つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

分かりかけて来たこと

2011年12月03日 | 徒然に、

ボンノ―の人 と題された『ビンボー家の人々』の昨日の書き込みを読んで、
私の中にもそもそとあったもの、あまり愉快でないもの、わけのわからないものの糸が少しほぐれた感じがした。

それは最後の一節 ――ナチュラルメイクがノーメイクじゃないのと一緒じゃ……のう。。。

というくだり。

 

私、昨年あたりから流行っている(?) 『断捨離』 をあまり心良く思っていない。

お金を出してほしいものを買って→物が増えて→家の中の居心地が悪くなって→居心地良くするために捨てましょう!

モノへの執着から解放され・・・云々と錦の御旗のようにヨガの考え方をくっつけて、実に胡散臭いと感じてしまう。

「断捨離で暮らしやすく・・・」という言葉の裏側に、難しいことを言うと「資本主義社会に対する確固たる意識」「経済の発展をこう考える」などのしっかりした意見を持っているべきと考えてしまう・・・
だから「おうちの中をこうすると素敵でしょう」という善意の発信者にとっては、まったく意地悪な存在でいやな奴だなと自分自身も感じている。

きっと私は、そういう人たちがうらやましいんだとも思う。
「断捨離」と言って、こざっぱりと生活したいんだ。それなのにできないから、あれこれあれこれ文句を並べているのだろう。
まあ、「老前整理」 を切実に感じている身の上では僻み根性しかうまれない。
そんなおへそが天井向いた私に 「ナチュラルメイクとノーメイクは違う」というたとえは、
断捨離の整理術を受け入れる入口を見つけたような気分になった。

ナチュラルメイクノーメイク、さらにいえば手入れもしないそのまんま・・・。
そのほかに しっかりメイク舞台メイク、・・・。

そうなんだなあ……しっくりきた。 メイクと整理術は根本に同じものがあるのかもしれない。 
片づけ術をそういう風に見ると、自分がどうしたいか見えてくるような気がした。

とにかく、こういう整理術をよかれよかれと報道するマスコミがうるさい!

 

 

 

コメント (2)
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