つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

今のうちだねと、もう1本

2019年03月28日 | 映画

4月に入れば、いろいろなことが現実として動き、

心にゆとりを持てない日が続くだろうと、

夫婦してなんとなく感じていて「観なくちゃいけない映画まだあるかなあ?」

そうだそうだと、以前札幌シネマで予告を観た

「ビリーブ 未来への大逆転」に出かけた

このところ続いていた“民族差別”“人種差別”

そしてこの映画は“男女差別”

 

映画の冒頭がとても印象的

たくさんの男性がどこかに向かっている足元を追っかけている

しばらくその風景が続いて、

バックシームの入ったストッキングをはいた女性の足元が現れる

やがてハーバード大学の入学式に出席する若い人たちの流れだとわかるが、

男ばっかりの中に、ポツンポツンと女性の姿がある

 

映画の最後の場面で4分間の反論を主人公のルースは行うのだが、

その始まりが

「私がハーバード大学に入ったとき女性用のトイレがありませんでした

でも、気にならなかった、ハーバードに入学できただけで幸せだったから」

それを聞いた時にバックシームのストッキングがふわっと浮かび上がった

 

そして、映画の途中で彼女の娘が「無視しなさい」という母親の言葉を無視し、

卑猥な言葉を投げかける男たちに毅然と言い返す

その娘の姿を見て、新しい感性があると感じる場面がある

ルース・ギンズバーグは理論で男女平等を切り開いてきた人なのだろう

現役の最高裁所判事というから、

その理論は、男性でも、女性でも、納得のできるものだと想像できる

 

これまでみたなんらかの“差別”を背景にしたもので目に付くのは、

言ってみれば謂れのない差別を受けている彼ら、

彼女らの回りに“理解者”がいることだ

今回の場合は、同業者の夫

彼は妻を理解し、協力し、この時代としては、いや今でもかもしれない、

新しいと感じる夫婦の姿を作り出している

人として尊敬しあっているからこその姿なんだろうと思う

 

人として尊敬しあえば、民族が違っても、性別が違っても、人種が違っても、

理解への道が開けるのだろう

 

白人礼賛の映画と受け止めるのは簡単だが、

議論の場で堂々と自分の考えを伝えることは、どんな人種でも必要なことだと感じた

 

 

コメント (2)
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