★ランバート・オーキス・プレイズ・ベートーヴェン
(演奏:ランバート・オーキス)
1.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタヘ短調 作品57 「熱情」
2.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタヘ短調 作品57 「熱情」
3.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタヘ短調 作品57 「熱情」
(2003年録音)
今年はベートーヴェンの熱情が出版されてから200周年であります。
当初は先ごろ手に入れたこのディスクを記念年の特集記事にと思っておりましたが、長岡純子さんのディスクで杮落としをしてしまいましたので・・・。
しかし、本命中の本命の1枚が登場するということです。
なにゆえにタイトルで“ハタ坊化”しているかはプログラムを見ていただければ判りますよね。(^^;)
これ間違いじゃないっすよ!
3種類の時代や特性が違うピアノを使って“熱情ソナタ”を弾き比べてみるので、聞き比べてミソという趣向のディスクなんです。
つまり、
1回目:トーマス&バーバラ・ヴォルフ製作のフォルテピアノ
2回目:ベーゼンドルファー・インペリアル・コンサート・グランド(現代ピアノ)
3回目:R.J.リギア製作のフォルテピアノ
もう少し解説すると、1回目はベートーヴェンの知人ナンネッテ・シュトライヒャーによる1814-1820年頃楽器のレプリカ(フォルテピアノ)、2曲目はもちろん現代ピアノ、3曲目は1830年頃のウィーン・モデルのフォルテピアノのレプリカで演奏されているのです。
私は、こういうマニアックなひとだぁ~い好きです。(^^)/
いやぁ伊達にムター姐の伴奏をしている御仁ではないですな。筋金入りじゃああ~りませんか!
こういったディスクが出てくると、あの(ムター姐のダンナの)老プレヴィンをして「彼に出来ないことはない」と言わしめていることも納得ですね。
「彼にできないことはない」なんて、ウルトラマンが(ハヤタ隊員だった)黒部進さんに言われたことがある程度で、他には聞かないですもんね。
それぐらい希少価値のあるホメ言葉じゃないでしょうか?
さて6ページにわたる英文ライナーをメンドイので辞書も引かずに、多くの判らない単語は前後の文脈から判断すると言う手法で読み解きますと(30分以上かかった・・・)、
「ベーゼンドルファーが他のピアノと違うと言うのは想定内であったが、この時代のピアノの進化は想像以上にすさまじかったようでフォルテピアノ同士の(主に)演奏時の残響による違いには驚きを禁じえなかった。
したがって演奏中に自分の心の耳(inner ear)に照らして、解釈の再確認をしながら演奏をする必要に迫られた。
聴き手の皆さんにはこれらの楽器という「レンズ」を通してみた熱情ソナタの姿を楽しんでほしい。私自身も多くを学んだ。」
というようなことが書いてあったんだろうと思います。
まあウチの小3の次男が中2の長女の国語の教科書を読んだようなものなので、違ってても文句はなしでお願いしたいのですが・・・。(^^;)
肝心の演奏ですが、そうは言ってもオーキスの解釈には一貫したものがあると思いました。
純粋に楽器の相違により、オーキスの表現したいコアなものを表現するためにはどうすべきかという点には腐心しているんだと想いますが、ピアノの特性に合わせてその根幹が揺るぐということはない。
さすが、オーキス! こういったところも男らしくてステキです。
そしてその表現したいところとは“熱情ソナタ”の毅然とした感情の推移をダイナミックかつ明確に聴き手に提示することではないかと想いました。
まぁこの曲を演奏する際には当たり前のことでしょうが。。。
そして3日に亘ってレコーディングは敢行され、1日に1台ずつピアノのダイナミズムの進化の探求はなされていっております。
そして、当時のオーキスの言葉通りフォルテピアノの進化スピードがもの凄かったこと、音色に関しては10年あまりの違いと思えないぐらいに現代ピアノに近づいていることを実感しました。
オーキスの解釈では、フォルテピアノではその特性上“抜けない”音質をうまく使って強音部分では力技でその迫力を出していくし、中低部の音域の弱音部分では音色・リズムでフレーズの輪郭をくっきり出していく、パッションある演奏ですが風貌どおりのクレバーさを随所に感じさせ必ず-自分が没入してしまった姿をで聞かせるのはなく-聴き手にどう届いているかを念頭に置いた弾きぶりが嬉しいですね。
やはりベーゼンドルファーを使った演奏が、最も聴きやすいのは当然でありましょうか・・・。(^^;)
なんてったって耳が慣れてるモンね!
フォルテピアノと比較すると、なんと音が自然に快く“抜けていく”んでしょう!
したがって迫力も自然に感じられるし、オーキス自身の演奏の目的も極めて明確に達成できているように感じられます。
ピアニストもストレスフリーに演奏できているように思えるのですが、鍵盤はずっと重いでしょうから実際には相当ストレスがあるのかもしれません。(^^;)
でも、オーキスって本当にうまいですね。さすがウルトラマンと比肩されるだけあります。
伴奏ピアニストにしておくのはもったいないぐらい・・・。
でも伴奏することで、演奏を聴きながらコントロールする技を磨いていったんでしょうかね。工夫しているなと思わせられるところはあるのですが、聴いていてそれが表現の則を越えることは決してありません。
個人的にはインペリアルではあってもベーゼンを使ったところから既に工夫があると思っています。
というのは、スタインウェイを使ったとしたらもっと響の抜け方、暴れる残響の交通整理が大変だったでしょうからね。
ベーゼンドルファーだからこそ、他のフォルテピアノと並べても違和感なく違いを楽したのではないかと・・・。
また、第3楽章におけるバスの音はやはりインペリアルならではの深みにあふれていることも、この演奏の大きな特長だと言えましょうからね。
何はともあれ、この記事でお伝えしたかったことは「ランバート・オーキス恐るべし!」ということになるんでしょうか?
おもしろい経験でありました。
最後にこのライナーにはピアノ製作者たちと一緒に写った笑顔の写真が収められていて、スーパーなどで野菜の生産者が笑顔で写っている写真を思い起こしました。
これらの方々のおかげで、私もこういった興味深い体験ができたと思うにつけ感謝・感謝であることを申し添えます。
(^^)v
※出張のため先日付投稿いたします。
(演奏:ランバート・オーキス)
1.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタヘ短調 作品57 「熱情」
2.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタヘ短調 作品57 「熱情」
3.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタヘ短調 作品57 「熱情」
(2003年録音)
今年はベートーヴェンの熱情が出版されてから200周年であります。
当初は先ごろ手に入れたこのディスクを記念年の特集記事にと思っておりましたが、長岡純子さんのディスクで杮落としをしてしまいましたので・・・。
しかし、本命中の本命の1枚が登場するということです。
なにゆえにタイトルで“ハタ坊化”しているかはプログラムを見ていただければ判りますよね。(^^;)
これ間違いじゃないっすよ!
3種類の時代や特性が違うピアノを使って“熱情ソナタ”を弾き比べてみるので、聞き比べてミソという趣向のディスクなんです。
つまり、
1回目:トーマス&バーバラ・ヴォルフ製作のフォルテピアノ
2回目:ベーゼンドルファー・インペリアル・コンサート・グランド(現代ピアノ)
3回目:R.J.リギア製作のフォルテピアノ
もう少し解説すると、1回目はベートーヴェンの知人ナンネッテ・シュトライヒャーによる1814-1820年頃楽器のレプリカ(フォルテピアノ)、2曲目はもちろん現代ピアノ、3曲目は1830年頃のウィーン・モデルのフォルテピアノのレプリカで演奏されているのです。
私は、こういうマニアックなひとだぁ~い好きです。(^^)/
いやぁ伊達にムター姐の伴奏をしている御仁ではないですな。筋金入りじゃああ~りませんか!
こういったディスクが出てくると、あの(ムター姐のダンナの)老プレヴィンをして「彼に出来ないことはない」と言わしめていることも納得ですね。
「彼にできないことはない」なんて、ウルトラマンが(ハヤタ隊員だった)黒部進さんに言われたことがある程度で、他には聞かないですもんね。
それぐらい希少価値のあるホメ言葉じゃないでしょうか?
さて6ページにわたる英文ライナーをメンドイので辞書も引かずに、多くの判らない単語は前後の文脈から判断すると言う手法で読み解きますと(30分以上かかった・・・)、
「ベーゼンドルファーが他のピアノと違うと言うのは想定内であったが、この時代のピアノの進化は想像以上にすさまじかったようでフォルテピアノ同士の(主に)演奏時の残響による違いには驚きを禁じえなかった。
したがって演奏中に自分の心の耳(inner ear)に照らして、解釈の再確認をしながら演奏をする必要に迫られた。
聴き手の皆さんにはこれらの楽器という「レンズ」を通してみた熱情ソナタの姿を楽しんでほしい。私自身も多くを学んだ。」
というようなことが書いてあったんだろうと思います。
まあウチの小3の次男が中2の長女の国語の教科書を読んだようなものなので、違ってても文句はなしでお願いしたいのですが・・・。(^^;)
肝心の演奏ですが、そうは言ってもオーキスの解釈には一貫したものがあると思いました。
純粋に楽器の相違により、オーキスの表現したいコアなものを表現するためにはどうすべきかという点には腐心しているんだと想いますが、ピアノの特性に合わせてその根幹が揺るぐということはない。
さすが、オーキス! こういったところも男らしくてステキです。
そしてその表現したいところとは“熱情ソナタ”の毅然とした感情の推移をダイナミックかつ明確に聴き手に提示することではないかと想いました。
まぁこの曲を演奏する際には当たり前のことでしょうが。。。
そして3日に亘ってレコーディングは敢行され、1日に1台ずつピアノのダイナミズムの進化の探求はなされていっております。
そして、当時のオーキスの言葉通りフォルテピアノの進化スピードがもの凄かったこと、音色に関しては10年あまりの違いと思えないぐらいに現代ピアノに近づいていることを実感しました。
オーキスの解釈では、フォルテピアノではその特性上“抜けない”音質をうまく使って強音部分では力技でその迫力を出していくし、中低部の音域の弱音部分では音色・リズムでフレーズの輪郭をくっきり出していく、パッションある演奏ですが風貌どおりのクレバーさを随所に感じさせ必ず-自分が没入してしまった姿をで聞かせるのはなく-聴き手にどう届いているかを念頭に置いた弾きぶりが嬉しいですね。
やはりベーゼンドルファーを使った演奏が、最も聴きやすいのは当然でありましょうか・・・。(^^;)
なんてったって耳が慣れてるモンね!
フォルテピアノと比較すると、なんと音が自然に快く“抜けていく”んでしょう!
したがって迫力も自然に感じられるし、オーキス自身の演奏の目的も極めて明確に達成できているように感じられます。
ピアニストもストレスフリーに演奏できているように思えるのですが、鍵盤はずっと重いでしょうから実際には相当ストレスがあるのかもしれません。(^^;)
でも、オーキスって本当にうまいですね。さすがウルトラマンと比肩されるだけあります。
伴奏ピアニストにしておくのはもったいないぐらい・・・。
でも伴奏することで、演奏を聴きながらコントロールする技を磨いていったんでしょうかね。工夫しているなと思わせられるところはあるのですが、聴いていてそれが表現の則を越えることは決してありません。
個人的にはインペリアルではあってもベーゼンを使ったところから既に工夫があると思っています。
というのは、スタインウェイを使ったとしたらもっと響の抜け方、暴れる残響の交通整理が大変だったでしょうからね。
ベーゼンドルファーだからこそ、他のフォルテピアノと並べても違和感なく違いを楽したのではないかと・・・。
また、第3楽章におけるバスの音はやはりインペリアルならではの深みにあふれていることも、この演奏の大きな特長だと言えましょうからね。
何はともあれ、この記事でお伝えしたかったことは「ランバート・オーキス恐るべし!」ということになるんでしょうか?
おもしろい経験でありました。
最後にこのライナーにはピアノ製作者たちと一緒に写った笑顔の写真が収められていて、スーパーなどで野菜の生産者が笑顔で写っている写真を思い起こしました。
これらの方々のおかげで、私もこういった興味深い体験ができたと思うにつけ感謝・感謝であることを申し添えます。
(^^)v
※出張のため先日付投稿いたします。
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