竹田神社から、いにしへの道を通って島津忠良(日新公 じっしんこう)の墓へ行きます。
いにしへ(いにしえ)の道。
島津忠良は、室町時代の1492年に伊作亀丸城で生まれ、加世田でなくなりました。人間として社会に生きる道を説いた日新公いろは歌をまとめ、薩摩の郷中(ごじゅう)教育の聖典とされ、薩摩武士に大きな影響を与えました。
いろは歌の碑47基が並んでいます。最初の碑です。
いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかいなし
楼(ろう)の上も はにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき
イヌマキの並木といろは歌の碑。
碑はそろそろ終わりで、向こうに日新公の墓があります。
対の仁王像があります。廃仏毀釈で埋められていたものが昭和57年に発掘されました。
阿像。
吽像。
向こうが日新公の墓、手前が夫人の墓です。
日新公婦人の墓。
日新公の墓です。
中の墓石。
殉死者2名の墓です。
墓の隣にある池です。