Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

◆日本一の松に残る神秘の伝説 善養寺

2023-02-28 14:15:50 | Weblog
善養寺は松に縁の深い寺だ。
「影向の松」をはじめとし、「神かけ松」や「星降り松」など、
この寺には松に関する不思議な話が残されている。

★不動尊の法力により泥棒を足止めした
 東京の東の外れ、江戸川区東小岩に善養寺という寺がある。
ここは、松の樹で有名な寺だ。
 
境内に立つ「影向(ようごう)の松と呼ばれる樹齢約600年の巨大なクロマツの樹は、
見る者を圧倒する。
1970年代後半には、この松は香川県の「岡野松」と日本一の松を争ったこともあった。
当時、この争いは引き分けとなったが、その後「岡野松」が枯れた為、
今は「影向の松」が日本一の松になったといってもいいだろう。
そんな「影向の松」の足元には「影向石」と呼ばれる石があり、
表面に人間の足跡のような痕跡が印されている。これに関しては次のような伝説がある。
 
その昔、深夜の善養寺に一人の泥棒が忍び込み、本尊の不動尊像を盗み出そうとした。
ところが、「影向の松」の下まで来た時、急に足が石に吸い付いて離れなくなった。
慌てる泥棒の目の前に不動明王が現れ、泥棒に剣を突きつけて盗みをやめるように迫る。
泥棒が涙を流して反省すると、足が敷石から離れ、不動明王の姿も見えなくなった。
そして、松の根元に残っている石には足型が残ったとされる。

「影向の松」の他に善養寺には以前、
「袖かけ松」と「星降り松」という二本の立派な松の樹があった。
「袖かけ松」には、若くして死んだ娘の幽霊を成仏させる為に
花嫁衣裳を松の枝にかけてやったという伝説が残されている。
一方、「星降り松」には、賢融という和尚が寺で厳しい修行をしていた時、
天空から星の精が降ってきて松の枝の先にかかったという伝説が残されている。
ちなみに、星の精はガラス容器に入れられて、
「星精舎利」として寺宝とされ、今も大切に保管されているらしい。


自然、木の画像のようです
影向の松
600年以上の樹齢を誇るといわれる影向の松。
影向とは、神仏がこの世に仮の姿をとって現れることを意味する。

アウトドアの画像のようです
善養寺山門
別名・小岩不動しょくぶつ尊の名でも親しまれている。
境内に植えられている松をはじめ、植物や石に関する伝承が多く残る。


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◆創建にまつわる不思議な逸話 江東観世音

2023-02-28 04:01:09 | Weblog
れっきとした天台宗の寺でありながら、お稲荷様と深い関係を持つ江東観世音。
次々と当たる「お告げ」により、多くの信者を集めた。

★お稲荷様の予言が多くの人の命を救う
 墨田区江東橋に江東観世音という寺がある。
江東観世音というのは通称で、正式名称 五徳山江東寺という。
創建は昭和15(1940)年、群馬県の伊香保にある五徳山水澤寺の別院として建立された。
現在、その江東観世音の境内には、お稲荷様の赤い鳥居が並んでいる。
この寺院の建立については、お稲荷様に関わる次のような不思議な逸話が残されている。

昭和7(1932)年、梅原妙昌尼(俗名・民子)という女性に突如、
清昌稲荷大神なる神が降りてきた。
妙昌尼は、それを機に得度。
水澤寺で修行した後、稲荷大神の指示により、墨田区に江東観世音を建てた。
つまり、この寺はお稲荷様のお告げによって建てられたのだ。
その中には、数年前の時点で太平洋戦争の終結や広島への原爆投下などを予知したものもあったとされる。また、東京大空襲を予知したことで、多くの信者の命を救ったという話も残る。
 
妙昌尼は信者の個人的な相談にもよく乗っていたようだ。
二・ニ六事件の首謀者として処刑された北一輝の未亡人が、
お稲荷様のお言葉を頂いたという記録が残されている。
また、有名な女優や芸人なども熱心に参拝したらしい。

写真の説明はありません。
江東寺
昭和15年に江東橋4丁目に創建された江東寺は、戦火によって焼失するが、戦後移転し再建。
現在は繁華街である錦糸町の中心地にあり、下町の信仰の場として親しまれている。


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菜根譚 前集72項

2023-02-28 03:54:02 | Weblog

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洋種 Dr,Cliffoed Parks

十語九中、未必称奇。一語不中則愆尤駢集。
十謀九成、未必帰功。一謀不成則貲議叢興。
君子所以寧黙毋躁、寧拙毋巧。

十語の九中るも、未だ必ずしも奇と称せず。
一語中らざれば、則ち愆尤駢びに集まる。
十謀の九成るも、未だ必ずしも功を帰せず。
一謀成らざれば、則ち貲議叢り興る。
君子は、寧ろ黙なるも躁なること毋く、
寧ろ拙なるも巧なることなき所以なり。


「躁よりも黙、功よりも拙」
十の言葉のうち、九つまで当たっていても、
世間から飛び抜けて優れた人だと言われるとは限らない。
たった一つの言葉でも当たっていないものがあれば、
その一語の為に、非難がみんな集まって来る。
十の謀のうち、九つまで成就したとしても、
世間から抜きん出た功績がある人とされるとは限らない。
たった一つの謀でも成就しないことがあると、その一つの謀の為に、
中傷が群がり起きて来る。
これが、君子たるものは、どちらかというと騒ぎ立てるよりも黙っている方が良く、
どちらかというと上手に立ち回るよりも気が利かない方が良い理由である。



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菜根譚 前集68項

2023-02-27 04:13:21 | Weblog

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サイネリア always delightful

為悪而畏人知、悪中猶有善路。
為善而急人知、善処即是悪根。

悪を為して人に知られんことを畏るるは、悪中にも尚善路有り。
善を為して人に知られんことを急ぐは、善処も即ち是悪根なり。


「善と悪の分かれ目」
悪いことをしても、それを他人に知られることを恐れる人は、
悪事の中にもそれでも善に向かう良心がある。
善いことをしても、それを他人が知ってくれる様にと焦る人は、
善事を成した処が、それがそのまま取りも直さず悪の根拠である。

。.ꕤꕤꕤ.。.ꕤꕤꕤ.。





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さまにならないもの

2023-02-27 04:03:28 | Weblog

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ヤブツバキ系 紅卜伴

写真の説明はありません。
ヤブツバキ系 白卜伴


無徳なるもの
潮干の潟にをる大船。
大きなる木の、風に吹き倒されて根をささげて横たはれ伏せる。
えせ者の、従者の勘へたる。
人の妻などの、すずろなるもの怨じなどして隠れたらむを、
必ず尋ね騒がむものぞと思ひたるに、さしもあらず、
ねたげにもてなしたるに、さてもえ旅立ち居たらねば、
心と出で来る。

さまにならないもの。
潮が引いた潟に乗り上げた大型船。
大木が風に吹き倒され、根を空に向け横倒しになったの。
くだらぬ者が家来を叱るの。
人妻などが、つまらぬ焼き餅を焼いたりして雲隠れしたのを、
夫が、きっと大騒ぎで探すだろうと思ったのにそうでもなく、
癪に障るほど平然としてるので、いつまでも家を明けても居られず、
自分からノコノコ出て来たの。


                   - 清少納言「枕草子」第一二一段 -



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◆庶民の信仰を集めた平等思想の寺 回向院

2023-02-26 15:23:48 | Weblog
明暦3(1657)年に起きた最大規模の災害、明暦の大火を機に創建。
以後、宗派や生前の行ないなどに拘らず霊を慰め、庶民の尊敬を集めた。

★明暦の大火を機に建てられた庶民の寺
 江戸時代、町人ゆかりの寺として親しまれていた回向院(えこういん)。
その起こりは、江戸時代初期の明暦の大火に遡る。
明暦の大火では、市街の6割以上を焼失し、
10万人以上の死者が出た史上最も悲惨な火災の一つだ。

出火元は、本郷丸山の寺と言われ、不思議な話が伝わる。
付近の上野山へ花見に出かけた16歳の町娘が、寺の小姓に岡惚れした。
娘は恋に病むあまり命を落とし、憐れんだ両親が娘の紫縮緬の振袖を冥途の伴にと、
棺にかけてやった。
ところが、当時、着物は貴重品だったことから、棺を受け取った寺が振袖を売り払ってしまう。
すると、振袖を買った16歳の娘が続けて2人、突然、死去。
やがて振袖の因縁に気づいた三家の両親たちは改めて娘の霊を供養することにした。
そして、僧侶の焚く護摩に振袖を投げ入れた瞬間、突風が振袖を空へ舞い上げる。
燃える振袖は町をなめ、狂おしく飛んでいった___。
こうした由来から、振袖火事とも呼ばれた。
 
時の将軍・徳川家綱は、大火の犠牲者を無縁仏まで手厚く葬ることを命じ、
土地を与えて万人塚という墳墓を築かせた。
この時、法要を行なう為の御堂が建てられたのが回向院の始まりである。

回向院では後に安政の大地震の犠牲者や水死者などの無縁仏を埋葬したほか、
死者の宗派にも拘らず、更に「生き物は等しく供養する」との理念に基づき、
猫などの動物供養塔も築かれた。
また、寛政5(1793)年には老中・松平定信の命により、
水子塚が築かれたのを機に、水子供養の発祥地にもなった。

なお、境内には江戸っ子が愛した戯作者・山東京伝、竹本義太夫、鼠小僧などの墓も建つ。
江戸中期には境内で勧進相撲が行なわれ、
「回向院相撲」として明治時代まで親しまれた歴史も持つ。
その縁で、昭和11(1936)年、亡くなった力士や関係者の霊を祀る力塚も築かれた。

生前に悪行を犯そうとも、死ねばみな仏であるとの思想に沿い、回向院は刑死者も供養した。
寛文7(1667)年、住職・義観は別院として南千住回向院(東京都荒川区)を創設し、
付近の小塚原刑場での死者を供養するようになる。
南千住回向院には、安政の大獄で刑死した橋本左内や吉田松陰、頼三樹三郎ら幕末の志士たちも眠っている。
南千住回向院は後に独立し、小塚原刑場の一部も独立して延命寺となり、
それぞれの刑場の歴史を引き継いでいる。


『魔界を歩く』 伝説の義賊 鼠小僧が眠る墓
 回向院の境内には、江戸ゆかりの人物の墓があるが、
なかでも有名なのが鼠小僧次郎吉の墓だ。
鼠小僧は、大名屋敷から千両箱を盗み、
町民たちの暮らす長屋にそっと置いて立ち去ったといわれている義賊。
黒装束にほっかむり姿がトレードマークで、時代劇などでも活躍している。
長年捕まらなかったという強運にあやかろうと、
当時から墓石を削ってお守りにするというブームがあり、
現在でも受験生が合格祈願にやって来るそうだ。


アウトドアの画像のようです
回向院
境内には水子を供養する水子塚、力士を供養する力塚、
関東大震災供養碑のほか、参詣者が塩を供えた塩地蔵などがある。

写真の説明はありません。
『江戸火事図巻』 田代幸春画
明暦の大火を描いたもの。当時の様子を記録した「むさしあぶみ」によると、
雨が降らず乾燥した状態の上、強風により火の回りが速かったとある。

1人、アウトドア、記念碑、木の画像のようです
明暦の大火供養塔
本郷丸山から出火した火の手は、神田、京橋方面に燃え広がり、隅田川対岸まで及んだ。
10万人以上が犠牲になったともいわれている。




                       江戸・東京 魔界地図帖
                           東京の魔界を訪ねる旅

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◆妖怪博士と電話ボックスの幽霊 哲学堂公園

2023-02-26 08:38:43 | Weblog
哲学教育の精神修養を目指した「哲学堂公園」。
妖怪や幽霊の謎を解き明かそうとした井上円了は、
業界に通じる不可思議な空間を現代に残した。


★哲学教育に献身した明治の「妖怪博士」
明治の教育者として名声を残す井上円了。
早くから哲学の重要性を看破して弱冠29歳の時に哲学館(後の東洋大学)を創設するなど、
日本の近代化に大きく貢献した人物だ。

そんな彼にはもう一つ、「妖怪学」を究した妖怪博士という顔があった。
もっとも妖怪を信じたり心酔したりしていたわけではなく、狙いは寧ろその逆。
円了は妖怪に代表される古来の迷信、俗信が近代教育の妨げになると考えていた。
その為、当時の知識で怪異を解き明かし、妖怪を信じる大衆を啓蒙しようとしたわけだ。

現在の中野区にある哲学堂公園は、円了が啓蒙活動の一環として明治37年に創設した。
緑豊かな約5万平方メートルの敷地に、
哲学に因んだ建築や思索を促す遊歩道などが整備されている。
元々哲学堂があった地は、源頼朝の重臣であり、
鎌倉幕府の初代侍所・和田義盛の城址だったという。

哲学堂公園内には、孔子、釈迦、ソクラテス、カントを共に祀る「四聖堂」、
哲学の時空を表すという「時空岡」、
その他「絶対城」「宇宙館」「常識門」「認識路」など、
独創的なコンセプトの施設が目白押しだ。

迷信、俗信を解明しようとした円了が残した哲学堂公園だが、皮肉なことに現代では、
そこに幾つかの怪異が伝えられている。
創設以前からの言い伝えに由来するのは「天狗松」と「幽霊梅」。
天狗松はこの地に元から生えており、切り倒そうとすると天狗が邪魔をしたという。
一方、「幽霊梅」は円了がかつて暮らした駒込にあり、
ランプに照らされた梅の影が幽霊に見えると噂されていた。
円了はこの梅を移植し、「天狗松」と共に人の心が感じる不可解の象徴とした。
当時の木は2本とも枯死し、現代の梅は3代目にあたる。

ところが移植後、「幽霊梅」を写真に撮ると幽霊が写るといった噂が広まった。
また、公園の木々の間から、夜中に女性のすすり泣きが聞こえてくると話題になったこともある。
哲学堂公園の前にあった電話ボックスも、幽霊の噂が絶えないことで知られており、
中で話していたはずの人物が目を離した一瞬のうちに消える、というのが定番だ。
また周囲は何故かバイクの事故が多いことに由来する話も多い。
首のないライダーが走っていた、バイクのミラーに映った女性が消えるといった話だ。

哲学堂公園を造った円了の真意にかかわらず、怪異を求める人の性は不変なのだろう。


『魔界を歩く』 風水で天狗を抑えるタヌキ?
        電話ボックスに幽霊が出没したわけ
哲学堂公園の「鉄理門」は別名「妖怪門」。
ここには「天狗松」と「幽霊梅」に因み、天狗と幽霊の像が安置されている。
この天狗像と「天狗松」を結ぶ直線の先にあるのが、タヌキの灯籠「狸燈」。
一説ではこの「狸燈」が風水の力で天狗の出現を抑えているという。
ところが幽霊梅の方には、その役目をするものがない。
そこで幽霊像と「幽霊梅」を結んだ先にある電話ボックスに幽霊が出現したのでは......
ともいわれている。


アウトドア、木の画像のようです
哲学堂公園の鉄理門(妖怪門) 天狗と幽霊の像が安置されている門。
天狗は物的・陽性、幽霊は心的・陰性なもので、
物資界・精神界ともに不可思議が存在しているという円了の妖怪観を表している。

アウトドアの画像のようです
六賢台
東洋哲学人である聖徳太子、菅原道真をはじめ6人が「六賢」として祀られている。
最上部には宝珠が打ち付けられ、屋根の瓦の一端に天狗がつけられている。

1人の画像のようです
井上円了
円了は哲学を学ぶことによって日本の近代化を進めようとした。
迷信を打破する為に妖怪の研究を進め、
いわゆる「こっくりさん」の謎を科学的に解明するなどの実績を残した。

木、アウトドアの画像のようです
四聖堂
東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの4大哲学者を祀っている。
堂は精神を円形、物資を四角形で表している。




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菜根譚 前集70項

2023-02-26 04:15:07 | Weblog

写真の説明はありません。

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シンビジウム・トラシアナム Cymbidium
                飾らない心 素朴 高貴な美人 華やかな恋

燥性者火熾、遇物則焚。
寡恩者氷清、逢物必殺。
凝滞固執者、如死水腐木、生機已絶。
倶難建功業而延福祉。

燥性なる者、火のごとく熾に、物に遇わば則ち焚く。
寡恩なる者は氷のごとく清く、物に逢わば必ず殺す。
凝滞固執する者は、死水腐木の如く、生機已に絶ゆ。
倶に功業を建て、福祉を延べ難し。


「大功を立てることができない人の条件」
心が乾いた人は、火が盛んに燃えるように気性が激しく、
どんなものでも出会えば焼き尽くしてしまう。
恩情の少ない性格の人は、心は氷のように冷たく、
どんなものでも出会えば必ず生気を失わせてしまう。
物事に拘泥し自説を守って譲らないような性格の人は、
澱んだ水や腐った木のように、
物を生かす生き生きとした働きは既に無くなっている。
このような人たちはいずれも、
大きな事業を興したり、人の幸福を進めて行くことは難しい。

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菜根譚 前集67項

2023-02-26 04:09:24 | Weblog

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ユキツバキ めぐりあい

人知名位為楽、不知無名無位之楽為最真。
人知饑寒為憂、不知不饑不寒之憂為更甚。

人は名位の楽しみ為るを知るも、
名無く位無きの楽しみの最も真たるを知らず。
人は饑寒の憂い為るを知るも、
饑えず寒えざるの憂いの更に甚しきものたるを知らず。


「真実の楽しみ、真実の憂い」
世の人々は、名声があり高い官位にあるのが楽しみであることを知っているが、
元々名声官位の無い者の楽しみこそ、最上の真実の楽しみであることを知らない。
世の人々は、衣食が足らず飢えや凍えに襲われる生活が不幸であることを知っているが、
飢えや凍えが無くなったからと云って不幸が無くなるわけではなく、
更にいっそう深い憂いがやって来るものであることを知らない。




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菜根譚 前集66項

2023-02-25 04:01:33 | Weblog

写真の説明はありません。

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ヤブツバキ系 紫式部

心体光明、暗室中有青天。
念頭暗昧、白日下生厲鬼。

心体光明ならば、暗室の中にも青天有り。
念頭暗昧ならば、白日の下にも厲鬼を生ず。

「心は曇らさず、常に光明で照らし出す」
心の本体が正しく物事を理解できる様であれば、
暗い部屋の中でも青空を望み見ることができる様に爽快さ極まりない。
心の中が正しく物事を理解することができなければ、
白日の下にあっても悪魔の心が生じて来る。

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◆名作「四谷怪談」の真相 於岩稲荷田宮神社

2023-02-24 14:32:53 | Weblog

お岩さんといえば祟りで恐れられる「東海道四谷怪談」の主人公だ。
今もその芝居や映画を上演する際、関係者がこぞってお岩稲荷にお参りする習わしがある。

★江戸の幽霊譚の決定版 お岩にはモデルがいた?
 川で釣りをしていた男が流れ着いた板の莚を剥がすと、お岩の亡霊が____。
「戸板返し」の場面で有名な『東海道四谷怪談』は、鶴屋南北が江戸中村座の為に書いた作品。
お岩には実在のモデルがいた、というのも有名な話だ。
ただし歌舞伎ではお岩の苗字が田宮から民谷に変えられている。
これは当時の歌舞伎が実在の地名、人名を使えなかったからだ。

 劇中で雑司ヶ谷四谷とされるお岩の屋敷があったのは、四谷左門町(現在の新宿区)。
そして、その地に建つのが「お岩稲荷」、「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」の2つが、通りを挟んで向かい合っている。
ただし、江戸時代の『四谷繪圖』には「於岩稲荷田宮神社」のみが存在する。

 前者の田宮神社はもともと、お岩の生家である田宮家の邸内にあった稲荷神社。
実在のお岩はこの稲荷神社に信仰が篤かったという。
お岩が亡くなると人々はその霊を稲荷神社に合祀し、於岩稲荷、於岩神社などの名で呼んだ。
 
 一方、昭和27年、長照山陽運寺が四谷左門町に創建されて「於岩稲荷」と呼ばれ始めた。
そして、本家の田宮神社が同年中に元の場所で神社を再建し、2つのお岩稲荷が一箇所に集まる形になったわけだ。
 
 文政10(1827)年の記録『於岩稲荷来由書上』では、実在のお岩も物語と同じく怨霊になったとされている。だがこれは「四谷怪談」上演後、芝居を参考に書かれた創作だ。
 
 子孫が祀る田宮神社の『田宮神社由来記』によれば、
お岩と伊右衛門の夫婦仲は良かったという。
信仰の篤いお岩は夫と共に、暮らし向きの傾いた田宮家再興に貢献したそうだ。

1人、立っている、伏見稲荷大社、アウトドアの画像のようです
於岩稲荷田宮神社
商売繁盛、芸能の成功、交通安全など霊験あらたかとされるお岩稲荷。
この神社では、健気な一生を送ったお岩の美徳を祀っている。

アニメ風の画像のようです
『古今大当戸板かへし お岩小平・尾上菊五郎 民谷伊右衛門・関三十郎』
                          (早稲田大学演劇博物館蔵)
「東海道四谷怪談」の第三幕「砂村隠亡堀の場」で繰り広げられる「戸板返し」。
「戸板返し」の趣向は、ある旗本が妾とその密通相手を戸板の両面に打ち付け、
嬲り殺してから神田川に流したという実際の事件をもとにしている。


                       江戸・東京 魔界地図帖
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幸せを招く 永久の幸福  ( ̄人 ̄)

2023-02-24 04:05:15 | Weblog

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福寿草(Amur adonis) Adonis ramosa
                幸せを招く 永久の幸福 悲しき思い出

花言葉の「幸せを招く」「永久の幸福」は、
古くから縁起の良い花とされてきたことに由来し
「悲しき思い出」は、ギリシャ神話の美少年アドニスの伝説にちなむそうです。

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良いアクセサリーがあります °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖

2023-02-24 03:56:01 | Weblog

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ラナンキュラス(花金鳳花) Ranunculus asiaticus
                    とても魅力的 晴れやかな魅力 光輝を放つ

自分に似合う、
自分を引き立てるセーターや口紅を選ぶように、
ことばも選んでみたらどうだろう。
ことばのお洒落は、ファッションのように
遠目で人を引きつけはしない。
無料で手に入る最高のアクセサリーである。
流行もなく、一生使えるお得な「品」である。
ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、
身につけるには努力がいる。
本を読む、流行語を使わない、人真似をしない。
何でもいいから手近なところから始めたらどうだろう。

              - 向田 邦子(脚本家・エッセイスト) -



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菜根譚 前集65項

2023-02-24 03:49:11 | Weblog

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アザレア 黒光司

名根未抜者、縦軽千乗甘一瓢、総堕塵情。
客気未融者、雖沢四海利万世、終為剰技。

名根の未だ抜けざる者は、縦い千乗を軽んじ一瓢に甘んずとも、総て塵情に堕つ。
客気の未だ融けざる者は、四海を沢し万世を利すと雖も、終に剰技と為る。


「見せかけの清貧」
名誉を求める心がまだ抜け切っていない人は、
たとえ諸侯になることを軽んじたり、
清貧の境遇に安じている様な様子を見せても、
実は心はきっと俗世間の欲望の中にあるに違いない。
また、一時的な勇気がまだ解け切っていない人は、
世界中を潤し、後々の世までも恩恵を及ぼす様な大事業をしたとしても、
結局は無駄な仕業となってしまう。



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真夜中と真昼のドア |ω・)و゙ ㌧㌧

2023-02-23 04:29:57 | Weblog

写真の説明はありません。
ユキツバキ 村松

写真の説明はありません。
ユキツバキ 越の姫

一生かかっても、ついにそれ(本当に愛するもの)が見つからない人も多いと思うんだよ。
だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、
そういうふうに導かれているんだと信じることだね。
だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。
だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。
その開いたドアが、自分のいちばん求めている、
愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。
そこへ入る、またドアが全部閉まっている。
必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。
そういうところをひとつづつ通過しているうちに、
いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ。


                - リチャード・バック (アメリカの飛行家、作家) -

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