90年代のはじめにKBCラジオが行った大実験「INPAX」(インパックス)。
先日図書館で見つけたKBCとRKBの社史の中に、この頃のことがそれぞれの立場から書かれてあったので紹介してみたいと思う。
まずは当事者のKBCから。
以下KBCの社史より引用。
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話題集めた「INPAX」
1990年代に入り、ラジオではFM放送との競合のほかに、新しい地域メディアとしてコミュニティFMが各地で開局するなど、電波メディア業界は多メディア、多チャンネルという戦国時代を迎えようとしていた。KBCでは新しい年代を決戦の時と位置づけ、番組制作と編成の差別化、地域との密着強化などラジオの大変革に着手した。ラジオ部門あげて取り組む、24時間のスロープ編成による「KBC-INPAX」が登場するのである。
◇ラジオを変えろ
多メディア、多チャンネル時代を見据えた松本盛二社長は「ラジオを変えろ」という号令を発した。《ラジオ大変革》をキーワードに、ラジオ局長・長谷川弘志と制作部長・横野英雄を中心に新しいラジオの構想を練った。平成2年(1990)4月編成で「KBC-INPAX」がスタートした。「INPAX」とは information(情報)とintelligence(知識)それにinterest(面白さ)を未知数の可能性でpackするという意味の造語である。
(つづく)
先日図書館で見つけたKBCとRKBの社史の中に、この頃のことがそれぞれの立場から書かれてあったので紹介してみたいと思う。
まずは当事者のKBCから。
以下KBCの社史より引用。
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話題集めた「INPAX」
1990年代に入り、ラジオではFM放送との競合のほかに、新しい地域メディアとしてコミュニティFMが各地で開局するなど、電波メディア業界は多メディア、多チャンネルという戦国時代を迎えようとしていた。KBCでは新しい年代を決戦の時と位置づけ、番組制作と編成の差別化、地域との密着強化などラジオの大変革に着手した。ラジオ部門あげて取り組む、24時間のスロープ編成による「KBC-INPAX」が登場するのである。
◇ラジオを変えろ
多メディア、多チャンネル時代を見据えた松本盛二社長は「ラジオを変えろ」という号令を発した。《ラジオ大変革》をキーワードに、ラジオ局長・長谷川弘志と制作部長・横野英雄を中心に新しいラジオの構想を練った。平成2年(1990)4月編成で「KBC-INPAX」がスタートした。「INPAX」とは information(情報)とintelligence(知識)それにinterest(面白さ)を未知数の可能性でpackするという意味の造語である。
(つづく)