Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆日本神話に見る 呪術の起源

2024-07-16 13:36:33 | Weblog

写真の説明はありません。
天瓊を以て滄海を探るの図
伊弉冉尊と伊弉諾尊が天の浮橋に立ち、地上に天之瓊矛を突き刺し国を産んだ。

伏見稲荷大社、テキストの画像のようです
伊弉諾神宮 天照大神に後を託し、伊弉諾尊は淡海の多賀に寓居したとされる。
その場所が兵庫県淡路市多賀に建つ「伊弉諾神宮」だという説がある
伏見稲荷大社、テキストの画像のようです
多賀大社 古事記によれば、伊弉諾尊がお隠れになったのは淡海の多賀とある為、
     淡海=近江とされ、淡海の多賀は滋賀県の近江の多賀大社のことだという説もある。
写真の説明はありません。
黄泉比良坂 伊弉諾尊と伊弉冉尊が千引石を挟んでお互いを呪詛したとされる黄泉比良坂が、
      島根県松江市揖屋にある「神蹟黄泉比良坂伊賦夜伝説地」だとされている。

伏見稲荷大社、テキストの画像のようです
富士山本宮浅間大社
木花咲耶姫を主祭神とし、相殿に夫となった瓊瓊杵尊と、その父神の大山祇神を祀る浅間神社の総本社。
奥宮は富士山山頂に建てられており、富士山は富士山本宮浅間大社の御神体として崇められていた。

テキストのイラストのようです
木花咲耶姫
夫婦の契りを結んですぐに妊娠した為、瓊瓊杵尊に不倫を疑われた。
我が身の潔白を証明する為、燃え盛る産屋の中で出産するという気が強い面も持ち合わせていた。
木花咲耶姫は良妻賢母の代表でもあり、その神徳は安産や子育てとされている。(早稲田大学図書館蔵)

伏見稲荷大社の画像のようです
八咫烏神社 奈良県宇陀市に建てられた古社。
      祭神は建角身命で磐余彦尊一行の道案内をした八咫烏の化身と伝えられている。

写真の説明はありません。
女狭穂塚 宮崎県の西都原古墳群には木花咲耶姫の墓とされる女狭穂塚が残されている。

サイロ、草、霧の画像のようです
天香久山 畝傍山、耳成山と共に大和三山の一つに数えられ、三山の中で唯一「天」という尊称が付けられている。

テキストの画像のようです
神武天皇 八咫烏に導かれて大和を目指す神日本磐余彦尊一行。その行く手には、苦難の道が待ち受けていた。

呪術や祈祷、呪詛を最初に行なったのは誰か?
その答えを求めて日本の歴史を辿って行くと、神話の世界に辿り着く
   
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★伊弉諾尊と伊弉冉尊が国産み、神産みを行なう
 遥か昔、混沌とした世界が次第に固まり天と地が生まれた。
そして、「造化三神」と呼ばれる神が誕生。
更に、神代七代と呼ばれる神々が誕生し、その最後に伊弉諾尊と伊弉冉尊が産まれた。
やがて、二神は夫婦の契りを交して国産みを行ない、日本列島となる島々を産んだ。
続いて神生みを行ない、大事忍男神など自然に纏わる神を順調に産んでいく。だが、突然二神を不幸が襲う。
順調に神々を産んでいた伊弉冉尊だったが、産まれてきた神が火を司る神・軻遇突智(かぐつち)だった為、
伊弉冉尊はホト(女性器)に火傷を負い、臥せってしまった。
その後も、病状は回復せず、やがてお隠れになってしまった。
愛する妻の死を嘆き悲しんだ伊弉諾尊の悲しみは癒えない。
遂に、死後の世界である黄泉国に出向いて妻を連れ戻す決意を固めた。
伊弉諾尊は苦難に満ちた旅の果て、やっとの思いで黄泉国へ辿り着く。
そして、「愛しい我が妻よ、二人で造った国は、まだ完成していない。どうか一緒に帰ってくれないか」
この声を聞いた伊弉冉尊は、姿を見せないで、
「私は既に黄泉戸喫(よもつへぐい・黄泉国の食事)を食べてしまった為この国の住人になってしまい、
もう帰ることはできません。ですが、せっかく迎えに来て下さったので、黄泉神に相談してみます。
その間、決して私の姿を見ないで下さい」そう言って伊弉冉尊は、黄泉国の奥へと入って行く。

だが、それっきり待てど暮らせど音沙汰が無い。
心配になった伊弉諾尊は、伊弉冉尊との約束を破り、火を灯して奥へと探しに入った。

奥には伊弉冉尊がいたが、明かりに照らされた伊弉冉尊は体中腐り果て、蛆がたかり、
更に体中に蠢く八柱の雷神がまとわりついているではないか。
そのあまりにも変わり果てた姿に驚いた伊弉諾尊は慌ててその場を逃げ出した。
伊弉諾尊に姿を見られた伊弉冉尊は、
「私との約束を破って、私の姿を見たのね。もう許すことはできない」
そう言うと、伊弉冉尊に仕えている黄泉醜女と一緒に追いかけて来た。捕まれば、伊弉諾尊の命も危ない。
伊弉諾尊は、山葡萄の蔓の髪飾りを外して投げ捨てると、
蔓はみるみる成長して甘くて美味しそうな山葡萄を実らせた。
すると、伊弉諾尊を追いかけて来ていた醜女たちは、甘くて美味しそうな香りに引き寄せられたのか、
その実に群がり貪り喰らう。
その隙に伊弉諾尊は醜女たちと距離を稼ぐが、山葡萄を食べ尽くした醜女たちは再び迫って来る。

伊弉諾尊は、髪に刺した竹の櫛を抜き、その歯を折って投げ捨てた。
歯が落ちたところからたくさんの筍が生え、再び醜女たちは、その筍に群がり引き抜きながら食べ始めた。
伊弉諾尊は醜女との距離を引き離すが、今度は伊弉冉尊の体に纏わりついていた八柱の雷神たちが、
1500の軍勢を引き連れ迫って来る。
伊弉諾尊は腰に下げた十拳剣を抜くと、走りながら後手で刀を振った。
雷神たちは十拳剣を恐れ、それ以上は近づけない。

やがて伊弉諾尊は、黄泉国の出口のある黄泉比良坂の下まで辿り着くと、そこには実をつけた桃の木が生えていた。
桃の実には悪い物を退ける呪力が秘められている。伊弉諾尊は、その桃の実をもぐと追い迫る雷神めがけて投げつけた。
すると、桃の呪力により、雷神たちは逃げ去ったが、そこへ伊弉冉尊が追いついて来てしまう。

伊弉諾尊は急いで千人がかりでないと持ち上げられない千引岩で坂の出口を塞いだ。
すると千引岩の向こうから、
「愛しいあなたが、こんなことをするのなら、私はあなたの国の人々を一日に1000人殺してやるわ」
と言い、これに対し伊弉諾尊も、
「我が愛しい妻よ、お前がそんなことを言うのなら、私は一日に1500の産屋を建てさせ子供を産ませよう」
と言い返した。

この二神のやり取りが、日本初の呪詛であり、呪詛返しだとされている。

日本では、言葉には霊が宿っているとされる言霊信仰があり、
相手に対して呪いを込めた言葉を発するだけで、呪詛を行なったことになるからだ。
言葉による呪詛は現代でも行われ、敵対する相手に対して、「死ね」と罵る行為も言葉による呪詛である。
     
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★木花咲耶姫の父神から呪詛された天孫・瓊瓊杵尊
 伊弉諾尊の娘である天照大神の孫・瓊瓊杵尊は葦原中国を平定する途中、笠沙の岬で美しい乙女と出会った。
この乙女が大山祇神の娘の木花咲耶姫だった。
瓊瓊杵尊は木花咲耶姫を一目見るなり恋に落ち、すぐさま求婚する。この申し出に大山祇神は大喜びだ。
大山祇神は木花咲耶姫と瓊瓊杵尊との結婚を祝福し、多くの結納品を用意し、
更に木花咲耶姫の姉・磐長姫も瓊瓊杵尊に嫁がせる為、瓊瓊杵尊のもとへと送った。
だが、瓊瓊杵尊は磐長姫の容姿が気に入らず、磐長姫だけを大山祇神のもとへ送り返してしまったのだ。

これを知った大山祇神は、
「妹に添えて姉の磐長姫を嫁がせたのは、天孫の長寿と健康を願ってのことでした。
磐長姫には天孫の命が岩のように永遠に揺るぎないようにとの願いが込められていました。
ですが磐長姫を嫁にせず、木花咲耶姫だけを嫁にしたということは、天孫の寿命も木の花が散るように儚いものとなるでしょう」

その為、今に至る代々の天皇の寿命は、天孫の子孫でありながら人間並みに短くなってしまう。
大山祇神の無念から出たこの言葉が、天孫とその子孫へと続く呪詛の言葉となってしまったのだ。

このように何気なく呟いた言葉が呪詛になる場合もある。相手を罵らなくても、言葉による呪詛は発動してしまう。
     
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★呪術を用いて危険を回避し大和を平定後、天皇に即位
 更に、日本書紀にはこのような記述もある。
神日本磐余彦尊の一行は、どうにか菟田の高倉山に登り周囲を見渡すことができた。
そこから国見丘に敵対する八十梟帥が軍団を従え陣を張っているのが見えた。
このままでは、神日本磐余彦尊が大和へ入るのは難しい。

その夜、悩んだ神日本磐余彦尊の夢枕に天つ神が現れ、
「天香具山の社の中の土を集め、天平瓦を80枚、更に厳瓮(大きな壺)も作り、
天つ神と国つ神など総ての天神地祗を敬って祗り呪詛を行えば、敵は平伏するだろう」

神日本磐余彦尊はさっそく、仲間を地元の農民と変貌させ、天香具山の土を取りに行かせた。
当然のように神日本磐余彦尊を警戒する八十梟帥の兵士が道の警備行なっていたが、
農民に扮した姿を見つけても見咎めることはなかった。
そのまま山に入り、天香具山の社の土を取り無事に戻って来た。

早速、神日本磐余彦尊はの丹生川上で天平瓦と厳瓮を作らせ、
天神地祗に祈り八十梟帥を調伏させた。
この後日談は割愛するが、神日本磐余彦尊は大和を治め、
初代神武天皇として即位する。

神日本磐余彦尊は天つ神の託宣を受けて、八十梟帥を調伏する方法を学んだ。
このように、初代神武天皇誕生には呪術の力が用いられている。
呪術の力がなければ、大和は平定されず天皇家の時代は訪れなかったかも知れない。
     
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                          呪術と祈祷の日本史
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