「女はとかく多弁でいけない。人間も猫くらい沈黙であるといい。」 夏目漱石
昨日は、単純除雪だけならばそうは大したことではなかったけれど、ベランダ側の雪や氷の落下にはホトホト参ってしまったし、ガラス窓が割れちゃったりもし、瞬間はあ然ともしたけれど、コツコツと片付け始末した事には、何故か達成感みたいなものを思いました。
これで、新しい屋根がどんな具合で、特徴がつかめた気がしますから、今後はガラスを割ることってないんだろうって思います。
その後も、シュルシュルとよく雪のみが落ちて来て、その度ごと片付けに出ました。
少し疲れてしまったんでお風呂を休もうかと思ったけど、二日行けていないので行くことにしました。
K山さんに、こんなんだったンだからぁ~と氷でガラスが割れたことを喋ったりし、でも私はまだまだ遣れるナって思ったんだヨと言った。
よく彼女と話すのだけれど、気持ちの持ちようで、面倒だとか厄介を先に立てては行けないんだ。
遣れる分だけやればイイとしたなら、案外と全部が出来たりするものです。
お喋りをして気が晴れるってことは女の人には多いけれども、その内容にもよる。
K山さんとはよくスポーツの話をしたりする。
彼女は大の日ハムファンだが、昨季日ハムが調子が出ない時、応援の視点を変え、負けも受け入れてみるのもいい事だよって私はエラそうに指南したものでした。
私的には、コンサドーレ札幌を応援していて、幾度も「クソったれ!」って思ったし、もう二度と応援などするものかとも思った。
けど、年が改まって先日みたいにファン感謝デーがあったり、練習場で身近に選手たちを見てしまったなら、ついついメンコくなってしまい、あ~あ、いけない私だ・・・の積み重ねだったりします。
乗りかかった舟だと云う言い方がある。
だけど、乗ってしまった舟状態なのだから、嵐の時も晴天波なしの時も共にあるべきだろう。
それは、どんなスポーツを応援するにしたって同じではないのかナ。
私は地上波は全然見ない人だが、先日タカ&トシの番組にゴンちゃんが出演して、ゴンちゃんホントに面白い人だねってK山さんが言ってくれた事が、自分のことみたいに嬉しい気がしたし、ラジオでコンサドーレのことを聴いたならば教えてもくれたりする。
私だって、たまたま見た日ハムニュースで、今季入団の斉藤投手やダルビッシュのことなどを見たなら先ず彼女に話してみる。
斉藤投手入団会見の際、コンサドーレの試合の時よりかファンが詰め掛けていたね!?・・・は、座布団ものの大笑いになった。
お喋りを愉しくするには、好いことだけ、気持ちが良くなることだけ、前向きに明るい見方のことだけをするべきだろう。
とかく暇なオバサン(身体が衰えたなら口が達者になる)にありがちな人の噂や悪口は、それが事実か嘘かの前に、その人、底知れず自身を辱めて堕として行くことになるよ。
もし私が流言飛語的なことを聞かされたなら、勇気を持って自分のとこで止めておくし、気分好く居られない自分勝手な人となどは二度と同じ空気を吸うまいと思う。
そんな人とは最近は出会っちゃいないから(避けてると云うのもある)、私は好調維持で居られるのではないかナって思っているのですが。
「振袖火事の日」。
1657(明暦3)年、江戸城天守閣と市街のほとんどを焼失し、死者が10万人にも及んだ「明暦の大火」と云うのが起きました。
この大火は「振袖火事」とも呼ばれますが、次の様な話に寄ります。
上野の神商大増屋十右衛門の娘「おきく」は、花見の時に美しい寺小姓を見初め、小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖をこしらえてもらい、毎日寺小姓を想い続けました。
そして、恋の病に臥せったまま明暦元年1月16日、16歳の若さで亡くなってしまいました。
寺では法事が済むと、しきたり通りに振袖を古着屋へ売り払いました。
その振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘「お花」の手に渡りましたが、それ以来お花は病気がちになり、明暦2年の同じ日に死亡しました。
振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋伊勢屋五兵衛の娘「おたつ」の下に渡りましたが、おたつも同じ様に、明暦3年の1月16日に亡くなりました。
おたつの葬儀に、十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており、三家は相談し合って、因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにしました。
しかし、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間に、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がり本堂に飛び込み、それが燃え広り江戸中が大火となったのが今日1月18日でした。
古着とか形見は無駄にせずにリサイクルすると云うのは好いことだと思いますけれど、人が着ていた物や持っていた物には怨念(?)がこもっているカモ・・・と思う事があります。
もし、何気にでも気分がそぐわないって気づけば、火事にならない様、目立たない様に処分すべきって思いますね。
私、以前に「どんな高価なモノでも、気持ちの好くないモノは傍に置かない方が好い」と姓名判断の先生に言われた事があります。
それは何かって案外判らないままだったのですが、ここ数年かけて自分の持ち物やガラクタ類を処分し、ヘンな話で健康に成った風に思うのです。
一つや二つじゃなかったかも知れませんが、きっと中に、所謂「ソレ」があったのではなかろうか。
身の周りの整理整頓、今足りる分だけを持つって事は、慎ましく以前に、人の運命さえ左右する事だと実感しております。
朝8時半
お昼で~す。
今朝も積雪が若干あり、屋根の雪もシュルシュル落ちる、除雪車も入ってくれたから、今日も除雪から始まった朝でした。
あ~あ・・・、疲れた疲れた・・・。
でも本日は晴天なり。
北海道の冬の真っ青な空を見ると、どんなに寒くとも雪がたくさん降っても、私は北海道に生まれ育った事に、しみじみと喜びなどが沸いて来る。
(o^▽^o)/
昨日割れたガラスも入りました。o(^▽^)o