●勃発! 清少納言VS紫式部
女流文学が隆盛を極めた平安時代。その中心が『枕草子』の清少納言と『源氏物語』の紫式部である。この二人の才女、俗説として仲が悪かったとされるのは、その対称的な性格ゆえだろう。
「人に一番気に入られたい」とは、清少納言の言葉。宮廷で生活し、まさに社交界の花形的存在であった彼女は、自分の才能をより多くの人に認めてもらうことを望んだのである。そんな清少納言に対して、紫式部は「宮中のようなところで、どうして見識をひけらかしたり出来るのか」と言って批判したのだ。二人が活躍した時期には若干のズレがあり、実際に顔を合わせることはなかった。しかし、お互いに相容れない存在であったことは間違いなさそう。
女流文学が隆盛を極めた平安時代。その中心が『枕草子』の清少納言と『源氏物語』の紫式部である。この二人の才女、俗説として仲が悪かったとされるのは、その対称的な性格ゆえだろう。
「人に一番気に入られたい」とは、清少納言の言葉。宮廷で生活し、まさに社交界の花形的存在であった彼女は、自分の才能をより多くの人に認めてもらうことを望んだのである。そんな清少納言に対して、紫式部は「宮中のようなところで、どうして見識をひけらかしたり出来るのか」と言って批判したのだ。二人が活躍した時期には若干のズレがあり、実際に顔を合わせることはなかった。しかし、お互いに相容れない存在であったことは間違いなさそう。
●ライバルがいたからこそ.....
また、彼女たちの不仲説を後押しする根拠に、とある政治的背景が存在している。時の一条天皇は「一帝二后」という二人の妻を置くシステムの祖であり、皇后に定子(ていし)、中宮には彰子(しょうし)を立てていた。そして清少納言は定子に、紫式部は彰子に仕えていたのである。仕える后同士が対立しているのだから、二人が相反する関係であったことは想像できるだろう。とはいえ、ライバルがいたからこそ互いに高め合うことが出来たのもまごうことなき真実。そんな二人の対立関係が、女流文学の隆盛に繋がった.....と言えるのかも知れない。
また、彼女たちの不仲説を後押しする根拠に、とある政治的背景が存在している。時の一条天皇は「一帝二后」という二人の妻を置くシステムの祖であり、皇后に定子(ていし)、中宮には彰子(しょうし)を立てていた。そして清少納言は定子に、紫式部は彰子に仕えていたのである。仕える后同士が対立しているのだから、二人が相反する関係であったことは想像できるだろう。とはいえ、ライバルがいたからこそ互いに高め合うことが出来たのもまごうことなき真実。そんな二人の対立関係が、女流文学の隆盛に繋がった.....と言えるのかも知れない。
学校で習った歴史はウソだらけ!?
日本史 大ウソ事典 「古代」
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