ソラのQ&Aより
2023年9月16日
【ウクライナ・オン・ファイヤー】文字化
*)「ウクライナ・オン・ファイヤー1、ウクライナで何が起こったのか、地震雲」の続きです。
ー革命を起こすレシピー金、メディア、「テクニック」
(進行役)
ベールに包まれているカラー革命を注意深く見ると、微妙にパターンの類似性があり、その本質が見えてきます。
群衆を一つの従順な集団として行動させるためには、無意識のレベルで団結させる必要があります。
カラー革命の首謀者たちは、よく知っていて、そのテクニックを完璧な芸術として完成しています。
シンボリズムは、この目的を達成するための最も強力なツールの一つです。
驚くほど似た名前と、さらに似たロゴを持つ革命的な政治組織は、その前兆として、似たようなものが何度も描かれて、狙った国にカラーの疫病が起こされてきたのです。
彼らは、実際には訓練を受けて過激であるのに、自発的に起きたかのように表現されています。
その最初の一撃をするのが彼らです。
平和的な抗議活動を本格的なクーデターに変えるため、文字通り実態を見せず比喩的に行います。
彼らの痕跡は、カラー革命を地図上いたる所で見つけることができます。
歴代の経験を生かして、人を引き寄せる歌など、シンプルで効果的なツールを使います。
(群衆)
力を合わせよう!力を合わせよう!
(進行役)
群衆を興奮させ、非人格化させて、操作しやすい特定の集団を作り出します。
(群衆)
ジャンプしない奴はロシア人だ!
(デモ隊のリーダーの一人)
ありがとう友よ!ウクライナに栄光あれ!
(ヴィタリー)
もちろん、お金がないとできないことです。
これまで、膨大な数のNGOがあったことは周知の事実です。
ウクライナに様々な助成金や補助金で投資しています。
(進行役)
ちなみに、Hromadske.tvは、オランダ大使館や米国大使館と、ジョージ・ソロスが設立したNGOであるルネッサンス財団から多額の寄付を受けています。
(ソロス)
私はウクライナがロシアから独立する前にウクライナに基金を設立し、以来ずっとそれが機能しており、現在のデモ活動などのイベントにおいて、重要な役割を担っているのです。
(進行役)
(Mark Twain)「私はあら捜しが好きだ。しかし、それは私のやり方でなければならない」
(オリバー)
アメリカが関与している証拠を見ましたか?
(ヤヌコーヴィチ)
当時はアメリカの議員もよく来ていました。
ヌーランド夫人は何度も訪ねてきて、私たちと一緒に状況を話し合いました。
しかしその後、彼女はマイダンに行き、デモ隊を支援し始めました。
そして警察の権力の乱用を非難しました。
マイダンでは、政府側を非難していました。
(クリス・マーフィー)
またこの広場で、私たちアメリカはヨーロッパと共に歩む。
ウクライナの皆さんと一緒にお祝いしたいと思います。
(パリー)
まあ、その時期に国会議員がウクライナを訪問していたわけです。
最も有名なのは、ジョン・マケイン上院議員です。
だから、ウクライナ政府に挑んでいた人たちに、米政府高官や米大統領選に立候補した人物が、「アメリカは君たちの味方だ」と言ったのです。
(マケイン)
ジョン・マケイン上院議員です。
いつもありがとうございます。
(パリー)
マケイン上院議員は、ある意味で、マイダンの抗議者に、地球上で最も強力な国の後ろ盾があるという感覚を与えていたのです。
(マケイン)
これは、皆さんが自分の国に望む未来についての話です。
これは、あなたにふさわしい未来についての話です。
(ヤヌコーヴィチ)
多くの代表団がやってきて、先ず私は彼らに「嘘はいけませんよ」と言いました。
彼らの発言を尊重するだけにして、デモ隊の側に立つべきではなかったのです。
更に対立を深めてしまいました。
デモ隊が政府の建物を占領することが、他の国で許されるでしょうか?
アメリカでウクライナ大使が、ファーガソンのデモ隊を励まして、デモ隊と一緒になって警察官たちを非難するようなことができますか?
このようなことを、ヨーロッパのどの国でも、容認するはずはありません。
なぜウクライナではそのような扱いをされたのでしょうか?
(オリバー)
この時期、アメリカ政府の最高レベルのコンタクト先は誰だったのですか?
(ヤヌコーヴィチ)
私の高官とのコンタクト先はバイデン副大統領でした。
電話での会話も頻繁にありました。
しかし問題なのは、バイデン氏はウクライナでの言動と行動が伴わないのです。
(オリバー)
そして米国大使は?
(ヤヌコーヴィチ)
アメリカ大使は常にマイダンでの抗議者代表の訪問を受け入れていたのです。
もちろん、百も承知です。
私たちはそれらを見ていて、全体を統括している本部は、アメリカ大使館にあるような印象を受けました。
(パリー)
マイダン危機が激しくなった2014年2月上旬、ある電話が傍受されました。
それは、欧州担当のヴィクトリア・ヌーランド国務次官補とジェフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使の電話です。
(キャスター女)
米外交官トップ二人の私的なチャットで、信頼が揺らぐ、疑問の声が上がっていました。
(ヌーランド(チャット))
ヤッツは経済的な経験と、統治的な経験を持っている男だと思う。
彼に必要なのは、クリッチと外部にいるチャフニボークだ。
クリッチが彼のもとに入ると思う。
ヤツェニュクのために働くようなレベルだ。
上手くいくわけないよ。
(パイアット(チャット))
いや、その通りだよ。
よし、次の段階として、彼と電話をする段取りをつけるか?
(ヌーランド(チャット))
サリヴァンが帰ってきて、私への直通で、あなたにはバイデンが必要だと言ってたの。
私は、明日にも必要だと答えたわ。
気にしているのはバイデンの顔色でしょう。
(パリー)
この驚くべき電話会談では、アメリカ政府の高官二人が、クーデターやウクライナ政府の再編成について話していたようです。
(ヌーランド(チャット))
EUなんてクソくらえだ。
(パイアット(チャット))
いや、その通りだよ。
(パリー)
アメリカ政府全体の考えではありませんが、賛否両論ありますが、ネオコン新保守主義者は東欧の戦略的ダイナミズムを変えたいと強く願っています。
ネオコンはとても賢い人たちで、長い間これを続けてきました。
プロパガンダが始まった辺りから入ってきました。
彼らは、アメリカ国民に興味を引く話題つくりを研究していたのです。
彼らは1980年代にアメリカ国民を中米に熱狂させたときの経験を持っています。
(アメリカ軍司令官?)
サンディニスタの正規軍と地上軍には今、ロシアの大砲が準備されています。
(パリー)
それ以来、彼らは同じ戦略を取っているのです。
彼らは、目標達成のためにとても熱心に取り組んでいます。
彼らは今でも、特定の政府を排除したいと考えています。
例えばシリアの政権交代を目論み、イランの政権交代もです。
彼らは非常に熟練しており、今では報道機関や政府内に多くの味方がいます。
つまり、どんなストーリーでもコントロールすることができるのです。
(カガン)
最近のアメリカは、軍事力以外の方法で、問題に対処することがたくさんあります。
ウラジーミル・プーチンは軍事力を重視しています。
(パリー)
ネオコンが一国の指導者を悪者として仕立て上げるようになりました。
それがアメリカ人の心をつかむのです。
だから、政策を争うだけでなく、リーダーを攻撃するんです。
だからネオコンは指導者の、その醜い特徴を見つけ出して、それを強調することに長けていたのです。
ヤヌコーヴィチは、どちらかというと、駄目な政治家だったと言えるかもしれませんが、彼を悪魔に仕立て上げています。
彼は完全に腐敗しており、邪悪で、マイダンの素晴らしい白装束のデモ隊の人たちを殺したいと思っていると。
ブラックハット対ホワイトハットがありますよね。
そして、その基本的なシナリオを繰り返して、アメリカ国民に刷り込むのです。
(マケイン)
あなたはウラジーミル・プーチンがロシア帝国を復活させたいと望んでいる古いタイプのKGB大佐であることを知っていましたか?
(パリー)
彼らを世界の悪魔に仕立て上げ、アメリカ国民がそう思うようにするのです。
そうなると、ジャーナリストや他の人が「ちょっと待ってよ」と疑問の声を出すことが難しくなってきます。
例えば、彼は白や黒の帽子ではなく、グレーの帽子を持っていると言います。
少しでも疑問の声を上げたなら、あなたは突然ヤヌコーヴィチの擁護者、あるいはプーチンの擁護者と思われます。
同じように疑問を持って、発言したジャーナリストや学者や、その他誰に対しても攻撃してきます。
(進行役)
どんな優れたディレクターも、テンポとリズムが観客の注意を引くために、最も重要な要素であると言うでしょう。
(ヴィタリー)
マイダンで使われたテクニックは、神聖な犠牲者を必要としました。
それはシナリオの一部です。
戦友が容赦なく革命の炎に投げ込まれて、犠牲にされることを、「裏切りの方法」と言います。
考え方はシンプルです。
準備作業が終わったら、トリガーを引くだけで、機械がフルに動き出します。
(進行役)
政治家ラフィーク・ハリー氏の殺害をきっかけに「杉の革命」が起こりました。
2004年の「オレンジ革命」直前に起きたユシチェンコ謎の中毒事件を振り返ります。
今、私たちは彼自身が神聖な犠牲者になったことを知っています。
この時のウクライナ人の思いやりが、彼に大統領の座を与えたと、多くの政治アナリストは考えています。
ユーロマイダンでは、デモ参加者の犠牲者は合計100人以上となりました。
彼らは「天に召された百人」と呼ばれています。
神聖な犠牲者はすべて即座に神話化されました。
2013年11月30日の学生殴打事件は、明らかにユーロマイダンの引き金となりました。
訓練された挑発者を広場に送り込んだ者たちは、多くの平和的なデモ参加者が酷く傷つくことを望んでいました。
デモを何か月も続けることは大変なことです。
緊張が和らぐと人はどうしても疲れてしまいます。
また、革命の黒幕にとって休日は、デモ事態が収束する危険性をはらんでいます。
人々は家族や友人と、家で一緒にいたいと考えます。
寒いテント村に人を閉じ込めるには、工夫が必要です。
2013年のクリスマス、タブロイド紙のジャーナリストで政治家志望のテティアナ・チョルノヴォルは、マイダンのデモを再び奮起させる道具として選ばれました。
(キャスター女)
ウクライナ政府高官の汚職を調査したことで知られる市民活動家兼ジャーナリストが、クリスマスにウクライナの首都郊外で殴打されました。
(進行役)
報道された彼女の英雄的な行動が、むしろ犯罪に見えてきました。
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領官邸に不法侵入し、暴徒を率いてキエフ市庁舎を占拠し、ウクライナ治安当局の車にも乗りこみました。
テティアナは、報道して知名度を上げることよりもニュースを作ることに興味があり、野党「祖国」で努力している政治家として知名度を上げたいようでした。
彼女は2013年に世界のメディアにクリスマスプレゼントを贈りました。
彼女は道路で暴徒により残酷に殴打されましたが、わずか3日後に容疑者全員が逮捕されました。
ロード・レイジ事件でテティアナを殴ったと自供しました。
世界のメディアは瞬時に、この犯罪の政治的背景を強張し続けました。
テティアナは英雄的な殉教者になり、彼女のイメージのもとに人々を団結させました。
ウクライナの政治的混乱の中で行われたこの殴打事件は、抗議を呼びました。
ユーロマイダンが再び中心となり、襲撃から2か月足らずでテティアナが登場しました。
彼女はすでにヤヌコーヴィチの政党である地域党の党首を攻撃できるほど回復していました。
(テティアナ)
ここが私を襲った車の本拠地です!
ここはまさにこの犯罪者マフィア政府の巣窟です!
そして、死の部隊はここで準備をされているのです!
(進行役)
政府関係者の一人、65歳のITスペシャリスト、ウラジミール・ザハロフ氏は、この襲撃で殺害されました。
テティアナは今どこにいる?
さて、彼女は新政府の権力の座を手に入れました。
それから1か月後の1月22日、もう1つの舞台の幕が上がりました。
アルメニア系のウクライナ人の抗議者セルゲイ・ニゴヤンは、当初からマイダンのデモに来ていました。
彼は過激でも暴力的でもなく、素朴で希望に満ちていました。
セルゲイの愛国的な姿は、神聖な殉教者の役が合いそうです。
(ニゴヤン)
戦い続けるんだ!必ずや勝つ!
神様があなたの戦いを助けてくれます。
自由を勝ち取るために、あなたと一緒に行進します。
(進行役)
残念ながら、セルゲイにその役がまわってきたのです。
戦友に裏切られたのです。
この動画は、2014年1月22日の早朝にセルゲイが殺害された後に拡散されました。
当時、抗議活動全体が撮影されていたにもかかわらず、彼の死の経緯は今日に至るまで不明です。
捜査に役立つ記録や目撃者もなく、彼の遺体は現場からすぐに移されました。
セルゲイはユーロマイダンの最初の殉教者となりました。
そして、即座に、警察官が彼を殺すように指示されていたという情報がありました。
それから2年近く経っても、公式調査は何の成果も得られていません。
現在では、セルゲイ・ニコヤンの殺害は、陰謀をエスカレートさせるために挑発者が仕組んだと広く考えられています。
神様は「お告げ」という言葉で人々に語りかけます。
2014年1月26日、バチカン市国のサンピエトロ広場で、教皇フランシスコはウクライナのために祈り、数千人の人々に語りかけました。
祈祷の跡、法王庁の窓から、二羽の白い鳩が放たれましたが、すぐにカラスとカモメに襲われました。
言葉のわかる人なら、このお告げの意味を簡単に読み取ることができるでしょう。
「すぐに、カモメとカラスという大きな力が、二つのスラブ諸国である白い鳩を引き裂くだろう」
しかしこの予兆は、ウクライナの人々に希望と教訓を与えました。
「鳩は神の意志によって救われるが、厳しい苦難と多くの犠牲が伴う」という予言です。
革命の歴史に残る人類最大の犠牲者を出したカラー革命は、予定通り1か月後に起こりました。
2月20日
(キャスター男)
数週間前から、このヨーロッパの首都は激しい暴動の舞台となっています。
今日は、これまでで最も血なまぐさい日です。
(キャスター女)
デモ隊は官庁街に向かって押し寄せてきています。
ここでは火炎瓶で武装しています。
しかし、拳銃や散弾銃も見かけました。
双方に死傷者が出ています。
(兵士)
あそこで6人死んだと言ってます。
負傷者だけでなく、死亡者も出ています。
スナイパーに撃たれたと言っています。
(ヴィタリー)
彼らは2月20日から警察官に圧力を掛けてくるようになりました。
(ヤヌコーヴィチ)
スナイパーが撃ち始め、双方に死傷者が出たと聞いていました。
初めの一撃は、コンサート施設からでした。
(ヴィタリー)
そこはマイダンの武装グループが支配していました。
(進行役)
そして、ここでまた、ナロードニ・ルークの旧友、アンドレイ・パルビイに会うことができました。
彼は自らマイダンの司令官と呼び、栄光の絶頂にあった人物です。
基本的に、過激的反対派のリーダーです。
(反対派リーダー)
私たちの要求がすぐに満たされない場合は、マイダンの抗議者が行動を起こすと警告しました。
(プーチン)
目的は大混乱を起こすことでした。
混乱が起きてもヤヌコーヴィチに良いことは何もありません。
(キャスター女)
デモ隊は強制的に警察官たちの長い列を作って連れ去って行きました。
彼らをどこに連れて行ったのか不明です。
未だに67人の警官が行方不明であると報告されています。
(オリバー)
警官14人死亡、43人負傷か。
(ヴィタリー)
20人の警官が死亡し、150人以上が銃で撃たれて負傷しました。
(ヤヌコーヴィチ)
2月20日か21日にかけて、すでにクーデターが始まっていたことは明らかでした。
(キャスター女)
これに先立ち、野党指導者のヴィタリ・クリチコ氏は支持者に対して、抗議キャンプ内に、留まるよう促しました。
「ここにいる皆さんは、強い気持ちでいてください、私たちはどこにも行きませんから」
(ヤヌコーヴィチ)
私たちは野党と交渉し、合意に至ることも少なくありません。
後で気付いたのですが、それはゲームだったのです。
野党の過激的な抗議者は交渉に参加しません。
誰の話も聞こうとしません。
それが彼らの仕事だったのです。
(進行役)
2004年のオレンジ革命のときと同様、国際的な指導者が介入し、双方を交渉のテーブルにつかせようと考えていました。
(プーチン)
欧州各国の外務大臣三名がキエフに訪れました。
(進行役)
ローラン・ファビウス、フランク・ヴァルターシュタインマイヤー、ラドスラフ・シコルスキ
(プーチン)
彼らはヤヌコーヴィチと野党の間の会議に参加しました。
そして任期前選挙について合意に達しました。
彼らは野党と大統領のさらなる関係構築について話し合いました。
(進行役)
ウクライナ大統領と同国の反政府デモの指導者が停戦に合意しました。
(キャスター女)
停戦はヤヌコーヴィチ大統領と野党の話し合いにチャンスを与えるためでした。
(進行役)
2004年のように、反対派の少なくとも過激的なドミトリー・ヤロシ率いる右派セクターは、これ以上交渉をするつもりはありませんでした。
(ヤロシ)
合意した内容は我々の要件を満たしていない。
レッドセクターは武器を捨てない。
右派セクターは主要な要求である、ヤヌコーヴィチを辞任させるまで、政府の建物を解放しない。
(ヤヌコーヴィチ)
そのような契約書にサインをしたのですが、少し経ってから、その契約書に気付きました。
どんな協定を結ぼうが、クーデターはすでに計画されており、避けられないものだったのです。
つまり事実上、我々との交渉は無意味だったのです。
(ポーランド外相)
「これを受け入れなければ戒厳令が敷かれて、軍隊が入り、あなた方は全員死ぬぞ」
(リポーター女)
野党の指導者たちは、流血を終わらせる方法を見つけたかもしれないと言い残し、その場を去りました。
彼らはこの議会で得た結論を人々に伝えたいと考えていました。
(キャスター女)
人々が納得していないことは、すぐに明らかになりました。
(プーチン)
そして翌日、ヤヌコーヴィチ氏は国内第二の都市、ハリコフに向かいました。
彼が去るや否や、彼の住居も政府も武装した者たちによって占拠されました。
それを何と言いますか?
(ヤヌコーヴィチ)
実は私はヘリコプターでハリコフに向けて出発しました。
私たちの車列は自力で出発しましたが、誰もその事は知りませんでした。
大統領専用車両が走行中に銃撃を受けたのです。
また、諜報部も傭兵がいるという情報を持っていました。
その目的は大統領のヤヌコーヴィチを拘束することではなく、処刑することです。
プーチン大統領にロシア領への入国を許可してもらいました。
そのような許可を得て、ロシアの支援を受けることができたのです。
2月24日、私はロシアに到着しました。
ー2014年2月23日ー
(進行役)
一方、キエフでは大虐殺の犠牲者に最後の別れを告げていました。
犠牲者の上に成り立った権力者たちを受け入れたのです。
(キャスター女)
投票で、新議長のオレクサンドル・トゥルチノフ氏が暫定大統領になるようにし、火曜日までに暫定政府を樹立させるべきだとウクライナ議会は議員に呼びかけました。
これら新しい動きは、土曜日にヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が解任されたことに続くものです。
(パリー)
そして、憲法に定められた弾劾の手続きを踏まずにヤヌコーヴィチを罷免(ひめん)しました。
(ヤヌコーヴィチ)
しかし、弾劾の手続きは行われませんでした。
これを決定するには、憲法裁判所と最高裁判所の両方が認めなければなりません。
そのためには、国会議員の3/4以上の賛成が必要です。
(進行役)
ウクライナの国会は、450人の議員で構成されています。
ウクライナの憲法では、少なくとも3/4以上の賛成がなければなりません。
つまり弾劾には338の賛成票が必要です。
しかし実際には、328人の議員だけが賛成票を投じました。
(ヤヌコーヴィチ)
しかし、国会の投票は3/4に満たなかったのです。
(進行役)
アメリカ国務省は、ほとんど即座に、
「これは合法的な政府であり、多くの努力により政権交代を実現させたのである」
と表明しました。
(パリー)
ヤヌコーヴィチ氏を何らかの名目で呼び戻して、2月21日の合意を覆すという可能性は、もはやなくなりました。
そして、ウクライナ東部が抵抗し、クリミアが分離を希望しました。
事態は急速にエスカレートしたのです。
(キャスター男)
有権者はウクライナから離脱してロシアに加わるかどうかを日曜日に決定します。
(キャスター女)
「ロシアと共に」というスローガンを掲げたキャンペーンは、モスクワの後ろ盾があります。
(オリバー)
クリミア情勢は、この時期に住民投票も迅速に起こっています。
(ヤヌコーヴィチ)
クリミアの住民投票は、クリミアの人々により発案されて行われました。
それは、クリミアで別のマイダン抗議行動を計画していた代表者らに、国民の意思を示そうとするものです。
クリミアの人々が常に親ロシアであることは周知の事実です。
(進行役)
キエフでの出来事が進行する中、国民の雰囲気を察知したクリミア当局は、2013年の欧州連合(EU)加盟交渉の延期とロシアとの関係強化というヴィクトル・ヤヌコーヴィチ氏の決定を全面的に支持しました。
キエフでの出来事が経過するにつれて、国民は不安に陥っているとクリミア当局は発表しました。
我々はクリミア人の意思に基づき、国と市民の命を犠牲にして、ウクライナの権力を掌握しようとする過激派とネオ・ナチにクリミアを絶対に渡さないと宣言する。
クリミアでは、キエフの政権交代後に、ネオ・ナチの新権力は反対勢力に容赦なく攻撃するという噂が広まりました。
(新政権関係者)
ウクライナに栄光あれ。
(進行役)
そのため、親ロシア派のデモがキエフの新政権を拒否する動きが出てきました。
2月27日、クリミアの首都にある政府庁舎が親ロシア派のデモ隊によって占拠されました。
ついに、クリミア現政権は解散しました。
そして新たにセルゲイ・アクシオノフがクリミア自治共和国の指導者に任命されました。
(ヤヌコーヴィチ)
彼らはロシア政府が守ってくれることを望んでいました。
(進行役)
3月16日、クリミアの住民投票が行われ、ウクライナからの離脱が決定されました。
(パリー)
クリミアの場合はロシアが侵略したと報道されています。
これを信じ込んで、実際の世論調査の数字を見る人は非常に少ないでしょう。
アメリカの政府機関が行った世論調査では、クリミアの人々がロシアの一部であることを好んでいるという結果を示しています。
アメリカのニュースメディアでは、ロシアが介入して、偽の選挙を行ったと報道しています。
銃を持っている人たちに睨まれているので、「投票箱を偽造して、ロシアへの再加盟を96%もの賛成票を投じた」という報道です。
(リポーター男)
クリミアでの国民投票の考え方は、間違いなく違憲です。
(リポーター女)
しかし、この投票は本当に自由で公正なのか?
特に現在クリミアに駐留する多くの軍隊を考えると、疑問が残ります。
(パリー)
そうやって、アメリカ国民に宣伝してきたわけです。
現実は全く違います。
(リポーター女)
この雰囲気は、確かに電撃的です。
クリミアの首都シンフェロポリには、数千人の人々が集まっています。
先週の日曜日に行われた住民投票で、ロシアとの統一を支持する票が圧倒的多数を占めたからです。
(民衆)
ロシア、ロシア、
(プーチン)
民主主義とは何かと問いたい。
民主主義とは、国民の意思に基づく政策です。
どうすれば民意を知ることができるのでしょうか?
現代社会では、投票によってそれを実現しています。
人々が集まり、投票率は90%以上の人がロシアへの加盟に賛成しました。
人々の選択を尊重し、国際法を操作してはいけないのです。
そして地政学的利益に応じて毎回民主主義の原則を尊重するべきです。
そこには戦争などありませんでした。
誰も殺していません。
誰も一発も撃っていません。
(オリバー)
西側では、ロシアがクリミアに侵攻したと言われているのは、ロシア兵の存在が実際にあるからです。
クリミアのそのあたりをはっきりさせていただけますか?
(ヤヌコーヴィチ)
クリミアには昔からロシア兵がいました。
そこには黒海艦隊の基地もあるのです。
(進行役)
1804年、セヴァストポリの海軍基地は、黒海のロシア帝国の主要な軍港となりました。
第二次大戦中、セヴァストポリの英雄的な防衛は、ほぼ1年間続き、数十万人の命が奪われました。
したがって、クリミアの海軍基地は、ロシアの黒海沿岸地域にとって、歴史的な誇りであると同時に、戦略的にも非常に重要な場所です。
(パリー)
思い出してみると、ソ連のミサイルがキューバに持ち込まれようとしたとき、アメリカ人がどれほど怯えたかを覚えていました。
そしてこの種の破壊兵器がアメリカの近くに置かれたとすれば、核対決が現実になるところだったのです。
米国の裏庭がキューバであるとすれば、クリミアはロシアの玄関口にあたります。
(オリバー)
その基地、NATOの基地を米国が掌握した場合の影響については?
(プーチン)
非常に重大な結果を招く可能性があります。
基地自体には、何の意味もないのですが、指摘したいニュアンスがあります。
なぜ、私たちがNATOの拡張に猛反発するのか?
私たちは、その意思決定のプロセスに注目しています。
私は、意思決定の仕組みを知っています。
NATOの加盟国となった時点で、アメリカの圧力には逆らえないのです。
そして、ミサイル防衛システム、新しい基地、必要なら新しいミサイル攻撃システムなど、あらゆるものが、すぐにその国に出現するのです。
どうすればいいのですか?
対策を講じる必要があります。
つまり、我々を脅かすと思われる新しい施設に、ロケットシステムで対抗するということです。
状況は緊迫します。
(セルゲイ・ラブロフ)
もし攻撃されたら、必ず反撃します。
(プーチン)
私は時々、パートナーとしての論理が理解できないことがあります。
いわゆる西ヨーロッパ圏を束ね、規律を確立するためには、外敵が必要なようです。
しかし、イランはそのような心配は無用です。
(オリバー)
私は、NATOの拡大が気になります。
13カ国のNATOの加盟国がロシア国境付近まで拡大しました。
13カ国です。
(ヤヌコーヴィチ)
これは戦争に関わる非常に危険な話です。
これは戦争に関する話題です。
ロシアとアメリカの戦争は、完全に狂気の沙汰でしょう。
(進行役)
2014年初春、ウウライナ東部でも、キエフの新政権に対する抗議デモが活発になってきました。
この地域は、地理的にも文化的にもロシアに近い人々を擁しています。
新政府の極右的な傾向により、ネオ・ナショナリズムが、自分たちの土地に持ち込まれることを恐れたのです。
ウクライナでは長年にわたってロシア語を主要な言語として確立することが難しかったのです。
(キャスター男)
ロシア語を第二言語とすることは、ヤヌコーヴィチ大統領の選挙公約の一つでした。
(進行役)
2012年、ヤヌコーヴィチ政権は、ロシア系住民が多数を占めるウクライナ南部と東部で、ロシア語を第二公用語とする法律を成立させました。
ウクライナの民族主義者グループは、この法律に反対する大規模な抗議行動を開始しました。
見る人が見れば、見覚えのある顔があるかもしれません。
(民族主義者の男)
あの暴力団、あの軍団、あの野郎どもは倒せるんだ。
(進行役)
政権交代の翌日である2014年2月23日、新政権は、公用語として、ロシア語を無効化することを議会で決定しました。
この決定は後に、オレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行によって、拒否されましたが、それでも強力なメッセージとなりました。
これには、ロシア語を話す都市部の人々を驚かせました。
人々は街頭で反対意見を表明しました。
それに対して親マイダン派は、独自のデモを始めました。
両者が顔を合わせると、常に緊張が走り、やがて悲劇につながりました。
ードネスク 3月13日ー
(進行役)
キエフの新政府に抗議する親ロシア派のデモ行進で衝突が起こり、1人が死亡、50人以上が負傷しました。
4月6日、ウクライナ東部でクリミアで起こされたシナリオが再び始まりました。
デモ隊が政府の建物を占拠しました。
そして、翌日の4月7日、彼らはドネツク人民共和国を宣言したのです。
キエフはこれに対し、ウクライナ東部での反テロ作戦の開始を発表しました。
その頃、国際メディアはロシアがウクライナに侵攻すると騒いでいました。
(キャスター男)
ロシアは今、ウクライナに進攻しようとしているのかもしれません。
(進行役)
しかし、この強い言葉はメディアの中だけで、ウクライナ当局は戦争のような状況を発表していません。
なぜか?
「IMFは戦争が続いている国には資金を提供できない」
とペトロ・ポロシェンコは述べていました。
(ヴィタリー)
政治がらみのことになると、金の話になるんですね。
(進行役)
ウクライナにはすでに多くの資金が投入されており、中途半端な状態で止めることはできません。
(ヌーランド)
私たちは、これらの目標達成のために、ウクライナを支援するため50億ドル以上を投資しています。
これは安全で豊かな、?栄した、民主的なウクライナを確保するものです。
(ヴィタリー)
そのお金でどんな民主主義が成立したのでしょうか?
どのような手順で成立させたのでしょうか?
今、ドンバスにおいて武力で成立させようとしていることと同じではないでしょうか?
(進行役)
もちろん、資金も必要だし、詐欺行為も続けなければならないのです。
血まみれになり、死に至ることもあります。
(兵士)
完全にやっつけました。
(進行役)
それは、両陣営がより高度で殺傷力の高い武器を使用するようになったからです。
(ヤヌコーヴィチ)
自国民に戦争を仕掛けたトゥルチノフ氏の責任は重大です。
彼はドンバスに部隊を送り込みました。
今まで流血の惨事などなかったのに、彼らは始めました。
(進行役)
世界はキエフのこの新しい民主主義を歓迎することに忙しく、国内で実際に何が起こっているのか、気付いていないようです。
ウクライナ南部では、革命を不安視する声が多く聞かれました。
(民衆)
オデッサは決してあきらめない!
(進行役)
そして、2014年1月上旬、オデッサ市で、反マイダン運動が起こります。
デモ隊は、労働組合会館前にキャンプを張りました。
この建物は、やがて大虐殺の記念碑となるのです。
オデッサの重要性を過大に評価することは出来ませんが、黒海に面した戦略的な立地にあり、ウクライナ最大の港湾があるので、ウクライナ新政権が、この地域に危機感を募らせたのも無理からぬことです。
ウクライナ東部で反マイダン運動が活発化すると同時に、多くのオデッサの人々が参加するようになりました。
新しいウクライナ政府には、多くの面で、軍をコントロールする力はありません。
もしも、オデッサの人々が、東部地域で高まっている運動に、参加することになれば、事態は深刻に陥るでしょう。
この反乱は、何としても即座に鎮圧するべきでした。
遅れた代償は非常に大きいのです。
2014年5月2日、オデッサ市の中心部にウクライナ・サッカー選手権にファンが集まり、そして試合が行われました。
驚いたことに、オデッサに前夜降り立ったこのファンたちの中には、マイダン自警団の兵士やウクライナ各地から集まった過激派組織のメンバーが大勢いたのです。
(過激派組織)
敵は死ね!ウクライナは何よりも優れている!
(進行役)
仮面をつけて武装し、民族主義的な言葉を叫んでいたこれらの抗議者は、街の中心部で騒動を起こし、反マイダンのテント野営地まで行進して、ついに攻撃しました。
反マイダンのデモ隊は、労働組合会館に避難しましたが、それは罠でした。
マイダンの支持者が火炎瓶を投げ込み始め、建物は炎に包まれました。
中で焼け死んだり、あるいは、窓から飛び降りて逃げようとした人たちもいました。
消防署は1マイルも離れていないのに、消防署員が到着するまで30分近くかかりました。
その時点で、被害は大きくなっていました。
しかし、ここで興味深い事実があります。
この忌まわしい出来事の数日前にマイダンのメッセンジャー、アンドレイ・パルビイがオデッサを訪れていました。
オデッサであった人たちの中に、重大な日に現場で目撃した人がいるのは奇妙な偶然です。
しかし、誰もが嘆いているわけではありません。
人気の政治トークショー「Shuster Live」では、オデッサで生きたまま焼かれた人々の報道に有ろうことか、拍手が沸き起こったのです。
(TV司会者)
オデッサの火災での死者数です。
ロシア国籍15名、トランスニストリア出身者10名、そしてオデッサの住民はいません。
(進行役)
右派セクターはフェイスブックページで、5月2日の出来事を国家史の誇らしい瞬間だと発表しました。
この悲しい出来事に対して、現在2年近く調査が行われていますが、まだ結論は出ていません。
しかし、専門家は当初から言うことは決まっていたようです。
(調査員)
明らかに、プーチンの暴徒が挑発しました。
ウクライナのデモ隊を追い散らしたのです。
(進行役)
オデッサ州は本当に特別な場所として映ります。
2015年5月30日、この重要な場所に、すごい新知事が、この度ご就任されました。
ミヘイル・サバシヴィリ
アメリカ合衆国の旧友で、彼はウクライナの隣国グルジアで、生まれ育ちました。
(キャスター男)
グルシアではちょっとしたお祭り騒ぎです。
(進行役)
彼の経歴を見ると、特殊な任務のために育てられたことが理解できます。
(サバシヴィリ)
私は平和的な抗議者だ!下がれ!下がれ!
(進行役)
サバシヴィリ氏は、米国国務省の奨学金を受けてアメリカに渡ります。
その後ニューヨークにある社会的組織「クマラ」に所属します。
それはカラー革命の歴史に以前から存在していたグループです。
(サバシヴィリ)
私たちは、民主的な無血革命に取り組んでいるのです。
(進行役)
これがバラの革命
そして、ミヘイル・サバシヴィリです。
彼は「クマラ」一員です。
正当に選ばれた大統領、エデュワード・サヴァントを打倒するのに忙しかったようです。
(サバシヴィリ)
平和的手段で政府を排除するのは、古典的で実にヨーロッパ的です。
(進行役)
バラ色の革命が花開いた直後、グルジアはNATOへの加盟を表明し、ロシアとの国境にある肥沃な土地に、NATOの軍事基地を、新たに建設する意向を示しました。
(サバシヴィリ)
決して自由と独立を手放すことはありません。
決して領土の一部を渡すことはありません。
(進行役)
サバシヴィリの使命は、少なくともアメリカの友人とNATOによって達成されました。
しかし、グルジアの人々は喜んでいません。
2007年、民衆は不満を訴えるために街頭に立ち抗議しましたが、サバシヴィリ氏は、力で対抗しました。
民衆の不満はさらに高まりました。
その後、サバシヴィリ党は議会選挙で敗れ、野党が政権を握りました。
(キャスター女)
彼は、憲法に従って議会の多数派が新政府を樹立し、私が大統領になるべきだと主張しています。
(進行役)
ミヘイル・サバシヴィリは大統領選の結果を待たず、2013年10月に国外に逃げました。
2014年、サバシヴィリはいくつかの刑事事件で証人として出廷するよう要求されたのですが、招喚を拒否しました。
同年末、彼は権力の乱用と横領の罪で告発されました。
ミヘイル・サバシヴィリは、米国に渡り、すぐにワシントンの友人たちから新しい任務を与えられました。
ミヘイル・サバシヴィリはマイダンを積極的に支援し、すぐにウクライナ新政府の要職に就きました。
最初は大統領補佐官、次にオデッサの知事となったのです。
就任の前日には、生まれ故郷のグルジアの国籍を放棄し、ウクライナ国籍を取得しました。
(サバシヴィリ)
私は常に、誇り高き祖国の市民であり、国民であり続けます。
(進行役)
彼らが言うように、文字通り、戦いは血で血を洗う価値があるそうです。
(ニノ・ブルジャナゼ)
サバシヴィリ氏の改革の目的は私にもわかります。
ウクライナにおける彼の存在と役割が、この計画全体の一部であることを私は知っています。
それはウクライナで特定の勢力が必要としていることです。
(進行役)
オデッサに就任したサバシヴィリを、駐ウクライナ米国大使のジェフリー・パイアットが訪問しました。
(パイアット)
しかし、オデッサの政権がウクライナで結果を出している限り、米大使館やワシントンからの訪問客がどんどんやってくるでしょう。
(進行役)
実りある会合となったようです。
ジェフリーはとても気前が良いです。
サバシヴィリの仕事ぶりは、彼自身、金に心配する必要は無いようです。
彼のフェイスブックページには、オデッサの新知事がワシントンから、年間20万ドル近くというかなり高額な報酬を得ていることを示す資料が投稿されました。
ちなみに、メイン州の知事は年間7万ドルです。
だから、もしオデッサがアメリカの新しい州になったら、1番上に来るでしょう。
サバシヴィリ氏は新天地で居心地は良いはずです。
同じくカラー革命の指導者であるヴィクトル・ユシチェンコ氏と親友であり、彼の息子の名付け親でもあるのです。
(プーチン)
サバシヴィリ元大統領がオデッサ州知事に就任しましたが、これは、オデッサの人々と全てのウクライナ人に対する侮辱です。
彼が入った大学ではアメリカの就労ビザさえ与えられず、彼は定職にも就けなかったのです。
しかし、彼はオデッサの知事になれるんですよ?
知事の仕事に相応しい、プロフェッショナルで有能なウクライナ人が他にいないのでしょうか?
(進行役)
戦争は一度起これば容赦しません。
(キャスター男)
たった今、飛行中のマレーシア空港機一機と連絡が取れなくなったことが確認されました。
航空機は高高度を飛行中にミサイルによって撃墜され、ウクライナ東部のロシア国境付近へ墜落し、搭乗していた298人全員が死んだと思われます。
(パリー)
これは殺人事件であり、犯罪でありながら、その答えを追求することに、異様なほど無頓着なのです。
ごく限られた調査報告書が、事件の数か月後に提出されただけです。
次の報告書は事件の一周忌になるそうです。
しかし、未解決事件とならないために、犯罪捜査を行っているのです。
これらの疑問にしっかり答えるように、なぜメディアと欧米政府の方から、当局に圧力をかけないのか、不思議に思います。
(進行役)しかし、答えられず、すぐに話をそらしました。
(オバマ)
それは事故ではありません。
それはロシアの支援があるからこそ起きていることです。
証拠はあります。
航空機はウクライナ国内のロシアに支援されている、分離主義者が支配する地域から発射されました。
地対空ミサイルによって撃墜されました。
(プーチン)
この恐ろしい事件の責任は、この地域を管轄する国であることに間違いないでしょう。
(進行役)
アメリカとロシアの関係を複雑にする航空機事故は、マレーシアのボーイングが初めてではありません。
1983年9月1日、ニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航空007便は、日本海のソ連領内でソ連の迎撃機により撃墜されました。
(レーガン)
ソビエトがやったことには、法的にも道徳的にも全く正当性がないのです。
(進行役)
朝鮮半島でボーイングの悲劇は、ソビエトの危険性に対峙する、NATOの軍事力の必要性を主張できる、絶好の機会だと考えられました。
1983年11月2日、NATOはエイブル・アーチャーを開始しました。
これは核攻撃を頂点とする戦闘の激化を10日間にわたって想定した戦闘指揮演習です。
その後、パーシングⅡ核ミサイルがヨーロッパに配備されることになりました。
レーガンが考慮しなかったのは、ソビエトの妄想的な過剰反応です。
最近公表された米国情報機関の報告書によると、キューバ・ミサイル危機以来、初めて世界が核戦争に近づいたと言います。
1983年の墜落事故と同じように、マレーシア航空機の事故を敵に対する攻撃材料として利用します。
悲劇が起きた直後に、新たな制裁の波がロシアに押し寄せたのです。
(オバマ)
米国はロシア経済の主要部門に新たな制裁を加えました。
(進行役)
それから約1年3か月後、オランダの安全委員会が報告書を発表しました。
(委員会代表)
皆さん、MH17便の事故は、9M314Mミサイルがコックピットの左側を直撃したことにより墜落しました。
(進行役)
報告書は特定の団体や個人には触れず、ミサイルが発射された地域は320キロメートルと非常に広範囲であると推定しています。
同時に、Bukミサイルを製造しているロシアのアルマズ・アンテイ社も独自に調査を行ったのです。
(アルマズ・アンテイ社CEOヤン・ノヴィコフ)
調査の結果は、ミサイルの種類や発射場所に関して、オランダの安全委員会の結論に反しています。
(進行役)
実験では、引退した旅客機を使ってBukミサイルを爆破させました。
マレーシア航空機は、ウクライナが保有している旧式のミサイルで落とされたという結論に達しました。
現在このミサイルはロシアで使われていませんが、ウクライナはまだ所持しています。
ミサイルはウクライナ軍の支配地域から発射されました。
このような論争の結果は、調査に対する国民の関心をかき立てることになると期待されます。
しかし、マレーシア航空機MH17の悲劇は、すでに大きな地政学的ゲームの中で、その役割を終えていたのです。
そのため、すぐに忘れ去られてしまいました。
制裁開始の目標は達成されました。
制裁の第三波がロシアに襲いかかった後、両国間の緊張は更に高まったために次のような問題が生じました。
私たちは、第二の冷戦が始まったことを理解しているでしょうか?
だとすると、私たちが生き残れるチャンスがあるとすれば、それは何でしょうか?
1947年、原子科学者会報は「世界終末時計」を公開しました。
それは、核兵器廃絶が目的で考えられた、世界的危機へのカウントダウンを示す時計です。
1953年、冷戦の真っ只中の時、超大国が核兵器を大規模に製造している時には、週末を示す0時に最も近い時刻になりました。
(キャスター男)
これは、拡大し続けるアメリカの原子爆弾開発計画の物語である。
(進行役)
核戦争がもたらす非常識な危険性を世界が認識し、軍拡競争を抑制するための措置が取られるようになると、状況は着実に好転しました。
1991年「世界終末時計」は真夜中の0時から最も遠い17分の位置にありました。
しかし、希望を持った時代も束の間、世界はますます不安定になってきています。
2015年、原子科学者会報の「世界終末時計」の針を0時3分前に移動しました。
(原子科学者会の人)
今日、予測不可能な気候変動と大規模な兵器の近代化に起因する核軍拡競争は、人類の存続に並外れの脅威をもたらしています。
(進行役)
米国とロシアは大規模なプログラムに着手しました。
しかしそれは、自国の核兵器を近代化し、既存の核兵器条約を弱体化させるというものです。
時計は今、午前0時まであと3分と迫っています。
なぜなら、国際的な指導者たちは最も重要な義務を果たしていないからです。
果たすべきは、人類文明の健全性と活力を確保することです。
地震雲などの画像より
・2023年9月24日 三田市 17:14
・2023年9月24日 三田市 17:15【千葉県東方沖M4.0】
2023/9/24 23:30 千葉県東方沖(北緯35.5度 東経141.0度 深さ30km) M4.0 震度1 銚子市、旭市(千葉県)
・2023年9月25日 三田市 5:33【青森県東方沖M4.0】
2023/9/25 13:35 青森県東方沖(北緯41.5度 東経142.1度 深さ60km) M4.0 震度2 むつ市、東通村(青森県)
・2023年9月25日 三田市 5:52
・2023年9月25日 三田市 5:57
・2023年9月25日 三田市 6:19
・2023年9月25日 三田市 6:03
・2023年9月25日 三田市 6:03
・2023年9月25日 三田市 6:03
・2023年9月25日 三田市 6:10
・2023年9月25日 三田市 6:19
・2023年9月25日 三田市 11:22
・2023年9月25日 三田市 11:22
・2023年9月25日 三田市 11:58
・2023年9月25日 三田市 15:37
・2023年9月25日 三田市 15:51
・2023年9月25日 三田市 16:04
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以上、地球の謎解きより。
写真は9月25日のソラ。