Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

明日のことは明日自らが思い煩う

2011-03-31 04:16:43 | Weblog


明日のことは明日自らが思い煩う。

明日の心配は明日に任せよ、明日のことまで思い悩むなの意味。



怒りとか憎いとか嫌いとかって、一体この人は自分の人生において、どれだけの影響力があるかと考えてみれば、案外冷静に見られるものだし、在っても無くとも、それは全然関係のないものであるんだと結論づければ、無駄にも腹は立つまいと想った。

ある人(60代男性)が「俺は嫌われたくないんだヨ・・・」と言ったけれど、嫌われたくないあまりに、返ってその逆もあるのではないかと思った。
好いてくれる者と嫌う者が半々あって、それを普通の人と言うのじゃないかナ。
その人には、辛抱も過ぎればと云うことで「身体に悪いですよ」と私は言った。

昨日はお昼12時からのBS朝日「ホジュン」のあと、1時からBS-11で「チュモン」があるのです。
いつも2時少し前にはお風呂に出るんだけれど、昨日は見たくてお風呂をお休みしました。
所謂、チョン・グァンリョル三昧ってとこかナ、これが楽しみで一日をちょっと頑張れる。

それと、また若干忙しいこともありました。
何でもいいから忙しくして居れば、気が紛れるものですね。

それと、今日中には3月も去る。
明日から月が改まって、どんな小さくとも好いからまた幸せが見つけられればイイなぁ~とかって思います。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貝殻で海を量る

2011-03-30 04:27:28 | Weblog


貝殻で海を量る。

貝殻で海の水を汲んで、海水の量を量る。
狭い料簡や浅薄な知識で大きな問題を論じる例え。



日中、少しポカポカとした陽気になって来ていますが、外に出てみれば意外と風が冷たいってことがあります。
我が家の周りでは雪がまだまだ融けずにあるけれども、道路の雪は融けて乾き、大した歩きやすくなって来ました。

朝も起きやすくなったし、いつも午前中かかっていた家事だって早々に終わり、お昼までの時間に余裕もあるんで、ボチボチ、種蒔き等ガーデニングの用意でもしようかナってとこですが、ニャンたちにいたずらをされない様に、若干の工夫が要ったりします。
春に向け、時間の使い方モードを変えて行かなきゃならないナって云うのが、自分から起す、これからの楽しみと言えば楽しみです。


「脾肉(ひにく)の嘆(たん)」と云う言葉は、実力を発揮するチャンスに恵まれず、虚しく時が過ぎるのを嘆くことを云うのですが、三国志や三国志系を読んだことのある人ならばよくご存知であろう。
「脾裏(ひり)に肉の生ずるを見て、慨然(がいぜん)として流涕(りゅうてい)す。」
劉備が今だ本拠地を持てず劉表の下に身を寄せていたころ、ある日、劉表との会話を中座して便所に行った際、内股に贅肉がついているのに気がつき、それを見て劉備は思わず落涙しながら席に戻った為、劉表に涙のあとを見つけられてこう答えるのです。
「私はこれまで戦場を駆けまわっていたので、およそ股に肉がつくことなどなかったのですが、このところ馬に乗ることもなくなったので、スッカリ肉がついてしまいました。月日の経つのは早く、老境ももはや目前に迫ったと云うのに、今だ大志を遂げることも叶わぬ始末。あまりの不甲斐なさにツイツイ涙を流してしまったのです。」

劉備って変わった人で、曹操、袁紹のところにも身を寄せており、曹軍袁軍が戦っている最中に戦争のない劉表のところに客将として身をおいていました。
いっさい戦わずして脾肉の嘆は当然なことで、劉表に功業とはここを乗っ取るつもりなのか?と疑いを持たれる危険な綱渡り的な策なのです。
一つ劉備の淋しさがあるとすれば、この様なことを相談する相手がいなかったと云うところでしょう。
桃園の義を結んだ関羽や張飛では到底通じない話なのでした。
そこで、一番説得力を持つのが曹操と劉備の間で密約があったのだと云うこと。
「今、天下の英雄は、ただ使君と操とのみ。本初(袁紹の字)の徒、数うるに足らず」と曹操が告げたのが何よりの証拠かと思います。
曹操の側近の幾人かはこの密約を承知していましたが、この密約は劉備に諸葛孔明が仕えるまで続いたのであろうとの説。
幾度も曹操が劉備を落とす機会がありながら、曹操は決して劉備には手を出しませんでした。
劉備があちらこちらウロウロしたのは、彼が間者中の間者であり、曹操に情報を流し、智謀の士であったのだと言っていいのだろうと思います。

好き嫌いで言っていい物語なので言うが、私は劉備が大キライです。
何故?何処で?、神格化され英雄なのかが判りませんし、劇中じゃ「大耳」とか「ワラジやムシロ売りの分際」と言われております。
それに、自分だっけ逃避し、家族をいつも敵方の囮のつもりか置いて行くのです。
幼子の阿斗を邪魔だからと云って車からブン投げて逃げたから、のち劉禅となった息子は世に有名な凡庸な人物、つまり、さすがの孔明も呆れるほどの「アホ」になったのだと思ってます。

何よりか、三国志ものが一番愉しく気分を刺激するッかナ~ってとこです  





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラナンキュラス(レッドオレンジ) 秘密主義

2011-03-29 04:16:07 | Weblog


月曜日はTV的に楽しみな曜日です。
またまた言えば、12時BS朝日「ホギュン」、4時BS日テレ「王と妃」、5時BS-TBS「春のワルツ」、6時BSフジ中国ドラマ「三国志」。
ちなみに「春のワルツ」は最終回でした。
集中はしていないけど、韓国ドラマは朝からチラチラとよく見ているんですよ。
さすがに、晩遅くは寝てしまうから見られませんが、お陰、日頃って憂さがどうしても募っているわけで、好い解消法になっているって思います。
例えば、今は何ともないですが、五十肩が痛くて堪らない時があったのですが、病院にでも行って痛み止めの注射でもうってもらえば良かったナと今更思うのと同じで、完治じゃなくても束の間痛みが消える時間があったなら、あれほどイライラしなかったのカモ知れないって思うのです。
治ってしまってから五十肩だったと云うのが判ったし、痛みを我慢する必要などないんだとも教えてもらいました。
色々と、苦痛の最中って人に打ち明けられなかったりするものですよね。

震災にあったわけでもないのに、繰り返し繰り返し悲惨な現状を見ているうちに、震災ストレス障害になってしまう人が続出だと聞きます。
それって弱いと云うんではなくって、同じ日本人であるなら、心を痛めて当然でしょう。

また、受けるストレスは人それぞれ個人差が大きいもので、私だって見かけじゃそうは見られないのだろうけれど、まるで薄氷を踏む様な思いに囚われそうになる。
その瞬間の気分の悪さと来たら何と表現してよいものか判らないですが、消滅・・・、解体・・・、解散・・・、荒野にポツッと取り残された風な想いと言っていいだろうか。
お前など邪魔だ!って、どこからか声も聞こえて来る様な・・・。
まだまだ、更年期障害の最終にも至ってなく、全然最中であるんだとの証明だナ~。

一日一日を、そんな想いになど負けないで居れば、そのうち好いこともあるからって、愉しみを多くしてよく笑い、よく食べよく眠る様にしています。
それが、若干経験を積んで得た知恵(?)なつもりです。



「八百屋お七の日」。



1683(天和3)年、18歳の八百屋の娘のお七さんが、三日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられました。

前年の12月28日の大火で避難した寺で出会った寺小姓・生田庄之介のことが忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火をし、火はすぐに消しとめられましたが、お七は御用となりました。

当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていましたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていたのだそうです。
そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう」と問いますが、その意味が判らなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることになってしまったのです。

お七が丙午(ひのえうま)の年の生まれであったことから、丙午生まれの女子が疎まれる様になり、お芝居や歌舞伎の演目で「好色5人女」の一人に加えられました。

哀れ、お七・・・。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

影を畏れ迹を悪む

2011-03-28 04:32:59 | Weblog

新しく買った洗面器 (^^_)ルン♪

影を畏れ迹を悪む(かげをおそれあとをにくむ)。

心静かに反省することを忘れていると、いたずらに外物に煩わされるばかりで、一時として心の休まるときはないと云うこと。

自分の影に怯えて走り出し、足跡が地に着くことを恐れてはしきりに足を上げ下げする男がいました。
日陰に入れば影は消え、動かなければ足跡が着く事もないのだが、それだけの思慮がない為に、男は疲れ果てて死んでしまったのだそうです。
「荘子・漁夫」の寓話に基づきます。


私はよくマンゴーを食べますが、昨日はマンゴー缶を食べてみました。
ウ~~~ン・・・、まあまあなのかナァ~と思いました。(^^_)ルン♪



日曜日は買い物に行くことにしています。
先ず、ホームセンター→イオン発寒店→家具のHasegawa。
ホームセンターじゃ品切れとか、お一人様○個までと震災関連か、そんな張り紙がよく目に入ります。
買占めが不思議に思ったポリ容器もお一人2個までって、被災地が寒い様子なので自分も不安になって灯油でも多目に買っているのだろうか?
それと、IWATANIのカセットコンロのガスボンベが無い。
それは、イオンでも同じでありました。

私たちは無い商品を今のところ求める必要はなく、イオンでお野菜をいっぱい買いました。韓国冷麺を食べる予定だったし、冷麺の具材も野菜を多くと、生野菜のサラダを多く食べたわけですが、挙句、何か、寒くなっては来ましたが・・・。

それと、最近はHasegawaで雑貨類を見るのが楽しみです。
ここは、昨今の買いだめとか買占めとかからは無縁なところで、素敵な家具類を見るのも夢があって愉しいのです。
そこで、前からカワイイと思って見ていた洗面器を買いました。
これから洗面をするのも楽しみになったりしますが、生活の中で喜びってあるとするなら、私はこんな事だろうと思うのです。

帰宅してから、ホームセンターで手頃な主人用のパソコンデスクがあったから組み立てて、こんな小さな新しくなる変化さえも私は愉快になります。

被災地や原発、放射能のニュースは朝だけ見る様にし、hiでドラマや紀行物を見て、晩は本を読んでからよく寝るのが、今のとこ自分の努めかと思う。
それと、最近は自分で「絵」を描いてみようかナと考えたりもします。
実は私は子どもの頃から漫画でも絵でも得意で自分でよく描いていて、将来は絵とか文章で生業を立てられたならと漠然とした夢がありました。
バカにされるだろうと思って決して口には出さなかったけれど、中学生の時に「変わった絵だ・・・」って、どんな意味か?言われて、私は癇癪を起してそれからは絵を描かなくなりました。
今思えば色々と発想がユニークなところもあり、何をやっても一応に器用なところもありましたけど、これと云った決め手がない、所謂「器用貧乏」でした。
今更になって、例えば披露することもないのだから、眠らせていた自分の夢、これから一つ起しても好いのかナって思うのです。


「シルクロードの日」。
今から2000年前、中国の敦煌から砂漠を16日ほど進むと、ロプ・ノール湖のほとりに楼蘭(クロライナ)と云うシルクロードのオアシス都市がありました。

楼蘭はいつしか荒れ果て、砂漠の中に消えてしまいましたが、1900(明治33)年のこの日に、探検家スウェン・ヘディンによって発見されました。


「スリーマイル島記念日」。
1979(昭和54)年、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で放射能漏れ事故が発生しました。
これが、世界初の原発事故でした。


 





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文なら管仲、武なら楽毅

2011-03-27 04:23:35 | Weblog


崔州平や徐庶の他にも友人ができた諸葛孔明は、司馬徽の門下生として、若者らしく将来のことを語っていました。

「文なら管仲、武なら楽毅。それが僕の目標だ。」

「管仲」は春秋時代の名宰相で、斉の桓公を覇者たらしめた功績者。
軍政から経済、社会福祉、人材登用まで通じ、特に外交を重視したと言われています。
人間的にも、「管鮑の交わり」として、親友「鮑叔牙」との交際が、派閥を超えて終生変わらなかったとして、友情の理想であると有名なお話があります。

「楽毅」は、中国戦国時代の燕国の武将。
連合軍を率いて、当時の大国であった斉に大勝しています。
管仲におくれること約四百年、秦の始皇帝の天下統一の半世紀前に活躍した人物でした。



いつまで経っても暖かくならない様な感じがするけれども、雪融けの遅い周辺ですが着実に春へと向かっている様です。
日曜日もそうだけれど、昨日の土曜日だってコレと言って面白味のあるTV番組ってないけれど、hiで「密着・浅丘ルリ子70歳」を見て、まるで私たちとは別世界の人だけども、幾つになっても前向きでキレイで居なきゃ成らないナァ~と云う点で、元気づけられた気がします。
そして、お昼になったからお風呂屋に出ました。
やっぱり毎日行っていた方が、身体的にも精神的にも好い様だ。

帰って来てからも、極力TVの報道は見ない様にし、同じくhiでドラマ「ハゲタカ」を見ていました。

そこに、たまには外食しようかと前日話していた主人が帰宅したので、カレー屋さんに行きました。
ラーメンもそうだけど、カレーも食べたいと思ったらどーしても食べたいものですねッ。
[□]φ(。^)

晩の7時頃にはもう休むことにしました。
即寝てしまうと云うのではなく、暫らく本を読んでいました。
何気サワサワと疲れた日の気晴らし(?)には、好きな本を読むってことも好いです。
φ(゜▽゜〃)





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

艱難汝を玉にする

2011-03-26 04:17:28 | Weblog


人は辛いことや苦しいことを乗り越えてこそ、大成するものだと云うこと。




よく見ている方だが、被災地、特に原発や放射能に絡んだニュースは、ワルイけどあまり見ない様にしようって思った。
繰り返し繰り返し同じ画像を見せられ、意味の判らないことを言われれば、こちら、オカシクなって来る気がするからだ。

被災した子どもたちや若い人を見て、この子たちは将来素晴らしい大人に成るだろうと思うことがある。
家や家族、友人たちを失い、これは無ければ無い方が好いに決まっているけれど、ある意味十字架を背負った経験は、将来の日本を支えてくれる大きな力になってくれるだろうね。
持とうとしないから見えないだけで、希望はそこに絶対にあるものだ。

24日に中央市場内で、うちの主人がたまたまらしいがHBC-TVの取材を受けた。
大手スーパーには、何の問題もないお野菜或いは果物が置いてなく、それこそが風評を助長していると自論をぶちまけた様だ。
「市場には安全なものしか入荷しません!」

他の道内民放は、スポンサーの絡みがあるからって事か、どこも生鮮食品の取材はないみたいだ。
ある大手スーパーの隣の中堅スーパーのお野菜の売り上げ120㌫と数字が示している様に、消費者以上にスーパー等こそ冷静な判断をお願いしたいものです。

25日の朝、荷受会社や小売屋さんから「よく言ってくれた!」と反響があったらしい。

私もそうだけれど、正しいと思う事を正々堂々と言えないのならば、生きている甲斐もないものだと考える。

特に私は、キカナイとかキツイとかって子どもの頃から親には叱られたけれども、学校の教師や親しい友だちには「正義感」と取ってもらえた事が救いで、何が正義であるかって色々考えることが多かったでした。
多勢に無勢の中に飛び込んで行くところがある。
見て見ないふりなど出来ないのだ。

その性分は、今もちっとも変わっちゃいない。

たとえば、親の介護なんかは絶対してやるものかッ!って思うけど、国の為や国民の為なら惜しい命じゃないと思う、私は前世は軍人だったのではなかろうかと思うことがあります。
小学校2年生の時の作文に、私は自衛官に成りたいと書いたことがある。
血縁で一番信頼をおいていた叔父が自衛官だったので、とても頼もしく見ていた影響もあった。
それと、祖父が私のことを「お前が男だったらナァ・・・」と言っていたのも記憶している。

他国やこの日本での今回の大震災の中、自衛隊の人たちの献身的な国防に対して何よりか敬意をはらいたいし、あの中に自分も在るべきだろうと云う意味で血が騒ぐのです。



「楽聖忌」。
1827年、ドイツの作曲家ベートーベンがウィーンの自宅で亡くなりました。

ベートーベンは多くの交響曲を作曲し「楽聖」と呼ばれました。

亡くなる3日前、甥のカールを唯一の相続人にする様に遺言書を補足し、
「諸君、拍手したまえ。喜劇は終ったのだ」と云う有名な言葉を呟きました。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝦夷で暮らすも一生 江戸で暮らすも一生

2011-03-25 04:27:26 | Weblog


蝦夷(えぞ)で暮らすも一生 江戸で暮らすも一生

どんな所に住もうと、人の一生には変わりがないと云うこと。



私は、誰と比べてと云うものではないが、非常に愚痴の少ない方であります。
だからって、心はいつもいつも前向きなわけでもなく、折れてしまったり折れそうになることしきり。
頑張り過ぎ、我慢し過ぎで、それで身体まで何気に調子を狂わしてしまう事がある。
ただ、よく眠られるのが救いで、その冴えた頭の時、怒りや苛立ちの解消法を考えてみるのだ。
誰に迷惑をかけるのでもなく、怒りや憎しみの抑え方のポイントをこの頃は心得た気がしています。
溜め込まないで、ある程度出すこと。


お昼ちょうどに、BS朝日「ホジュン」があって、それでここ数日はお昼まで色々間に合わそうと少し張り切れています。
ちょっとしたことで愉しく気分が好くなれることが判ります。

被災した方たちが、こんな最中でも少しづつ生活を取り戻そうとされている様子には、返ってこちらが励まされる様な気持ちになるけれど、理解不能な原子力や放射能の度々示される聞いた事も無い数値には頭が痛くなるし、被災を受けてもいない自分だけどまるで「ウツ」になりそうだ。
良いのか、まだ悪いのか、ただそれだけを言ってくれればいいのだと思うし、特に目立つ東京の人たちの過剰反応、幼子に水道水が好くないと云うのでミネラルウォーターを買いあさる、安心安全が欲しいって言うが、気の済むまでお水を買いあされ!と、何だか愚かに見えてしまう。
子どもに安心なものを与えて、母親がたばこを吸ってでもいれば、その方がワルイじゃないか!?
まあ、その中に居ない自分だから、こんな悠長なことを言えるのかも知れないが、自分の子ども時代には、衛生面や栄養面ではまだまだ遅れているところがあったのに、そんな時代を過した今の中高年が若い人たちより全然丈夫であることは確かだって言っていいだろう。

学校給食で辛うじて子どもたちの栄養面が保たれていると云う時代だった。
例えば私は、学校給食で初めて「牛乳」を飲んだのだ。┓(´々`)┏
でも、大病の一つもしたことはなく、たまに怪我をしたけれど数日もしないうちに治ってしまっていた。
それに、何でも自分のことは自分でやれていた。

そんなことを、ちょっと思い出したりしています。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同舟相救う

2011-03-24 04:47:43 | Weblog


同舟相救う。

敵同士でも危難に遭えば互いに助け合うと云うこと。
また、同じ境遇の者は互いに助け合うと云うこと。


「被災者に寄り添わないセ・リーグの不思議な人たち」って記事を読む。

ここで、セ・リーグと言ってしまうのも気の毒で、たった1球団の傲慢さのお陰でと言う方が正しいでしょうね。

巨人の○辺恒○球団会長が「戦争に負けた後、三ヶ月で選手、監督から試合をやりたいと声が上がり、プロ野球を始めた歴史もある」と早期開幕に旗を振ったけど、この大震災は戦争に等しいものとすれば、まだまだ終焉を迎えちゃいなく、よくスポーツ界は「こういう時こそ勇気や希望を与えたい」と言うがその段階にでさえ至っていなく、国民感情として、返って大いに傷つけた事である。
透けて見えるのは、開幕延期による損得勘定、経営判断だの言葉が実にシックリと来るものですね。
パ・リーグとの足並みも揃えられないのなら、大停電で大パニックを起こして、その責任を取ってみればいいんだと、他人事だからそう思ったりします。

私はJリーグの方だから、一応の今回のJリーグの判断は英断だと思っています。
各地で募金活動やチャリティ試合の予定等を大きく評価していますが、野球と違って、各Jのクラブチームは益々経営が苦しくなりました。
けど、経営の事情を先に出しては、今回の大震災に対し、スポーツの意味はないのではないかって考えるのです。

私はこの頃じゃ体調も好いし、好きな韓国ドラマの時間に合わせて一日の予定を作って、本当にありがたき平凡な日々を過しています。
腹の立つこと悔しいこと、残念なこともイヤなこともいっぱいあるけれど、見つめる視線を少し変えてみれば、パンドラの箱に最後に残ったものが見えて来るんですね。
生かされ生きているからこそ色んなことがある。
何よりか自分の弱さに負けないで、粛々として毎日を生きようって思っています。

昨日、選抜高校野球1日目の第3試合で、地元の北海高校が初戦突破しました。
これは、勇気や元気を与えてくれるものでした。




「壇ノ浦の戦いの日」。
1185(元暦2)年のこの日、長州沖の壇ノ浦で源義経が率いる源氏軍が平家軍を破り、平家一門が滅亡しました。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠きに行くに必ず邇きよりす

2011-03-23 04:16:54 | Weblog


遠きに行くに必ず邇(ちか)きよりす。

遠い場所へ行くには、まず近いところから歩き始める。
物事を行うには一足飛びでは上手く行かない。
それなりの順序を踏んで、手近な事から着実に進めなければ成らないと云うこと。



あこがれのアメリカABCのキャスター、ダイアン・ソイヤーさんが被災地に乗り込んで取材をされている様子を見た。

あるオジサンが、ダイアンさんとカメラクルーに、持っているお菓子を分けておられたが、ダイアンさんは「食べ物がないのはあなたたちじゃありませんか!?」と驚きの様子。
オジサンは、「まだまだたくさんあるんですよ」と微笑んだ。
こんな窮地に追い込まれていても、訪問者を歓迎し分け合おうとする、日本人の助け合い精神をそこに見た気がしました。
各国の報道が驚きを持って、日本人の規律正しさや冷静さを伝えていた。
それらに、何気に感極まり涙が出そうになったし、私は日本人であって本当に好かったし、世界が伝えてくれた様な、真の日本人でこれからも在ろうと思いました。
中には小賢しくズルイ、独り善がりだと思う人たちも居ないわけじゃないんだと思うが、私は自分の気持ちの為に、普通の人々を見ていれば好いんだとした。
この際は国を信じて、政治家さんにはとかく色々あるけども、民間や一般が世界最高なのだから、きっと日本はこの大震災を乗り越えて復興を遂げると確信をします。
大地震や大津波はどこかの誰かのせいなのか?
過去に例を見ない未曾有の災害に如何にも慣れた風に、何処が、誰が対処できようか?
その割には、国民や民間の動きはとても迅速であったと思ってます。
私的には、まだまだ色んなことを思ったし感じていたりもしますが、思うだけなら好いかも知れないが、それを言ってどうなるのか?と考えること優先です。
口で色んな事を言う前に、小さくとも行動を起すことって大事じゃないですか。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サイネリア 望みある悩み

2011-03-22 04:38:58 | Weblog

サイネリア Senecio cruentus


月曜日は楽しみにしているTV番組があるから、時間的にもウキウキと弾む気がする。

お昼、「揺れないで」の最終回なので、それまでには買い物を済ませておきたいが、ホームセンターじゃ電池が品切れになっていたし、灯油ポリタンクを十数個買っているオバアサンが居り、あ~・・・、コレだナ~と感じました。

続いて食料品を買うのに、発寒のイオンに行きましたが、コンロのガスボンベが品切れ。
これだってその路線なんでしょうね。
ただ、お水の大きいペットボトルはお一人様2本までって制限がついていました。

そうなのか、どうなのかは判らないけども、何となく気持ちの好い感じにはなりません。
物の無い時代じゃなく、処々備蓄だって充分なのに、何故そんな行為に走るのか?、足りる分で良いと思えないのかが不可解です。
おそらく、そうしたところで不安(?)は尽きないでしょうに・・・。

で、BS朝日「揺れないで」の最終回を見ました。
次回から始まる「ホジュン」、主演のチョン・グァンリョルは「王と私」「チャン・ヒピン」を見て、好きな俳優さんだから尚楽しみです。


4時からBS日テレ「王と妃」、5時BS-TBS「春のワルツ」、6時からはBSフジ中国ドラマ「三国志」、「三国志」は俳優さんたちのルックスも好くてお金をかけたドラマだと思います。
三国志は曹操が何たって大主役だと思うんで、ここでも曹操LOVE。
イチイチ、私の解説がついたりする。
それだけ、三国志については本等を読み込んでいるわけだけど、三国志検定を受けるには全然まだまだだ・・・。


何だか忙しい(?)感じの昨日の春分の日でしたけど、自分の小さな楽しみの箱はいっぱいあるから、それらを愉しみにして、一日一日過せて行けたなら好いなぁと想っています。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

用ある時の地蔵顔 用なき時の閻魔顔

2011-03-21 04:58:11 | Weblog




用ある時の地蔵顔 用なき時の閻魔顔。

人に用事がある時はお地蔵様の様に柔和な顔になるが、用事がない時は閻魔様の様に無愛想な顔になる。
人は勝手なものだと云うこと。



かつて無かった大震災に国中も大揺れのこの一週間でしたが、自身のことだっけを言えばずい分と落ち着いて来たりします。
何か、自分までも取り返しの着かないことになってしまった様な、無気力や無力感からは離れ、普段どおりで在りたいと思い続けています。
休みの日には買い物に出て、好きな花々を買い、小さなことだけど普段使いの生活用品を新しく取り替えてみるとか、まだ遠くの温泉に出向く気も起きない代わりに、常連しているお風呂屋に行き、晩ご飯の時にワインを飲み、好い方向に向かいつつあるのかナァ~の被災地のニュースを見ていました。
80歳のオバアチャンと16歳のお孫さんが発見された事は、悲惨なニュースばかりの中で本当に嬉しいニュースでした。
とりわけ、オバアチャンのシッカリとされた口調に大感動じゃありませんか。

何の話から始まったのかは憶えがないのですが、東京の人々の人情、所謂、人としての情けって事を、比較対象が出来るかも?の主人に聞いてみた。
そして、友人のK山さんにもどう感じている?って聞いてみた。
たかだか二人だけの意見だけれど、全く同じな事を言ったのが奇妙(?)に思う。
ここで言っていいものかどうかは判らないけれど、「自分だけの事しか考えていない」って・・・。
そうじゃなかった人も、そう成らなければ生き延びて行けない地なのだろうか?

2月に主人は東京に久々に出張したが、人混み誰もがマスクだらけで気味が悪かったし、マスクなんぞしていない主人は怪訝な目で見られたそうだ。
直後、佐賀と広島にも行ったけど、懐かしい方々と会ったせいもあるが、心地好い人情の数々に触れてホッとしたのだ。

同じ日本でも多くの人々が存在する所は、善い人悪い人が在って当然だし、国同士であるなら尚更の事だと思った。

今回の震災では、主人の仕事関係のところも壊滅的だったり影響を受けた産地や市場、運送関係のところが多く、連絡さえ着いていない所もあるし、返す返すも、産物の風評にも気持ちを傷めています。
商売上、仙台や福島や茨城や千葉、○や○○は美味しいお野菜果物が穫れるとこなんだと残念がる。
その立場にあるわけではないけども、もし言えるとするならばだよ、「待ってるよッ!」とか「いつから仕事が出来る?」って、言葉で希望を伝えたいのだと言う。
いくらビジネスがシビアなことであろうと、手のひらを返す様な真似を平気で遣れるんなら、どれだけ自身を恥じ入ることだろうか。

「どこまでも因縁つけたいヤツは、この日本から出て行け!」
私は、大好きな札幌でどんな事があろうと、札幌以外に動こうとは思わない。
どんなに寒かろうと大雪が降ろうと、札幌は本当に住みやすいし、人々はみんな優しい。
また、今、被災地は、諸事情でお野菜等が出せない状態でも、いつか店頭に並ぶ時には、被災を悼み、消費者は大いにお買い物すべきだろうと私は思っています。



「春分の日」。
旧暦二月、卯の月の中気で、この日、太陽は真東から昇って真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ等しくなります。
一般では、この日を春の彼岸の中日と言います。




お彼岸らしく、一応牡丹餅。
でも、昔と違って、食べてもせいぜい1個かな。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名の無い星は宵から出る

2011-03-20 00:55:54 | Weblog


名の無い星は宵から出る。

まずツマラナイものが先に出て来ると云うこと。
また、待っている人はなかなか来なくて、どーでもよい様な人が早くから来ると云うこと。


今朝は早過ぎに起きてしまいましたが、昨夜はそれこそ早くに寝てしまったから充分な睡眠には達しているかと思うのです。
何気、昨年はWカップが見たくて、早く起きた時の楽しいったらなかった事を思い出します。
でも、今は早く起きてTVを見たところで、言っちゃワルイけれども滅入ってしまうニュースしっか見られない。

昨日、K山さんが言っておられたけれど、幾らよく見ておかなきゃいけない現実だとしたって、見過ぎれば何だか症候群になって、精神状態がオカシクなるのだそうだ。
こう云う事態ながらも、好きな韓国ドラマを見たり、音楽を聴いたり、お風呂に出たり、負の連鎖につなげない様な努力が要るだろうと私は思う。

私は地上波でニュースを見ない。
煽り立てる様な番組が多いからだ。
BS1で、つまりNHKで今回の震災等のニュースを見るわけだが、官房長官等に対し、如何にも国民の代表ぶって、不仕付けなことを言う報道のヤツらに毎回頭に来ます。
風評被害等は報道が起していることじゃん!
よく枝野官房長官は、「ざけんなよッ~!!!」ってキレないなぁ~って感心をする。
考えてみれば、アホやバカにキレたってショウガナイってことだろうかナ。
見方に寄っては参考になる総理大臣或いは官房長官会見です。

昨日の真昼間からのお風呂じゃ、報道とツルの一声ジジイと、脳みそのおかしい買いだめオバサン(バアサン)の悪口に花が咲く。

もしもの際ってことで夫婦で話し合っておく機会でもあるが、お前の預金通帳は何処にしまってあるのか?とか、福井野小学校に居ろ!とか、二人して家でそのまま居ようとか、出先でもウロウロしないでジッとして居ろ!(コレは我が家の場合)とかって、様々な案がある。
私は、ニャンたちに「アンタらを置いて逃げるからね」って因果をふくめてあるが、猫の方がハシッコイから上手く逃げてくれるんだろうと想像する。(=`ェ´=)

これもK山さんから聞いた話だけれど、札幌に避難して来た人が驚いたって。
何を驚いたの?と聞くと、「揺れない」からだそうだ。

北海道と云うか札幌って、自然環境が厳しいって事で返って大らかな気質なとこもあるし、自分も経験したけど内地とは空気感が全然違う。
北海道に生まれ、今現在こうして札幌で暮らしていることは、私はとても幸いだって思います。

消防援助隊東京都隊の第1陣の方々の、命がけの放水作業には、各関係方面の方たちと同様に頭の下がる思いがしました。m(_ _)m






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人と屏風は直には立たず

2011-03-19 04:21:47 | Weblog


人と屏風は直には立たず。

人は時には自分の意志を曲げて世に処していかねばならないものだということ。
屏風(びょうぶ)は折り曲げなければ立たないことから、人もそれと同じだとして言う。
「直(すぐ)に」はまっすぐにの意味に、すぐさまの意味を含ませたもの。

類語には、「曲がらねば世が渡られぬ」と云うのがあります。



昨日はあの大きな地震から一週間が経った日でした。
返す返すもまだ地震だっけなら、ここまで壊滅的にならずに済んだのではないかと感じたりするが、海岸側じゃ地震と津波は対の様なものだし、だけど、ここまでッ・・・の大津波を日本国にもたらしもし、何気に天を憾んでしまいそうになる。
でも、被災してから一週間としての菅総理のコメントで、日本や日本国が試されているときであるから、日本はこのまま終るわけには行かない、新しい日本を始めるつもりで、みんなが力を合わせて立ち上がろう。
無ければ無いで良かったことだったが、歴代総理で、国民に立ち上がろう!とコメントした人は私は知らない。
一番厄なのは、身近にでも報道によりでも空気読まずが居ることだ。
東北関東じゃ計画停電(無計画停電とも言うらしい)が続けられて、みなさん難儀されていると云うのに、どうしてセ・リーグが実施が出来るって言えるのだろうか?
「ツルの一声」的、あのジイサンを黙らせる者は何処にも居ないのか?
どうも、話のツジツマが合っちゃいない人物である。そう云うのを耄碌(もうろく)と言っていいだろう。
情けなくも、恥を知れ!と私は思いました。
それと、アメリカの協力を断ったなどと、誤報を流したのも○○新聞だなッ。
官房長官が、断片的な取材だけを元に記事にしたのであろうと言われていたが、報道って、どうしても良くないことを大見出しにしたい様だけど、命を投げ出し必死な作業をしてくれる多くの人々たちの事や、ただ一言、頑張ろう!の1面に何故出来ないか?
それは仕事柄でといいワケするならば、そんな恥な仕事は私はしたくなどない!
何もキレイ事を言いたいのでもないが、どんな仕事でも尊いもので、誇れる仕事であるべきだ。
この未曾有の災害を目の前にして、奇をてらいたがるのが実にあざとい。

好いこととして、私は毎日お風呂に行けているせいで好調だってこと。
自覚がないけれども、加齢によりだろうね、身体が冷えやすくなっている。
先ず自分のことが出来てから、人のこともお手伝いが出来ると思うので、元気でいる事に留意したいと思います。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雉も鳴かずば撃たれまい

2011-03-18 04:36:12 | Weblog
雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい。

無用な発言が災いを招くことのたとえ。
雉は一声鳴いたばかりに所在を悟られ、猟師に仕留められた。

類語に「口は禍の門」と云うのがあります。







半歩づつ、一歩づつ、不便なことが解消されて行き、ある所まで行ったなら必ず復興への道筋が通るって、願い信じるしかない。

私などは、早朝からTVを見られ、寒ければ暖房を大きく着けられること、電化製品を使っていつも通りの家事をこなせ、お腹が空けば好きなだけ食べられる状態が本当にありがたい事だと、何でもない当たり前としていた事の数々にそう感じる様になりました。
今、足りているだけで充分なのだ。

札幌でさえ、お米を幾袋も買ってみたり、お水のペットボトルも幾本も、被災地の親戚などに送りたいのか、カップ麺なんぞの詰め物をしたダンボールをチラッと見てしまった。
状況判断のつかない、ビョーキか気狂いか?

官房長官、消費者担当大臣が、被災地を思うならば決して買いだめなどしないで欲しいとか、農水大臣だってお米の備蓄は充分足りていると言われているのに、何を慌てているものかと呆れて、人の「さもしさ」を思いました。

今、ジッと推移を見て、何もせずに居ることだって見守ることになる。
どーしてもと思うなら、信頼のおけるところで募金を続けるべきだ。

ネットでの私のお友だちである青森の女性が今回の大震災でご無事だったこと、主人の知り合いの岩手の男性(車椅子生活をおくられている)が、お家が傾きながら、また電気が通っていない中でもご無事だったこと、身近でありますが良かったナァと思っています。


昨日は案外雪が積もりました。
二日前に土が見えていたところがあって、家内でだけど春のガーデニングの用意でもしておこうかナ~と思っていたのに、まだまだ冬が頑張っているのだね。

色々と、4月になれば・・・ってとこだろうか。





「精霊(しょうりょう)の日」。
万葉集を代表する歌人の柿本人麻呂、女流歌人の和泉式部と小野小町、この3人の忌日が3月18日であると伝えられていることから記念日となっています。


「彼岸入り」。














  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

惻隠の心は仁の端なり

2011-03-17 04:33:27 | Weblog




惻隠の心は仁の端なり。(そくいんのこころはじんのたんなり)

人の気の毒な様を見て可哀想だと思う気持ちが、仁をなす端緒であると云うこと。
「惻隠の心」は不幸な人を哀れみ痛む心。
「端」は端緒、始まりの意味。


昨日は私的な波乱(?)の一日。
血液センターに行ったものの、心電図検査で問題が生じ、挙句今回は成分献血は取り止めにした。
即、循環器科の専門病院に行き、心臓超音波検査並びに胸部X線検査を受ける。
担当してくれた医師が、意外なジャニーズ系の若い医師だったので、気分良かったツゥ~のもなんだけど、ラッキーかナと思った。

結果、現在のところはこれと言った問題はないが、半年後にまた病院検査を受けることにした。

私は今まで健康診断などはしたことがないんで、この際の健康チェックと思い、アクシデント的ではあったが、スムーズに事が行ったことには感謝しなければならないだろう。

センターに行った際、いつもそうしている盲導犬協会への募金と、東北関東の大震災への募金をして来た。
ここは赤十字系だから、少しでも信頼のおけるところと思い、自分なりの第一段ってことにしています。

疲れた・・・って云うのでもないけれど、自分の今日とか明日のことくらいは考えささった。
クヨクヨしないで、ホント、一日一日を大切に生きようと思う。

天皇陛下が被災地の方々、身を粉にして尽力される自衛隊等の方々、国民に向けた緊急コメントを出されたけれど、思わず正座をしてしまうのって、コレ、自分は日本人なんだナァと思ってしまう。
それで、「惻隠の心は仁の端なり」と云うタイトルを思いつき、もしも、これを自分の実に少しでも出来たならば好いがと思いました。
成る様に成るではなく、成る様に成らなければならない。

私の小さな幸いの一つって云うか、陳舜臣さんの「諸葛孔明」は馴染んだ文体で面白いです。
これまで読んで来た三国志系のおさらいにもなるし、角度を変えてみて読むのは新鮮でもあります。


「漫画週刊誌の日」。
1959(昭和34)年のこの日、日本初の少年週刊誌「少年マガジン」と「少年サンデー」が創刊されました。
講談社発行の「少年マガジン」は一冊40円で、表紙は大関朝汐でした。
小学館の「少年サンデー」は30円。
表紙を飾ったのは、野球界のスーパースター長嶋茂雄です。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする