コリウス Coleus 絶望な恋 善良な家風 恋の望み
(産業まつりで留寿都高校のコーナーで買ったコリウスですが、コリウスがってよりか、空き缶型のプラスチックのポットがかわいくて気に入りました。(^^_)ルン♪ )
朝晩には涼しくなったとは云え、鉢植えの花々たちは水を欲しがっていた。
昨日の朝は、また少し外のことを色々やったりしてましたが、不思議、不思議、段々と何気に調子が好くなって来る。
私は朝に散歩をすることもないが、その感覚になるんだろうか、お花が一つ咲いた、また一つ咲いたと云う喜びが身体を起こしてくれるんだねッ。そう想う。(〃゜ー゜〃)
それにつけてもまだこの時季、30℃くらいにはなってるとこ、私は心地好い残暑の様に思います。
うっかりと、Iさんの奥さんに声をかけられてしまい、我が家の庭のセンスを誉めてくれるのだが、私にはセンス云々なんてものなどなく、好きな様にしたいだっけと、そうはイメージ通りには行かないものだナと愉しみな四苦八苦をしているだけだから、返す返すも誉めてもらって気を悪くする事もないんだけど、正直、黙っておいて欲しいと云うか、好くも悪くも言われたくはないのです。
だって、この人の話って長いんだもの・・・。(;・・A
私はここ何年も誰かに見てもらおうとか好く言ってもらおうとか、そんな感覚が全く無くなった。
どうしてか?・・・と思わないでもない、つまり、年を取ったんだろーと思うよ。ならば、年を取るって楽になるって事か!?
自分の中にある要らぬモノや余計なモノが失せて行き、角があるとこが転がって丸くなって来たのだったとしたなら。
何がどうでこうでって言えるほどじゃない。
でも、やっと自分の望んでいた風なところに立てている気がしています。
仇(あだ)を返したいとか、せめて皮肉の一つでも言ってやりたいと云う、怒りや憎しみの気持ちが起きないでもないが、私はそれって自分で墓穴を掘ること、自分が自分に負けてしまうことだって解釈があり、イヤな人物ばかりに合い、時として苦しくてどうにか成りそうな事態をどんな風に過ごせて行くかが、人の生き方になるのだろうと、わざわざと難局に我を置かなくたって、みんな日々を修業として生きているんだよね。
私は私に負けない。
そう思えば、いつもお喋りなどをして笑い合うお友だちの、人としての純粋さが見えて来て心が温かくなります。
悪いものばかりを拾ってしまう時の私って、その場合、心が冷えているのでしょうね。それを誰か人のせいに出来るかい?
一度っきりで取り返しのつかない事もあるが、失敗したナと思ってもやり直しが幾らでも利く事も多いよ。
多分、私にはまだ時間が残されているのだろう。
自分が納得できる、せめて了解できるこれからを作って行きたいッかな~と想います。
「冒険家の日」。
1970(昭和45)年、植村直己がマッキンリー単独登頂に成功し、世界五大陸最高峰の征服を成し遂げました。
「マッカーサー進駐記念日」。
1945(昭和20)年、連合国日本占領軍最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着しました。