宗恒の茶庭

「茶道 思いつくまま」や「和の美術」など

茶道の[侘び]

2017-02-10 14:03:06 | 茶道


茶道というと「わび」「さび」の世界のようにいわれますが、茶道の「わび」について、下記の和歌で表されることがあります。

武野 紹鴎は ”見渡せば花も紅葉もなかりけり うらの苫屋の秋の夕暮れ”(藤原定家)

定家の歌は何となく風景が思い描かれ、「わび」感を感じます。

一方、千 利休は ”花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや”(藤原家持)

利休は 一面雪で覆われた大地から若い柔らかい青い草が顔をのぞかせて春の息吹を感じる…それが茶の「わび」と言っています。生命力の美・・でしょうか?

草庵のわび茶をすすめてきた利休の意外な「わび」感です。しかし茶道にいろいろと新しい風を吹き込んだアバンギャルドの利休らしい解釈ともいえます。

狭い薄暗い茶室で、使われる道具は地味で渋い無地の物、床には色彩のない書の軸、花はほんの少しで蕾が珍重される…こんな設えの中、緊張感漂う点前を通じて作り出す主客の世界、こんな感じが「わび」感なのではと思います。まるで戦国時代のようですが。

茶道は人間修行の場であっても現代は修業は厳しくなく、和気藹々と楽しみながらの茶道です。
茶会では華やかな着物を着て出かけ、明るい茶室で素晴らしい道具組でもてなされ、非日常の世界を楽しみます。「わび」感はありません。

もっとも「わびの心」となると、武野紹鴎が言った《正直で慎み深くおごらぬさま》…こういう心の有り様は現代でも生かしておかなければと思います。










コメント (4)
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