餓鬼は多く腹の膨れた姿で描かれる 『暁斎百図』 国立国会図書館蔵
柳沢淇園(1703~1758)が伊勢から伊賀へ山越えする時、一人の男と出会った。
その者が慌ただしく言うには、「私は大坂の者だが、どうやら道中で餓鬼に憑かれたようです。
飢えて一歩も進めず大変難渋しております。
何でもいい、食べ物をお持ちでしたらお恵み下さい」という。
柳沢は変なことを言うと思ったが、旅の途中で食物の蓄えもないので、
持ち合わせた刻み昆布を、「これで良かったら」と与えると、その男は喜んで直ぐに食べ始めた。
その者が慌ただしく言うには、「私は大坂の者だが、どうやら道中で餓鬼に憑かれたようです。
飢えて一歩も進めず大変難渋しております。
何でもいい、食べ物をお持ちでしたらお恵み下さい」という。
柳沢は変なことを言うと思ったが、旅の途中で食物の蓄えもないので、
持ち合わせた刻み昆布を、「これで良かったら」と与えると、その男は喜んで直ぐに食べ始めた。
「餓鬼が憑くとは、いったいどういうことじゃ」と問うと、
「眼には見えませんが、この辺りに限らず、あっちこっちで乞食などが餓死した怨念が残っていて、
餓鬼となって通行の人に憑りつくのです。これに憑かれると猛烈な飢餓に襲われて、
体力がなくなり歩くこともできなくなります。私は度々経験しました」
とのこと。聞けばその人は薬売りで諸国を旅行する者であった。
世の中にこういう事象があるようだ。
後に播州国分寺(兵庫県)の僧侶に訊いたところ、
その僧も若い頃、伊予の国(愛媛県)でやはり餓鬼に憑かれたことがあったそうで、
これを防ぐ為、諸国行脚のおりには、食事の時に飯を少しづつ取っておいて、
紙などに包んで袂に入れておき、餓鬼に憑かれた時の用心をするのだ、という。
変なことがあるものである。
『雲萍雑誌(うんぴょうざっし』 巻三
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喜田貞吉(1871~1939)の『憑物』に拠ると、上の山路で飢餓状態になることを「ダリに逢う」といい、
明治二十七、八年頃までは、その為に食物を用意して旅行したという。
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江戸時代 怪奇事件ファイル