島津忠良(日新公)の墓から国道270号へ行きます。
国道の脇に益山用水路があり、そこに架かる石橋を上流から見たものです。この用水路を下流へ行きます。
右岸から見た石橋。
下流から見た益山用水路と水門。江戸中期の1768年に完成した延長5キロメートルの用水路です。
竹田神社前の石橋です。
上流より見る。上はコンクリートで、下が石橋になっています。
六地蔵塔があります。
島津忠良は別府城を攻め落としましたが、その時の敵味方の戦死者を供養するため、1540年に建立しました。
益山用水路を下流へ行きます。武家屋敷跡が並んでいます。
前の写真の桁橋と武家門。
鰺坂家屋敷跡です。鰺坂二夫氏は、京都大学名誉教授、甲南女子大学学長などをされた方です。
風情のある用水路とイヌマキの通りを下流へ行きます。
武家門の家と桁橋。
この門を入って左に仁王像があります。
仁王像。日新寺の門にあったものです。これは阿像で、吽像の行方はわかりません。