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「お札の顔」でおなじみだったが…聖徳太子の「素顔」今もナゾ 2021/04/15 05:00 New門 読売新聞オンライン

2024-08-24 16:59:27 | 日記
「お札の顔」でおなじみだったが…聖徳太子の「素顔」今もナゾ
2021/04/15 05:00
New門 読売新聞オンライン

[New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。今回のテーマは「聖徳太子」。

 聖徳太子(574~622年)の1400年遠忌にあたる今年、各地で法要や関連行事が予定されている。昭和世代には1万円札などの肖像でおなじみの偉人だが、実像は謎に包まれている。

超人的活躍 存在自体が「虚像」の説も

 今月3~5日、飛鳥時代に太子が創建したと伝わる奈良・法隆寺で遠忌の法要が営まれた。期間中は、御輿の行列や太子ゆかりの寺院の僧侶による読経、舞楽の奉納などがあり、現代に息づく「太子信仰」の伝統を感じさせた。御廟のある大阪・叡福寺でも10日から1か月間に及ぶ法要が続く。

 太子は用明天皇の皇子で、政治家としておばの推古天皇を補佐した。日本初の成文法とされる十七条憲法や、役人登用に能力主義を採用する冠位十二階を制定。遣隋使を派遣し、仏教を日本に広めた――と記憶する方もいるだろう。日本紙幣では最多の7種類で肖像が使われた「お札の顔」でもある。

 ところが数々の偉業は、後世の創作との説がある。活躍が超人的すぎて、太子の存在自体が「虚像」だというのだ。
信仰対象の聖徳太子 政治家の厩戸皇子

 「厩(馬小屋)の戸付近で生まれてすぐ言葉を発した」「10人の話を同時に聞き分けた」

 こうした超人伝説が登場するのは、没後約1世紀の720年に成立した日本書紀だ。太子が政務を取り仕切ったとする記述もそこにある。平安時代の伝記では「眉間から光を放った」「愛馬で富士山を駆け登った」と聖人化が進み、太子を観音菩薩の化身とする信仰も広まった。

 そもそも文献に現れる「聖徳太子」の名は漢詩集「懐風藻」(751年)が最初とされ、日本書紀には厩戸皇子、豊耳聡聖徳、法主王などと記される。厩戸は地名などに由来すると言われるが、馬小屋での誕生伝説はキリストと類似し、かつてはキリスト教の影響説もあった。

 確かに、神格化の過程で実在する厩戸皇子(王)に伝説をまとわせ、偉業を誇張した可能性はありそうだ。最近の歴史教科書では、信仰対象の聖徳太子と政治家の厩戸皇子(王)を区別し、二つの名を併記するようになった。お札の肖像「聖徳太子二王子像」(宮内庁蔵)は服装や冠などから奈良時代の作とされ、実像かどうか定かでない。

 ではどこまでが史実なのか。史料上、政治や外交の舞台で太子の動きはあまりなく、実務は豪族の蘇我馬子と協力して行ったと考えるのが最近の通説だ。

 東野治之・奈良大名誉教授(古代史)が太子個人の業績とみるのは、十七条憲法の立案と仏典の講義や注釈、史書の編さんぐらいという。「太子は万能の偉人でなく、推古天皇や馬子のブレーンだったのでは。仏典や中国文化に造詣が深く、敬慕に値する人物だからこそ神格化されたのだろう」と推測する。

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