白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『生野が生んだスーパースター文政』

2016-10-09 17:19:35 | 日記
十月七日(金)雨後曇り。

午前中は激しい雨。結局ウォーキングに出れず。二時からお世話になっている方と面談。終了後に事務所へ。フェイスブックの友人である方から新刊本が届いていた。『生野が生んだスーパースター文政-現在、男道(刑務所)にて修行(服役)中ー』(沖田臥龍著・サイゾー出版・1200+税)

関西のメッカ、大阪。その大阪の中心部、大阪市には、生野区という日本最大のコリアンタウンと代々呼ばれている街が存在する。通称、生野。日本語と同じように「アイゴ~」といった韓国語が飛び交い、世間の景気などお構いなしに、いつその地に訪れても活気が満ち溢れている。すぐ隣には、焼き肉を焼かせれば天下一の鶴橋区があり、少し歩くと目の前に大阪のスカイツリー「通天閣」がそびえ立つ。
さらにそこを抜ければ、日本で唯一暴動を巻き起こした街。最後の楽園とも呼ばれる西成へと繋がっていく。治安? 「悪いにきまっとるやろが!」である。私には、この生野という街に、兄弟の契りを交わしあった男がいる。

その兄弟分の名前は、文政(ブンマサ)。年齢は、私より二つ年上の四十三歳。出身地の生野にとどまらず、彼の名は関西のアウトロー業界でピッカピカの高級ブランドとして光り輝いている。型にはまる事を全くもってよしとしないスタイルは、正に天衣無縫。バクチと大勢の女性をこよなく愛し、暴力とやりっ放しだけで、裏社会にその名を鳴り響かせてきた。身長は、一七〇センチ程でたいして高くはない、だが、全身筋肉で覆われた肉体は九十キロを超え、押し出しだけでも見る者を圧倒する。文政は「気おくれ」という言葉を知らない。

多分、彼の辞書にそのような言葉は記されていないのだろう。誰と向き合っても決して物怖じせず、見た目とのギャップにかなりムリのあるB系のファッションに筋肉を包みながら、「なにこら、文政じやい!」で通してしまう。一般の人たちでいう、「こんにちは」くらいの挨拶と考えれば良いのではないだろうか。そしてタメロ。初対面でも大物さんが相手でもおおむねタメロなのである。無茶苦茶なように聞こえるが、それで生きてきたのだ。平成もずい分と年をくい、世の中もすっかり様変わりしてきたにもかかわらず、そのスタイルで生きてきているのだ。
愛すべき男ではないか。時代ごときに左右されず、流されも押されもしない、そんな男、文政の物語である。(前書きより)是非ご一読ください。

夜は、友人と一緒に、馬車道へ。群青忌の前夜祭でお世話になるお店を紹介されたので、下見がてらにご挨拶に行った。中々良いお店で、料理も良かった。その後サリーズバーへ転戦。十時過ぎに帰宅。
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