熊本地震の後、更地になった庭に梅が綺麗に咲いていたお宅を覚えていて、様子を見に行った。
今年は更に時期が良かったのか見事な紅梅・白梅の花が咲いていた。

家も修復されたり、再建されたものが目だって、老夫婦が盛んに梅の木の手入れをしていた。
去年は、ひと気の無い庭で持ち主の帰りを待つシンボルツリーというイメージだったが、今年は本来の姿に戻っていた。
ただし、この紅白の梅が道路から見通せるのは、手前に建っていたアパートが全壊して解体されてしまったからである。
二本の梅はそうした、周辺の変化もじっと見続けていたことになる。
先日、江津湖にツクシを探しに行ったおり、緑の広場に一本だけ目立つ存在の紅梅を見つけた。

満開には少し早いが、なかなか存在感のある一本である。
駐車場を降りて、公園の建物に移動する経路の途中にあって、撮さざるを得ないという絶妙なポジションを確保している。
回りにはカメラをかざす人が絶えない。
反対側では白木蓮の蕾が膨らみかけて、白い花びらが今にも弾けそうな様子だった。

薄茶色のガクに覆われて目立たぬゆえにまだ俄カメラマンの注目を引くには至っていない。
やがて白い花が、一斉に天に向かって咲く筈だ。
下や横を向かず、人に媚びず、ただひたすら天に向かう心意気がいい。
「絶望も希望も同じ幹の枝」

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今年は更に時期が良かったのか見事な紅梅・白梅の花が咲いていた。

家も修復されたり、再建されたものが目だって、老夫婦が盛んに梅の木の手入れをしていた。
去年は、ひと気の無い庭で持ち主の帰りを待つシンボルツリーというイメージだったが、今年は本来の姿に戻っていた。
ただし、この紅白の梅が道路から見通せるのは、手前に建っていたアパートが全壊して解体されてしまったからである。
二本の梅はそうした、周辺の変化もじっと見続けていたことになる。
先日、江津湖にツクシを探しに行ったおり、緑の広場に一本だけ目立つ存在の紅梅を見つけた。

満開には少し早いが、なかなか存在感のある一本である。
駐車場を降りて、公園の建物に移動する経路の途中にあって、撮さざるを得ないという絶妙なポジションを確保している。
回りにはカメラをかざす人が絶えない。
反対側では白木蓮の蕾が膨らみかけて、白い花びらが今にも弾けそうな様子だった。

薄茶色のガクに覆われて目立たぬゆえにまだ俄カメラマンの注目を引くには至っていない。
やがて白い花が、一斉に天に向かって咲く筈だ。
下や横を向かず、人に媚びず、ただひたすら天に向かう心意気がいい。
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