白雲去来

蜷川正大の日々是口実

地久節萬歳。そして群青忌。

2014-10-23 09:31:29 | インポート

十月二十日(月)晴れ。地久節、群青忌。

今日は皇后陛下の傘寿の記念の地久節。心からお祝いを申し上げます。

今日二十日は、おめでたい地久節(皇后陛下のお誕生日。ちなみに天皇陛下のお誕生日は天長節と言う)ではあるが、昭和十九年の今日、神風特別攻撃隊が編成された日でもある。野村先生は、この日を自決の日に選んだ。自決に際して同志諸兄に宛てた「檄文」「天の怒りか、地の声か」にこう書いた。

「今、私は神風特攻隊の歴史を読み返している。もちろん回天特攻隊もそうだが、あの若くして散った純粋さ、そして祖国愛に、私はただただ打たれ、心底申し訳ないと思いを深くしている。 日本に今日の平和があるのも、また繁栄があるのも、すべてこの人々の尊い犠牲の上にあることを、細川護熙よ、心して知れ! それでも若くして散ったこの人々を、『侵略者』ドロボーの手先だったと言うのか!

まず、その人々に頭を深く垂れるべきではないのか。その上で、日本の過去の何が是で、何が非であったのかを検証する。それが順序というものだ。バカにつける薬はないというが、昔の人はうまいことを言ったもんだ。いつまで極楽島のアホウ鳥でいれば気がすむのか。

私は寺山修司の
  「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
         身捨つるほどの祖国ありや」

 という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今「ある!」と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころの一つひとつに至るまで私にとっては、すべて祖国そのものである。寺山は「ない」と言った。私は「ある」と言う。それ故に、細川護熙の発言を断じて許せないのである。これは、私一人の思いではないと思う。  

 ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう。

  さだめなき世なりと知るも草莽の
            一筋の道 かはることなし」

この日を、私たちは、野村先生の遺著となった「さらば群青」から「群青忌」と命名して追悼祭を続けている。いつの日か、「群青忌」の日が、国家と民族、そして伝統や文化を見つめ直す日となってほしいと願っている。

九時前に、横浜に泊まっている社友を迎えに行く。アパホテルに集合して中華街の「安記」へ朝粥を食しに行くが生憎休み。この時間では開いている店が少ないので中華街の善隣門近くの「馬さんのお店・龍仙」へ行く。開店した当時は大して客もいなかったが、マスコミの力とは恐ろしいもので、テレビなどで取り上げられると、今では中華街の有名店の仲間入りをした。好みは皆それぞれだろうが、私は「お粥」は「安記」がカブかオイチョとすると、このお店の物はサンズン、ヨツヤ程度。他の料理も最近あちらこちらに出来ている、店の入り口に料理の写真をディスプレーしているその辺の中華料理屋とほとんど差がない。

他に開いているお店を知らないので、ここで社友とお別れ会。昼間の酒は何か後ろめたたさがあるが、午前中の酒には、昼間の酒よりも更に罪悪感が伴う。それでも札幌、新潟、茨城、福井にとそれぞれ帰る社友と杯を重ね再会を約す。解散後は事務所で一休み。

Dsc_0622 ※左から、神山さん。蜷川、福井さん、山田さん。

Dsc_0623 ※今度は、札幌の雪田さんと一緒に。

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