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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

教会のある町の猫たち

2016-11-19 09:33:59 | 日常あれこれ
 天草の崎津教会に行くに当たって、10年以上前に相方と訪れたとき猫を撮したことを思い出した。

 そこで教会に向かう道すがら路地や軒先に注意しながら歩いた。

 するとちゃんと猫は居た。

 
 
 
 (猫たち)
 町猫というか地域猫というか、家猫以外の猫も多いのではないかと思う。

 やたら慣れなれしい猫もいれば、必要な距離はきっちり保とうとする用心深さを失っていない猫もいる。

 そう言えば前回訪れたとき、教会の門の横に設置された消火栓の蓋の上でノンビリ寝ていた猫を撮したものが残っていた。

 
 (10年以上前に出会った猫)
 ビデオで写したものを静止画にしてホームページにUPしていたのだ。

 
 (10年前の崎津教会)
 あの頃のビデオはVHSからデジタルに変わったばかりのテープ式で、結構かさばって携帯するというより持ち運ぶという感じがした。

 ホームページに画像をUPするための静止画キットも必要だった。

 HTMLだのタグだのフレームだのアクセスカウンターだのサーバーへのファイルの転送だの・・・ややこしかった。

 あの頃のファイルは沢山の猫写真と共に今もメモリーとしてPCの一角に保存されている。

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ご挨拶をご遠慮申し上げます・・・

2016-11-18 08:51:50 | 日常あれこれ
 例年、この時期には年賀状の注文とりなどがあって、「ああ又年賀状の時機到来か」などと溜息をついたりしていた。

 今年は、毎年頼んでいた人からさっぱり注文の話が出てこないので、多分止めたのだろうと思っている。

 注文の話が一番先にやってきて、次が「喪中につき・・・・」のハガキがやって来て、もう年末か?などと思わされるのが例年のパターンだったのだが・・・・。

 今年は「喪中につき・・・」の方が出足が早いようだ。

 
 (喪中ハガキ「失礼します」)
 「喪中につき年末年始のご挨拶は失礼させて頂きます」という書き出しで始まるパターンがやや多い。

 平たく言えば「今年は喪中ですので失礼して、年賀状は出しませんので宜しく」とうこと。

 特に、「頂くものについては拒みは致しません」とも解釈できる。

 最近はやや少なくなったものの、遠慮しますというのもやって来る。

 
 (喪中ハガキ「遠慮申し上げ・・」)
 この「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」というパターンも結構頑張っている。

 これは平たく言えば、「喪中ですので年賀状などは遠慮して下さい」ということ。

 こういう所に誤って出してしまうと救助の方法は難しい。

 とかく日本語の用法も難しいが、サービス業などで使う必要以上の丁寧語が変形して多用されているような気がする。

 「より」と「から」などの用法もまちまちで、「・・・になります」という言葉使いも実に多い。

 「12月1日より12月10日になります」と言われたら「12月1日~12月10日の間」なのか「12月1日が12月10に変更」になったのか勘違いもありそうだ。

 「・・・になります」と言われて「元は何だったの?」と突っ込みたくなった昔が懐かしい。

 さて一句・・「半分は反対がいて世は普通」ってことで手を打ちましょ。

 
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収穫の秋

2016-11-17 10:35:27 | 家庭菜園
 わが家庭菜園「ぐうたら農園」は今最高潮の時期を迎えている。

 夏の葉物野菜の全滅の直後に蒔いた種が芽を出し順調に育っている。

  
 (葉物野菜が順調に育っている)

 間引きをしながら食べてもいい状態になってきた。

 夏の初めに店から買ってきたサツマイモが芽を出してしまい処分ついでに、植えていたら子芋をつけていた。

 
 (サツマイモ)

 収穫には少し早すぎたが、相方はとにかく収穫に異様な執念をもっていて急かすので失敗したりする。

 里芋もせめて1株だけでも掘ってみたいというので一株だけ掘ってみた。

 
 (里芋)

 去年の種芋を捨てるのが勿体なくてただ土に埋め戻したものだったので、一株の収穫量はやや少ない。

 しかし、菜園の周りのあまり環境のよくない場所に完全に放置された状態でもちゃんと毎年子芋をつけてくれる。

 来年は真面目に種芋からきっちり植えてみようなどと、殊勝なことは言うが自分で植えたことはない。

 ジャガイモも試し掘りをしてみようと言うので止めさせた。

 そんなに収穫したいのなら葉物野菜の間引きでもすればいいのだが、怠るのでいつもまとめて処分する事が多い。

 ほぼ毎日のペースで収穫しているキュウリもそろそろ終わりの時期が近づいてきたようだ。

 手で土を耕さず「口で耕す」相方とあれこれ意見を戦わせながら菜園「秋の陣」は晩秋そして「冬の陣」へと向かう。

 
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富岡城址(天草)

2016-11-16 16:26:31 | おでかけ
 天草の歴史はキリシタンを抜きにしては語れないが、その天草・島原の乱の鎮圧側である幕府の城跡も残っている。

 
 (富岡城)
 幾つかの城があったが次々と一揆軍によって陥落したが、最後まで持ちこたえたのは富岡城である。

 幕府軍は12万の大軍を差し向け、一揆軍はこれ以降島原の原城に立て籠もって籠城戦に移行する。

 
 (城址からの遠望)
 
 (整備された本丸及び石垣など)
 
 (三層になっている石垣)
 島原の乱以前、乱以降などに石垣の補修が行われ時代によって石積みの方法が異なっている様子が分かる。

 岬の突端でしかも接近経路は船か狭い砂州からの方向に限定されるという独特の地形で防御の堅固な城である。

 島原の乱が治まって以降は、天草は幕府直轄の天領となり、代官が治めることになる。

 初代代官の鈴木重成は天草(富岡)に着任し、年貢の軽減を幕府に訴える等天草の実情をよく把握し善政を敷いたとして今も天草の人々から慕われている。

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スーパームーンの十六夜

2016-11-15 22:52:15 | 日常あれこれ
 夕食後にウオーキングに出ようとして庭で準備運動をしていたら、東の空がボンヤリ明るんでいた。

 で、思い出した。一日遅れのスーパームーンだと・・。

 昨日が旧暦10月15日(月齢14.4)で満月だったのだがあいにく雨模様でみることが出来なかった。

 今夜はさしずめ十六夜(月齢15.4)のスーパームーンなのである。

 
 (ズームで夜景撮影モード)
 
 (ズームでオートモード)
 
 (屋根の月)
 隣家が解体されて、いきなり見えるようになった東の空に月が昇り始めていた。
 
 (屋根のひさしまで昇った月)
 ややだ円の軌道で地球を回る月が地球に一番接近した状態で満月になるのはかなり珍しいことらしい。

 エクストリーム・スーパームーンとかで、まあウルトラ級ということだろう。

 68年ぶりとか、次の普通のスーパームーンでも18年後だとかいう話だから私的にはひょっとすると最後のチャンスになったのかも知れない。

 「月々に月みる月は多けれど月みる月はこの月の月」なんて冗談ではない話もあるということだ。

 月の引力による潮の満ち干に大小があるように月との距離が地球に与える影響はかなり有ることは分かっているが、地震との関係をいう学者もいて、その方面で盛り上がっている向きもある。

 いずれにしても、倒壊家屋が連なる解体現場の外灯も無い暗い家並みをスーパームーンが照らしている図は気持ちよくはない。

 見えたのが一日遅れの十六夜で幸いだった。

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天草は宝島

2016-11-14 21:06:42 | おでかけ
 城巡りをしたかと思ったら今度は教会を中心とした天草を巡ることになってしまった。

 天草はそこに暮らす人々が「宝島」というほど風光明媚で可能性を秘めた地域である。

 年間を通じて温暖な気候に恵まれていて、米の二期作などが行われた時代もあった。

 今でも早場米はおそらく日本で一番早く取り入れられ新米として出回る。

 そんな自然と人情に溢れた島ではあるが、農民一揆から始まった島原・天草の乱はこの地域を戦場にした。

 そして今、禁教令のなかでも命を賭けて守り抜いた宗教のシンボルとして数々の教会が立っている。

 
 (崎津教会)
 長崎の教会群とともに、天草では「崎津教会」が世界文化遺産登録を目指して国内推薦が決定した。

 
 (海からみた崎津教会)
 この教会を支え教会と共に信仰に生きてきた集落共々文化遺産として推薦されている。

 この海からの教会の眺めは、教会がこの小さな港町でいかに生活と一体化しているかを感じさせてくれる。

 
 (大江天主堂)
 こちらは潜伏キリシタンの心静かな里のちょっと小高い丘に建っている。

 下の駐車場の横には天草ロザリオ館が開設されキリスト教の伝来から迫害の中で続けられた宗教活動の様子が展示説明されている。

 
 (天草キリシタン館)
 天草市の小高い丘にあり、天草にキリスト教が伝来してからの南蛮文化、1637年に勃発した天草・島原の乱、その乱の後に天領となった時代の潜伏キリシタン遺物などが展示されている。

 のどかな海やなだらかな山を眺めると、ここが12万以上の幕府軍に攻められた戦場であったとはとても思えない。

 天草は平和な「宝島」であり続けてほしい。

 
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ロアッソ熊本のホーム最終戦

2016-11-13 10:00:41 | 熊本地震
 昨日はサッカーJ2ロアッソ熊本のホーム最終戦。

 今シーズンはスタートダッシュで3連勝して、単独首位を走る勢いに目をパチクリさせられたものだった。

 熊本地震で選手も施設も被災して練習もままならなくなり、再開されたものの夏場の暑い時期に延期されていた分の試合消化もあって過密スケジュールが続き、負けがこんでいた。

 18位で、とうとうJ2残留争いに突入かというギリギリの戦いが今回の19位FC岐阜との試合なのである。

 
 地震の際には支援物資集積地となり、現在もバックスタンド側は立ち入り出来ないスタジアムにも秋が訪れた。

 
 スタンド入口付近には全国から寄せられた応援のフラッグが並んでいる。

 
 人のいないバックスタンドには許可を得て張り巡らしたという、巨大なフラッグが広げられていた。

 
 FC岐阜も駆けつけたサポーターが熱心な応援を続ける。

 見たことのある人物の顔のフラッグがあったので調べたら、先の大戦で大勢のユダヤ人をナチスの手から救った外交官の「杉原千畝」だった。

 排外主義の台頭などが世界を揺るがせているが、差別的な標示物の掲示などでサッカー界も無縁ではなかった。

 岐阜サポーターの気持ちは分かるような気がした。

 
 試合開始前にサポーターの前で整列して肩を組み必勝祈念のセレモニーは例の如く粛々と・・・。

 
 勝って勝ち点3を・・・、円陣を組んで必勝を誓う。

 
 結果は前半に獲得した清武のゴール1点を守りきりホーム最終戦を勝利した。

 ゴールを脅かされる場面でアッと驚く捨て身の防御に助けられるシーンもあったし、当然決まったと思えるシュートが決まらなかったりと、まあまあお互いに崖っぷちの試合の盛り上がること。

 
 今シーズン本当に最後の最後「カモンロッソ!」で締めくくれたことは誠にもって喜ばしい限り。

 そう言えば、地震の後で再開された最初の試合で、セレモニーの最中に余震でスタジアムが揺れて、開始を一時中断して安全点検をしたこともあったのだが・・・。

 とにかくバタバタした・暑かった・疲れたシーズンだった。

 「受け入れるそしてそこから前を向く」

 
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震災の街角雑感

2016-11-12 09:40:03 | 熊本地震
 熊本地震の後の復旧は進んでいるというべきか、遅れているというべきなのかよく分からない。

 我が益城町を見るとう~んと唸ってしまう。

 つまり復旧は取り敢えず破壊(取り壊し)から始まり、そして建設へと向かう。

 現在、町の復興計画は策定中で12月には出来上がる予定である。

 幹線道路の拡幅だの、土地利用や移転だのと取り壊しの後の計画がハッキリしないと個人の立ち上がりも無闇には出来ない。

 おまけに町単独でも出来ないので県や国との調整が必要なのだが、こちらは検討中と更に分かりにくい。

 久しぶりに地震の直後に回った街角を訪ねて町の中を回ってみた。

 
 (震災直後のA地点)
 
 (現在のA地点)
 
 (震災直後のB地点)
 
 (現在のB地点)
 
 (震災直後のC地点)
 
 (現在のC地点)
 変わったと言えば道路が通行できるようになっていることと、取り壊しが進んで空間が少しずつ広がっていること。

 我が家の斜め前の家は完全に潰れているが、自宅の敷地内で他に危険を及ぼす公算が少ないと見積もられて解体の優先順位は低く未だに当時のままになっている。

 
 (朝顔の花)
 震災後に芽を出し伸びたのであろう朝顔が、潰れた家屋の板壁に巻き付き花を咲かせていた。

 復興は進捗しているというべきか、いやいや遅れているというのか。

 日本の基準では我慢の限界がこないと物事は動かない。

 成るように成って手遅れになるかと思わせて、最後はハッピーエンドに終わらせる脚本ならかなりの視聴率は見込める。

 ただ現場の小さな町のあちこちで、やたら溜息が聞こえるのが気になる。

 
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JAPAN人

2016-11-11 13:25:11 | 人声人語
 グローバル化とは英語を国際共通語にしようとか、金融はアメリカ化を推し進めようとか、とかく現代資本主義の魔物をあやつる何かの見えない力が意図的に働いているに違いないと考えていた。

 そのグローバル化の旗手と思っていた米国大統領がグローバル化こそがアメリカに外国製品を溢れさせ、多くの国民の雇用を奪った諸悪の根源だとこき下ろし、一国主義ともいえる内向きの政策を口にするのを聞くと耳を疑いたくなる。

 まあ選挙用と実際の政策は異なるだろうから、就任までにそれなりのしっかりした方針は示してくれるだろう。

 さて、相方の買い物に付き合わされての待ち時間に、立ち寄った本屋で手にしたのが「決定版 日本人論」。

 
 (「決定版 日本人論」渡部昇一(著)2016.9第4刷発行 扶桑社(刊)

 ~日本人だけが持つ「強み」とは何か?~

 さあ、何でしょう?なんて勝手に突っ込みを入れながら帯を見ると「一国で一つの文明圏を成す唯一の国・日本」とあって、渡辺氏の和装で腕組みした写真を挟んで「日本人なら、決して失ってはいけないものがある」という文言も・・・。

 こりゃあ気合いを入れられますよと、おっかなビックリページをめくると「まえがき」の辺りですでに立ちすくむ。

 まえがきの冒頭には、今、これまでの日本の「強み」の象徴だった日本企業の信頼性が大きく揺らいでいるとし。
 東芝の不正会計、三菱自動車のデータ捏造問題などかって日本を牽引した企業の凋落をなげいている。
 そして、一連の問題に関して、私は日本企業が世界に歩調を合わせて追求してきたグローバル化の弊害が出たためだと解釈している。グローバル化とは聞こえが良いが、実態はアメリカ化に他かならない。
 と続いている。

 トランプ次期大統領の選挙演説と共通するが、何処も内向きに国民に語る場合には自国の優位性を説き、それを台無しにしたしたものは何かを述べるところは同じで、決定版とはちと言い過ぎのような気もする。

 日本の歴史は確かに特異な部分もあって、外来文化を比較的容易に取り入れそして完全に日本的なものに消化してしまう。

 それは宗教さえも日本的なものに替えてしまうほどなのだ。

 日本人論を強調せずとも染みついたDNAは外来文化を欲し、そして新たな解釈や付加価値を加えメイドインジャパンとして外に送り出す程の融通性をもっている。

 「腕組みすることもないですよ渡部さん」と思って表紙を見たら、睨まれてしまった。

 「NIPPONと書かずJAPANのユニフォーム」

 こうだもんねェ?

 
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パンドラの箱

2016-11-10 09:57:51 | 本と雑誌
 一年前の昨日の私のブログは「超・反知性主義入門」という本の紹介をしていてる。

 知性とされてしまっている「既成の構造」にもの申すといった内容で、読後感として言わんとするところは理解できるが、表題の頭に「超」という文字が着いているのだけがよく分からんと結んでいる。

 そのブログを振り返って読みながら、今回のアメリカ大統領選における大方の予想を覆す「トランプ」の勝利という結果と符合する部分があることに気がついた。

 そのブログでも紹介しているように、この反知性主義というのは近年にわかに言われ出したというが、「近年」とか「にわかに」とかいうところが予言的であったともいえる。
超・反知性主義入門
 心配していた腰痛は最悪の事態は回避できそうな方向に向かって行くのではないかと推察できる。 前夜の事態は、入院騒ぎまで云った時と似ていたのだが、翌朝の動けなくなっていたあの痛さ......

 イギリスのEUからの離脱やフィリピンの大統領の言行など、何となく今までとは違った動きが感じられる昨今である。

 変革だのチェンジだのの言葉に国民は滅法弱い。

 現状追認などという政治家はいないという現実も知ってはいるが、現状否定と変革の言葉に国民は飢えている。

 そして「パンドラの箱」は大体一国に数個は準備されているものなのだ。

  
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