まだシックリとは行きませんが、腰の具合もマズマズに成りました。
イイ具合にと云うのも可笑しいけれど、早朝から「THIS IS IT」を観ながら軽くストレッチが出来るかナって思っています。
朝は固くなっていると云うか、曲げ伸ばしをしなきゃ辛いところがあるんですね。
日課のお風呂にも復帰して、知った人たちがこれだけ私が来ないって事は、体調を崩したのか、除雪で転倒したかのどちらかだろうと心配してくれていた様で、説明をするのがチョッと忙しかったです。(;^_^A
でも、ありがたいナァって思いました。
持つべきものは友だちだなんて言いますが、みなさんは私よりか先輩ばかりだし、年齢差が友だちのネックと言うんでもないけれども、友だち未満知り合い以上、ベッタリとしてなきゃ友だちじゃないッって束縛もなく、気負わない、楽な関係かも知れません。
噂だと、いつもサウナで二人っきりで色んな話をするKさんが心配してくれていたって複数の人から聞いた。
彼女は私よりか3歳年上だし、お互いの率直な考え方が話せるところがあります。
「THIS IS IT」を観に行ったって話した時などは、MJのことを色々話したりしました。
彼のスキャンダルまみれだったところなどは、本当に可哀想だった、生前に何で誤解が解けなかったんだろうね!?と喋り合いました。
それとタイプとして、キッパリと割り切る様な性分が似ているって私は感じる。
昨日は彼女には会えなかったけれど今日も行くから会えるかナ。
それと、昨晩、私の弟が愛知県岡崎市内のマンションで、所謂「孤独死」をしました。病死らしいです。
たった一人の弟でしたが、この25年間は会ってはいません。
そのヘンの諸事情は言い出せば50年の月日を語るか如く単純なものではありませんが、父の葬儀の際には親戚筋の誰もが弟の印象が浮かばないって言っていたのを私は聞いています。
また本人も、妙なプライドばかりが高くて人と協調して行こうってところが無かったのです。
それに、私に言わせれば、自己中心的で厄介な事からは直ぐに逃げ出すところが母とそっくりだったと思う。
何気にですが、弟とはこんな別れ方になるのであろうと心の中で予感していましたから、知らせを聞いても差ほど驚きはしませんでした。
そんな生き方とか、こんな最期を迎えるってのも、アイツの宿命だったんだろうと姉としては思います。
私は姉だからイイけれどってワケには行かなく、どこまで迷惑をかけてくれるのかと正直腹が立ちました。
だけど不謹慎とは判っていても、もう親や弟のことで嫌な思いをしなくて済む・・・とホッとした部分もある・・・。
実のナニって、本当にありがたいとか癒しや安心を覚えた経験などを持たないで、私もいつか逝くんだろう。
もしも他人であるならば、返って付き合い方の選択があっただろうに・・・。
明日、私の叔父が同行してくれる予定なので、向こうで荼毘にふして、色んな始末をして来ようと思います。
私もまだ腰の具合が本調子ではないんで困ったものですが。
南極「昭和基地」設営記念日。
1957(昭和32)年、日本の南極観測隊がオングル島に上陸し、昭和基地を設営しました。
当時の建物は全部で5棟で、そのうち4棟が木製パネルの組立式家屋、所謂「プレハブ」でした。
ちなみに第1次南極観測隊のために制作されたこのプレハブは、日本初のプレハブ建築だったそうです。
「世界救らいの日」。
「癩」とは、「ハンセン病」の旧称で、らい菌の感染によって起こる慢性の感染症です。
感染し発症すると、神経が侵され、皮膚症状が現れたり、病状が進むと身体に変形が生じてしまう事もあります。
癩菌の感染力は極めて弱くて感染しても発病するのは稀、体力や抵抗力が非常に弱くなっている時に発病します。
また、以前は不治の病とされていましたが、現在は薬によって完治できる病気になっています。
その外見上の特徴や、遺伝病だと思われていたこと等に寄って、患者に対する偏見は強く、「らい予防法」によって療養所に強制的に隔離されたりしました。
この法律は1996(平成8)年にようやく廃止されましたが、今尚、誤解や偏見が残っています。
廃止された当時、確か小泉総理大臣でしたか、患者さんたちの団体に丁重な謝罪をしましたね。
一言、「すいませんでした」「ごめんなさい」と頭を下げるってことを、何故人であるならば出来ないのだろうかって思う事が多いですよね。
また、悔やんでいるものに、更に拳を上げるのも人なのだろうか?