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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

隣の解体が終わった

2016-11-09 09:34:45 | 熊本地震
 震災から7ヶ月が来ようとしているが、我が家周辺の解体は通学路沿いのため優先順位を高くして貰っているものの、町全体の進捗率は30%にも達せずそれほど進んでいない。

 解体開始から相当の期間が経過したがなかなか隣家の解体は進まなかった。

 とにかく基礎部分のコンクリート剥がし作業などは重機の音もさることながら、振動が半端じゃない。

 連日、家が揺れて建具はコトコト音を立てる。

 そこで暫く旅行に出かけて時間を稼ぐことにした。

 まあ、一石二鳥の作戦だった。

 4日振りに帰ってみると見事に更地になってしかも重機も撤収され静かな風景が広がっていた。

 
 (撤去完了の両隣家跡)

 8月末から11月初旬までかかった両家の解体もようやく終了したことになる。

 
 (8月末解体開始)
 
 (9月初旬)
 
 (10月下旬頃の南隣)
 
 (11月上旬の状況)
 こうして取り敢えず倒壊の危険があった家の解体工事が終わってホッとしている。

 これまで、危険な状況だからと見舞客も・娘夫婦や子供たちもすべて断り続けてきたのだがやっと来訪禁止を解除できる状況になった。

 ただ急に視界が開けて落ち着かない部分もある。

 今月末あたりから東隣は新築のアパートを建てるという話だし、南隣もそのうち建てるらしいので我が家の天下はそう長くは続かないがしばし明智光秀の気分になってみる。
 
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ぐるっと松江「堀川巡り」

2016-11-08 09:38:15 | 旅行記
 松江城のお堀は広くて水量も多い。

 平城だからお堀に神経を使ったのだろうと合点がいく。

 八雲だの武家屋敷だの出雲蕎麦だのとグルグル回った挙げ句に出会ったのがお堀巡りの小さな船。

 
 (松江城の掘り)
 堀川巡りの乗船場はいくつか有るようだが、せっかくなら一周してみようとカラコロ広場の乗船場に向かった。

 料金は大人1230円だが、JAFなんかに加入していませんかと聞かれたので相方が会員証を出すと1020円に割り引いてくれた。

 会費を納めるばかりで一度も緊急事態でJAFにお世話になったことはないがとんだ所で役立ってしまった。

 イザ乗船しようとするとコース的に、ここからの出発は貸切とかで定期便はないそうで他の乗り場で乗り換えになるという。

 各乗り場で降りて観光を済ませて再び乗船し次の乗り場でというように、尺取り虫のように乗り降りして観光するのがベターなのだそうだ。

 「全部ぐるっと歩いて回り終わった」というと気の毒そうに、そういうシステムだからと一応説明を受け乗船した。

 
 (堀川を行き交う観光船)
 船上から見る景色は独特のものがあって、日頃見慣れた町でも目の高さや位置を変えることで新しい風景が広がるものだ。

 
 (堀川の船上から松江城を望む)
 「お客さんここがお堀から見る松江城のベストショットですよ」と船頭さんにカメラを向けることを勧められた。

 
 (船内)
 この堀川巡りは春夏秋冬オールシーズン運行しているので、屋根も有れば寒い冬は炬燵も入る。

 そして堀には所々に橋が架かっているが、その中の幾つかは水面からの高さが屋根よりも低い。

 そのため屋根は4段階ほどの可動式になっていて、橋の高さに応じ船頭さんの号令で頭を下げて屋根を下げ橋下をくぐり抜ける。

 
 (一番低くなった時の屋根)
 横の船べりすれすれまで下げる場所もあって、乗客は驚いたりするがそれはそれで楽しい雰囲気が船上に漂う。

 福岡の柳川には柳川下りの「どんこ船」があるが、あれは天井がなくて皆で船底に頭をつけるほど下げて石橋の直ぐ下を潜った事を思いだした。

 船から上陸して観光するのが普通だが、もう見てしまったという我が夫婦のために船頭さんの説明を聞きながら一周コースを回ってくれた。

 山城でない限り普通の城下町の城には「お堀」は付きものである。

 お堀の形態によって使い方は様々だろうが、観光に有効利用することは他のお城でも考えた方がいい。
 
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松江では小泉八雲でしょう

2016-11-07 09:07:42 | 旅行記
 松江では「小泉八雲」は外せない。松山で夏目漱石というより「坊ちゃん」が外せないが如くである。

 松江城・八雲記念館・八雲旧居の三点セットの入場券を購入した。

 
 (小泉八雲旧居)
 武家屋敷であったものを借りていたので家の造りは武家屋敷そのものである。

 いろいろな資料は、隣の小泉八雲記念館に展示されていて、ここは純粋に建物の構造や部屋からの庭の佇まいを楽しむ趣向になっている。

 
 (南と西側の庭の一部を望む)
 八雲は自分が住んでいる部屋から眺める、庭について北側の庭・西側の庭・南側の庭というように庭の設えを細かく表現した随筆作品を残していて、反対にその作品を思い描きながら庭を眺めると八雲が日本の庭にどのように感じを持ったかが分かる。

 入場券はどうやら本来は四点セットらしかったのだが最後の「武家屋敷」は抹消されていたので別料金かと思ったら、内部等の整備のため長期に亘って休館となっている。

 
 (武家屋敷)
 公開されていたのはここだけであるが、一帯は武家屋敷である。

 不思議なもので、小泉八雲も夏目漱石も松江や松山には1年ちょっとしか住んでいない。

 八雲はこの後熊本の旧制五高で3年ほど英語を教えている。

 八雲の後任として五高の英語教師として松山から赴任して来たのが夏目漱石で英国留学までの4年ほどを熊本で教えている。

 漱石は引越魔で何度も住居を替えていて熊本には旧居が何軒も残っている。

 一番お馴染みなものは坪井の旧居である。

 小泉八雲の旧居も市の中心部の一角に移築されて残されているが松江ほど有名ではない。

 お城と町の関係性や、二人の英語教師の関わり合いや旧居といい松江と熊本は妙に似ている。

 少し違うのは街中の蕎麦屋の多さは松江の方が圧倒的に多い。

 
 (蕎麦屋「八雲庵」)
 ぐるぐる回っていたら腹が減ったので蕎麦を食うことにした。

 うまい!

 ただカロリー的にはうどんより高いらしいからヘルシーなんて喜んでばかりもいられない。

 さて一句「外人に日本の良さを教えられ」

 日本滞在中の外国の若い女性に、隠れた紅葉の名所を教えられて訪れたこともあったが・・・。

 たしかもう暫くすると見頃の時期がやってくる。

 
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出雲大社と宍道湖の夕日

2016-11-06 10:18:54 | 旅行記
 お城巡りが主たる目的とはいえ松江に来て出雲大社を外すわけにはいかない。

 松江からはR431、R9、山陰自動車道とおおきくは3経路があるが、時間を重視して山陰道を通ることにした。

 途中から海外寄りの道路を北上して「稲佐の浜」を経由するコースを選んだ。

 
 (稲佐の浜から弁天島を望む)
 よっぽど潮でも満ちていない限り砂浜を歩いて行ける小さな島が、浜から直ぐのところに鎮座している。

 弁天島というからきっと弁天様が祀られているのだろう。

 梯子が架けられていて小さな社まで登っている人を見かけた。

 さすが出雲国でありとあらゆるところに神様がいらっしゃる。

 
 (出雲大社)
 直ぐ脇の駐車場に停まったのだが、脇から入っては神様に失礼な気がしてずっと大鳥居まで歩いて、鳥居から入り直し「松の参道」を本殿まで歩くことにした。

 通常2礼2拍手が出雲バージョンは拍手の数からして違う。

 神様がそうせよとおっしゃったとも思えないが、言い伝えや風習には否応もなく従うのが日本人のマナー。

 お参りした後車に乗車した直後から雨になって虹が出た。

 綺麗な虹なのでカメラに収めようとコンビニの駐車場に車を止めてバッグを引っかき回してカメラを取り出し、車外に出ると雨は止んでいて、濡れずにちょうど良いやと喜んでいたら、ついでに虹まで薄くなって殆ど見えなくなってしまった。

 宍道湖の北側を通る国道431号線を松江に向かう頃には雨もすっかりあがって雲も所々切れかかってきた。

 「宍道湖の夕日」が頭にピンと浮かんだ。

 そうだ「夕日スポット」へ行ってみよう。

 
 (宍道湖の夕日(1))
 夕日は直接見えないが薄くなった雲は極端に明るいオレンジ色に輝いていた。

 傘をさしながら三脚を立ててカメラを据え付け、スタンバイしている人達が何人か居た。

 カメラを抱えて近づいてきた年配の紳士が「今日の日の入りは5時13分なのですが・・・」と教えてくれた。

 5時13分には少し間があったが何処で雲に隠れてしまうか判らないので取り敢えず良さそうなシーンはパチリ・パチリとシャッターを切っておく。

 
 (宍道湖の夕日(2))
 夕日が一瞬でも現れて、湖面に赤い陽光が一直線に反射して揺らめく・・・な~んてことをイメージして待ったが、この写真を最後に雲に覆われてしまった。

 それでも、雨模様の中での一瞬の夕日に立ち会うことが出来たのはきっと出雲の神様のお計らいだと思う。
  

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国宝!!松江城

2016-11-05 09:18:50 | 旅行記
 お城巡りで備中高松城・松山城とくれば山陰に回って昨年7月に国宝に再指定された「松江城」は外せない。

 昭和10年に一度国宝に指定されその後重要文化財に改称された後の悲願の再指定なので地元は盛り上がっている。

 心なしかパンフレットの松江城の文字より「国宝」の文字が誇らしげに躍っていた。

 
 (紅葉が始まった松江城)
 水が豊富なのでお堀の水もふんだんにある。水鳥も生活が楽だと言っていた。

 
 (国宝:松江城)
 以前訪れた時は、閉門ぎりぎりでとうとう中には入らず終いだったが・・・。

 
 (天守閣から宍道湖方向)
 お城の階段が急なのはどこも一緒で、手摺りに掴まりながら最上階に登る。

 町並みの向こうに宍道湖が見える。

 松江は宍道湖と松江城それに出雲大社、加えて小泉八雲で成り立っていると思えるほど・・・。

 
 (盛り上げたいの武将)
 突然ケバケバしい衣裳の武将が現れたので伺ったら、ボランティア団体「岐阜城盛り上げ隊」の一員とか。

 具足の後ろの方に名前札がぶら下がっていたので確認すると「明智光秀」とあった。

 メンバーは8名で斎藤道三を始め8人の武将をそれぞれがになっているらしいが、なかなか個性的な武将ばかりで構成されているようだ。

 岐阜城の盛り上がりを祈るばかりだ。

 
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天空の城「備中松山城」

2016-11-04 20:45:58 | 旅行記
 天空の城といえば兵庫県の「竹田城」が先行しているが、それでも幾つかの城址が名のりをあげている。

 その中でも天主が現存している山城で、気象状況によってまさしく天空の城になっているのが「備中松山城」

 天空の城というだけあって、雰囲気は山登り。

 
 (登城口の階段)
 有名になって訪れる人が多くなり、途中の駐車場が狭いのでシャトルバスを運行している。

 ほとほと疲れたと息があがるころ見えてくるのがNHKの大河ドラマ「真田丸」のオープニングに登場するらしい石垣などの城郭。

 「らしい」というのは、ドラマの「真田丸」を見ていないのでこの程度のあやふやな発言しか出来ない。

 
 (備中松山城の石垣)
 石垣の真下にくればもう天主は直ぐだというのに、この辺りで音を上げる人も結構多い。

 音を上げてもう登りたくないという太めの男性の言い分がふるっていた。

 「この城を見なかったことで、俺の人生にどんな影響があるって言うんだ。俺はもうやめた」

 一緒に昇っていた友人らしい男性への一言だった。

 確かに・・・無理は禁物、勇気ある撤退も必要だ。

 
 (天守閣)
 
 (天守閣から高梁市を望む)
 天守閣からの眺めは確かに絶景かなと言いたくなる。

 
 (自然の岩盤を利用した石垣)
 自然の岩盤を利用した石垣は見事。

 山じたいが急峻な地形で登るのに苦労した挙げ句最後に石垣に阻まれる設定になっている。

 ただしあまりに急峻な山城であるがゆえに、殿様が登るのに疲れて下の城下の方でもっぱら政務を行ったというから、なんのこっちゃと突っ込みを入れたくなる。

 廃城になった後、本当に朽ちそうになっていた城は、地域の人々の努力によって再建されていって現在に至っている。

 それでは一句いってみよう。

 「城もいい平和の城である限り」

 

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備中高松城に行ってみた

2016-11-03 20:10:32 | 旅行記
 2016秋の中国路と銘打って、中国地方の中央部から山陰にかけてプチ旅行をしてみた。

 相方が古い城などに異常なまでの興味を示すので、ハッキリ言ってメインは城&城下めぐり。

 そんなこんなで3泊4日のマイカーでほっつき廻った。

 第1日目はほぼ500Km程度の長距離走行の後岡山県は「備中高松城跡」へ向かう。

 
 (備中高松城水攻めの図)
 「信長」の命により中国攻めに向かった「秀吉」が黒田勘兵衛の進言によって高松城を水攻めにすることに決し、自然の地形を利用して堤防を築き水を貯めて兵糧攻めにしている最中に「信長」が本能寺で「光秀」に討ち取られたという情報を、知らせようと毛利方に急いでいた密偵を誤魔化して、情報をいち早く知った「秀吉」は「毛利」との和睦を急ぎ、そのまま京都に向かってとって返し、明智を討ち果たしてとうとう天下を取ってしまった。という情報収集能力・状況判断能力・行動の迅速性の差が天下取りのターニングポイントになったという話がもてはやされて、高松城の話などあまり聞くこともなかった。

 
 (備中高松城跡)
 現地は行ってビックリ見てびっくり。

 な~んと低いのなんの、平城もいいとこで沼地にお城が建っていたようだ。

 周りが沼地だから攻めるには難渋するが、補給路を断たれれば戦わずして負ける地形。

 
  (築堤跡)
 高さ8m・幅25m・長さ3Kmと簡単に言うが、これを12日間で築いたというのはちょっと驚き!

 築堤の遺構の一部が発掘されて残っているので、嘘ではないのだろうが工事のスピードアップには秀吉独自のアイディアによるところが大きいようだが、勝った奴は歴史を格好良くする癖があるから要注意。

 
 (高松城と築堤の高さを表す標識)
 参考として、当時の高松城と築堤の高さを表示してあるが、なるほど築堤の方がお城よりかなり高い。

 高松城攻めといい、後の時代の小田原城攻めといい秀吉の戦法は圧倒的な戦力を持って包囲し、味方の損失を最小限に抑えて勝利をものにするという理にかなった戦い方をしている。

 天下を取った後の政権の維持のための組織や後継者の育成に関しては同一人物とは思えない失敗が多いが・・・。

 第一日目は高松城の落城を見届けて、そのまま高梁市へ向かい1泊する。

 明日はあの天空の城「備中松山城」へ向かう。

 平城から明日は究極の山城、各々方油断めさるな!

 
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