長崎堤防
2020-01-30 | 史跡
薩摩川内市の長崎堤防を紹介します。
高江町長崎の川内川左岸に、長崎堤防があります。高江地区は川内川の潮が入る入江状の低水地で、米がとれないところでした。
薩摩藩主島津光久は、小野仙右衛門を普請奉行に任じ、この地の干拓事業を命じました。工事は1679年に着工し、1687年に完成しました。
しばしば洪水に襲われ、築いては流され、また築くという難工事でした。
仙右衛門は、のこぎりの刃状の堤防を考案し、やっと川内川の激しい水流を抑えることができました。
新しい樋門と長崎堤防。樋門は洪水時に川の水が陸側に侵入するのを防ぐものです。
のこぎりの刃状の突起は7か所あります。
ある夜、「娘を人柱にたてよ。その流れに沿って築堤しよ」と告げる不思議な夢を見た仙右衛門は、愛娘の袈裟を人柱にし、そのお告げの通り、のこぎりの刃状に築堤して工事はうまくいった、と伝えられています。
長崎堤防から、河口に架かる川内川河口大橋を望む。
最初の写真の右に見える水神碑。
裏の碑文。
堤防上にある碑。神の文字が見えます。
左岸側の水田地帯を望む。長崎堤防により開発された新田は3平方キロメートルに及びます。
次回は、川内川河口付近にある京泊天主堂跡を紹介します。