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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

やはり野におけ蓮華草

2016-03-25 09:18:25 | 日記
 春の草花と言うと直ぐに思い浮かぶのは「すみれ・たんぽぽ・レンゲソウ」である。

 何だか童謡の歌詞のようでもあるし、かといってどんな歌だと言われても歌えない。

 馴染みはあるのに不思議と、その辺りを突っ込まれると訳が判らない。

 不思議な3点セットの春の野の花ではある。

 ウオーキングの道すがら3点をセットで撮してみた。

 
 (すみれ)

 PCに取り込みながら初めて気づいたのだが、花の直ぐ上の位置に「つくし」まで映っていた。

 
 (たんぽぽ)

 タンポポは日本固有種と外来種があるらしいが、私には見分けがつかない。

 以前は白が固有種で黄色が外来種だなどと思っていたら、図鑑によるとそうではないらしい。

 これでレンゲでも咲いていたら3点セットだなどと思いたんぼ道に回ってみた。

 
 (レンゲソウ)

 咲き始めでまだ数は少なかったが、チラホラと可憐な花が顔を出していた。

 さて、この「すみれ・たんぽぽ・れんげそう」の固有名詞がセットで出てくるのは何だろうとネットで調べて見た。

 すると「国民学校国語教科書」の、「よみかた三」の中で、「目次1の春」に出てくる読み方の文であるらしいことが分かった。

 国民学校がよく分からないし、ましてや教科書など分かろう筈もない。

 なのにどうして、春の花の代名詞のように語られ続けるのだろう。

 古い言い伝えや、教訓などが童歌や童話などによって歌い継がれ残されていく場合が多いが、これもその一つなのだろうか。

 パッと散る桜の潔さや、ストンと落ちる椿に花など、兎角人の生き方に例えられ利用されてきた春の花に比べて、如何にも足下の自然の花であって、気づかないで通り過ぎることもある三つの花である。

 漱石の「スミレほどな小さき人に生まれたし」の句を、小さいが逞しいスミレの姿と、健康上の悩みなど当時の漱石の状態等と関連づけて解釈する向きもあるようだが、私は勝手に、平凡で目立たぬ小さな人生も良いなと述懐した句だと解釈している。

 同じ春の花でも、花見に繰り出す人とてない野辺の花にも優しい目は注がれる。

 それが日本人の感性で、それだからこそいつまでも伝わっていくのだろう。

 「手に取るなやはり野におけ蓮華草」

 これも昔から日本人にはピンとくる句、だから残る筈。

 
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