ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

藤井聡太の夏。あの星たちの夏

2018-06-07 08:32:52 | Weblog
こないだ「猪狩ともかさんは不幸だろうか?」というタイトルで書きましたが、両親による5歳の女の子の虐待死は痛ましいですね。世の中、不条理とはいえ本当に神様はいるのだろうかと疑いたくもなります。

さて、藤井聡太七段が竜王戦5組で優勝し、2年連続で本選出場を決めました。相手の石田五段は藤井七段の得意戦法を堂々と受けて終盤まで苦しめました。それが、かえって藤井君の終盤の能力を最大限に引き出しました。AIを超えたとまで言われる絶妙の手順を発見し、激戦をものにしました。まさに全盛期の谷川九段を彷彿とさせるような光速の寄せでした。

いよいよ、竜王戦本戦ですが、もし羽生竜王と7番勝負を戦えば、藤井さん優位と予想します。しかし、そこまで勝ち上がるのが大変です。一度も負けることが許されないですからね。初戦から強敵です。都成竜馬五段。名前からして将棋の申し子のようですが、谷川さん唯一の弟子であり、今一番勢いのある若手の一人です。ここで勝つことだけでも大変ですね。竜王戦で羽生・藤井聡太の7番勝負は見てみたいですが、今のところ現実味は薄い気がします。

藤井君は現在、高校1年生で15歳。今最も輝いている10代の一人でしょう。ここでかつて輝いた10代を少し振り返ります。高校生が輝く舞台で真っ先に思いつくのが甲子園。早実の荒木大輔投手は、藤井君と同じ高校1年の夏に、決勝まで勝ち上がる原動力となりました。横浜の愛甲猛投手と投げ合い惜しくも敗れたものの、あの背番号11の輝きは忘れられません。

それから3年後の夏、PL学園に1年生でエースと4番という天才が2人出現しました。桑田真澄と清原和博。決勝では桑田投手が完ぺきなピッチング、清原選手もライトへホームランを放ち、横浜商業を下し、全国優勝を果たしました。彼らは、その後KKコンビと呼ばれるようになり、甲子園史上、空前の記録を残し、焼けつくような記憶も残しました。

松井秀喜、高3の夏も人々に強い印象を残しました。5連続敬遠。憮然とした表情ながら黙々と一塁へ向かう松井君の姿がよみがえります。

松井選手の5連続敬遠が1992年の夏。同時期に行われたバルセロナオリンピックで水泳の平泳ぎで14歳の岩崎恭子選手が金メダル。「今まで生きてた中で一番、幸せです」。あれから4半世紀以上が過ぎ、岩崎さんに、それを上書きするような大きな幸せはあったのでしょうか。

松坂大輔投手の高3の夏は凄かった。PL学園との大激闘。決勝ではノーヒットノーラン。春夏連覇。剛速球もさることながら、綺麗に横滑りするスライダーは高校生に攻略できるものではなかったですね。あれから20年。当時の球威はなくなりましたが、変化球主体のピッチングで復活の兆しを見せています。オールスターファン投票では1位。投票している人の多くは、やはり20年前の甲子園のノスタルジアではないでしょうか。

そして2018年、藤井聡太、高校1年の夏が幕を開けました。


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