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玉葱坊主とモスクワ空港今昔 - モスクワ - 2015.07.08-13
書店の旅行本コーナーでロシア本を探しても「地球の歩き方」か「るるぶ」程度で、このあまり人気のない旅先を選んだのには理由がある。
(左)モスクワの玉葱坊主「聖ワシリー教会」 (右)サンクトペテルブルグの玉葱坊主「血の上の教会」
退職後、近隣大学の聴講を始めた初期に選択したのが、それまであまり勉強したことのないロシア文化であった。7年前のことである。聴講生は期末試験やレポート提出の義務はないのだが、ロシア正教会のあの玉葱坊主に興味があって、簡単なレポートを提出した。そのレポートが「玉葱坊主の一考察」で、私のブログにもアップした。
(アドレスは、 http://blog.goo.ne.jp/skhr0247/e/c3a0d4d515bcafa6a02514191405a903)
この時、将来必ずこれらの教会建築を見てやろうと思い、それがやっとこの夏に実現した。
(左)1981年1月機窓から撮影したシェレメーチエヴォ国際空港 (右)同 空港
さて、私が初めてモスクワに、正確にはモスクワ空港に降り立ったのが、今から35年前の1981年1月のこと。ルフトハンザ・ドイツ航空でフランクフルトに行く途中で給油のため降り立ったわけだが、当時はソ連上空を飛ぶ北回りヨーロッパ線は全てモスクワで一度降ろされていた。同様にアメリカに飛ぶ場合はアンカレッジで給油させられていた。
当時のモスクワ空港は、シェレメーチエヴォ国際空港(現ターミナルF、1980年オリンピックに向け供用開始)で、その時の様子を書いたブログによると、
「駐機場への移動の間に見えるターミナルビルは、どこかくすんだ感じの中に赤い色だけが異様に鮮烈である。見慣れぬ赤く塗装された飛行機も共産圏という先入観を掻き立てるに相応しい小道具となっている。給油の間の約1時間は、ロビーで待てという。通常貴重品は携帯するよう指示されるが、ここではカメラは携帯しないほうが良いらしい。
なにはともあれ、狭い機内から開放された人々は広いトイレで用を足したいのが人情。しかし、数ヶ月前にオリンピックを終えたはずの空港ではあるが、まともな便器が半数とない。しかも、照明は薄暗く、閑散としたビル内に銃を肩にした警察か、軍隊か知らないが、コツコツ足音を響かせて巡回する様は、非常な圧迫感をツーリストに与えるものである。ロビーの売店には、重厚かつ実用的な毛皮製品、ウオッカ、タバコ、民芸品等が何の飾りもなく置いてある。2人の女性従業員は積極的に売るでもなく、ただただツーリストのリクエストに応じて通貨両替に余念がない。
総じて暗いイメージの空港は、長い重い厳しい冬のなせる業だけでもなさそうな気がする。乗務員交代で当地に留まるはずのルフトハンザの若いスチュアデス始め、ほとんどの乗務員が何故か機内一番後方座席に私服で乗ってフランクフルトへ向かう。聞くと、「ここには泊まりたくない」。それほどにモスクワとフランクフルトは近くて遠いのである。」
⇔1992年7月のシェレメーチエヴォ国際空港
その11年半後の1992年7月、再びシェレメーチエヴォ国際空港に降り立って見た驚きを当時のブログに書いている。
「ここが本当にモスクワかと疑いたくなる様相である。まず、目に飛び込んでくるのが「Duty Free Shop」の鮮やかな色彩の看板。外貨獲得のために色とりどりの多彩な西側商品が所狭しと並んでいる。値段は多少高い気がするが、ロシア土産にと手頃な10~20$程度の商品が結構売れている。レジに座るロシア娘までが明るい制服に身を纏い、笑顔を絶やさない。ちょっと奥まった所には何と!日本のうどん屋まであるではないか。
経済の自由化は、ここ空港では西側とほとんど変わらないが、市内では勤労者の平均月収2000ルーブルの厳しい物不足の生活が続いていると言う。前回のフライトでは、誰も降りたがらない当地であったが、今回は当地での乗り換え客が沢山あったことを見ても、身近な存在になったことが窺い知れる。ペレストロイカ、それは10年後のロシアをどのように変えていくのだろうか?」
(左・中)老朽化に伴う新国際空港窓口のドモジェドヴォ国際空港 (右)乗り継ぎ便のシベリア航空(参考写真)
そして、今回のモスクワ空港。空港は新しい玄関口として整備されているドモジェドヴォ国際空港に変わったが、もはやどの先進国の空港と何ら変わらない賑わいと設備で、この後の国内観光を期待させるものであった。
(左)シベリア航空機 (中)搭乗券(13D⇒1D席に変更)とラウンジ券 (右)ワインリストの一部(私には無縁のリストだが)
今回のツアーは、関空からではなく成田からモスクワへのJAL直行便利用である。関空からはソウル経由便があるが、お隣韓国は今伝染性ウイルス病で混乱しているためそれを避けての出発である。ツアーは、サンクトペテルブルグからスタートするので、ドモジェドヴォ国際空港で入国後、シベリア航空(S7ロゴ)のフライトに乗りかえる。S7はJALグループと同じワンワールドメンバー航空会社ということで、JGC・サファイアの小生は座席と機内サービスがアップグレードされ、得した気分でサンクトペテルブルグに向かった。
玉葱坊主とモスクワ空港今昔 - モスクワ - 2015.07.08-13
書店の旅行本コーナーでロシア本を探しても「地球の歩き方」か「るるぶ」程度で、このあまり人気のない旅先を選んだのには理由がある。
(左)モスクワの玉葱坊主「聖ワシリー教会」 (右)サンクトペテルブルグの玉葱坊主「血の上の教会」
退職後、近隣大学の聴講を始めた初期に選択したのが、それまであまり勉強したことのないロシア文化であった。7年前のことである。聴講生は期末試験やレポート提出の義務はないのだが、ロシア正教会のあの玉葱坊主に興味があって、簡単なレポートを提出した。そのレポートが「玉葱坊主の一考察」で、私のブログにもアップした。
(アドレスは、 http://blog.goo.ne.jp/skhr0247/e/c3a0d4d515bcafa6a02514191405a903)
この時、将来必ずこれらの教会建築を見てやろうと思い、それがやっとこの夏に実現した。
(左)1981年1月機窓から撮影したシェレメーチエヴォ国際空港 (右)同 空港
さて、私が初めてモスクワに、正確にはモスクワ空港に降り立ったのが、今から35年前の1981年1月のこと。ルフトハンザ・ドイツ航空でフランクフルトに行く途中で給油のため降り立ったわけだが、当時はソ連上空を飛ぶ北回りヨーロッパ線は全てモスクワで一度降ろされていた。同様にアメリカに飛ぶ場合はアンカレッジで給油させられていた。
当時のモスクワ空港は、シェレメーチエヴォ国際空港(現ターミナルF、1980年オリンピックに向け供用開始)で、その時の様子を書いたブログによると、
「駐機場への移動の間に見えるターミナルビルは、どこかくすんだ感じの中に赤い色だけが異様に鮮烈である。見慣れぬ赤く塗装された飛行機も共産圏という先入観を掻き立てるに相応しい小道具となっている。給油の間の約1時間は、ロビーで待てという。通常貴重品は携帯するよう指示されるが、ここではカメラは携帯しないほうが良いらしい。
なにはともあれ、狭い機内から開放された人々は広いトイレで用を足したいのが人情。しかし、数ヶ月前にオリンピックを終えたはずの空港ではあるが、まともな便器が半数とない。しかも、照明は薄暗く、閑散としたビル内に銃を肩にした警察か、軍隊か知らないが、コツコツ足音を響かせて巡回する様は、非常な圧迫感をツーリストに与えるものである。ロビーの売店には、重厚かつ実用的な毛皮製品、ウオッカ、タバコ、民芸品等が何の飾りもなく置いてある。2人の女性従業員は積極的に売るでもなく、ただただツーリストのリクエストに応じて通貨両替に余念がない。
総じて暗いイメージの空港は、長い重い厳しい冬のなせる業だけでもなさそうな気がする。乗務員交代で当地に留まるはずのルフトハンザの若いスチュアデス始め、ほとんどの乗務員が何故か機内一番後方座席に私服で乗ってフランクフルトへ向かう。聞くと、「ここには泊まりたくない」。それほどにモスクワとフランクフルトは近くて遠いのである。」
⇔1992年7月のシェレメーチエヴォ国際空港
その11年半後の1992年7月、再びシェレメーチエヴォ国際空港に降り立って見た驚きを当時のブログに書いている。
「ここが本当にモスクワかと疑いたくなる様相である。まず、目に飛び込んでくるのが「Duty Free Shop」の鮮やかな色彩の看板。外貨獲得のために色とりどりの多彩な西側商品が所狭しと並んでいる。値段は多少高い気がするが、ロシア土産にと手頃な10~20$程度の商品が結構売れている。レジに座るロシア娘までが明るい制服に身を纏い、笑顔を絶やさない。ちょっと奥まった所には何と!日本のうどん屋まであるではないか。
経済の自由化は、ここ空港では西側とほとんど変わらないが、市内では勤労者の平均月収2000ルーブルの厳しい物不足の生活が続いていると言う。前回のフライトでは、誰も降りたがらない当地であったが、今回は当地での乗り換え客が沢山あったことを見ても、身近な存在になったことが窺い知れる。ペレストロイカ、それは10年後のロシアをどのように変えていくのだろうか?」
(左・中)老朽化に伴う新国際空港窓口のドモジェドヴォ国際空港 (右)乗り継ぎ便のシベリア航空(参考写真)
そして、今回のモスクワ空港。空港は新しい玄関口として整備されているドモジェドヴォ国際空港に変わったが、もはやどの先進国の空港と何ら変わらない賑わいと設備で、この後の国内観光を期待させるものであった。
(左)シベリア航空機 (中)搭乗券(13D⇒1D席に変更)とラウンジ券 (右)ワインリストの一部(私には無縁のリストだが)
今回のツアーは、関空からではなく成田からモスクワへのJAL直行便利用である。関空からはソウル経由便があるが、お隣韓国は今伝染性ウイルス病で混乱しているためそれを避けての出発である。ツアーは、サンクトペテルブルグからスタートするので、ドモジェドヴォ国際空港で入国後、シベリア航空(S7ロゴ)のフライトに乗りかえる。S7はJALグループと同じワンワールドメンバー航空会社ということで、JGC・サファイアの小生は座席と機内サービスがアップグレードされ、得した気分でサンクトペテルブルグに向かった。
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