Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

菜根譚 後集59項

2016-09-30 13:36:37 | Weblog

 

有一楽境界、就有一不楽的相対待。
有一好光景。就有一不好的相乗除。
只是尋常家飯、素位風光、纔是個安楽的窩巣。

一の楽境界有らば、就ち一の不楽の相対待するもの有り。
一の好光景有らば、就ち一の不好の相乗除するもの有り。
只、是れ尋常の家飯、素位の風光のみ、纔かに是れ個の安楽の窩巣なり。

*******************************************************

「楽あれば苦あり」

一つの楽しいことがあると、それに対して一つの楽しくないことが向かい合っているものがある。
また、一つの良い環境があると、それに対して一つの良くない環境があって、
差し引き何でもないことになってしまう。
ただ、平生のごく普通の食事を食べながら、何でもない境遇にいて、
はじめてそれが一つの安楽な住み家となる。








何て気持ちの良い日でしょう。
となると、表に出てみたくなるものですが、
私は昨日より二階の、所謂物置代わりみたいになっている部屋を、
掃除&片付けをしております。
今外に置いてある鉢物などは、冬季間、二階に置こうと思っているのです。
温室なんかがあれば、どれだけ嬉しいかしらんと想うけど、
恐らくはあったらあったで始末に終えなくなるんだろう。

市の大型ゴミ収集センターに問い合わせをしたことがあった。
てっきり大型ゴミで出さなきゃ行けないのだろうと思ってた物が、
ゴミ袋に収まるなら、燃やせるゴミで良いと言う。
聞いてみて良かった。案ずるが産むが易し。


https://www.youtube.com/watch?v=unX32z78G5E


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菜根譚 後集58項

2016-09-29 11:44:45 | Weblog

 

熱閙中、着一冷眼、便省許多苦心思。
冷落処、存一熱心、便得許多真趣味。

熱閙の中に、一の冷眼を着くれば、便ち許多の苦の心思を省く。
冷落の処に、一の熱心を存せば、便ち許多の真の趣味を得。

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「時には冷静に、時には情熱的に」

多事多忙な時に、それに流されないで一つの冷静な目を持って対処すれば、
そうしたら多くの苦しい思いを除くことができる。
また、落ちぶれた時に、力を落さないで一つの情熱を持って対処すれば、
そうしたら多くの本当の心の味わいを得ることができる。









私が菜根譚に触れた際、先ず覚えるのには(或いは慣れるのには)写し書きがいいだろうと思いました。
それも、もうすでに四巡目となりました。
それは、論語とか大学・中庸でも感じたことだけれど、写して書いて、その意味を知ると、
何だか落ち着いて来るような心持ちになります。
何事かの時にも、フッと、菜根譚にこう書いてあったと思い出しますが、
日々元気なうちって云うか、元気で居られるよう、菜根譚は何度でも繰り返し読んで行こうと想っています。
(o^▽^o)/ 


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菜根譚 後集57項

2016-09-28 11:25:51 | Weblog

 

人情世態、倐忽万端。不宜認得太真。
堯夫云、昔日所云我、而今却是伊。
不知今日我、又属後来誰。
人常作是観、便可解却胸中罥矣。

人情世態は、倏忽万端たり。
宜しく認め得て太だ真なりとすべからず。
堯夫云う、「昔日我と云う所は、而今却って是れ伊なり。
今日の我は、又後来の誰に属するかを知らず」と。
人、常に是の観を作さば、便ち胸中の罥を解却すべし。

***************************************************

「生々流転は世の習い」

人の心や世の中の有り様は、忽ち変わり、また色々な様相を呈する。
だから、ある一点だけを取り上げてそれだけが真実であるとしてはいけない。
邵康節も、「昔、自分のものと言っていたところのものは、現在ではそれは他人のものとなっており、
現在自分のものは、また将来は誰のものになるかは分らない」と言っている。
人はいつでもこの様な見方をしたならば、そうすれば胸の中につかえている蟠りを解いてしまうことができよう。







このところの好天続きだったものが、今日は雨となりそうです。
朝のうちはまだ日差しがあったのに、直に部屋が真っ暗になって来ました。
もしも今日も雨さえ降らないのなら、また散歩に出てみようと思っていましたが、
張り切り過ぎも何なので、お休みにしようと思っています。
家でよくよく動いているから大丈夫と思っていたけれど、
心して歩かなきゃ足腰がダメになっちゃう...って不安になった。
軽くでも歩けば、後に心地好い疲れがあるのが、ちょっと快感です。Fight(^∇≦)о☆


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菜根譚 後集56項

2016-09-27 09:28:45 | Weblog

 

自老視少、可以消奔馳角逐之心。
自瘁視栄、可以絶紛華靡麗之念。

老より少を視れば、以て奔馳角逐の心を消すべし。
瘁より栄を視れば、以て紛華靡麗の念を絶つべし。

***************************************************

「立場をかえてものを見る」

老人になった時の気持ちで若い人たちを見ると、
駆け回り追い争っている功名心を消すことができる。
また、落ちぶれた時の気持ちになって華やかな生活を見ると、
その上辺だけの賑やかで派手な生活を求める心を絶つことができる。







この時季とは思えぬ暖かさ或いは暑さの日中、外仕事も一段落しているから、散歩とかランチに出てみることにしています。すごく久しぶりになるけれど「びっくりドンキー西野店」に行って来ました。食後は側の「ダイソー」に寄り、
いったい何に使うのか?シリーズを10点買う。ツマラナイことだけど、こう云うのも面白いものですね。
面白いってことは良い一日を過ごせたと云うことでしょう。


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菜根譚 後集52項

2016-09-23 10:23:26 | Weblog

 

多蔵者厚亡。
故知、富不如貧之無慮。
高歩者疾顛。
故知、貴不如賤之常安。

多く蔵する者は、厚く亡う。
故に知る、富は貧の慮無きに如ざることを。
高く歩む者は、疾く顛る。
故に知る、貴は賤の常に安きに如かざることを。

******************************************

「富貴の憂い」

財産をたくさん持っている人は、損をする時にも莫大な損をする。
だから、金持ちは、財産のない貧乏な人が財産を失う心配がないのには及ばないことが分る。
地位の高い人は、失脚することも早い。
だから、身分の貴い人は、低い地位の人がいつも安心していられるのには及ばないことが分る。









昨夜のうちから降り出して来た雨は、小雨ながらも朝から降っています。
でもこの雨は、私はいい雨だと思っています。
どうしてかと言うと、昨日、プランターの余っている土を花壇内に入れたから、
馴染んで落ち着いてくれると思っているから。
毎年春にホームセンターから大量の花や野菜の土を買っているのですが、
秋になって、プランターの終わった草花を始末したあと、この土をどうしたものかと悩みます。
狭い敷地ながら、もう一ヶ所花壇などを作ってもいいのじゃないかって想いもしたけれど、
冬の除雪のことを考えれば、ちょっと困難かも知れません。
だから、もう少し考えてみてから始めようと思います。
一応、古い土だって取っておき、また春には肥料など混ぜて再生させると云う手もあるけれど、
その、土の入ったままのプランターの置き所がないのです。
ほぼ5ヶ月間のガーデニングシーズン、いつもながらもっと遣れたのではないかと、
後悔(?)のようなものが起きますね。
でも、土に触れて日々を送って行くことは、とても大事なことを教えられる気がしています。


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菜根譚 後集51項

2016-09-22 11:29:18 | Weblog


欲其中者、波沸寒潭、山林不見其寂。
虚其中者、凉生酷暑、朝市不知其喧。

其の中を欲にする者は、波、寒潭に沸き、山林もその寂を見ず。
其の中を虚にする者は、凉、酷暑に生じ、朝市も其の喧を知らず。

********************************************************

「欲望多き者と無欲の者」

その心の中が欲でいっぱいになっている人は、寒々として澄んだ深い淵でも波が沸き上がるようであり、
静かな山林に住んでいても、その静寂さが分らない。
これに対し、その心の中に欲が全く無い人は、非常に暑い時でも涼しい風が生ずるようであり、
騒々しい雑踏の中でも、その喧しさを感じない。









今日は秋分の日。
ついこの前まで暑い...って嘆いていたのに、ホント、月日の経つのは早いものですね。
けど、例年のこの日よりか全然暖かな感じがします。何せ、私はまだ半袖を着ているんですから。
お休みの日やそうじゃない日も、以前は必ずどこかに出かけていましたが、
処々、色んなことを整理したり片付け、始末をした挙句には、自分の家が一番良くなりました。
それと、他からと云うよりか、私の家に居ればこその想像力が出て来る。
自分流の楽しみがいっぱいあり、何もわざわざ人の中に在らなければ為らないってことはない。


https://www.youtube.com/watch?v=KQX_HncvD2Y


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菜根譚 後集50項

2016-09-21 15:15:40 | Weblog

 

髪落歯疎、任幻形之彫謝、鳥吟花咲、識自性之真如。

髪落ち歯疎にして、幻形の彫識するに任せ、
鳥吟じ花咲きて、自性をして真如を識る。


****************************************************

「諸行無常の真実相」

髪は抜けて薄くなり、歯も抜けて疎らになったら、
それは本来、幻のような肉体であるから、そうなるのは当然である。
自然に衰えるのに任せておき、小鳥が楽しげに歌い、花は美しく咲くのを見ていると、
こうしたありのままの世界の本性が、すべて真実であると云うことが解る。



秋晴れの、とても気持ちのいい日となりました。
私は相変わらずで、忙しなく家のことや庭のことで大わらわ。
でも、私はこんな風にしていることが大好き。(○・∀・●)*°

https://www.youtube.com/watch?v=GuQPJhLPRro


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菜根譚 後集46項

2016-09-17 10:38:48 | Weblog

 

一字不識、而有詩意者、得詩家真趣。
一偈不参、而有禅味者、悟禅教玄機。

一字も識らざるに、而も詩意有る者は、詩家の真趣を得。
一偈も参ぜざるに、而も禅味有る者は、禅教の玄機を悟る。

****************************************************

「真実は文字言句にかかわらない」

文字は一字も知らないのに、詩の心がある人は、詩を作る人たちの本当の心持ちを理解できる。
また、偈頌は一つも習っていないのに、心に禅の妙味が具わっている人は、
禅の教えの最も大事な働きを悟ることができる。

*偈頌
 禅宗では悟りの境地などの宗教的内容を表現する漢詩のことをいいます






今朝は昨日と打って変わって雨音で目を覚ましました。
すっかりと秋らしくなったものだなぁと思いますが、これでも昨年の今頃よりかずっと暖かい。
庭仕事は毎日少しづつやっているから、朝に先ず外仕事をして大汗をかくこともなくなりました。
だから、家のことも早々に終えられてしまう。
遂に手持ち無沙汰のようになるけれど、せっかくの静かな日常であるのだから、
家にいるのが私は一番好きです。
また、家にいることを愉しめるようにと、何年もかけて下地作りをして来たつもりです。
何処でもなく、自分の直ぐ側や足元に幸いがあるってことを私は知っています。
一時的な熱情で出ずっぱりだったこともあったけれど、今思えば案外と虚しいことだった風に想う。
けど、そんな体験を経て、自分のコンプレックスだったり弱点が知れるものなんですよね。


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菜根譚 後集44項

2016-09-15 11:58:28 | Weblog

 

徜徉於山林泉石之間、而塵心漸息、
夷猶於詩書図画之内、而俗気潜消。
故君子雖不玩物喪志、亦常借境調心。

山林泉石の間に徜徉すれば、而ち塵心漸く息み、詩書図画の内に夷猶すれば、而ち俗気潜かに消ゆ。
故に君子は、物を玩びて志を喪わずと雖も、亦常に境を借りて心を調う。

**********************************************************************

「自然を賞で、自然に学ぶ」

山深い林や泉石などの自然の中でブラブラ散歩すると、俗世界の塵に汚れた心も次第に無くなり、
また、詩や絵画という風流なものにユッタリと心を遊ばせていると、世俗的な気質もいつしか消えてしまう。
だから、君子たる者は、本来は外物を楽しんで本心を失うようになるのは行けないのであるが、
また一方で、いつも外境によって心を調えることも必要である。









よく外に遊びに出ていた時よりか、毎日自宅のことに集中している方が全然充実しているって感じです。
幸せの青い鳥は自分の身近にいるって言うけれども、我が家が一番ですね。


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菜根譚 後集41項

2016-09-12 13:10:53 | Weblog

 

此身常放在間処、栄辱得失、誰能差遺我。
此心常安在静中、是非利害、誰能瞞昧我。

此の身を常に間処に放かば、栄辱得失も、誰か能く我を差遺せんや。
此の心を常に静中に安かば、是非利害も、誰か能く我を瞞昧せんや。

*****************************************************

「身はゆったり、心は静かに」

この身をいつもユッタリした処に置くことが出来れば、世間の栄辱や損得で以って、
誰がいったい私の身を追いやることができようか。
また、この心持ちをいつも静かな状態に落ち着かせておくことが出来れば、
世間の是非や利害で以って、誰がいったい私の心を騙し晦ますことができようか。







暑い日がことのほか続きましたが、その後は実に穏やかな日和です。
私の言い方をすれば、色んな嫌だった思い出を巡らすのが、実に損なことだと思えるくらい。


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菜根譚 後集39項

2016-09-10 14:09:57 | Weblog

 

袞冕行中、着一藜杖的山人、便増一段高風。
漁樵路上、着一袞衣的朝士、転添許多俗気。
固知、濃不勝淡、俗不如雅也。

袞冕の行中に一の藜杖の山人を着くれば、便ち一段の高風を増す。
漁樵の路上に、一の袞衣の朝士を着くれば、転た許多の俗気をう。
固に知る、濃は淡に勝らず、俗は雅に如かざることを。

********************************************************

「俗は雅におよばない」

礼服礼帽をつけた高位高官たちの団体の中に、
藜の杖をついた一人の隠士を加えると、
そうするとそのままでちょっとした高尚な様子が増して来る。
それに対して、漁夫やきこりのような身分の低い人たちが往来する所に、
礼服を着た一人の役人を加えると、
益々多くの俗っぽい様が加わって来る。
そのことから、濃厚なものは淡白なものに勝るということはないし、
俗っぽいものは高尚なものには及ばないということが本当に分る。






ハーブ塩なるものを試してみたくて、先ずシンプルにおにぎりにしてみようと思いました。
ご飯が炊けるまで、外でちょっと花壇の植え替えをしているうち、雨が降り出してきましてね。
少し濡れてしまったので、着ていたものをまた洗濯。
その間、ハーブ塩おにぎりの昼食をしました。
ご飯に塩少々、白ゴマ少々、ごま油少々を混ぜ、握る時にお好みで塩をまた着けると良いでしょう。
想像以上に美味しかったので、今度また何か工夫して作ってみたいと思います。


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菜根譚 後集38項

2016-09-09 17:23:49 | Weblog

 

蘆花被下、臥雪眠雲、保全得一窩夜気。
竹葉杯中、吟風弄月、躱離了万丈紅塵。

盧花被の下、雪に臥し雲に眠らば、一窩の夜気を保全し得。
竹葉杯の中、風に吟じ月を弄ばば、万丈の紅塵を躱離し了る。


***********************************************************

「隠棲の楽しみ」

蘆の穂を入れた薄い夜具の中、雪の中で雲の上のような俗世間を離れた所で眠ると、
部屋いっぱいに満ちた霊気を、自分の身の内にしっかりと保つことができる。
また、酒を飲みながら、清風に詩を吟じ明月を鑑賞していると、
積もり積もった世俗の汚れから自分の身をかわし、すっかり離してしまうことができる。






涼しくなり、って言うよりか、今日などはもしかして肌寒い日とも言えるかも知れません。
でも、快調!
色々と問題があったことが、涼しくなったことで一挙に解決しました。
面倒なことは、一つもないです。

 今は、昨日から始まったRioパラリンピックに注目しています。
私は毎朝3時頃に起きるのですが、丁度競技の結果などが入って来ます。


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菜根譚 後集34項

2016-09-05 13:42:26 | Weblog

 

禅宗曰、饑来喫飯、倦来眠。
詩旨曰、眼前景致、口頭語。
蓋極高寓於極平、至難出於至易。
有意者反遠、無心者自近也。

禅宗に曰く、「饑え来たらば飯を喫し、倦み来たらば眠る」と。
詩の旨に曰く、「眼前の景致、口頭の語」と。
蓋し、極高は極平に寓し、至難は至易に出ず。
意有らば反って遠く、心無くばは自から近きなり。


**************************************************************

「自然に生きる」

禅の宗旨を説いた語句に、「腹が減ったならば飯を食い、眠くなったら寝る」と言っている。
また、詩の妙旨を説いた語句に、「詩と云うものは実際目の前に見える景色を題材とし、
普通使用している言葉で表現する」と言っている。
思うに、最も高遠な真理と云うものは、最も平凡なものの中に宿っており、
至難な事柄は最も平易なものの中から出て来る。
だから、殊更に意を用いて技巧を加えたならば、却って真実から遠くなり、
自然なままに無心であったならば、自ずから真実に近くなる。






少しづつ夏負けが解消されて来ていますが、まだ、エアコンのアシストがなきゃ居られません。
それと、夏の暑さで傷んだ、或いは枯れた草花をボチボチ始末しています。
初夏の頃までは今年ほど上手く行ったガーデニングもないと思っていたのに、
まだまだ課題は多いようで、寂しいような、また来年頑張らなきゃと云う思いがあります。


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菜根譚 後集32項

2016-09-03 13:17:21 | Weblog

 

孤雲出岫、去留一無所係。
朗鏡懸空、静躁両不相干。

孤雲、岫を出ずるも、去留は一も係る所なし。
朗鏡、空に懸るも、静躁は両つながら相干さず。

*************************************************

「無心の徳」

一片の白雲が静かに山の洞穴から出て来ても、
その雲の様子は、去るも留まるも一切関わりなく全く無心である。
また、明月が空にかかっていても、下界の静けさや騒がしさは共に関係がなく、
くまなく明るく下界を照らしている。







外が明るくなって来て、先ず外仕事の色々をし、
それから家の中のこと、洗濯や掃除、片付け、或いは模様替え、猫たちの世話、
と始めるのですが、暑いせいにして、それも休み休みだし、
家事が終わった後に小1時間ほど横になることがあります。
何一つ、することは変わっちゃいないし、不満なことだって何もないから、
疲れてる...と云うのとはちょっと違うかも知れない。
どうして?と考えてどうにかなるなら考えてみてもいい。
が、考えてもどうにもならないのなら、そのうちにと想っておく方がいいのじゃないかナ。
まあ、こんなもんだ。


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菜根譚 後集31項

2016-09-02 12:54:50 | Weblog

嗜寂者、観白雲幽石而通玄、趨栄者、見清歌妙舞而忘倦。
唯自得之士、無喧寂、無栄枯、無往非自適之天。

寂を嗜む者は、白雲幽石を観て玄に通ずとし、
栄に趨る者は、清歌妙舞を見て倦むを忘る。
唯、自得の士のみ、喧寂無く、栄枯無く、
往くとして自適の天に非ざるは無し。

**************************************************

「悠々自適の境界」

世俗を離れて静寂だけを好む人は、山中の白い雲や趣きある石を見て、
これだけが玄妙な道に通じるものであると固執しており、
また、俗世間の華やかさだけを追い求める人は、清らかな歌や妙なる舞を見て、
そのようなものばかりに心を熱中させる。
ただ、道を体得した立派な人だけが、環境が騒がしいか静かであるかに関係なく、
また時期の栄枯盛衰にも捉われず、何時何処に身を置いたとしても、
自分の心にピッタリ適った自由自在な天地でない所は何処にもない。


 

誰もが自分が興味関心を持ったことを、最初から熱情が冷めた場合のことなど想像などしないだろう。
けど、いつかはきっとそんな日がやって来るものですね。
私にだって、あんなに夢中になって楽しかったことの幾つかの夢から覚めた時、
いったい自分って何のつもりでいたのかと、とても虚しい気がします。
少しは飽きっぽいと云うところはあるかも知れないが、
それを繰り返さずにはいられないと云うのも人間かしらんと想うのですよね。
喩え、自分が嫌われることがあっても、
それって自分の問題などではないのだと云う思考の持ち主の私は、
虚しさを餌として生きているようなものだ。
ただ、それを止めて虚しさや苦痛から開放されるとしたなら、
早速去るとか捨てるべきではないのか。
けど、とても勇気が要るじゃないですか。
私は、その勇気だっけがある気がします。


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