白雲去来

蜷川正大の日々是口実

さまざまなこと思ひ出す桜かな。

2014-04-17 11:07:42 | インポート

四月十五日(火)晴れ。

午前中に、病院へ行くが混んでいたので診察をせずに薬だけを貰った。ついでに一時間ほど歩く。先日、目を楽しませてくれた大岡川の「花筏」も消え、葉桜になった桜の木の下をいつもの顔をした川が流れていた。

「さまざまなこと思ひ出す桜かな」とは芭蕉の句である。恩師、野村先生は、「葉桜の風の言葉は独り聴く」と詠んだ。「一人」ではなく「独り」と読むことで先生の獄中での感慨が込められているような気がする。

古くから、日本人にとって「花」と言えば桜だが、中国の漢詩には「桜」を詠んだものを見たことがない。漢詩で詠まれている春の花と言えば「梅」と「桃」、「杏」が多い。漢詩で「花」と言えば、単に作者の目に映った様々な季節の花であり、固体を指すものではない。

ふと今日が盟友であった渡邉康司氏の命日であったことを思い出した。平成の八年に四十五歳という若さで亡くなった。二年前に彼の十七回忌が行われ出席をした。JRの鴨宮という駅で降りて西湘バイパス沿いにある彼のお墓のあるお寺まで歩いて行った。海からの潮風が心地よかったことを覚えている。時が過ぎると同時に、人も去って行く。生者必滅、会者定離・・・か。

事務所に夕方までいて、帰りしなに横浜橋商店街へ寄って晩酌の肴を物色したら、手ごろな「めじまぐろ」があって購入。入浴後に、花間 一壷の酒 独酌 相親しむ無し 杯を挙げて明月を邀かえ 影に対して三人を成す。と月下独酌。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 熊さんと八さんと小保ちゃんと。 | トップ | 紅灯の緑酒に酔う。 »
最新の画像もっと見る

インポート」カテゴリの最新記事