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ソラの記録

このブログは「地球の謎解き」(https://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

乗っ取られたウクライナ2019(その1)、ウクライナで何が起こったのか、地震雲

2023年09月26日 22時15分55秒 | 「地球の謎解き」の情報

ソラのQ&Aより
2023年9月14日
『乗っ取られたウクライナ2019 ( Revealing Ukraine 2019) 』1

読者より、文字化してくださいました。
*)「『乗っ取られたウクライナ2019 ( Revealing Ukraine 2019)』(日本語字幕版)

・・・・・・・・・・・・・

(オリバー)
メドヴェドチュクさん。

(メドヴェドチュク)
こんにちは。 

(オリバー)
はじめまして、オリバー・ストーンです。
はじめまして、オクサナさん。

(オクサナ、メドヴェドチュクの妻)
こんにちは。

(オリバー)
ようこそいらっしゃいました。

(オクサナ)
ありがとう。

(オリバー)
どうぞ、席について。 

(オクサナ)
綺麗なホテルね。
ウクライナのこと、お話したいわ。

(オリバー)
おや英語が上手だ。 

(オクサナ)
ウクライナに興味があるとは?
アメリカ、ロシア、大きな政治があるのに、突然ウクライナとは何故ですの?

(オリバー)
戦争と平和のことを考えるからですよ。
私は世界の一市民です。
ベトナム戦争に行きましてね、
自国がこの軍事主義的な道を歩むのを見たくないんです。
プーチン氏をインタビューするまでウクライナという国のことに無知だったんです。
そしてウクライナのことを沢山学んで「ウクライナ・オン・ファイヤー」に取り組みました

=オープニング=

(オリバー)
おはようございます。
メドヴェドチュクさん、お目にかかれて光栄です。
貴方のことを何も知らない人に自己紹介をお願い出来ますか。
1950年代のお生まれでしたね。

(ナレーション)
ヴィクトリア・メドヴェドチュクは、シベリアのポチョで1954年8月7日に誕生し、家族で移住した。
1978年にキエフ大の法学部を卒業し、早くにソ連時代に頭角を現したが、共産党の党員であることはなかった。
1990年よりウクライナの弁護士組合含めトップになり、この間に政治にシフトし始めることになった。
ウクライナ国会議員(Verkhovna Rada)に選出され、1998年3月から2002年4月までの任期を務める。
この間にウクライナの経済は12%という最大の成長をした。

しかし新大統領が生まれたことで、経済はかつての6分の1まで衰退した。
メドヴェドチュクは、ビジネスの世界でも法律事務所のBMI、サッカーチームのディナモキエフ、そしてエネルギーの分野で成功を収めた。
1998年に政治に戻り、国会議員副議長まで登りつめ、2002年から2005年までレオニード・クチマ政権の大統領府のトップになった。

クチマ大統領の後任ユシチェンコと、ヤヌーコヴィチ両大統領の時には野党に所属。
メドヴェドチュクはロシア大統領プーチンの親しい友人とされ、プーチンは彼の娘ダリアのゴッドファーザー(名付け親)である。

===

(プーチン)
親しい友人なわけではないが、お互いのことは理解しあっている。
彼はクチマ大統領の政権でトップだったしね。
その時に娘の洗礼式に出席して欲しいと頼まれた。
正教会の習わしでは断れないんだ。

(オリバー)
ああ、貴方がゴッドファーザーとは、なんて名誉なことかと思ってましたよ。

(プーチン)
ゴッドファーザーになるっていつもとても名誉なことだがね。

===

(オリバー)
1991年にウクライナはソ連から独立した。

(ナレーション)
モスクワではハンマーと鎌が下ろされ 一つの時代が終わりを告げた。

(オリバー)
あの時のことをどう表現されますか。

(メドヴェドチュク)
私は多くの同僚や年齢層と同じく、独立したウクライナの生活水準がどうなるのか予想もつかなかった。

(ナレーション)
ゴルバチョフはテレビで、モスクワをベースとした中央政府と旧ソ連政府をリンクさせようとしていた。
でなければ無政府状態に陥ると予想したからだ 

(メドヴェドチュク)
大半は独立の道を支持し、我々は自立と主権への選択がソビエト連邦時代よりも成功に繋がると考えた。

(ナレーション)
1991年12月1日にウクライナ国民投票によって 大多数がソビエト連邦からの独立を支持、そして12月5日のビャウォヴィエジャ合意により、ソビエト連邦の解体となった。
ウクライナでは独立した共和国として、短期間で発展した欧州国になれると予想された。
科学・産業分野での大きな可能性、優れた専門家、先進した農業など、あらゆる理由があり、民族間の争いはウクライナには存在しなかったからである。
自立の決意はロシアのパートナーとの関係を次第に希薄なものにしていったが、25年の独立の歩みは2014年のウクライナのクーデターで幻想になり、経済発展も平和も失われ、一部地域では制御不能となった。
 
(メドヴェドチュク)
私はウクライナの主権を支持し1991年の選択は正しかったと考える。
国政は当時から、そして今でも間違っている。
問題は国民が独立した主権国家としての恩恵を得てないからだ。
それは本当に問題だ。

(オリバー)
ご主人の立場によって、貴女もブラックリストに載ったと推測しますが。 

(オクサナ)
野党の政治家の妻でいるって本当に大変。
特にこの5年間は、口先だけの民主主義の意義を説教する民主派が政権を取っていたからね。
そして気に入らない相手、都合の悪い発言をする相手に彼らは熱い鉄を使うようにして潰してきたの。

(オリバー)
貴女の番組、一緒に働いた同僚たちは、どうなったんですか?

(オクサナ)
ウクライナで最も成功した番組を13シーズン出しました。
XファクターとUkraine’s Got Talentも。 
でも米国が主人に制裁を課したので解雇されましたわ。
もちろん彼の妻だという政治的な罰です。
民主主義国家で家族が、妻が、夫への見せしめに罰を受けるなど、あり得ないことですよ。

(オバマ(映像))
ウクライナの主権、領土保全、政府にこのような問題を引き起こした特定の個人に対して制裁を課します。

(オリバー)
貴方は米国の制裁リストに載ったんだ。

(メドヴェドチュク)
2014年3月に米国から真っ先に制裁を受けたうちの一人でしたよ。
ホワイトハウスの文書によると、私がウクライナにおける連邦国家構造構築の原則を擁護した理由で制裁を課すとある。
連邦国家がウクライナの連邦国家制度敵視することは変だろ?

(ナレーション)
興味深いことにメドヴェドチュクがウクライナの地域に、さらなる自由を与える必要性はバイデン副大統領と共有されていた。
ところで2015年12月8日のキエフ、ヴェルホフナラダでは・・
バイデンはこの野党のリーダーの構造構築案を事実上そのまま言っている。

(バイデン(映像))
この連邦国家の問題で我が国は建国が危うかった。

(メドヴェドチュク)
私が公式に、オープンにしてきた立ち位置が、政府にも急進派にも好まれなかった。

(ニュースアナウンサー(映像))
最新の報告ではすでに800万人のウクライナ人が国外に移民したということです。
この傾向が続くと国内人口は間もなく3200万人になります。

(オクサナ)
最初は怖かったわ。
感情に取り込まれるって実に最悪だった。
ヴィクトリア(メドヴェドチュク)に国を出ましょう、ってお願いしたの。

何十万の有能で将来のあるウクライナ人が国を後にした、でもヴィクトリアは私にどこへ行くんだ?
ここは自分の国、自分の母国、自分の家だって。
好かれなくても嫌われても意見が違おうと、ここが私の国だ、私の愛する国を何故去る?
だから残るよ、って。

===

(ナレーション)
2018年にはウクライナは、すでに経済的・政治的な危機にあった。
クリミアを失った。
東部ではドンバスで血塗られた戦争が4年間続いた。

(ウクライナの誰か(戦争の映像))
ゴルロフカは炎に包まれている。

(ナレーション)
社会の立て直しに二つの安定した提案があった。

最初の案によると、ウクライナが政治、経済、そして文化的にロシアから完全に離れることだった。
同時に国内からロシアの歴史的建造物、宗教、言語までも排除しようとした。
(ステパン・バンデラの絵を持つ人やたいまつを持って歩く人々の映像等が流れる)

そして二つ目の案はウクライナはロシアとの関係を断たず、ロシア語を話す国民も習慣、宗教、そして文化を維持する権利を持つべきだというものだった。
(ドネツク人民共和国の旗を持って歩く人々の映像等が流れる)

ヴィクトリア・メドヴェドチュクは、こちらの案の象徴だった。
2018年より、彼はウクライナのロシア語圏の国民を代表するフォー・ライフのリーダーの一人に選出された。
野党フォー・ライフは2018年に結党され2019年の大統領選と後の議員選挙を目指していた。

(メドヴェドチュク)
政府と反対派には親ロシアと呼ばれるが、そうではない。
隣人と友好的で正常な関係を持ちたいだけで、ロシア・フォビアと反ロシアのヒステリアの政策に反対なんだ。
この価値観を持ってた人も 残念ながらいなくなってしまった
(ドネツク空港の使われていた頃と紛争で破壊された後の映像が交互に流れる)

(オリバー)
ほぼ不可能とはいえ、解決策はウクライナを東と西に分ける。
 
(メドヴェドチュク)
事実上、この分断はずっと続いているわけだし、ウクライナは90年代に西と東は分断していたという事実から出発した。
国の分裂の恐れがあった。
不幸なことに国の分解が始まった。
何故こうなる?

ウクライナの正式国境と言うのは、準州の共同体で、過去1000年の歴史を分析してみると、ウクライナの領土というのは、色々な地域の連合体だ。

10世紀、11世紀には、キエフ大公国で、次に黄金軍団、そして今日のウクライナ領土の殆どを支配したリトアニア大公国、クリミア・ハン国、ハンガリー王国、ポーランド王国、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、そしてロシア帝国。
これらの共同体が独自の文化を作り、信仰を植え付け歴史的事実を認識してきた。

私が反対するのは、リトアニア大公国が、オスマン帝国が、ロシア帝国が、「より色濃い」と強調することだ。
様々な信仰、歴史、言語がある。

現政権の間違いは、複数言語が存在し、宗教も違い、地域ごとに歴史的事実の判断も違うこの国で、単独のアイデンティティをウクライナ全国に構築しようとしてることだ。
これは誤りで解決策に繋がらない。
これは現在のキエフ権力者の最大の過ちであり、ウクライナ全土に浸透させるのは不可能だ。
 
(ナレーション)
2019年4月25日に、最高議会ヴェルホーヴナ・ラーダは、ウクライナ生活圏内で使う言語はウクライナ語のみにする法案を通した。
国内外で非難の対象になった。
ウクライナは政治的な国で、第二に重要かつ広範囲な言語はロシア語である。
これはヴェルホーヴナ・ラーダが、半分の国民に事実上母国語を禁ずる通達となった。
専門家は欧州言語憲章への違反は、社会分断への新たな要因となり、将来国の分断に繋がると警告する。

(オクサナ)
これから英語を学ぶわ。

(オリバー)
分かります。
でもさらなる欧州化と言っても、自分に逆らうことになりますよね。
多数のウクライナ人がそれぞれの伝統や価値観を持っていて、「アメリカ」を無理やり取り入れる必要はないのに、米国の最大短所をまねて債務国家になり、経済を失い、資本主義の最悪の欠点を取り入れ、90年代のロシアみたいになってしまう。
そして、アメリカは90年代のロシアにした仕打ちを、また繰り返そうとしているんだ。
ロシアとウクライナは別々の国で両国は、歴史と伝統で結ばれているとおっしゃいましたね。

(メドヴェドチュク)
国も国民もね。

(オリバー)
その上で別の二国だと強調されましたね。
どうお考えでしょう。
 
(メドヴェドチュク)
独立した二国家です。
過去200~300年間、またこれからも、ロシアという国家とウクライナという国家があります。
でも二国間では近密な関係がある。
スラブ聖教の人種であり、ロシアとウクライナの文明・社会の基盤となっている。
ウクライナとロシアの一般的な比較をするのはいいとしても、西ウクライナ地方を対象として比べると、話は全然違ってくる。
だから全国的に、これを浸透させようと言うのは間違っている。
これを理解せねばならないし、どう展開していこうと、私たちは隣人であることを強く信じている。
何よりそうでなくてはならないんだ。

(オリバー)
理解しますよ。
プーチン氏は全てに同意しないかもしれない。
彼はウクライナは歴史的にロシアの一部だと思っている。
惜しいな。

===

(プーチン)
基本、ウクライナ人とロシア人は同一だと思っている。

(オリバー)
一つの民族、二つの国家?

(プーチン)
うーん、一つの国家だよ。

(オリバー)
同じ国家と思っていらっしゃる。

(プーチン)
まあ、これを見て、実際、これがウクライナの真髄の土地だよ。
あのね、ロシアにくっついてるでしょ。
三地域しかない、キエフ、北部、そして南部だ。
誰も自分がロシア人としか思ってないよ。
何故だ、って思うでしょ。
宗教だよ。
ロシア正教ならだれもが 自分がロシア人だと思っているよ。
ポーランドによってカトリックに引きずり込まれたくないのさ。

でも時が経てば、ロシアのこの部分のアイデンティティに変化はあるだろうし、重々承知している。
それは人々が決めればいい。
これは昔ロシア帝国を不安定にさせる要因として利用されたこともあった。

しかし、歴史と宗教により 実に多面的に結束されているのが基本だ。
家族の絆や親しい友人もね。
これが事実上国家だよ。
でもウクライナ住民の多数が、各自のアイデンティティを強調するなら、すればいい。
ロシアでは誰も悪いことだとは思わないよ、私もね。
でも共通点は沢山だと念頭にある。
一体化のプロセスの中で強い利点だ。

明白な事実なのに、現政権は嫌がるんだ。
でも常識が勝つさ。
いずれ私が言った通りになって、結束は避けられない。

===

(メドヴェドチュク)
確かにプーチン氏は二国家ではなく一つの国家だと言った。
これについて長時間議論したが、彼は私の視点に傾いていると思う。
二国家を強調した時に、彼は一つの国家だとは言わなかった。
昔はUSSRという国家であったが、すでに存在しない。
今では独立したロシア連邦と、独立したウクライナ共和国に対しての旧ソビエト連邦を意味している。

===

(ナレーション)
デモによりキエフがコントロールを失い、ヤヌーコヴィチ大統領が解任された時には、歓声が上がった。
2014年2月20日には、キエフのメイン街道で惨事があった。
これはウクライナが、もうかつてのウクライナに戻れないことを意味している。
早朝から正体不明の狙撃手が、デモ参加者と警官に発砲した。
緊張感が張り詰めどちら側も怒り狂っていた。
ヤヌーコヴィチ大統領、ベルクトの特別部隊、そして特別治安警備隊は即時に殺人の非難の対象となった。
怒った群衆は警官を襲い出した。

(オリバー)
誰がデモ参加者を狙撃したか分かりますか?

===

(ナレーション)
政府はまず捜査を始めた。
疑いをもたれたのは、ベルクト特別部隊、ヤヌーコヴィチ大統領と、プーチン大統領の補佐官のウラジスラフ・スルコフ、そしてロシアの特殊部隊スペツナズ。
これらの疑惑は皆欠如しているものがあった、証拠がです。
だが、カナダのオタワ大のイワン・カチャノフスキー教授は証拠を収集していた。

カチャノフスキー教授はマイダンの虐殺を過去5年間調査してきた。
教授は狙撃のタイムラインを広範な科学的分析で、動画と音声ファイルの比較調査をし、公式チームの全ての分析を合わせても、追いつかない分野に踏み込んだ。

(カチャノフスキー教授)
これだけの数のTVカメラやジャーナリストが、この事件を追いかけ大量虐殺を目撃しているとは前代未聞ですよ。
そして殆どのネットワークが、米国、カナダ、ウクライナ、ドイツ、ポーランド、ロシアを除く殆どの国がこれを「警官による狙撃」と報道したわけです 

(リポーター(映像))
ここで警官がAK-47とスナイパーライフルでデモ隊を狙撃しています 

(ナレーション)
5年間の公式調査ではマイダンの大虐殺は重大な事実を完全に無視していた。
スナイパーは デモ隊が占拠していたビル内にいたのだ。
カチャノフスキー教授はさらなる驚愕の事実を発見した。

(カチャノフスキー教授)
ベルギーのテレビ局が、ウクライナホテルから撮影したフィルムから、ほんの最近見つかった箇所だ。
ここで彼らは虐殺のスポットに自主的に歩いて行っておらず、他の二人のデモ参加者に大声で呼ばれている。

(ナレーション)
この場所に行く理由は何もなく、彼らは特定場所に呼ばれている。
犠牲者はここに誘導され、そして殺されフィルムに収められた。
カチャノフスキー教授の調査は、科学的に分類された入手出来る限りの動画と音声を分析したものだ。
マイダンの大虐殺はクーデター続行計画の鍵であり、虐殺は前もって計画されたものであった。

(カチャノフスキー教授)
マイダン支持のウクライナ人ジャーナリストにより、最近出版された本の中にウクライナ極右勢力リーダーのインタビューが2箇所ある。
一人はネオナチ、全ウクライナ連合のスヴォボダ党のトップであり、もうひとりはマイダン大虐殺当時の議員で、やはり極右のスヴォボダのリーダー格である。

彼らはマイダンのリーダーと共に、西側の公人と会い、数人の死者では西側政府からの支援は期待するなと言われたと語っている
(米国のヌーランドなどと写る写真映像が流れる)

そしてヤヌーコヴィチ政権転覆には犠牲者は100人必要だとも。
西側政府はマイダン大虐殺後にすぐに方針を変えた。
偶然ではなく、正確に100人犠牲になった時点で。
 
(メドヴェドチュク)
4年間、諸説が飛び交った。
テレビでは多数の番組が組まれ、グルジアの狙撃手ではないか、いや別にいる、と抗争と流血を煽っていた。
誰がデモ隊を狙撃したのか事実は成立していない。
そして、事実の確証が4年半ないのなら、法を犯罪捜査のことを、少しは知ってる人間として言えますよ、これは未解決のままでいるだろうと。

2に続く

地震雲などの画像より
2023年9月26日 三田市 6:02【宮城県沖M4.6、インドネシアM5.9】
2023/9/26 8:39 宮城県沖(北緯38.3度 東経141.2度 深さ80km) M4.6 震度3 気仙沼市、登米市、大崎市、宮城美里町、名取市、岩沼市、亘理町(宮城県)、相馬市、楢葉町、新地町(福島県)
26-SEP-2023 01:39(日本時間 10:39) 4.71 127.50 M5.9 90km TALAUD ISLANDS, INDONESIA
2023年9月26日 三田市 6:26
2023年9月26日 札幌市 7:16
2023年9月26日 札幌市 7:17
2023年9月26日 三田市 12:01
2023年9月26日 三田市 12:45
2023年9月26日 三田市 15:18
2023年9月26日 三田市 15:41
2023年9月26日 三田市 16:31
2023年9月26日 三田市 17:14
2023年9月26日 三田市 17:26
2023年9月26日 三田市 17:27
2023年9月26日 三田市 17:56
2023年9月26日 三田市 17:56

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以上、地球の謎解きより。
写真は9月26日のソラ。