山河や大地の様な、一見大きく見えるものも、もっと大きなものから見れば、
微塵の様にちっぽけなものである。
まして塵の中の塵とも云うべき小さな生物は、
もっと取るに足りないものであることは言うまでもない。
人間の肉体の様な、一見実体がある様に見えるものも、
流れに浮かぶ泡や物の影の様に、結局は消えてしまうものである。
ましてや影のまた影とも云うべき実体のない名誉や地位が更に虚しいものであることは言うまでもない。
最上の智慧でなかったらば、この様なものを明察する心は出て来ない。
菜根譚後集12より
昨日は、「リンカーン」を観に行っていました。
「オズ」以来だと思うんですが、大よそこの時代の背景は同じなんだろうと、
「風と共に去りぬ」とか「若草物語」とかってのも、南北戦争頃だったと思う。
何か上手く感想を言えなかったりするのは、リンカーンや南北戦争についてよく知らないと云うところにある。
上映最初にスピルバーグの時代説明がありますが、興味がないと云うのは聞かなかったも同然だった。
正直言えば、全般的に眠たかったでした。
眠たかったくせに観て良かったとかって言えるものじゃないが、でも、やっぱり観て良かったとも思う。
映画を観終わってから温泉に行き、またウイングベイに戻って来て買い物をした。
大きな「ホッケ」を買って夕飯にしましたが、昨今boomの焼き魚定食風。
昨夜も遅くまで「孟嘗君」を読んでいました。
最初はあまり歓迎されなかったけれど、田文は実父の田嬰のもとで暮らすことになりますが、
その時には田嬰の子と言われる者らが40人くらいになっています。
有名な話として、父の田嬰が暇な時を見すまして、「子の子を何と申しますか?」、
「孫の孫を何と申しますか?」、「それでは玄孫の孫を何と申しますか?」と訊ねるのです。
父が知らぬと言ったのちに田文は、
「田氏の主が斉に君臨してから、すでに三代になります。
その間に斉の国土は広さを加えたわけではありませんのに、父上の富は万金を累ねております。
然るに、父上のお側には、一人の賢者も見えません」
それと、父に仕える士分たちの待遇の悪さも説き、翌月から士分や食客の待遇が変わりました。
田文は、5月5日生まれを父に忌み嫌われ殺す様にと命じられた子です。
何故5月5日生まれを嫌ったかと云えば、健常に育つが故に家の門よりも大きくなるからとのこと。
田文は赤子の頃に母から離れたもので、同じ年頃の子から見ても小柄でありました。
けど、身体は小さくとも器量の大きさは年が経つにつれて人々に知られて行きます。
(養父の風洪(白圭)や、養育してくれた孫子(孫臏)の影響を強く受けているのです。)
田文が跡目となった際に、この家に寄る人気が、王家を凌いでしまったなら、
その時には取り返しのつかない禍に合うのではないか、身分に不相応な人望の高さは返って害になる。
それが、実父の田嬰の深い悩みでした。
やっと田文(孟嘗君)が主役となって全面に出て来ます。
斉・魏・秦の宰相を務め、薛(せつ)と言う国の君主にもなる人ですが、
あと1巻でどう云った展開になって行くかが楽しみです。
ο(‘ v‘ )ο~♪
「国連記念日」。
1945(昭和20)年のこの日、サンフランシスコ会議が開催され、国連憲章が作成されました。