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鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

皇徳寺跡

2008-05-12 | 史跡
永田川源流を訪ねたとき、皇徳寺ニュータウン(皇徳寺台)の近くを通りました。
このニュータウンの名は、皇徳寺跡に由来しており、近くにその史跡があります。


皇徳寺跡入り口。
右側の仁王像は、首が取れています。
皇徳寺は、南北朝時代、谷山郡司であった谷山五郎隆信の子忠高が、山田に建てた寺です。
福昌寺末寺で、寺領100石、7つの伽藍を持つ大寺院だったそうです。


明治2年の廃仏毀釈により取り壊されました。
跡は、耕作地や丘陵地となっており、寺の遺構は残っていません。


わずかに残る供養塔。


歴代和尚の墓。

鹿児島での、廃仏毀釈の激しさを物語る皇徳寺跡です。
明治維新の立役者であった鹿児島は、神道を中心とした国家を作るため、徹底的に仏教を弾圧したのです。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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廃仏毀釈 (momomama)
2008-05-13 07:10:08
>寺領100石、7つの伽藍を持つ大寺院
こんな大きなお寺でも。。。
日本の歴史の中で恥ずかしいことの一つですね。
仏像を拝観するとき、難を免れたのとは別に
どれだけ捨てられたかと残念ですね。。建物も。

こんな大きなお寺でさえ。。

もしも薩摩になかったら生き残ったでしょうね。
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文化の喪失 (chiro)
2008-05-13 10:02:02
廃仏毀釈は、教科書で習いましたが、鹿児島にいると、そのすさまじさがわかります。
江戸時代の寺はほとんど残っていません。
跡は、廃墟か神社になっています。
多くの建物、仏像が壊されたんですね。
文化の喪失ですね。
捨てられていた仏像を、他の場所に移設しているのも見られます。
新しい日本を創る、生みの苦しみかもしれませんが・・・
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