SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

アルゲリッチの秘蔵っ子

2007年08月30日 00時00分00秒 | ピアノ関連
★リスト・リサイタル
                  (演奏;ポリーナ・レスチェンコ)
1.J.S.バッハ / リスト:前奏曲とフーガ イ短調 S.462
2.J.S.バッハ/ブゾーニ:シャコンヌ
3.グノー / リスト:ファウストのワルツ S.407
4.リスト:ピアノソナタ ロ短調 S.178
                  (2007年録音)

ジャケットでご覧のとおりの麗人、ポリーナ・レスチェンコ嬢のデビューCDであります。
いきなりSACDのハイブリッド盤で発売されるなど、期待の大きさが窺い知れますよね。
それもそのはず、彼女はあのマルタ・アルゲリッチの秘蔵っ子といわれています。そういわれると、どことなく容姿からもアルゲリッチを連想させるものがあると思いません!?(^^;)

そして、私がCDを一聴したうえでこの2人の関係を敢えて表現するならば“クラブ・アルゲリッチのちーママ”ってところでしょうか?
ただ“Wild&Toughさ”だけを採り上げれば、やはり“ちーママ”は“ママ”の敵ではありません。
アルゲリッチは聴き手に考えさせる余地を与えないうちに、聴き手のすべてをわしづかみにして持ち去ってしまうことができるピアニストです(・・・と断言^^)。
翻ってレフチェンコがそこまでスーパーかというと、どうしてもそうとまでは言えないでしょう。(^^;)

ですが、2人には非常に似通った“テイスト”・・・言葉を変えれば“雰囲気”を感じるところもあり、レフチェンコ嬢独自の流儀もちゃんとあると思えるのが興味深いところであります。

まず音を聴く以前に“ちーママ”は内ジャケットで、のゎんとこんなことまでできちゃうのです。(^^)/
                  

オヤジ狩りを怖れるオヤジ世代としては、ホンネでは「騙されてもいい」と思いつつも一応年配者の身だしなみとして、こういう写真を見ると「ノラネコにはダマされるまい!」と一度はいうことにしておいた方が身のためだということを知っています。


いくらアルゲリッチの肝いりだからといって、まずは自らの耳でしっかり内容を聴きホンモノかどうか見極めなくてはならぬ!!!


小沢昭一さんの“ナントカおとうさん”みたいになってきましたが・・・。(^^;)
ディスクの内容をご紹介したいと思います。
もちろん、CDのディスクですからステレオの陰からピアニストの“オミアシ”が見え隠れするなんてことはありませんよ。

いつも以上に厳密にあら捜ししてやるのぢゃ~!!

というわけで、レスチェンコ嬢が何者だとしてもディスクを世に問うている立場の女性なわけですから、騙されるも何もまずはCDの“オト”を論じないことには話になりません。

で、私は4回まわり続けて聴き入ってしまいました。
これは高橋多佳子さんのディスク以来のことであり、私としても異例のことであります・・・他のディスクが聴けなくなっちゃいますもんねぇ~。

その結果からお察しいただけると思いますが、率直に言ってレスチェンコはアルゲリッチが見込むだけの逸材であり、“天才”・・・少なくともその原石と言って差し支えないピアニストであると言い切っちゃいましょう。
彼女にはいろんな特徴がありますが、さまざまなパターンの音のカーテンを作り出し、それを駆使して聴き手を幻惑する能力を武器とするピアニストであると定義しておきましょうかね。(^^;)

以前アルゲリッチが天才と評したピアニストといえば、ポゴレリチがいますよね・・・。
これは興味深いところですが、ここでも似たフィーリングを感じる側面があります。
それは解釈面に顕著ですが、一言で言うと『確信犯であること』です。ただレスチェンコ嬢のほうがしたたかと言えるかもしれません・・・。
というのは、ポゴレリチに感じられる“あざとさ”がレスチェンコ嬢にはない・・・否、ないわけではないのですが柔軟性のあるしなやかな演奏ぶりにより、そのように思われにくくなるよう“隠蔽”しています。
しようとしている・・・のではなく、隠し切っているのです。

その解釈のイメージを実際にオトに変えることが出来るという技術面に関しては、いずれの演奏ぶりにもただただ感服する他ありませんが。。。


もう一人、私が個人的にこの演奏ぶりを聴いていて思い起こした人がいます。

“シャラポワ”です。(^^)/

涼しげにダイタンな演奏を展開しているように見えて、その実このディスクには強音を生み出すためにレスチェンコ嬢がピアノに全体重をかけるかのように踏み込んでいる“演奏ノイズ”も隠されることなく収録されています。それも何度となく・・・。
それはシャラポワがレシーブするときに、渾身の気合を込めているようなサウンドに聞かれます。
“演奏ノイズ”さえも味方にしてしまうなんて、まさに天才・・・なのかもしれません。(^^;)


これからは個々の演奏について記していきましょうか・・・。
まず、バッハの“前奏曲とフーガ”ですが、バッハであるにもかかわらず必要以上に神々しくありません。聴き手が圧倒されて恐れ入るしかないような雰囲気でなく、呼吸が苦しくならないところがよいですねぇ~。
フーガの終盤なんて生半可に弾かれたらこれほどつまらないものはないという曲調であるはずですが、ずっと引き込まれて聴いていられる・・・このことひとつとっても、とんでもない演奏の完成度であると気づかされるのです。
おそらくレスチェンコはこのディスクに快心の演奏を収めえたと手ごたえを感じていると思いますが、先の「演奏の完成度」とは、解釈の綿密さ、計算の確かさ、それを実現する技術の完全性、それを実現するだけの準備の抜かりなさまで含めてほぼ完璧な仕上がりなんじゃないでしょうか?

続く“シャコンヌ”“ファウストのワルツ”も非常に華のある演奏で、楽しく聴きとおすことができます。
速いパッセージでの爪弾きとか、ごく短く切り取られたメロディー内の音にアルゲリッチの面影がありますね。
クライマックスへ登りつめていく過程、ペダルを開放気味に輝きや潤いにあふれた音を連ねていくところ・・・この音色コントロールは見事の一言につきます。


メインのプログラムである“ロ短調ソナタ”、これは今までに断じて聴いたことがない演奏です。
しなやかで自然な佇まいでありながら、レスチェンコはアゴーギグ、デュナーミク、タッチはもちろんペダルワークなどすべてを駆使して聴き手の時空を捻ってもみせてくれるのです。
その企みは聴いていて“ヤプール”の異次元に連れ込まれたかと思うほど、拍節の中で自由自在に伸縮させられるフレージングによって試されています。

この他、この曲に頻出する大音量の不協和音にはホントにこんな音が混ぜられていたのかと思わずにはいられない音の強調、オクターブ下の低音を加えたんじゃないかと思われる響き・・・など発見が尽きません。

大音量と弱音部分を対比しながらの速いパッセージを繰り出した時など、レスチェンコの幻惑技は無比の切れ味を発揮しています。
曲を通してネコの目のように変化する場面転換の鮮やかさときたら・・・背景と前景の入れ替えなんて造作もないこと、背景に前の音を残すのか溶け込ませるのか綿密に計算されているのでしょうが当たり前のようにスムーズに表現されているのです。

繰り返しのフレーズで表情を変えることは常套手段ですが、レスチェンコの場合「同じことは二度としない」というほどに違います。
そうそう、テヌートのかけ方の加減にしてもおそろしく精妙なグラデーションが感じられるんですよね。

多くの特長を書き連ねてきましたが敢えて難点を指摘すると、それぞれのとんでもない技巧や工夫が余りにも鮮やかにいっぱい決められてしまっているために、ひとつひとつの技の重みが軽くなってしまっていること・・・ぐらいでしょうか?

このリサイタルの更にニクイところはこの“ロ短調ソナタ”で終わっていること。
最弱音による和音が虚空に消えていくさまは、大曲4曲とはいえ奏楽自体は目まぐるしいプログラムの喧騒のすべてが浄化されていくかのようです。
この点からも、まさにレスチェンコに相応しいリサイタルだったな・・・と思えます。


さあ、ここまで書いてきましたけど、オヤジの私はやはり“ノラネコ”によって何か騙されているんでしょうか?(^^;)

最後に、裏ジャケットのフォトを・・・。


アンニュイにうつむいた表情・・・もう騙されても本望ぢゃぁぁぁぁ~。(^^)v

最新の画像もっと見る

コメントを投稿