Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

君をのせて/Daishi Danse feat,麻衣

2009-03-31 05:05:15 | Weblog


この時季は、朝方4時も真っ暗じゃないですよね。
夜明け前、薄っすらと明るい感じがします。
よく、夜明け前が一番暗いと言うんだけども、夜が明けると判る夜明けは、如何にも希望の始まりって感じがして、好いものです。
    `ヽ\ヾ ///
_∧_∧__(⌒)__
-=(   ) - ==- =
=-( ○  ) - = = =-
=-| | |
 ̄(_(__) ̄|
≡≡≡  ::|
≡≡

昨日は、前日は洗濯掃除をやっていなかったから励みました。
腹の立った時に、私は洗濯や掃除をしているうちに気が晴れて来る事があるんだと書いた事がありますが、まあズバリって感じでした。
リズムがとれて来るって言うのかナ~。
そして、それなりのお昼をして、1時間くらいは本を読み、最近のリベンジって感じで早めにお風呂に行きました。
調子が悪いのじゃないのに、何でドキドキして苦しくなるんだろか?って判らなくて、知った人と会わなくて済む早めに行ったらどうかな~と思ったからです。
全然好調でした。
会ったのは、お医者さんの奥さんと元スーパーに勤めていた人と、帰りがけにはお坊さんに会っただけで、このお三人は何と云うかガチャガチャした様な性分の人らじゃないから、会う人に寄って、いいお風呂にもなり、アンラッキーなお風呂にもなるわけで。
結局は、頭に来ていたり、それこそ腹を立てたままでお風呂に行くから、具合が悪くなってしまうんだナって思いました。
サウナに、疲れ過ぎた方は入らない方が良いと書いてあるけれど、私的、頭に来ていたり腹が立ち過ぎている方は入らない方が良いって事もあるって、自分で想像してみれば、可笑しくなりました。

お坊さんが、「しばらくお会いしなかったね、元気だった?」って言うから、「元気なんですが、何か面白くないぞッって感じですね~・・・」と私は答えました。
「ホラッ!、野球(WBC)のあの感動を思い出してご覧なさいよ」
「ホント、あの優勝では日本国中、勇気と元気を貰いましたぁ~!」
「90も越したオバアチャンたちだって手を叩いて喜ばれていたのよ。(お年寄りたちのお話し相手をするボランティアをされているらしい)。せっかく元気なのだから、元気で居なきゃ!」
「そうですねぇ~!直ぐ、大事な事は忘れてしまうもので
「人間、忘れることもイイことよ」
(まさか、サッカーで凹んでるとは言えないね・笑)」

さすがにお坊さんだけあって、とてもいいお話を聞いた気がしました。
忘れてしまうって悪い事なんかじゃないのです。
忘れてしまえるから、人間って生きて行かれる事も多いのです。もしも、一つの悲しみを、一生忘れないでいたとしたなら、こんな不幸な人生もないかと思います。

「忘れてもいいんだ」と、私はそれさえ、ちょっと忘れていました。

最初、女湯で坊主頭を見た時には不思議な感じがしました。
でも、何気に美しい感じもしていたのです。
お話が出来たのは少し後でしたが、彼女は誰よりか一番先に私に話しかけてくれたのでした。
時間が合わず、いつもの場所に私が来ていなければ落ち着かないワとT子さんに話したものだから、T子さんはいつも「お坊さんはマユミちゃんがカワイイんだワ~」とからかうのですが、私はこのT子さんの言い方が気に喰いません。
主人に話せば、ヤキモチであろうと言うんですが、T子さんは私がもしも大事だと言うんなら、普段はもう少し丁寧に扱って下さいなってとこです。(苦笑)

どんなに大勢の人たちが居ても、何気にこの人は違っているナァとか、少しだけ目を惹くって人があるものですよね。
私は、彼女はお坊さん(職業として僧侶をやられているのじゃなく、向学心探究心の為にやられているらしい)とは知らずでしたが、他のオバアサンやオバサンたちとは全然違う、何かオーラを持って居られるナとそう見ていました。
憚りながらですが、彼女も私を他とは違うと見て下さったのかナと、それはそれは、ありがたい事かナと思います。

何かの拍子で心が弱った時って、余計で邪悪なモノを拾ってしまったり、浮遊する霊にとりつかれてしまう事ってあるじゃないですか。
源氏物語じゃ、よく気の迷いや病気を「物の怪」にとりつかれたとありますが、それも確かな事だろうと、ツクヅクと気丈夫で居なきゃならないナと思います。
ヘンな言い方だけれど、お坊さんの彼女と会えた事で、効験を得た様な気がしました。
縁があるのか無いのかは判らないけども、出会う人って大切だナと思います。
出会いに無駄は無いんだとすれば、如何なる結果とかカタチにして行くかは自分次第なんだろうけども、そこんとこが出来ないままで日々を惑うのも、現世での一つの人間修行かな!?
それと、所謂、どうしてか判らないけれども、縁があったり無かったりも、前世からの由縁であろうと思うのも結構なものです。
どう云う理由もなく嫌いってありますよね。
それは、前世にお互いに獣同志で敵だったのじゃないだろうか?(笑)

稚内で、4歳の幼い我が子を殺してしまった母親と内縁の夫は、来世はワラジムシに生まれ変わるだろうと思います。
周りが虐待に気づいていながら、子どもを救ってあげられなかった罪も大きい。その人らは、再び人として生まれた際にはトコトン試されるのでしょう。

私達は、人として生まれた大きな責任を背負って今をこうしているわけで、人であるが故に愚かだったり悲しかったりするわけなんだけども、どうか「らしく」生きて行かなければ成りませんね。

私は何を願い、望んでいるかと言えば、「もう一度でいいから夢見て生きたい」と思う。


今日で3月が終わります。

3月31日は「エッフェル塔の日」。
1889(明治22)年、エッフェル塔の落成式が行われたのがこの日です。
この塔はパリのシャン・ド・マルスの広場に立つ鉄塔で、建設当時の高さは312.3メートルあります。
現在は放送用アンテナが設置された為に324メートルとなっています。

フランス革命100周年を記念して、同年にパリで行われた第4回万国博覧会に合わせて建設されました。
建設は万博に間に合わせる為、2年2ヶ月と云う驚異的な速さで行われましたが、徹底した安全管理等で、1人の事故死者も出さなかったそうです。






PM3:55
晴れなのか、曇りなのか、時々はパラ~ッと雪が降って来たみたりと、定まらないお天気です。

今日も早めにお風呂に行きましたが、あぶねぇ~!あぶねぇ~!、デンジャラスとニアミスしちゃった。
信じられるには上限があるかも知れないけれど、信じられないオカシナ人って底が知れないですね。
大ていのタイプは見て来たつもりしているんだけれど、これからも珍なる人を見る事もあるのかナ~!?って思います。











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蕾/コブクロ

2009-03-30 05:16:21 | Weblog


消えそうに 咲きそうな 蕾が 今年も僕を待ってる
今もまだ 掴めない あなたと描いた春・・・・・☆(″ω″♪)

それは春のせいにしてしまったらカワイソウだろうか、判らないけれどもここ4~5日は、私はとてもイライラしています。
それを、これでも我慢をしてるつもりだけれど、所謂、うっ憤って、無い方がオカシイだろう。
薄れるまでのお付き合いかなと思って、返す返すも一人の時間を静かに、気持ちを穏やかにして、私的に好きな事をしていたい気分です。

怖いんだよね。
決して体調としては悪いのじゃない、視覚に恐怖(?)みたいなモノが入ると、心臓がドキドキしてくる。
また始まるのじゃないかナと思ったら、余計にドキドキしてくる。

だからと云うんでも無いけれど、今読んでいる「源氏物語」と云うものは、1000年経ったところで多くの点で、現代と相塗れるとこがあるんだよっと主人にたくさん喋りました。
主人が果たして私の喋りを聞いてくれているのかは判らないけれども、関心したのは自分で、これこれこうでと、私はとても内容をよく把握しているナと云う点。
うっ憤の大元の事を言えば、私は余計に自分を辛くしてしまうのではないかって、そんな不思議な思考をする人で、少しでも解消出来るのであれば、自分の世界観を幾つか持っていて好かったかナと思ったりします。
そんなとこを、人に理解して貰わなくとも、自分で持って行く事が出来るのだからと思っても、自信と勇気の回復に、私は成ります。
何をしていたところで、自分のやって来た事もやっている事も、その中には色んな教えがあったりするものですね。
最近は、崇高な精神って如何なるものか?などとよく考える時があります。
それは、人に言ってもらえることなのか、自分で自分を評価し、人前ではハシタナクも出しては行けない出しちゃ意味がなくなるものじゃないのかと、私は、人が見ていない時や、人が見ない場所をキレイにし、そう出来れば自然と見えるところがキレイになって行くのだって、信じていると云うのもヘンだけれど、そこに考えを納める様にしている。
今、ただ一つ手を動かしていることさえ、自身には無駄にはならないであろう。
先ほどの事でも過ぎた事など後生大事にすることは無く、もうそんな事はどうでも良いのだとしよう。

「旅の香り絶景SP」なんかを視ていると、旅心が誘われますね。
本州は寒いと云ったって北海道の比ではないでしょう。
桜が綺麗だね。
「寂庵」が出て来たけれど、私がもしも誰かの様にと言うならば、瀬戸内寂聴さんの様に生きてみたいと思う。(* ̄- ̄)人 i~

けど、その寂聴さん訳「源氏物語」では、源氏の院は「秋好む中宮」にこう言われるのです。

「人に気兼ねの要らない身分の者でさえ、出家するについては、いつの間にかそれぞれ振り捨て難い係累ばかり出来て、中々望みが果たせませんのに、どうしてそんな人真似をなさって、負けまいと競争なさるのでしょうか?
その様な御道心は、返ってその御本位を捻くれていると、妙にご推察する人もありはしないでしょうか!?」

「秋好む中宮」は、御母の六条御息所(ろくじょうみやすどころ)が、あの世で苦しみを受け、地獄の業火の煙の中で彷徨って居られ、、死しても人に嫌われる様な物の怪になられているのを苦にされ、娘の自分としては、母の後世の苦しみにまで冥福を祈っていない自分のせいとされているのです。
その道理を聞かせてくれる人に導かれたいのだと、出家を望まれていたのでした。

源氏の院は、ご自分も今の立場と云うものを思ったならば中々と出家の望みが果たせないで居られるのですが、それは今急いでなさならなくともと説得をされるのでした。
ただ、世の中と云うものは、すべて儚く、憂き世を厭い(いとい)捨て去りたいと、こうしてお話を時々には致しましょうと院は言われたいのだろうと思いますが、「秋好む中宮」は、自分の気持ちなど深くも汲み取っては下さらない様だと、心の中でせつなく思われるのでした。

自分の心をスッカリと理解して、自分の都合の好い相手などはこの世には存在しないのだと思えば、そこから何か自分が始まって行くのではないかと、そう思いました。
俗世間からは抜け出し、俗世間に上から目線しようとするその思いが悪かしらんと思い、私は俗世間でしか生きられないのだと心しよう。
実に恥ずかしい話しではあるが、私は中学生の頃に、尼さんか修道女に成れば楽になれるのかしらん?と、まあまあ、幼稚な思いを持っていたのでしたっけ。

しかしながら、いつか桜を追いかけ南へ行き、また北に帰って来るなんて旅が出来たなら最高だナとは思う。



3月30日は「マフィアの日」。
1282(弘安5)年のこの日、フランス支配下のシチリアでフランス人の蛮行に対抗した「晩鐘事件」という暴動がありました。
シチリアと云うと、「ゴット・ファーザー」だけでなく「グラン・ブルー」や「ニュー・シネマ・パラダイス」など多くの映画の舞台となっていますね。
\( ><)/ \( ><)/ ¬(▼▼メ) テヲアゲロ






PM4:25です。
1時間半前くらいから、札幌は小雨から雪に変わりましたね。
時季ハズレと云うのじゃなく、もう直ぐ4月になりますが、4月に雪が降ると云うのも珍しい事ではありません。
当然!って感じかナ。
けれど、いつまで続く、名残の雪だろうか?





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コンサドーレ札幌(A)1-1ファジアーノ岡山(H)

2009-03-29 13:54:25 | Weblog
札幌、前半のうちに、再三の決定機を逃すから、「こんな引き分けの結果になったんだッ」と思いました。
情けない・・・。(T_T)

何か、腹が立って来たッ │(▽∧▽#)

   ∧∧∧
  ⊂(`□´)
   ヽ ノ⌒づ三
    し ノ~
    とノ



こんなに腹が立ってしまったなら、切り替えるには時間が要るかも・・・な、午後2時。(ーд―Ⅲ)

腹が立った時の対策として

1.口に出して怒りを喋りまくる。
2.その怒りを文にする(つまり書く)。
3.何物かを殴るなり蹴るなり、壊すなりする。
4.可愛いモノや美しいモノに目を向け、気を逸らす。

だそうらしいけれど、ドレもイヤかナァ~・・・って思うし、結局は辛抱とか我慢なのだろうか?
他にも多々と嫌な事や人が在ったりで、日々薄皮の如くストレスは募るばかりかナってとこです。
私的対策としては、引きこもって一人の時間を一人で愉しめる何かに行こうって思います。
例・本を読む(源氏物語)
  現実からは出る。
例・寝る・・・。
  神経や身体を休ませれば、まあ~、イイっかぁ~になるから。

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八百屋お七の日 …(*Ⅴ.Ⅴ)

2009-03-29 08:00:20 | Weblog


1683(天和3)年、18歳の八百屋の娘「お七」が、三日間の市中引回しの上に火あぶりの極刑に処せられた日です。
前年12月28日の大火で避難した寺で出会った寺小姓「生田庄之介」の事が忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火し、火はすぐに消し止められましたが、お七は御用となります。
当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていましたが、17歳以下ならば極刑は免れる事になっており、そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう!?」と問いますが、その意味が解らなかったお七は正直に「18歳です・・・」と答えてしまったので、極刑に処せられる事になってしまいました。
お七が丙午[ひのえうま]の年の生まれであった事から、丙午生まれの女子が疎まれる様になったのだそうです。

「好色五人女」の中でも、最も有名なお話「八百屋お七」ですが、現在おいても、文楽や歌舞伎の踊りなどで、自分で火を付けながら、火事だ火事だと半鐘を鳴らすシーンは有名ですよね。

若干、内容が違っていますが、お七が恋した相手は、武士の「小野川吉三郎」と云う美形の若者であったとの話もあります。
火事の際、批難していたお寺で、お七が吉三郎の指に刺さったトゲを抜いてやったところから、この恋が始まりました。
そして、お七の思いはますます募り、二人は恋文を交わし合う様になります。

同じ寺に居ながら中々吉三郎に会う機会もなく、丁度お寺の坊さんたちが葬儀で出払った時に、お七は吉三郎の部屋を探し出し、「命の終りまで、この気持ちは変わらない」と結ばれるのでした。

翌朝、母親に二人の姿が見つかってしまい、新しく建てられた家では、周りの監視下にお七は置かれることになります。

手紙のやりとりは続いていたものの、どうにも会えない、辛い日々が重なって行きます。

姪が初子を産んだと両親が出かけた際、物売りの子どもに扮した吉三郎はお七に会いにやって来ました。
その時間も束の間で、二人はまた別れなければ行けません。

三月の或る風の強い日、お七の家から火の気が立ちました。

直ぐに消し止められたものの、傍にお七がいたので、不審に思った家の者が訊ねると、「また火事になれば、吉三郎さんに逢えるから・・・」と、自分で火付けをしたと素直に言うのでした。

天和三年(1683)三月二十九日夕刻。
八百屋お七は、火付けの罪により、品川の鈴が森の刑場で、火刑となりました。

お七の自生の句
「世のあはれ 春吹く風に名を残し 遅れ桜の 今日散りし身は」

あの夜から後、衰弱して床に付いたままだった吉三郎に、周りの者らが処刑の事を隠し、彼がお七の死を知ったのは100日も過ぎた頃でした。

お七の亡くなったことを知り、誇り高き武士として自害しようとする吉三郎でしたが、お七の両親は、死ぬぐらいなら出家をして、娘の御霊を弔って欲しいと願います。
吉三郎は剃髪し、その姿は、世にも稀なる美僧として、人々の哀れを誘いました。
鈴が森を通る旅人たちも、お七の話を伝え聞き、そこを通る時には、御念仏を唱えて弔ったそうです。

お七の恋は、身分違いの悲劇ですが、若年と言えども、吉三郎は小野川という名字を持つ立派なお侍でしたから、一緒になるには壁の高いお相手です。
それにこの吉三郎は、ワケありの人でもありました。
もともと、あるお侍の恋人だったのです。
そうそう、「男色」と云うか「ホモ」だったわけで、女のお七とも通じたとなれば、両方がOKだった人ってことになりますね~ん。
吉三郎の恋人という侍は、たぶん松前藩の人だったらしく、この事件の頃には、参勤交代で北海道へ帰っていた様です。
一年お江戸で、一年お国元と云うシフトなので、江戸で可愛い「カレシ」が出来た場合には、悪い虫が付かない様にと、お寺で預かってもらうのが通例だったようです。
吉三郎が筋を通し、自分の兄分的「彼」からお許しを頂いて出家した後、その彼もお坊様になってしまったと云うのですから、男同士の恋愛と云うのにもこれほどまでに深い情熱があるものかって思います。

江戸時代の恋愛事情は、男女に限ったものではなく、「衆道」と云う男同士の恋もありました。
基本的には男尊女卑の世の中なので、ひょっとしたならば、女とまともに恋愛するのは野暮な事で、衆道の場合は純粋な恋を楽しむ、或る種の美学らしいのです。

江戸時代以前でも、有名な武将が小姓をSEXの対象として可愛がっていたと云う話もありますよね。

現代においては、もしかして「性同一性障害」、タレントさんやアーティスト、昔は有名服飾デザイナーとかで「ホモ」であるとカミングアウトをされている方たちも居ますね。
よく男の気持ちが判る女の子だナと思ったら、元は男だったと笑い話になる程に現代は開けていますね。
もしかして男好き?って奴が傍に居たならば「気持ちワルイ・・・」って思うだろうか?
けど、取り方に寄っては安全とも考えられますね。(^~^d
男の人は同性を愛してしまうその確率って高いと私は思うし、20~30人の男が居たとしたならば、1人くらいはその気がある者があるのじゃないかって思います。

お七の、火事を起してまでも彼に会いたいって気持ちは、感覚を数十年前にまで戻らせたならば、解らぬワケでもありませんよね。
少女とか乙女心が故に・・・。★(((((/ ̄ 3 ̄)/♪
   ○/\○
  <| 愛 |>
  /> <\

お遊びの占いで、結果歴史上の人物タイプと出るものがありましたが、私は「八百屋お七タイプ」と出た事がありました。
まだ若い頃ならば、「カモねッ!?(人~ё~)~☆」って思ったろうけども、今現在は、ふしだらにもそんな感情があったとすれば、私はどれだけ元気であろうかナと思います。(´・ω・`)ボー・・・

それと、今日3月29日は「マリモの日」でもあります。
1952(昭和27)年のこの日、北海道の阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定されました。
阿寒湖のマリモは、1897(明治30)年に当時の札幌農学校(北海道大学)の本科生だった川上瀧彌農学博士によって発見されました。

今日が「八百屋お七の日」であって、何気に助かりました。
昨日は体調はマズマズ、気分もマアマア、洗濯して掃除してお風呂に行って、夕飯してを視て、私的に好日でありました。
NHK「ファン・ジニ」が今回二話放送で終了してしまいましたが、もうチョッとは劇的な感動があるのかしらぁ~んと思っていたけれど、そうでも無かったかナの感想です。
でも、(ρ_; )でした。

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子ども/ドロシー・ロー・ノルト

2009-03-28 11:47:42 | Weblog


「子ども」

批判ばかりされた子どもは、批難することをおぼえる。

殴られて大きくなった子どもは、力に頼ることをおぼえる。

笑いものにされた子どもは、物を言わずに居ることをおぼえる。

皮肉にさらされた子どもは、鈍い良心の持ち主となる。


しかし、激励を受けた子どもは、自信をおぼえる。

寛容に出合った子どもは、忍耐をおぼえる。

賞賛を受けた子どもは、評価することをおぼえる。

フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる。

安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる。

可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる。

お昼です。

いつの事だったか?
確かラジオで、ドロシー・ロー・ノルトと云う人の「子ども」と云う詩を知りました。
私には子どもは無いけれども、とても衝撃的に受け、聴き書きでメモしてあったのです。

しばらくぶりに読んでみて、自分の子育てと云うのじゃなく、自分がこれまで育って来た色々を思い出すのです。
子を思わない親は無いと言いますが、私はそれは違っているだろうと思い続けていました。
親も人の子ならば、時代背景や家庭環境で、善くない事をたくさん持っていて当然であり、今更ながら見っとも無いけれど、自分の両親の事を思い出します。

ただでさえ、学校や社会に出る様になれば、痛い程に数々の試練が待ち受けているものですよね!?
私の両親と云う人たちは、その世間と云うものよりか、子を傷つけたではないかと、それこそ齢五十を越えている私だけれど、そう思い続けているのです。
返す言葉さえ知らないうちから、どー考えてもこの人らの言う事や遣る事は違っているとの思いがありました。
それが「反発」とか「抵抗」と、ずい分と小生意気に言われ続けて来たものでした。
けど、出会いと云う縁があり、小学校時代の岩崎長蔵校長先生、高校時代の担任だった大西登美栄先生、現代国語の教諭俵谷敏秋先生、まだ他の先生たちに、君はYES!だと言って下さった事が、どれだけ私にとって「勇気」になったか知れません。
だから、何度失敗があっても、自分に負けたくないッ!って頑張って来られました。
それと、私は高卒ですから、高校時代のクラスメートや親友たちにも恵まれたと思っています。

なのでと云うか、私は学校の先生クサイとこがあるかも知れませんね。

それに、卒業して就職をした職場の多くの人たちにも恵まれたと思います。
主人もかつては同じ職場でしたが、もちろん仕事に対しては厳しいものがありましたが、心底に意地の悪い人など居なかったよね!と互いに思い出しあったりしています。

親が愛してくれなかったとしても、勇気を持って人の中や社会に飛び出し、自分の力で幸せを手に入れた。
誰彼のせいにせずに、欲しいモノがあるなら自分で掴むように、私はそうして生きて来たし、これからもこの道しかないと思っています。

「誰のお陰で大きくなったんだ?」と問われたならば、私は迷わず「社会」に大きくして貰ったって答えます。
そうして、今年の7月になれば私は53歳になります。
半世紀生きて来たって、偶然とか当然のことなんかじゃなく、私がよく頑張って走り続け、途中棄権をしなかったってとこが、カタチには出来ない「自信」だし、「プライド」かナと思うのです。


画像の本は、この内容とは関係はありません。




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Lover's Concerto/Sara Vaughan chu!(*UзU)-☆

2009-03-28 07:05:29 | Weblog


毎日が、同じじゃないけれど似た日で、何とそのありがたきかなってとこです。

身体的にも特に欠陥も思い当たらず、ただ、一日の始めをユックリ入り、穏やかに終らす、不可抗力もこれと言って無く、早寝早起きが出来るってとこ、素敵じゃないですか、ネッ。(^ワ^) あはは☆

昨日はお陰さまで、スッカリと元気になれていて、お昼からは竹内まりやのアルバムを聴きながら、本を読んでいました。

女三の宮は、柏木の衛門の督との不義の子の若宮をお産みになりました。
源氏の院は若宮をご覧になり、夕霧の大将(実の息子)や、明石の女御がお産みになられた宮たち(孫)と比較しても、とても似ておられないと敏感に思われるのです。
やはり柏木の衛門の督に俤がよく似ておられると思われ、「この子が生まれると直ぐに死ぬとは、あ~、何と云う儚い運命の衛門の督の一生だったことか・・・」と思われ、大方の人の世の無常について考えられずには居られません。

「静かに思ひて嘆くに堪えたり」
白楽天は58歳で初めて男の子が生まれ、院はそれよりもまだお若いけれど、残り少ないご自分の寿命であろうとされ、シミジミと寂しいお気持ちになるのです。

この詩の中には、「慎んで頑に愚かなること汝が爺(父)に似ること勿れ」。つまりは若君には本当の父には似ては欲しく無いと複雑な思いがされます。
当事者とこの源氏の院の胸一つにおさめておきたいものを、この秘密を知っている者が女房たちの中には居て、我を愚か者と笑っているのであろうと、心穏やかではありません。

女三の宮にしたところで、初めてのお産で無事若宮を産まれた事は何よりの事だったのですが、励んで子育てに気を向けるどころか、日々衰弱をされて行くばかりです。
朱雀院(源氏の院の腹違いの兄)がご心配のあまりに山から下りて来られ、院と宮の夫婦関係がこれ以上続くのも娘の不幸と思い、出家をさせてあげられるのです。
如何にも自分の不徳のせいだと当てつけがましくと院は取られ、後々まで、女三の尼宮に皮肉を言われるのです。
尼宮は、母君に成られても、こうして勤行の日々を送る決意をしても、何て云うのか、世間知らずなままで、恋愛の「れ」の字も知らず、以前として幼いままであるのです。
柏木の衛門の督の北の方は、女三の宮の腹違いの姉に当たるのですが、こちらは夫を亡くし、散々と母君が皇女の降嫁を不運なものと嘆かれていますから、皇女は独身を通される事例がほとんどだった当時では、お人形にお生まれならばお人形で終られると云うのが嗜みだった感じです。
女三の宮は源氏の院の寵愛を受けられず、衛門の督の北の方(女二の宮)も、高貴な生まれが故に、夫から愛されず、何ともご不幸な事だと思いました。
ただ、どんなに愛されなくても何処かしら平然とした感じもあり、所謂、「高ピー」なんでしょうね、こう云う方々って。

衛門の督とは無二の親友であった夕霧の大将は、臨終の際に彼から遠巻きにこの度の事情と云った遺言を聞いておられます。
折を見て、父の源氏の院に衛門の督が話していた事と、顔色でも伺って事実を確認されたいと思われます。
残された北の方(女二の宮)の事をとても心にかけられます。大将は、彼女が夫の衛門の督に愛されていなかった事をご存知なのです。

「ご器量は申し分ないほどではなくとも、酷く醜くて傍目も困るほどでさえなければ、どうして見目容で、女の人に飽きたり嫌いになったり、道ならぬ恋に心を迷わせて良いはずがない。
その行為ほど見苦しいことだ。
ただ、女は気立ての好いのだけが、結局は最も大切なものなのだ。」

見目麗しくとは行かないけれども、私は多分ソコソコの辺かナと思うし、多少は気立てには自信があるから、何気に励まされるってとこかナ。

源氏の院は、衛門の督は大切な部下だったし、日が経つにつれて彼を哀れと思い、この若宮を形見と思われるのですが、どうしたところで若宮は実子じゃなく、女三の宮と衛門の督の一件を、前世からの由縁とばかりでは治まらないお気持ちで苦しみは続かれるのです。

父の院とは違い、夕霧の大将は実に実直な人物なのですが、未亡人になった「女二の宮」に心惹かれて行くのですが、果たしてどうなることでしょうか。チャンチャン♪ってとこまで読みました。

自分の毎日と来たら、どこかしら判を押した様な毎日で、また私もそれを望んでいるのですが、こうして、進むページのイチイチな感想が書けることは、実は*ニッ(○・∀・●)*°としているとこがあります。
暇を自由に変えるっていいよね~。

3月28日は「シルクロードの日」。
今から2000年前、中国の敦煌から砂漠を16日ほど進むと、ロプ・ノール湖のほとりに楼蘭と云うシルクロードのオアシス都市がありました。
楼蘭はいつしか荒れ果て、砂漠の中に消えてしまったそうですが、1900(明治33)年のこの日に、探検家スウェン・ヘディンによって発見されました。

「スリーマイル島記念日」。
1979(昭和54)年、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で放射能漏れ事故が発生。世界初の原発事故でした。




午前7時25分。

私は、今居る子たちや、これまで共に暮らして来た多くの子たちを、これが100万回目のニャン生にしてあげようと思い、いつも育てて来ました。
それは、人の生き方にもよく通じ、心おきなく日々を大切に生きると云う事です。

例えば、金儲けばかりを追及した生き方ならば、それなりの最期があると言っていいだろうか。

身は滅びても、心は死なないものですよね。








午後1時25分。

ル~ルルルルッル~ 今日もイイ天気~♪ 

   (⌒Y⌒Y⌒)
   /\__/
  / /   \
  / / ⌒  ⌒ \
(⌒/  (・) (・) |
( (6    つ  |
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   \____/

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連れてって 連れてって/Dreams come true (*~▼~)σ))ツンツン...

2009-03-27 05:28:41 | Weblog


ハッキリ言って、昨晩は7時半に寝てしまいました。(〇uωu*)☆

昼間の事と言ったら、やっと洗濯と掃除をし、早めにお風呂に行ったけれども、クタクタでサウナにも居られやしなく、TVで日ハムの稲葉選手とダルビッシュ投手が新千歳に帰って来たってとこを見て、大仕事を成し遂げた男の人は、ホント、チョ~恰好イイなと確認(?)したら、イヤ~な人もやって来たことだし上がってしまいました。
疲れちゃって、他の何も気にならないって気分もいいものですよね
中年になれば、一日二日開けてから出て来る疲れですが、私の場合の解消法はよく寝る事です。
外もお天気が安定しなく、今度の日曜日くらいまでは寒かったりでしょうね。
休むには丁度いいとこでしょう。
幸いなのは、疲れていてもメンタル良好。

横恋慕した柏木衛門の督(かしわぎのえもんのかみ)は、結局は亡くなってしまうのですが、才気溢れ源氏の院にも事有る度に重宝がられ可愛がられた人なのですが、まるでお子チャマの女三の宮に一目惚れをし、そこで自制心が働き、大ていの方ならば思いを引くものを、妊娠までさせてしまったのでは、生き長らえたところで肩身の狭いどころの話しではなくなりますよね。
粛々と死に向かっている身でありながらも、女三の宮への思いは続くってとこが、悲しいと云うか哀れと言うか・・・。

「あの方にまだ思い出していただける間に死んでしまい、ほんのかりそめの憐れみでもかけて下さるお方がいらっしゃるのを、せめて、ひたむきに燃え尽きた我が恋の証としよう」

時代が1000年も前の事なので、ピッタリと現代に当てはまるものでもないけれど、恋に狂うと云うか恋に堕ちると云う事は、理性では整理出来ない、人としての喜びなのか、悲しみなのかと答えのない感情なのですね。

映画だったりドラマだったり、こうして創作された物語だったりしたならば、究極の浪漫であり、若い情熱のある精神ならば憧憬の思いとして感動があるけれど、実際に、近くでこんな男性(ひと)とかケースを見聞きした場合には、実に男らしくなく情け無くも思う。
手に入れたい物があるならば、二つに一つじゃなくて、両方をゲットしようと模索する方が、私は男らしさって思うけど、それは如何にも近代的過ぎる考えなのだろう。
女三の宮だって、衛門の督に好意を寄せていたわけじゃなく、疎ましく思っていたのだが、段々とお腹の子が大きくなってくれば、疎ましさもまた別の感情に働いて行ってるのかも知れない。

物語では、例えば恋への邪念を捨てる為にとかで、よく出家と云う方法(?)が取られ、所謂、当時の高貴な方たちの逃げ場だったのかも知れません。
源氏の院が愛された女君たちが続々と出家をされて行きますが、院は何故自分に相談の一言もなく・・・と残念がられ、女と云う者の冷淡さをツクヅクと知らされる事になります。
最愛の「紫の上」も、浮気グセの絶えない源氏の院に悩み、こんな思いばかりに捉われる自分を浅はかと責めて、再三院に出家したい由を伝えるのですが、院は老いた自分よりか先に出家されるのは、我を捨てるに等しいと説得されます。
こう云う点、何千年経とうが、男の身勝手さは、それこそ永遠のものであろうかと思う。
衛門の督だって如何にも恋への純粋さを言うけれども、私ならば、「勝手に死ねよッ!」と腹立たしさが膨らむであろうと思う。

タレントのベッキーがこの前で、一生で好きになる男性(ひと)は一人きりだと言っていた。
聞いた直後は、そんなワケ無いだろーって思ったけれど、何かこの言葉が気に掛かっていて、何かをしている折にでも思い出すのですね。
ウワベの恋でも恋だろうし、数をこなしていたって全部が恋だし、齢五十を越した私程度の頭で思ってみれば、一生の間には、好きになれる男の人って、一人あるか無いかカモ知れないって思います。
それが成就しなかったから、後々にでも、こうして尚更に美しく甘いものに成ってしまったんだとすれば、一生に一人かナ~って思いましたね。

それこそ、身体はよくよく草臥れてしまったけど、私的世界観は元気な方であります。
おはよぉ~!( ̄〇 ̄)




お昼少し前の11時半です。~~□Ю_(^-^*) ( ̄ー ̄)y-~~~~

いつも主人にタバコを買って来てもらうんですが、セブンスターだけど、違うセブンスターを間違って買ったのかナァ~って思いました。
例えば、ボックス型のセブンスターだと、ニコチンとタールの具合が微妙に違っていて、私的には旨く無いのです。
セブンスターが発売されて40周年で、その記念パッケージなんだそうです。
そっかぁ~、セブンスター40周年かぁ~。

今だに、「貴女、タバコを吸うの!?」って言う人が居るんだけども、私はまだ未成年に見えたのでしょうか?

それと、「マユミちゃんもタバコを止めれば、もっとキレイになるのにネ」って言って下さる方。
貴女が言っても全然説得力は無しッ

「アンタ、タバコ吸うからイヤなんだよね」って言う人。
私は、貴女が喫煙者じゃなくっても、大嫌いです。

札幌は、朝は積雪がありましたが、今の時間から日が差して来て暖かくなって来ました。
春までもう少しの辛抱です。







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源氏物語第七巻へ

2009-03-26 13:43:32 | Weblog


第六巻の感想は、朝の日記にてあらまし書きましたが、朱雀院の御賀を、娘の女三の宮の主宰として、ご主人の源氏の院はご用意されなければなりません。
朱雀院のお耳に、源氏の院がさっぱりと女三の宮のもとにお通いになられぬとの噂が入り、源氏の院のそれは怠慢であられるとも迂闊にも言えず、娘の女三の宮にお手紙をされるのでした。

「夫婦の仲が上手く行かなくとも、じっと堪えておいでなさい。
いい加減な噂で、はっきりともしないのに気を廻し、何もかも承知をしている様な素振りを仄めかし、恨めしそうな顔を見せるのは、大変品の悪いことです。」

朱雀院の父としての親心が実にいたわしい感じもし、これは夫婦間以外の人間関係においても、下品な姿勢だと私は思いました。

源氏の院はすべて妻の女三の宮の至らぬ慎みの浅さで、父君をこんなに心配させているではないか。
私の不徳のせいではなく、貴女のせいなのですよと遠まわしにお話され、お返事のお手伝いまでされるのです。

朱雀院の御賀には、所謂、女三の宮を夜這いし、妊娠にまで至らしめた柏木の衛門の督もご出席にならなければなりませんが、心が咎めて居られ、一応重い病として、源氏の院と会われる事を散々避けて来た日々からさえ、とうとう逃げ出す事が出来なくなりました。
院には、持病の脚気がことのほか重かったと詫び、大袈裟じゃなくも丁寧なお扱いを受けられます。
宴の席を中座された衛門の督は、心が掻き乱され、苦痛に耐えられなくなり、北の方の「落ち葉の宮」のもとに帰らず、所謂実家に連れ戻されるのでした。
衛門の督は、重態に陥られるのです。

女三の宮と、柏木の衛門の督の不倫の果ては如何に?ってとこで七巻は終りました。

自分のところだから何度も書きますが、私的に夢中になってしまうほど、「源氏物語」は面白いものです。
「女人源氏物語」で、この結果は判っていますけれど、内容は判っていたって、「源氏物語」はまた新しい本として、充実して読めるかナと思います。






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Black Glasses/ANGELA AKI

2009-03-26 05:06:37 | Weblog


メガネを外して あなただけに本当の私を見せてあげる♪(^0_0^)って意味の歌なんだってね。d(-_^)

私は、自分がメガネをかけているけれど、先ずこの2年は、自分の顔がずい分と変わった気がしています。
年齢(とし)を喰ったばかりじゃなく、それ以外の心的な大きな変化があり、それが顔に出たと思います。
それが善いか悪いのかは判らない。
昨夜は帰宅してから一気に疲れが出て来ました。休んだのも遅かったけれど、休めば身体がメリメリと音をたてて痛い様な感じになりました。
実際に痛いわけでは無いのに、痛い痛いって言うから、本を読んで紛らわす風にしてました。
所謂「源氏物語」ですが、「紫の上」は或る日突然に病に伏せる事になりましたが、源氏の院は思いつく限りのご祈祷をあげ、紫の君に先立たれては自分さえも生きては行けないと、数々の女性に心を移した経緯はあったけれど、改めて、彼女ほどに完璧な女性はないものだと思われるのでした。
当時より更に昔より、何事にも不足のない人は、案外と短い寿命しか持たないものだって言われていたみたいですが、私は人が亡くなった場合は、その方がこの世でのお役目が終ったのだと思うのです。
それが、まだ小さい三歳四歳だったり、二十歳前後の若さだったりでも・・・。
自殺で亡くなる方が交通事故死の何倍もあり、未遂の人はその二倍あると聞きました。いつかは誰でもお呼びがかかると云うか、肩を叩かれると云うのに、それでも自らと云うのは、私も解らないわけではなく、何か自分の意志以外のものが働く様な、それを気の迷いと言うんだろうかと思った事がありました。
世界のイチローが、4年先のWBCについて聞かれた時に、明日何があるか解らないと云うのに、4年先の事なんて解らないと言いました。
世界一だろうが世界最低だろうが、平等なのは人はいつかは死ぬんだと云う事で、今日一日を粗末なものにしてしまうか、大切に過してみるかは、みんなの選択で、そんな意味もあって、昨日は人には意味不明だろうけど、自身の一日として花丸印をつけたのでした。
どんなに花丸がついたって、昨日は過ぎてしまった事で、また今日の試しが始まるんだなと思います。

ところで、紫の上にはしぶとい物の怪がついて居られたのでした。
生前には生霊と化して、源氏の院の正妻の「葵の上」を死に至るまでに追い込み、死しては魔界に堕ちた六条御息所(ろくじょうみやすどころ)の恐ろしくも不気味な姿でした。
御息所の愛娘の「秋好む中宮」を丹念にお世話する源氏の院ではありましたが、それでも御息所の迷う霊の慰めには成らず、最愛の「紫の上」を死の淵へと誘うのでした。
他の、例えばキツネの物の怪も憑いておられるかと、丹念なご祈祷のお陰で、紫の上はウソの様に生還されるのでした。

古より、男に裏切られたとするなら、どんな霊に成り果てても、男に復讐に向かえばいいものを、女の人は男の最愛の女に対して恨み辛みを晴らそうとするんですね。

源氏の院が紫の上にかかりっ切りで居られる間に、いい加減に幼稚さが消えてもよいはずの「女三の宮」が衛門の督と関係してしまい、懐妊までしてしまうのです。
衛門の督如きにッ!と源氏の院は腹を立てるのですが、いつまでも幼稚で、何も変わらないままの高貴な生まれの「女三の宮」にも怒り心頭なのです。
だけども、自分の過去として、藤壷の宮との関係を思い出され、父である桐壷院がどれだけ複雑な思いであったことかと思いを巡らされるのでした。
事情が多少違っていたとしたって、挙句は同じ事であり、因縁の連鎖を院は感じられます。
女三の宮も院からしてみれば奥方の一人なのですが、身ごもった姿もいたわしく、あれやこれやと宮の身の回りのお世話の指示をされます。
宮にしてみれば、こう云う事になって初めて女性としての情けなさや苦しみとして目覚めた様な事になりますが、院はいっさい宮とは共にお休みになろうとはしなくなりました。
帝のお声がかりもあって、見せ掛けでも女三の宮のお世話をしなければならないと云う源氏の院のお苦しみがあります。
その院が弱さを見せられるのは、やっぱり最愛の妻の「紫の上」だけなのでした。
「わたしが誰よりも愛する貴女には、うるさい親戚が無い代わりに、貴女自身は何かにつけて気のつく方だ・・・。」と言われます。
夫婦だからとて、何も言わずに過したならば、互いの心も段々と距離が出来てしまうもので、時々は貴方や貴女のお陰だと平気で言える様なズルさ(?)を持つ事も円満の一つかナ~と私は思います。
そして、男の人は女の人の事を片目で見てあげる事ですね。
それが貴方の幸福になるとも思います。

うちのダンナさんは実に立派な人で、もう両目を瞑っていますよ。
なので、私のお陰で主人は、とっても幸せな現在であろうって思うんですね。

本を少しでも読んで寝たのが、興奮気味(?)だった気分を転換した気がし、私は毎朝5時起きで、2~3時間しか寝ていないけれども、案外今朝は爽快な気分であります。そうそうッ!、転換転換の日々。


O・ヘンリの短編の中では「賢者の贈り物」が好きです。
関係が如何なれ、お互いの事を思い合い、相手の喜ぶ顔が自分の喜びであるとする、そんな瞬間が自分で幾つ創れるだろうかナァ~って思います。
  (((())))
 ((((ハ))))
 (§n n§)
 (人"∇"人)
((((〕〔))))
 / \/ ヽ
/Y  ※ Y ヽ
( ( ※※※ ) )
`∋/%※∈´
  //
 @





午前8時25分。

中々動く気がおきないのだけれど、今日は燃焼ゴミの日。

けれども、私の事を待って居てくれるのかナと思えば、何気に元気が出て来る気がします。




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コンサドーレ札幌(H)0-1湘南ベルマーレ(W)

2009-03-25 23:10:54 | Weblog


今日こそホーム初勝利を上げたいところでした。

アディッショナルタイム3分に入っての失点は、尚更に悔しいものでしたが、互角に戦っている様で、小差がそれこそ大差なわけで、若いチームだと云うのもあって、成熟して行くにはまだまだ時間と経験が必要なのかナって思ったのが正直な感想です。
でも諦めたのじゃなくって、まだ後47戦があります。
このままでは終らないと云う希望がある。
明日こそッ、明日こそ強くなるんだと信じ続けようって思います。
((/((\\
,)δ δ∠|
(”ン“∠/
_> _<__
_(ξ)_ \

一日を全体として見たなら、私は突然具合も悪くならずに過せたし、ワザワザと言う事も無いけれど、愉しい事がいっぱいありました。
自分で心している幾つかの事が、つまりは自分と約束した事が、私はよく守れた気がします。
自分を裏切らないこと、自分にウソをつかない事、自分の力で均衡を保つこと、それらはホント小さな事だらけだけど、上手に出来ましたネと、今日の私に花丸をあげたいと思います。~~□Ю_(^-^*)




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We've Got the Wind/Tuck with Guchy ,Tethuya

2009-03-25 05:30:26 | Weblog


昨日はWBC「侍Japan」世界一に尽きるでしょうね。\(^0^)/☆

その後は、ニュースとか、色んな関連番組をたくさん視たけれど、少し元気をなくしている日本がこんなにも沸き立ったことを目撃出来た事には、私もホント嬉しい気分です。
心地好い脱力感ですよね。

イチローが10回表に二塁打を打ち、結果論でほぼ勝利を決定付けたとこや、ダルビッシュが最後の打者を三振に打ち取ったとこは、夜遅くまで飽きもせずに何度も何度も見ました。

見るもの触るものに、中々面白味とか楽しみを持ててない様な、そんな感じでここ何年も来たけれど、若い時と同じ様にとは思わないけれど、もう少しは何事かに熱くなって、元気で居る事を諦めずに、感覚や身体の若々しさを保つ事を努力して行かなきゃナァ~と思いました。
度々挫けてしまうけれど、何度躓いてもまた立った時には強くなって居ようと思います。
実は真面目である事や、窮地に毅然とする事は私の欠点では無く、幸運の女神がいつも私の側に居て、人が見ていないところでこそ、自分がどんな選択をするのかとか、ズルイ真似をしないかとか、人の批判ばっかりをしていないかとか、色々と試されているのだと思います。


昨年の今日の札幌は、気温が15.1度まで上がり、積雪ゼロになったのでした。
今週と云うか今朝も、寒の戻りでとっても寒いですが、今夕は札幌ドームでコンサドーレ札幌の試合があります。
昨日の「侍Japan」の感動を胸に、コンサドーレ札幌の事もウンと頑張って応援して来ようと思います。♪(@ノ゜▽゜@)ノ



侍 執念のV2の横記事。
小沢民主党代表は、公設第一秘書らが東京地裁に起訴されたのだから、代表を続投するとかなんて表明する以前に、潔く国会議員を辞するべきであると思います。
平気で人の前でウソ臭い涙を流せる程の神経がなきゃ、議員なんて務まらないものだろうと思いますが、国を建てる政治家こそ「侍」じゃなきゃ行けないんじゃないのかい!?
私は、もしも個人的にでもお話をしたならば、小沢氏はとても魅力的な男性であろうと拝察しますが、歴代総理や自民党政権の批判ばかりをし、歩み寄って協力し合う能など無いとこを、散々と露呈しています。
秘書が逮捕されたところで、もうお辞め下さい!と国民は声を出すべきでしょう。(`・д・ノ)ノオイ〃〃



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天はJAPANに微笑む \(^0^)/☆

2009-03-24 14:55:21 | Weblog








イヤ~~~ッ、すっごい熾烈な試合でした。
ドラマ以上でしたね。
後にも先にも、私はこんなに凄い野球を観る事はないだろナと思ったのが率直な感想です。
それと、Japan最大のピンチを救ったイチローは、「世界のイチロー」に全く相応しいプレイヤーだって思う。
イチローは「神が降りて来てくれた」とコメント。

二大会連続優勝、「侍Japan」おめでとー

新聞の号外が出るんだろうナ。(〃゜ー゜〃)

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Get Ready/TEMPTATIONS

2009-03-24 05:21:59 | Weblog




昨日のメインな話しは、WBC準決勝でした。
私は、洗濯掃除をしながら視ていましたが、イチイチ手を止めて視ていたものだから、それは捗りはしなかったけど、昼間にTVを視る事も滅多に無いし、何か元気を貰った感じで、(^^_)ルン♪ってとこですね。
だけど、こう云う人たちのメンタルって、いったいどうなってんのかしらってまるで感心をしてしまいます。
どーしようもなく、モノの数にも入らない様な自分だけど、何となく程度で良いから、頑張ろうッ!って思いました。p(*゜▽゜*)q
その後は、チャンネルをそのままにして、リプレイや選手のインタビューとかを視てました。
で、3時半頃にお風呂に出たのだったかナ。
ここ3~4日は汗がよーく出て調子がいいんですね。
それと、まだ寒いと言ったって、水が温んで来た感じもし、春なんだナ~とも思います。
サウナでMさんが「マユミちゃん、ソレだけ汗かけば気持ちいいッしょ~!」って言ってくれるけれど、所謂、ソツの無い返事をしておきます。
Mさんがと云う事はないのだけれど、ウッカリとそのままとかホントの事を言えば、まるでヘンな取り方をし、揚げ足を取りたい趣味(?)の人ってあるから、誤解を受けないとか、疑われる様な答え方をしない様に細心の注意をするのにも慣れて来たから、「私は汗っかきで・・・」と云う言い方にしたのです。
実は、お風呂に行く前には汗がよく出る様に自分なりの工夫があったりします。それを話してしまったなら、厭味に取りがちな人も中には居るって事があるんですよ。
なので、本当の事や本心なんて、絶対に人になど明かすまいって頑なに思う私です。
また、その代わりに、他の事で本当や、人の本心なども知りたいなんて、一度も思った事はないです。

自分、詰まった時には別な世界に飛ぶ様にしてます。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
「私のこの柔らかな肌にも触れようともせずに貴方は行ってしまうのね。ホント、野暮な男(ひと)だこと・・・。」ってぇ~、この詩々の意味の一つや二つを知っていた方が余程マシだろーと思ったり。…(*Ⅴ.Ⅴ)
元々からだったけれど、特にこの数年と来たら、私のこの辺りからは絶対に入って来ないでッって気持ちが強くなって来たと思うのです。
侵されたなら、私は相手構わずに爆発するんだろうナ。
どうか、今日も心穏やかに過せます様に。(*∪∀∪*)。。☆






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夏のそのせい/KEN-U

2009-03-23 05:17:59 | Weblog






私の愛読書を紹介しています。
「星の王子さま」で一番印象的なフレーズ、「大切なものは目には見えない」。
「心で物事を見る事を人間はとかく忘れがちである」って、改めて読んでみると、小さな事にコセコセとし、狭くなってる自分を省みることが出来ます。
全体を見れば広く見れば、何でも無い事であるのに。
そうは幾つも無い大切な事に、自身の責任感を持って頑張ろうかナと思い、新鮮な気持ちになれるって思います。
また、ページを開く度に、意味合いと云うか、受ける解釈が違って来ると云うのも面白いとこじゃないかって思うのですが。
でもね、私の頭が好くないのでしょうか、幾ら子ども向けに書かれている「星の王子さま」でも、最初読んだ時はとても難解な本だナと思いましたよ。

昨日の日曜日は、朝ユックリ起きて毎度( ̄。 ̄)~゜゜ポー・・・としてここの日記を書いたりして、主人は更に遅く起きて来たから、今日は手稲のイオンに猫モノと夕飯の買い物だけしに行きました。
手稲までワザワザ行くのは、駐車場が混雑しないからであります。

帰って来てから、掃除機をかけたりの掃除をしました。
何気、掃除の一つもしない一日って云うのは気が済まないとこがあったりするのですね。
ヘンな癖で、腹が立っている時って掃除がしたくなるんですよ。
毎日毎日やっているのだから、毎日何かしら腹を立てているって事になりますが、一人の時だったならブツブツと口に出したりしているカモ知れません。
答えて貰わなくてもいいんだけれど、主人が居れば聞いて貰ったりしてますが、果たして聞いているのかいないのか、お決まりに「そんな者って何処にだっているヨ」と言われたら、私はあそこまで性質の悪い人はそうは居るって思えないのだと頑張るんです。
いつか、近所ですれ違った事があって、「ホラッ、あの人よ。意地クソの悪さに手足がついた様な人ッ!」って紹介をしました。
ネットのニュースで「あなたの身の回りに居る意地の悪い人」ってとこを見て、先ずは二人ほどの人数を思い出しました。
それらにどう対処するかと云うと、関わりを持たないと云う人たちのパーセンテージが多かったけれど、私もそうだナって思いました。
ただ嫌いだッ!だけでそのままにしておきたくない気持ちもあり、誰にでもと云うわけにも行かないけれど、私は私の道として、善いことは出来なくても、人を深く傷つけてしまう様な言動を心してやるまいッ!と思います。
それって、恐らくは自分次第で簡単にやれる事だろうと思うのですよ。その、簡単にやれる事を怠慢にするから、道を誤るんだと思いますね。

コンサドーレ札幌には、連勝を期待していたけれども残念でした。
でも、あと48試合が残されているし、後半の猛攻には見所があったのだし、今この一試合で何事かを決め付けるんじゃなく、いつも明日こそと希望を託して行きたい気持ちです。
どんな状況におかれても、最後まで諦めない強い気持ちは、チームにだけ向けるのじゃなく、それぞれみんなだって、一度の人生を捨てたり逃げたりしないで!と云うことですよね~。
それと、熱心さ余って、それだッけしか見ようとしない、他を見れば自分が崩れてしまうと云う様な、如何にも寂しい心根とは、先ず自分自分で戦うことでしょうね。
セコイけれど、私はそうしているから、ワケも無く辛くなったり苦しくなったりします。
でも、これって、「勇気」と云う力だと思ってもいますね。
((())))))
)∪ ∪(((
(“∇" ((
(ξ)
試合が終わってからお風呂に出ました。
まるで当てモノみたいな言い方だけど、昨日は何事も無く、恙無いお風呂タイムが出来ました。
身体が温まれば、何気な頭痛も解消しました。

何だかスッキリしないお天気ばっかりですし、まだ時々雪が降ったりで寒い時もあるけれど、雪は確実に融けて来て、国語的に言えば「氷が融けると春になる」って感じです。
もう少しの辛抱だネ。
   △__△
   ( ∩ ∩ )
   | ∪ |
   |★☆★|b
  ⊂____⊃
お~つか~れさ~ん
 明日も頑張ろうねb

3月23日は「世界気象デー」。
気象の共同観測や資料交換などの国際協力を目的にして、世界気象機関(WMO)が1950(昭和25)年のこの日に発足しました。
日本は世界気象機関に1953(昭和28)年に加盟し、同機関の発足10周年を記念して制定されました。
   ⊂ニ⊃ \│/
⊂⊃__   ─◎─
 /  \⊂⊃/│\
/    \
______\
┫ ∧_∧ ┣┫イイ天気
┫(´Д`) ┣┫
╋━┳━┳┻┫
┻┳┻┳┻┳┫
━┻━┻━┻┛





私は朝が早い人なんで、もうお昼の気分ですが午前9時45分です。
札幌は細かな雪が降り続いています。
洗濯しながら、WBCアメリカを観ているとこです。



(*~▽~)/こんばんわぁ~♪

今日のWBC準決勝はご覧になりましたか~?

1回の表に、行き成り松坂がボコ~ン!とホームランを打たれた時にはどうなる事かとドキドキしましたね。
けど、北海道日ハムFの稲葉と、元日ハム(現・読売巨人)の小笠原がいつもの様に打線爆発のキッカケを作り、イチローも、如何にもらしい仕事を見せてくれたし、予想以上の得点をあげてアメリカに勝利しました。
楽天の田中マーくんも地元駒大苫小牧出身の選手なんで心配していたけれども、三塁打を一本打たれただけで、よーく頑張ったって思いました。
日ハムのエースのダルビッシュの最後の一球が凄かったしッ!\(^0^)/☆
大感動だナって思ったけれど、大感動は明日だよね。
宿敵の韓国に、今度こそ決着をつけて欲しいです。

聴く見るニュースと来たら、ロクなニュースじゃない中で、日本国中久々の楽しみなニュースで沸きましたネ。
画像は、読売新聞夕刊よりです。





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コンサドーレ札幌(A)1-2ヴァンフォーレ甲府(H)

2009-03-22 15:52:48 | Weblog
返す返すも、前半のうちに1点は返しておくべきでした。

今日のところはアウェーって事で同点で終ってもいいだろうと私的に思いましたが、反撃虚しくってとこでしたね。

次節25日には、今度こそッ!、ホーム札幌ドームで勝ちたいって思います。

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