★ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第4番、ピアノ・ソナタ 第30番・第31番
(演奏:エレーヌ・グリモー(p)、クルト・マズア指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック)
1.ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58
2.ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 作品109
3.ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110
(1999年録音)
先だって「アイリーン・ジョイスの再来か?」みたいな感じでゴウラリ嬢によるベートーヴェンの第3番のコンチェルトの盤の記事を掲載しました。
そしてネット上の新譜予告で、このグリモーによる“皇帝”のディスクがあるのを見てムショーに聴きたくなって掘り出したのがこれ。(^^)/
今やドイツ・グラモフォンに移籍してラン・ランなどと共に看板ピアニストとなった感のあるエレーヌ・グリモー。
彼女がテルデックに残したディスクの数々にはブラームスの独奏曲集、ラフマニノフの第2番のコンチェルトなどなど、名盤としてたやすく指折れるものが少なくありませんが、私が最も愛聴したというべきものはこのベートーヴェンのト長調コンチェルトなのであります。
ベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲の中では、実はぶっちぎりでこれがいちばん好きなのです。
そして、数多あるこの曲の名演奏のうちでもツィメルマン/バーンスタイン盤と並んで、最も私の好みにあっているのがこのグリモー盤なのであります。
先に述べたいきさつで久しぶりに聴いたんですが・・・やっぱりいいですねぇ~。(^^)/
本格派の演奏でありながら、全然いかめしくない。
最初から最後まで、あるべき音があるべき姿でそこで鳴っているというべき、まことに据わりのいい演奏だと思います。。
マズアの指揮も本当に曲調にマッチしていて、概ね穏やかでありながらちゃんと張り出すところは張り出しているし、ある意味おおらかなサウンドのニューヨーク・フィルであること、さらには観客を前にしたライヴ録音だということも幸いしているのではないでしょうか?
もしもドイツのオケを振っていたら、こんなに幸福感にあふれたツケはできなかったように思います。
グリモーのピアノに戻りましょう。
第1楽章、ピアノ独奏から始まるこのコンチェルトですが妙に畏まることもなく、自然体でスタートすることができています。
安定した演奏でリラックスしたムードを維持して中庸を行きますが、やや明るめ、やや華やぎがあることなどにより聴き手を幸せにしてくれるのです。
さりながら、最初に本格派といったとおり全くダレたところがない・・・しっかりと弾き上げられています。
若手の女流による演奏らしいと言われればそうですが、そんなことはこの演奏を聴いたときにはいささかも問題ではありません。
だって、聴いてて気持ちいいんだもん。。。(^^)/
これがすべてですね。
第2楽章でも、もしかしたら中間の不安定な心境を表しているような楽句への踏み込みが甘いという声を上げる余地はあるかもしれませんが、そんなことはやはりたいした問題ではない・・・。
だって、聴いてて気持ちいいんだもん、なのです。
情感の表現はさっぱりしていますが、その爽やかな感受性で何を受け止めているかは感覚的によく伝わってきますし、楽章終了間際の第3楽章への含みを持たせた場面の空気がまことに相応しくコントロールされているさまには、脱帽するしかありませんね。
そして第3楽章が弱音で蠢き始めてほどなくオケの合奏との掛け合いになる場面、オケを向こうにまわしてピアノを鳴らしきって応じているのですが、これも全く余計な力が入っていない状態で緩みのない多幸感(愉悦感とまではいかないよね~)を弾き表せてしまっているのがステキです。
そして曲の終わりに至っても、なんの衒いもなく、なんの勿体をつけることもなく弾き切ってしまって爽快そのものです。
やはり、記憶に残っていたとおりの気持ちいい演奏でしたね。
併録されているピアノ・ソナタ第30番、第31番も、リラックスして楽しむべき、やや華やぎのある演奏であるとお伝えしましょう。
感想のほうが大袈裟になってしまうかもしれませんが、「これぞ、王道」であると思います。
しっかりと弾きあげられた演奏でありテンポの設定やアーティキュレーション、フレージングなどの処理に何一つ中庸でないものはありません。
そうであってもなお、亜流に堕さないばかりか、ナヨナヨしたようなところは皆無だし、音色は美しいし・・・ホメ言葉を挙げればこれも枚挙に暇がないでしょう。
純粋に現代ピアノ(スタインウェイ)の音色を生かして、生気にあふれた感興をその響きに託して歌い上げる。。。
作品109の第3楽章、変奏のクライマックスに至ってはじわじわ盛りあげていった到達点として目くるめく音世界を演出しても見せてくれるし、その後の曲の終わりに繋がる弱音のフレーズとの対比にため息をついて聴き入るうちに気持ちよくしじまに消えていく・・・というイメージです。
続く作品110番がまたその余韻を受けて、さりげないながら生気に満ちた出だしから心地よく盛り上がっていくんですよねぇ~。
何のムリもなくとにかくスムーズに曲が進行していく・・・。
ピアニストにとってはきっと熟考のうえの解釈なんでしょうが、聴き手には「素直がいちばん」と思わせる弾きぶりであります。
他の演奏が、これを聴くと「何を考えすぎてるんだろう?」と思わされるぐらい晴朗で心の中から元気が沁みだしてくるように感じられてしまいます。
潤いも輝きもある音色で、嘆きの歌からフーガを経て築かれる音響の大伽藍までとにかく爽快で気持ちいい・・・。
いつもなら最後の大伽藍は限りなく壮大に盛りあげて欲しいと願うのが常なのに、この演奏の展開からすれば絶妙な過不足ない押しの強さに、また中庸の美をみてしまって・・・。
これじゃ何の説明にもなっていないかもしれませんが・・・。(^^;)
さてさて、このディスクのジャケット内側に、グリモーは自身の狼との生活風景を写したフォトを載せています。
本当に幸せそうな屈託のない笑顔に満ちたピアニストの姿がそこにあります。
自身のライフワークを実践できていることへの満足感と、ほどよい使命感みたいなものが演奏にも反映していると感じさせられる点で、非常に秀逸なジャケットのコンセプトだと思いました。
この盤は、彼女が狼との生活を通しての活動で自然との共生や保護を訴えかけていたはしりの時期に製作されたアイテムだったんですね~。
どうりで見事なまでに最初から最後まで、気持ちよく幸せな感覚を表現し、それを維持し続けて・・・果たして最後まで幸せな感覚のまま終わるこのディスク。
「いつかは、演奏中のどこかで何かが起こって緊張が走るのではないか!?」
聴き手(少なくとも私)はこんな勝手な緊張感を抱きながら聴き続けるのですが、果たしてこのうえない幸せな気持ちに満たされたまま聴き終えることになってしまいます。
すべからく、大いなる充足感を残して・・・。
幸せを阻害する何かが今に「来るぞ・・・来るぞ、来るぞぉ~」と思いつつ、終には来ない有様をお察しいただければタイトルの意味もわかっていただけるでしょう・・・。(^^;)
そう・・・。
グリモーはやっぱり“狼少女”だったんです!!(^^)/
(演奏:エレーヌ・グリモー(p)、クルト・マズア指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック)
1.ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58
2.ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 作品109
3.ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110
(1999年録音)
先だって「アイリーン・ジョイスの再来か?」みたいな感じでゴウラリ嬢によるベートーヴェンの第3番のコンチェルトの盤の記事を掲載しました。
そしてネット上の新譜予告で、このグリモーによる“皇帝”のディスクがあるのを見てムショーに聴きたくなって掘り出したのがこれ。(^^)/
今やドイツ・グラモフォンに移籍してラン・ランなどと共に看板ピアニストとなった感のあるエレーヌ・グリモー。
彼女がテルデックに残したディスクの数々にはブラームスの独奏曲集、ラフマニノフの第2番のコンチェルトなどなど、名盤としてたやすく指折れるものが少なくありませんが、私が最も愛聴したというべきものはこのベートーヴェンのト長調コンチェルトなのであります。
ベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲の中では、実はぶっちぎりでこれがいちばん好きなのです。
そして、数多あるこの曲の名演奏のうちでもツィメルマン/バーンスタイン盤と並んで、最も私の好みにあっているのがこのグリモー盤なのであります。
先に述べたいきさつで久しぶりに聴いたんですが・・・やっぱりいいですねぇ~。(^^)/
本格派の演奏でありながら、全然いかめしくない。
最初から最後まで、あるべき音があるべき姿でそこで鳴っているというべき、まことに据わりのいい演奏だと思います。。
マズアの指揮も本当に曲調にマッチしていて、概ね穏やかでありながらちゃんと張り出すところは張り出しているし、ある意味おおらかなサウンドのニューヨーク・フィルであること、さらには観客を前にしたライヴ録音だということも幸いしているのではないでしょうか?
もしもドイツのオケを振っていたら、こんなに幸福感にあふれたツケはできなかったように思います。
グリモーのピアノに戻りましょう。
第1楽章、ピアノ独奏から始まるこのコンチェルトですが妙に畏まることもなく、自然体でスタートすることができています。
安定した演奏でリラックスしたムードを維持して中庸を行きますが、やや明るめ、やや華やぎがあることなどにより聴き手を幸せにしてくれるのです。
さりながら、最初に本格派といったとおり全くダレたところがない・・・しっかりと弾き上げられています。
若手の女流による演奏らしいと言われればそうですが、そんなことはこの演奏を聴いたときにはいささかも問題ではありません。
だって、聴いてて気持ちいいんだもん。。。(^^)/
これがすべてですね。
第2楽章でも、もしかしたら中間の不安定な心境を表しているような楽句への踏み込みが甘いという声を上げる余地はあるかもしれませんが、そんなことはやはりたいした問題ではない・・・。
だって、聴いてて気持ちいいんだもん、なのです。
情感の表現はさっぱりしていますが、その爽やかな感受性で何を受け止めているかは感覚的によく伝わってきますし、楽章終了間際の第3楽章への含みを持たせた場面の空気がまことに相応しくコントロールされているさまには、脱帽するしかありませんね。
そして第3楽章が弱音で蠢き始めてほどなくオケの合奏との掛け合いになる場面、オケを向こうにまわしてピアノを鳴らしきって応じているのですが、これも全く余計な力が入っていない状態で緩みのない多幸感(愉悦感とまではいかないよね~)を弾き表せてしまっているのがステキです。
そして曲の終わりに至っても、なんの衒いもなく、なんの勿体をつけることもなく弾き切ってしまって爽快そのものです。
やはり、記憶に残っていたとおりの気持ちいい演奏でしたね。
併録されているピアノ・ソナタ第30番、第31番も、リラックスして楽しむべき、やや華やぎのある演奏であるとお伝えしましょう。
感想のほうが大袈裟になってしまうかもしれませんが、「これぞ、王道」であると思います。
しっかりと弾きあげられた演奏でありテンポの設定やアーティキュレーション、フレージングなどの処理に何一つ中庸でないものはありません。
そうであってもなお、亜流に堕さないばかりか、ナヨナヨしたようなところは皆無だし、音色は美しいし・・・ホメ言葉を挙げればこれも枚挙に暇がないでしょう。
純粋に現代ピアノ(スタインウェイ)の音色を生かして、生気にあふれた感興をその響きに託して歌い上げる。。。
作品109の第3楽章、変奏のクライマックスに至ってはじわじわ盛りあげていった到達点として目くるめく音世界を演出しても見せてくれるし、その後の曲の終わりに繋がる弱音のフレーズとの対比にため息をついて聴き入るうちに気持ちよくしじまに消えていく・・・というイメージです。
続く作品110番がまたその余韻を受けて、さりげないながら生気に満ちた出だしから心地よく盛り上がっていくんですよねぇ~。
何のムリもなくとにかくスムーズに曲が進行していく・・・。
ピアニストにとってはきっと熟考のうえの解釈なんでしょうが、聴き手には「素直がいちばん」と思わせる弾きぶりであります。
他の演奏が、これを聴くと「何を考えすぎてるんだろう?」と思わされるぐらい晴朗で心の中から元気が沁みだしてくるように感じられてしまいます。
潤いも輝きもある音色で、嘆きの歌からフーガを経て築かれる音響の大伽藍までとにかく爽快で気持ちいい・・・。
いつもなら最後の大伽藍は限りなく壮大に盛りあげて欲しいと願うのが常なのに、この演奏の展開からすれば絶妙な過不足ない押しの強さに、また中庸の美をみてしまって・・・。
これじゃ何の説明にもなっていないかもしれませんが・・・。(^^;)
さてさて、このディスクのジャケット内側に、グリモーは自身の狼との生活風景を写したフォトを載せています。
本当に幸せそうな屈託のない笑顔に満ちたピアニストの姿がそこにあります。
自身のライフワークを実践できていることへの満足感と、ほどよい使命感みたいなものが演奏にも反映していると感じさせられる点で、非常に秀逸なジャケットのコンセプトだと思いました。
この盤は、彼女が狼との生活を通しての活動で自然との共生や保護を訴えかけていたはしりの時期に製作されたアイテムだったんですね~。
どうりで見事なまでに最初から最後まで、気持ちよく幸せな感覚を表現し、それを維持し続けて・・・果たして最後まで幸せな感覚のまま終わるこのディスク。
「いつかは、演奏中のどこかで何かが起こって緊張が走るのではないか!?」
聴き手(少なくとも私)はこんな勝手な緊張感を抱きながら聴き続けるのですが、果たしてこのうえない幸せな気持ちに満たされたまま聴き終えることになってしまいます。
すべからく、大いなる充足感を残して・・・。
幸せを阻害する何かが今に「来るぞ・・・来るぞ、来るぞぉ~」と思いつつ、終には来ない有様をお察しいただければタイトルの意味もわかっていただけるでしょう・・・。(^^;)
そう・・・。
グリモーはやっぱり“狼少女”だったんです!!(^^)/
コメントありがとうございました。(^^)/