hana/ryuunougiku.html

(2)生姜湯・・・季節の変わり目はなにかと風邪を引きやすい。風邪の引きはじめにショウガ

汁にお湯を加え、ハチミツで甘くした「生姜湯」を飲むとよい。これはショウガに含まれる辛味

・精油成分が血行を促進して体を温める効果があるから。

また生姜湯は体の芯から温めてくれる風呂で、熱めのお湯で足湯でも、体を温めることがで

きる。風邪などで風呂に入れない時試してください。

市販のショウガ1握り(80g)を摩り下ろし、しぼり汁を浴槽に入れよくかき混ぜる。また、薄く

スライスしたショウガを布袋に入れ揉みながら入浴するとよい香りがする。