日置市日吉町の上日置駅跡を紹介します。
南薩鉄道上日置駅跡です。手前が伊集院方面。
南薩鉄道は大正3年に開業し、昭和59年廃線となりました。
枕木と釘が残っています。
上日置駅は、大正5年、毘沙門停留所として開業しました。
急勾配の途中に位置し、駅を出た列車が坂を登り切れないこともあり、いったん戻って勢いをつけて登ることもあったそうです。
昭和17年建設の石造り給水塔。
前の写真の入口を入った内部です。
給水口とバルブ。
駅名表示板。向こうが伊集院、手前が日置方面です。
ホームです。昭和20年3月、ここを出た登り列車が米軍機の機銃掃射を受け、大急ぎで大田トンネル(向こう側)に逃げ込みましたが、人的被害が出ました。
日置駅方面の廃線跡です。
廃線マニアで知られる六角精児さんのサインです。下は下田逸郎さんのもの。
六角さんの廃線紀行番組は時々見ています。
>いったん戻って勢いをつけて登ることもあったそうです
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ
テレビの サスケ ご存知ですか?急勾配を駆け上るんですが
何度も 出直します。。 それを連想しました。(笑)
六角精児さんの廃線紀行番組 知りませんでした。
見てみたいです。
こんにちは~
廃線になっても、立派な給水塔が残っています。
サスケ、たまに見ます。
完走する人は少ないですね。
六角精児さん、呑み鉄(酒を吞む鉄道旅)や廃線紀行など、ユニークな旅をする人です。
独特な味があります。
ここの石造りの給水塔があるのは珍しいです。
何時もは鹿児島中央駅で乗り降りしていますよ。
叔母が生きていたころには出水に毎年鶴を見に行って
いましたけど!
こんばんは~
ここは、以前も紹介したことがありますからね。
石造りの給水塔、他では見たことがありません。
出水の鶴を見に、毎年来られていたんですね。
私も、見に行ったのは数回しかありません。