Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

菜根譚 後集84項

2023-10-31 10:49:01 | Weblog




真弓


人心有個真境。
非絲非竹、而自恬愉、不烟不茗、而自清芬。
須念浄境空、慮忘形釈、纔得以游衍其中。

人の心に個の真境あり。
糸に非ず竹に非ずして、自ずから恬愉し、
烟ならず茗ならずして、自ずから清芬あり。
須らく念浄く境空じ、慮忘れ形釈くべく、
纔かに以て其の中に游衍するを得ん。
 

「念慮を捨て去る」
人の心の中には、一つの真実の境地がある。
この境地を得た人は、琴や笛などの音楽によらなくとも、
自然に心が安らかになり、香や茶によらなくとも、
自然に清らかな芳しい境地に浸ることができる。
この様な境地になるには、心を浄らかに保ち、
物に対する捉われをなくし、
思慮分別の心を無くし、自己の肉体から解放され、
そこで初めて本当の境地で自由自在に行動することができるであろう。






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菜根譚 後集83項

2023-10-30 10:42:30 | Weblog


達磨ヒオウギの種

性天澄徹、即饑喰渇飲、無非康済身心。
心地沈迷、縦譚談禅演偈、総是播弄精魂。

性天澄徹せば、即ち饑えて喰し渇きて飲むも、身心を康済するに非ざるは無し。
心地沈迷せば、縦い禅を譚い偈を演ぶるも、総て是れ精魂を播弄す。
 

「悟りの心と迷いの心」
本性が澄み切っていたならば、例え腹が減れば飯を食べ、
喉が乾いて水を飲むと云う貧しい生活をしていても、
身や心を安らかに保ってないと云うことはない。
一方、心が暗く迷っていれば、例え禅について議論をし、
禅の心を述べた偈頌を唱えると云う清らかな生活をしていても、
それらはすべて精神を無駄に弄ぶことになってしまう。




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菜根譚 後集81項

2023-10-28 10:28:43 | Weblog


不知火(デコポン)

今人専求無念、而終不可無。
只是前念不滞、後念不迎、但将現在的随縁、打発得去、自然漸漸入無。


今の人は、専ら念い無きを求む。而れど念いは終に無すべからず。
只是れ、前念滞らず、後念迎えず、但現在の随縁を将て、打発し得去らば、
自然にして漸々無に入らん。


「念を去らずに無念に入る」
近頃の人達は、無念になることを一生懸命求めている。
だけれども、念と云うものは結局失くしてしまうことはできない。
ただ、過去の思いを留めておかずに流し去り、
未来の思いをこちらから敢えて迎え求め様とせず、
ただ現在、因縁に従って起こっていることを、
そのまま留めておかずに送り出してしまうことができたなら、
己から段々に、無の境地に入ることだろう。

     ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆







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菜根譚 後集67項

2023-10-14 12:04:02 | Weblog


真弓(檀、Spindle tree) Euonymus hamiltonianus
                                     真心 艶めき 心に潜んだ 
                    あなたの魅力を心に刻む

魚得水逝、而相忘乎水、
鳥乗風飛、而不知有風、
識此、可以超物累、可以楽天機。

魚は水を得て逝きて、而も水を相忘れ、
鳥は風に乗りて飛びて、而も風有るを知らず。
此れを識らば、以て物累を超ゆべく、以て天機を楽しむべし。
 

「魚は水を忘れ、鳥は風を知らず」
魚は水を得てそこで自由に泳ぎまわり、水のあることをスッカリ忘れており、
鳥は風に乗ってそこで自由に飛びまわり、風のあることをスッカリ忘れてしまっている。
人もこの道理を悟ったならば、外物に動かされる煩わしさを超越することもできるし、
自然の妙なる働きを楽しむこともできる。





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菜根譚 後集63項

2023-10-10 14:28:11 | Weblog



林間松韻、石上泉声、静裡聴来、識天地自然鳴佩。
草際煙光、水心雲影、閑中観去、見乾坤最上文章。

林間の松韻、石上の泉声は、静裡に聴き来たらば、天地自然の鳴佩なるを識る。
草際の煙光、水心の雲影は、閑中に観去らば、乾坤最上の文章なるを見る。


「天然の音楽、自然の絵画」
林の中から聞こえて来る松風の響きや、岩のほとりを流れる風の音は、
それを静かな中で聞いていると、そのままで、天地自然が奏でる妙なる音楽であることが分る。
また、野原の果てにたなびく霞や、澄んだ水の上に映る雲の影は、
それをユッタリした中で見ていると、そのままで、天地自然が描く最も優れた絵であることが分る。

 


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菜根譚 後集62項

2023-10-09 13:45:01 | Weblog




古徳云、竹影掃堦塵不動、月輪穿沼水無痕。
吾儒云、水流任急境常静、花落雖頻意自閒。
人常持此意、以応事接物、身心何等自在。

古徳云う、「竹影、堦を掃うも塵動かず、月輪、沼を穿つも、水に痕なし」と。
吾が儒云う、「水流、急に任せて、境常に静かに、
花落つること頻りなりと雖ども、意自ずから閑なり」と。
人、常に此の意を持して、以て事に応じ物に接せば、身心何等の自在ぞ。


「ものに当たってものに触れず」
古えの名僧は「竹の影が階段に映り、そこを掃き払う様にしても、階段の塵は少しも動かず、
月の光が池の水を突き破っている様に映っているが、水に月の痕跡を残すことはない」と言っている。
また、わが儒者は、「水の流れは激しいが、その激しい水の流れに任せ切っていれば、
その境地はいつも静かであり、また、花がしきりに落ちて万物は変化して止まないけれども、
その自然の様子を見ている心は、自ずとユッタリしている」と言っている。
人はいつも、この様な気持ちを持って、物事に当たったり人に接したりしていれば、
何と身も心も自由自在であることか。



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◆「板垣死すとも自由は死せず」が板垣退助の言葉というのはウソ

2023-10-04 15:27:27 | Weblog

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板垣は暴漢から刺殺されたと勘違いされることもあるが、
事件から30年以上生き続けて自由民権運動に力を注いだ。


政治を独占していた薩長勢力への反対から火がついた自由民権運動。
国会開設を目標に国民の自由や権利を要求して全国的に広がった運動で、
その指導的立場にあって人気を集めたのが維新政府の元メンバー板垣退助だ。
板垣が演説中に暴漢に刺されて言ったとされる「板垣死すとも自由は死せず」は有名な台詞だが、
実はこの台詞は板垣自身が発したものではない。
報知新聞の取材によると、これは板垣の秘書内藤魯一が叫んだ言葉で、
内藤自身が板垣の言葉として伝えたのだという。
板垣自身は「痛くて声も出なかった」と書物で回想しているほどだから自由を説く余裕などなかっただろう。
現場は入り乱れていた為、正確な状況を把握するのは難しいが、
土佐弁で叫んでいたり、「痛い、医者を呼んでくれ」と叫んでいたとも言われる。
 
   
                                                教科書も間違っていた 歴史常識のウソ
                                 人物にまつわるウソ 「日本編」






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菜根譚 後集57項

2023-10-04 12:58:48 | Weblog


小紫 Callicarpa dichotoma 気品 知性 聡明


人情世態、倐忽万端。不宜認得太真。
堯夫云、昔日所云我、而今却是伊。
不知今日我、又属後来誰。
人常作是観、便可解却胸中罥矣。

人情世態は、倏忽万端たり。宜しく認め得て太だ真なりとすべからず。
堯夫云う、「昔日我と云う所は、而今却って是れ伊なり。
今日の我は、又後来の誰に属すかを知らず」と。
人、常に是の観を作さば、便ち胸中の罥を解却すべし。
 
「生々流転は世の倣い」
人の心や世の中の有り様は、忽ち変り、また色々な様相を呈する。
だから、ある一点だけを取り上げてそれだけが真実であるとしては行けない。
邵康節も「昔、自分のものと言ってた処のものは、現在ではそれは他人のものとなっており、
現在自分のものは、また将来は誰のものになるかは分らない」と言っている。
人はいつでもこの様な見方をしたならば、
そうすれば胸の中につかえているわだかまりも解いてしまうことができよう。

 


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◆夏目漱石 (1867~1916年) 江戸(現・東京都) 心霊学に傾倒するのは文豪の嗜みだった?

2023-10-03 13:37:18 | Weblog

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 明治・大正時代を代表する国民的作家、夏目漱石の名は、誰でも聞いたことがあるだろう。
代表作は『吾輩は猫である』などのユーモア小説や、『こころ』の様に人間の真実に迫る文学作品だが、
彼がその最初期にはスピリチュアリズムにアプローチする小説を発表していたことはあまり知られていない。
漱石は帝国大学に於いて英文学研究をした後、33歳で本場イギリスに留学したが、
当時のイギリスは心霊学ブームの真っ只中にあった。
ブームの牽引役は中流階級以上の教養層であり、
心霊学は胡散臭いながらも一種の「最新科学」と捉えられていたのだ。
留学中の漱石は大学での聴講を良しとせず、己の見識で探し出した最新の研究本を乱読していたと謂う。
だから、その中に心霊学の本が入っていたとしても何の不思議もない。
実際、帰国後5年間は、不吉な予言から許嫁の死の兆しに怯える様になる男を描いた『琴のそら音』や、
異国で戦死した青年の母を思う心が起こす小さな奇跡譚『趣味の遺伝』など、
スピリチュアリズムの影響濃い作品をものしている。
漱石にとって、心霊学は近代人としてかじっておくべき教養の一つだったのだ。
       

                          世界と日本の怪人物FILE
                              歴史上の偉人たちに隠された裏の顔


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◆教員たるもの発言には要注意 夏目漱石の発言が生徒の自殺の原因に!?

2023-10-03 13:23:04 | Weblog

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★「漱石」の由来は中国の故事だった
 「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こゝろ」など後世まで讃えられる数多くの作品残し、
明治・大正期を代表する文豪として知られる夏目漱石。本名は夏目金之助で、
「漱石」という名は正岡子規から譲り受けたペンネームだったことはご存知だろうか?

「漱石」は唐代の『晋書』の故事「漱石沈流(石に漱ぎ流れに枕す」から取ったものである。
子規はペンネームの一つからこれを譲ったのだが、その意味は、負け惜しみが強く頑固なこと。
何故、漱石はこのペンネームを使い始めたのか?
それは漱石自身が類を見ないほどの負けず嫌いだったからである。
   

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★教員時代に残した負け惜しみ伝説
 漱石は教員を務めていた頃、その負けず嫌いな性格を窺わせる逸話を幾つも残している。
たとえば中学校で英語を教えていた時のこと。
生徒が「今の先生の訳語は辞書に載っていません」と指摘すると、
漱石はたじろぎもせず「辞書が間違っているのだ。辞書を直しなさい」と居直ったという。

また、東大で教鞭を取っていた時、ポケットに手を入れている学生を叱りつけると、
その学生は片腕が無かった。さすがの漱石も申し訳なかったと謝ったが、
その後に「私も無い知恵を出して講義をしているのだから、君も無い腕を出したらどうかね」と
余計な一言を付け加えてしまった。
いくら負け惜しみが強いといっても、ものには限度というものがある。
   
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★後年の鬱病の元になったとも.....
 そんな漱石の負け惜しみ発言だが、思わぬ悲劇を呼んでしまったこともある。
東大の講義にて、ある学生に英文を訳させたところ「予習していません」というので
「次は予習しておくように」と指示した。だが、次の講義でもその学生は予習をして来なかった。
怒った漱石は「勉強する気がないなら、教室に来なくていい!」と言い放った。
その学生は程なくして、華厳の滝に身を投げて命を絶っている。
学生の名は藤村操。高名な東洋史学者の甥であり、この自殺は社会に大きな影響を与えた。
遺書を見る限りでは件の授業が原因だとは限らないのだが、
藤村の死を知った漱石は酷く狼狽し、神経衰弱を起こしてしまった。
もとより神経質なところがあった漱石にとって、教員という職業は向いていなかったのかも知れない.....。
   
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★その後の漱石の活躍ぶり
 そんな悲痛な経験をした漱石だが、その後の彼の作家としての業績には目覚ましいものがある。
1904年の暮れから処女作「吾輩は猫である」を執筆。
これが「ホトトギス」で初めは読み切りとして掲載されると好評を博し、
漱石は作家として生きることを決意する。
その後も「坊ちゃん」などで人気作家となると、一切の教職を辞して東京朝日新聞社に入社。
本格的に職業作家としての道を歩むことになる。
その後も「三四郎」「それから」などの作品を意欲的に発表するが、
胃潰瘍が原因で生死の間を彷徨う危篤状態に。
何とか持ち直すものの以降も何度か胃潰瘍で倒れ、1916年に49歳でこの世を去った。
こうしてその生涯を振り返ると、漱石にとって藤村操の死が一つの転機点になっていることがよく分かる。
彼の死は決して無駄ではなかったのだ。
   
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菜根譚 後集56項

2023-10-03 13:11:12 | Weblog


花虎尾(Obedient plant) Physostegia virginiana
                     望みの成就 達成 希望


自老視少、可以消奔馳角逐之心。自瘁視栄、可以絶紛華靡麗之念。


老より少を視れば、以て奔馳角逐の心を消すべし。
瘁より栄を視れば、以て紛華靡麗の念を絶つべし。


「立場を変えてものを見る」
老人になった時の気持ちで若い人達を見ると、
駆け回り追い争っている功名心を消すことができる。
また、落ちぶれた時の気持ちになって華やかな生活を見ると、
その上辺だけの賑やかで派手な生活を求める心を絶つことができる。






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菜根譚 後集61項

2023-10-02 13:40:45 | Weblog


萩(Bush clover) Lespedeza 思案 柔軟な精神


知成之必敗、則求成之心、不必太堅。
知生之必死、則保生之道、不必過労。

成の必ず敗るるを知らば、則ち成を求むる心、必ずしも太だ堅からず。
生の必ず死するるを知らば、則ち生を保つの道、必ずしも過ぎて労せず。
 

「生者必滅の道理」
成功したら必ずいつかは失敗するものであると云うことを知ったならば、
成功することを求める気持ちも、必ずしもそれほど強くはならないであろう。
また、生きている者は必ずいつかは死ぬものであると云うことを知ったならば、
できるだけ長生きしようとする方法についても、
必ずしもそれほど憂え悩む必要もないであろう。






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