SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
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グリーグ没後100周年特集(その4 歌曲集編)

2007年02月15日 00時15分05秒 | 声楽・宗教曲関連
★グリーグ:《歌曲集》
                  (演奏:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(Ms)
                        ベンクト・フォシュベリ(P))
1.《山の娘》作品67 アーネ・ガーボルグの詩による歌曲集
2.6つの歌 作品48
3.ヘンリク・イプセンの6つの詩による歌曲 作品25から
   第2曲:白鳥
   第4曲:睡蓮に寄せて
4.ヨン・パウルセンの5つの詩による歌曲 作品26から
   第1曲:希望
5.オスムン・オラヴソン・ヴィニエの詩による12の旋律集 作品33から
   第2曲:春
6.ヴィルヘルム・クラーグの5つの詩による歌曲 作品60から
   第3曲:待ちながら
7.7つの子供の歌 作品61から
   第3曲:叫び声(農場の歌)
8.オスムン・オラヴソン・ヴィニエの詩による12の旋律集 作品33から
   第5曲:流れに沿って
9.ロマンス集 作品39から
   第1曲:モンテ・ビンチョから
10.アンデルセンの詩による《心の旋律集》 作品5から
   第1曲:ふたつの茶色の眼
   第3曲:きみを愛す
11.ホルゴ・ドラグマンの6つの詩による歌曲 作品49から
   第6曲:春の雨
                  (1992年録音)

ドイツ・グラモフォンの看板メゾのオッターですが、バルトリと並んで現代最高のメゾ・ソプラノ歌手なんでしょうね。
これはグリーグの生誕150周年を記念してDGが“グリーグ・エデイション”をして何セットか出したもののうちのひとつ(7番目)です。
このころまでのDGのジャケットは、イエローレーベルの名のとおり黄色い看板にタイトルとパフォーマーが書き込まれているもの。これはこれで統一が取れており私はとても気に入っておりました。
言いたいことは、グリーグエディションは“ムンク”の絵をジャケットにすることに決めていたので、トップが冒頭写真のような絵になっているということです。

まぁ、名画っちゃ名画なんでしょうから文句をつける筋合いではないのですがどうなんでしょうねぇ~?

ちなみにジャケ裏の写真は↓のとおりです。


ノルウェーって感じがするじゃぁありませんか!
まぁ生誕150年とかでもないと、メジャーレーベルがこのような選曲で看板アーティストのアルバムを作ったりしないのかもしれませんから、とことんまで“エディション”の作りになってしまっているのは致し方ないのかもしれません。
装丁の話はこれくらいにして・・・と。

私はいわゆるリートのCDを殆ど持っていません。なぜなら聴かないから!!
宗教曲は少しは聴くのですが・・・。
で、なんで持っているかというと、レコ芸の小林先生と菅野先生の“話題のディスクを最新のオーディオで聴く”のテーマディスクだから・・・です。

今回この記事のために5回周りぐらいこのディスクを聴いて思うのは、オッターは歌がうまい!
当たり前か・・・。
いつも聴かないと言いながら、これは少し聴き始めると“常習性”というか中毒になるかもしれないと本気で思いました。
これは媚薬なんてもんじゃありません。麻薬級ですね。

“山の娘”は8曲の連作歌曲集ですが、とくにその8曲目の一筋の光明にも喩えるべき透明な音楽、リリシズムというのは滅多に聴けるものではないと思います。
そしてオッターに勝るとも劣らないパフォーマンスを聴かせるのが、ピアノのフォシュべりです。
こっちはいつも聴いている楽器ですから、いきおい“チェックします耳”で聴いてしまいがちなのですが、リートの場の雰囲気を作りながら決してその歌の影に埋もれてしまわないというバランスは素晴らしいと思います。
また自己主張の意志はつゆほども感じさせないで、わずかなタッチのニュアンスの差でがらっと情景を変えてしまうところなどお見事であります。

歌手がいるからこそ、逆にそういうことが出来るのかもしれませんけどね。
共同でステキな時空間を創出するというのは、とても楽しい作業であるのかもしれません。

ところで、かのマルタ・アルゲリッチはあれほど多士済々の器楽演奏家と共演しているにもかかわらず、リートの伴奏をしているという話を聞いたことがありません。
もちろん私が知らないだけなのかもしれませんが・・・。
ブレンデルもコワセヴィチもシフだって伴奏をしているのにね。
オッターのパフォーマンスを聴いて思うのは、もしかしたらアルゲリッチも敵ではないかもしれないということ。

アルゲリッチは伴奏に甘んじることをよしとしないだろうし、グリッサンドも音量の漸増・漸減も自在で、意味ある言葉まで載せて奏でられてしまう“ヴォイス”には、さしもの彼女のピアノといえども旗色が悪いと思っているのかもしれません。
人格者ではあるけれども負けず嫌いの彼女には、ちょっと楽しみにくいジャンルなのかもしれませんね。

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