九月十三夜・・・旧暦
八月十五夜に対し、「後(のち)の月」と呼ばれる。十三夜は日本独自の風習と言われている。ちょうど
食べごろの大豆や栗を供えることから、この夜の月は「豆名月」または「栗名月」と呼ばれる。
十五夜・十三夜のどちらか一方の月見を欠かすことを片月見と言って忌む風習がある。
※「中秋の名月、十年に九年は見えず」「十三夜に曇りなし」・・・十三夜の方が見える確率が高い。
※かつては秋の収穫祭の一つだったと考えられている。『故事・俗信ことわざ大辞典』によると、「十三
夜が曇るようだと小麦の収穫の当てが外れることが多い」と群馬の諺にはある。また、武蔵野の伝
承として『民俗歳時記』に「十五夜をやって十三夜をやらないと、雨が降りすぎて大麦が不作になる
といい、十三夜だけだと小麦が不作になる」という。
※江戸時代の吉原では、十五夜、十三夜両方とも祝い、どちらか片方お月見しか行わない客は「片月
見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行うために、十五夜
に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜に来なければならないための風習があった。
※十三夜にも綱引きをやる地方があり、十五夜には萱で作った綱を使うが、十三夜の綱引きは新しく
稲藁で作った綱が使われる。これは、十三夜は稲作儀礼が強いためである。綱引きは豊作を占うた
めの神事として行われていたと考えられる。
※十三夜のお供えものでは、梨、柿、林檎といった丸い果物を供える。団子と芋を13個供える。豆腐
を半丁供える。閏年にはお供えものの数を変える。お供えものを子供が盗む習わしは十五夜と同じ
だが、未婚の女性は食べないなど地方によって違いがある。
※福岡県の海岸部では、十三夜を「女名月」と呼んで、女が威張ってもいい日だと伝えている。
■童謡における「十三七つ」と歌う十三夜には諸説あるようで、「九月十三夜深更七つ時(月齢。午前
四時ごろ)」が定説。また琉球には「月ぬ美しゃ十三日女童美しゃ十七つ」なる歌も伝わっている。
これは完全な満月より、たとえば花に「七分咲き」の美を観るのと同等で、「十三夜が満月に向かう
明月の姿は、まるで「可憐な乙女」にも似たものがあるらしい。この歌が琉球から本土に伝わったと
いう説もある。
■由来
*919年醍醐天皇の月の宴に始まるとも、宇多天皇がこの夜の月を無双と賞したものによる。
童謡「お月さん幾つ」
(1)子守の問い:お月さん幾つ
月の答え:十三 七つ
子守 :まだ年ァ若いね あの子を生んで
(2)月の問い :この子を生んで 誰に抱かしょ
子守の答え:お万に 抱かしょ
(3)月の問い :お万どこへ行た
子守の答え:油買いに茶買いに
油屋の前で 辷ってころんで 油一升こぼした
(4)月の問い :その油どうした
子守の答え:太郎どんの犬と 次郎どんの犬と みな舐めてしまった
(5)月の問い :その犬どうした
子守の答え:太鼓に張って 鼓に張って
あっち向いちゃ ドンドコドン
こっち向いちゃ ドンドコドン
たたきつぶしてしまった
※(1)、(2)とその後の問答とでは異質の印象を受ける。(3)以下の問答は所謂尻取り歌になってい
るばかりでなく、滑稽味を追求したナンセンスな遊戯歌であるからだろう。
※前と後ろの境目にある「お万に抱かしょ」の原義は「お前さんに抱かせよう」で、これに続く歌詞は
「お万」を人名と受けとって、あとは問答体が自由に展開していったという解釈がある。
この説に立つなら、この歌の前部は子どもの相手の飽きた月と子守が互いに子どもを押し付け合って
いる労働歌としての子守歌だと理解できる。
■「子持ち月」の嘆き
現代ではほとんど必要性がないが、月の満ち欠けをを観てその日の月齢を言い当てる「月読み」の技
能は、太陰暦の世界では極めて重要なものであった。それは単に月の何日目を知り得る便宜ばかり
でなく、夜間の作業や外出のために、あるいは未婚の男女の恋のために明るい月は必要だった。
例えば八重山の民謡「新安里屋ユンタ」では
「田草取るなら十六夜月よ 二人で気がねも 水入らず」
だから十五夜前後の明るい月の月齢を読み取ることは特に重要で、そのためにこのころの月には
「十三夜」、「十六夜」、「宵待ち月」、「立待ち月」などのように固有の名前が付けられていた。月読み
は子どものころから身につけておくべき大事な技能だったのである。「お月さん幾つ」の問答も、そう
いう必要性から生み出されたのであろう。
もし明るい月が人々の生活に欠かせないものだったならば、「お月さん幾つ」の答えは、二十夜とい
うような遅くて暗い月夜ではなく、十五夜前後の明るい月のはずで、「十三一つ」以外には考えないの
である。そこで十四夜月は何を意味していたのかが問題になってくる。中世には十四夜月は「子持ち
月」と呼ばれていた。このことから「十三一つ」という答えは、月齢が「十四歳」で、しかも「子持ち」であ
ることを示している。十四歳で母親になったのであるから、「まだ年ァ若いね」という感想に連続する。
子守:まだ年ァ若いね あの子を生んで
月 :この子を生んで 誰に抱かしょ
子守:お万に抱かしょ
ここで「あの子生んで この子を生んで」は二人の子どもの存在を意味するのではなく、月の手元に
いる子どもを子守が「あの子」、月自身が「この子」と呼んでいる。
「年が若い」という文句は、未婚であるということを暗示しているから、「この子誰に抱かせよう」とは単
なる赤ん坊の押し付け合いではなく、世話をすべき正当な保護者がいない幼児の境遇を語っている
とも解釈できる。抱いて十分な世話をしてくれる者がいない悲しみから、子守が「お月さん、お前が抱
いておくれ」と哀願しているかのようである。
さて最後に十四夜月を「子持ち月」といったのか。中世においては十四日目の月を「小望月」と呼ばれ
るのが一般的であった。その輝きが十五夜に少し欠けるからだという。この「コモチヅキ」の発音を借
りて十四日の月は「子持ち月」と呼ばれた。
藤原俊成の十三夜を詠んだ和歌
平安後期になると「十三夜の月」は中秋の名月に劣らずよく詠まれるようになる。
※『山家集』西行法師;十三夜
「雲きえし秋のなかの空よりも月ぞ今宵に名におへりける」
「秋なかばの空」は八月十五日の月夜。それよりも晩秋の十三夜の月の方が「名に負へる」(名に相応
しくすばらしい)と西行は言っている。
※『丹後守藤原為忠家百首』藤原俊成;十三夜月
「先まくりいま二夜をば満てずしてくまなきものは長月の月」
「先回りをして後二日を満たさずに隈なく照らすのは十三夜の月である」
「花はさかりに、月はくまなきものを見るものかは」は『徒然草』の中の名文句である。雲一つない月を
見るより、少し雲に隠れた月。満月より少し欠けた月。いかにも中世的・隠者的な風雅の趣味である。
こうして、中世になると九月十三日の晩には歌会や歌合が盛んに催され、十三夜の月が競って詠ま
れるようになった。
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※上杉謙信 九月十三夜
http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_A11_1.html
※Cocco 十三夜
歌詞:http://www.uta-net.com/song/99635/
動画: http://www.youtube.com/watch?v=_41gBiWSj_E
※月(つき)ぬ美(かい)しゃ(沖縄・八重山民謡)