Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

人間万事塞翁が馬

2010-12-31 05:20:30 | Weblog


昔、中国の北方の塞(砦)に、占いの得意な老人(塞翁)が住んでいました。

ある時、塞翁が飼っていた馬が逃げ出してしまい、人々は気の毒に思い慰めに行きました。
すると塞翁は、「これは幸いになるかも知れない。」と言いました。

数ヶ月して、逃げた馬が駿馬を連れて帰って来たので、人々はお祝いを言いに行きました。
塞翁は、「今度は災いになるかも知れぬ。」と言いました。

塞翁の息子が駿馬に乗っていた時、落馬してしまい骨折をしてしまったのです。
人々がお見舞いに行けば、塞翁は「これは幸いになる事だろう。」と言いました。

やがて隣国と戦争が起こり、若者たちはほとんど戦死してしまいましたが、塞翁の息子は怪我の為に兵役を免れていたのです。

この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれているそうですが、この故事から、人間の吉凶や禍福は変転し、予測ができない事の例えとなります。
だから、安易に喜んだり悲しんだりしてはならないと云うことです。

人間は、人間(じんかん)と読むのが正しく、世間とか世の中の事を言います。



「塞翁が馬」の話の意味を知っておけば、日々の暮らしにとっても、悔やみ過ぎぬ様、驕り過ぎぬ様にと、とても役立つって私は思っています。

例えば同じダメージを受けたとしたって、案外平気で居られる者と、病気にまで至ってしまう者と、そんな二手に分かれてしまう場合だってあります。

幸不幸は代わる代わるやって来るものだし、成る様にしか成らないもの。
また、不幸中の幸いや、至福の中に潜む落とし穴とか、特に今年の私はそれらを実感させられたと思っています。

色々ありました・・・と言えば、それらの多くって多分は好くない事をぼかして言う人が大勢かも知れませんが、全く私個人としてみれば、ここ数年じゃ一番元気で健康に過せたし、人に対しても、助けてあげるまでは行かなくとも、人が嫌がりそうな事だけは絶対にしまいって事が通せたと感じています。
そして、足りると云う自分の身の程もよくよく知りました。
ワザワザと出しゃばって自分への評価など期待せず、だけども、言わずとも、自身の考え方はシッカリと持ち、生きている内は、本当に勉強する事が多いものだと思いました。
新しいモノを入れる代わりに、古いモノを出す。
持っていたところで何の役に立とうか?ってモノは、惜しむどころか躊躇なく捨てる。
それらは、例えば憎しみだったり怒りだったり、それを使ってしまう人のエネルギーと来たら相当なものだろうと私は思うのです。
だったなら、愛猫たちの頭を撫でてやっていた方が全然マシな事だろうと判断していました。
もう面倒臭いッ!ってのが先に立ち、味方も出来ないかも知れないが、敵などを作らんとしましたね。┐('~`;)┌ ふぅ~ッ・・・

親しいオバサンに、「オバサァ~ン、私、息をするのも面倒だサァ~・・・」と言ったら、「じゃあ、するんじゃないッ!」ってオバサンは言った。
全くのジョーダンではあったけれど、これって結構な金言だったと思うんですよ。

私に相談事なんぞすれば、単刀直入に「するんじゃないッ!」「止めればッ!」「死ねばッ!」って言っちゃうヨ。
それを冷たいとかツレナイとか言われたって、私は私で、「私は温かく優しい人間ですよ~!」って看板など出してはいませんから知ったことではない。
自立した考えや生き方をしていない者は私は大キライです。また、そう云う者ほど小ズルイ者は居ないと思うし。

今年一年ありがとう。
私も気の利かない部分はあるけれど、陰日向となって元気づけてくれた人や物事、さり気なく手を貸してくれた知った人や知らぬ人。
来年も、ひとっつも面白くも無い、何の為にも成らないblog日記を毎日欠かさずに更新して行こうと考えています。
    ..◇・。..☆*。
  :..。.。★◎@ ○☆。..:*
.。.。◇@☆*・゜★。。.:*・☆*・。..
.:○★◎☆。∂∇。★◎*・゜゜。◎
  ◇☆。*・.。..☆◎。.:☆
   ・*☆◎。__☆◎*・。
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  (=^▽^=).∞
  / つ つ △
~(   ノ
   しし'


「大晦日」。
大晦日とは、長かった一年が終わって、一年の締め括りとして年越し蕎麦を食べる日です。

年越しそばは江戸中期からの習慣だそうで、金箔職人が飛び散った金箔を練った蕎麦粉の固まりに引付けて集めていた為、年越し蕎麦を残すと翌年は金運に恵まれないと言いました。
この日の蕎麦は、来る年の金運がかかっていると云うわけです。
また、金は鉄の様に錆びたりしないし、永遠に不変の物であることから、長寿への願いも込められています。

日本では、正月と並んで重要視される日ですが、世界では大晦日を特別としない国が多く、特にキリスト教文化の欧米ではクリスマスに埋もれてしまい、新年へのカウントダウンを開始する程度のものです。






東京の本社より、大量のお野菜が送られて来ました。
毎年のことながらありがたいナと感謝致します。――(*´・∀・`)―♪

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今日の日はさようなら

2010-12-30 18:20:03 | Weblog


今日の日はさようなら

いつまでも 絶えることなく
友達でいよう
明日の日を夢見て
希望の道を

空を飛ぶ 鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
また逢う日まで

信じ合う 喜びを
大切にしよう
今日の日はさようなら
また逢う日まで
また逢う日まで


昭和41年の森山良子の大ヒット曲。

当時、私は10歳だから小学生でした。
いつまでも 絶えることなく 友達でいたい友だちが居ました。
けど、中学生の頃から進学する高校が違って来たり、高校を卒業し、社会人に成った時から、友だちとはスッカリと絶えてしまった。

信じ合う喜びを大切にしたかったけれども、新しい世界と新しい友だちの方に信頼が移ってしまい、昔の友は疑うことが多くなった。

結局は、私は、空を飛ぶ鳥の様に自由に生きたかった。
心を許せるほどの友までは出来ていないけれども、面倒も厄介もなく、だから、自由を選んだって事かナと想います。

今年も残すところ、あと一日となりました。

もしも、ここを読んで下さった人があるなら、どうぞ好いお年をお迎え下さいませ。

∀(-・゜)☆君の瞳に乾杯









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苦肉の策

2010-12-30 04:33:48 | Weblog


元々は自分の身を苦しめてまでも敵を欺く謀の事を言いますが、現在では、苦しまぎれに考え出した手段のことです。

赤壁の戦いで、曹操の大軍と対した呉の将軍、周瑜は、武将、黄蓋の焼き討ちの献策を受け入れることにしました。

黄蓋は偽りの投降の手紙を送りましたが、曹操が疑う素振りを見せた為、一芝居うって、周瑜と衆目の前で激論し、血まみれになるまで打ち据えられることによって曹操を信用させました。
先ず見方周辺を騙し、黄蓋は呉での立場が危くなったと魏に情報が流れる様にしたのです。

投降の日、黄蓋は船に枯れ草を積み、油を滲みこませると幔幕で覆い、曹操軍に近づくと火を放ちました。
身動きできぬほど船が密集していた曹操軍に燃えた船が突っ込み、曹操軍は敗走しました。

と云うのが「三国志演義」から。

一般的に「赤壁の戦い」は、魏に大ダメージを与えたと云う事になっていますが、実は曹操はこの戦いにはあまり勝つ気もなく、言い方に寄っては物見胡散に行ったと考えていい節があります。
万が一、勝ってしまったなら、その領土なりを誰かにくれてやってもいいくらいに考え、呉と蜀の合同軍の手の内拝見ってとこでした。
曹操は、あざとい黄蓋の偽り投降なんぞは見破っていました。
でも、魏軍全体の士気を考えたならば、物見胡散的な戦いであるなどとは言えないわけで、魏の有能な大将軍などは連れて出ていないのです。

実は、その頃、魏軍の中じゃ流行り病が横行していました。
曹操は、その事を恐れていたのです。

「赤壁の戦い」には、曹操の跡取りとなる長男の曹丕も出陣しており、彼は或る意味で父以上に鋭いところがあって、この時季の風向きや、枯れ草から魚の油の臭いがしていた事等をお見通しだったのです。
それと、退路を兵に整えさせており、父にお前は最初からこの戦い、負ける事が判っていたのか?の問いには、いずれは魏にとって重要な道路になるであろうと考えた挙句ですと、その場を取り繕いました。

曹操は、自分以上な鋭さを表に出す者を嫌いました。
その代表例が、後の文帝となる長男の曹丕と、晋の基盤を作った司馬懿仲達だったと思います。

だから彼らは、曹操の前では絶対に目立つ事をしてはならないと云うのが鉄則だったのです。
だって、殺される羽目になるのですから。

正史「三国志」と「三国志演義」は別物です。

正史「三国志」は、陳寿と云う人が書いたもので、文章が非常に簡潔で、逸話類がほとんど切り捨てられています。

「三国志演義」は「正史三国志」を題材に書かれたもので、史実七割、脚色三割と言われているそうです。
有名な「桃園の誓い」は、史実にはないことだったそうで。



昨日は一日中小雪が舞い散り、けど、体感的にはそうは寒くは感じなく、返って暖かに思う日でした。

本州や九州や四国じゃ大荒れの雪マークがついている予報を見ましたが、これって札幌だったなら当然な事でそうは騒ぎにもならないのだろうと思います。

私的には、屋根と外壁をリフォームしたことだし、新しい除雪用具も買った。
だから、もう若干雪には降ってもらって、新しくなった物らの真価を試したいって思ったりもしてるんですが。
それに、毎冬は起きた途端に先ず外を見て、今日は出動か否かを確認し、その日のロテーションを考えるのが恒例としている。
確かに除雪は面倒なものだけれど、結構イイ運動になったりするんですよ。
足腰や腕を痛めないコツってやつとか、要領よくとか、慣れた我々には説明がつかないものだけど、あるんですよねッ。d(-_^)

大した除雪の要らない冬の日続きですが、それこそ何ッって事なく、昨日だって忙しなくしておりました。
自分の家のことならば、何をやったとしたって愉しい気がします。

色んなことはあるけれども、自分の支柱がよくよく確かに成って来られたのかナ~の手ごたえが掴めたせいかと思っています。




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治世の能臣、乱世の姦雄なり

2010-12-29 04:31:07 | Weblog


「治世の能臣、乱世の姦雄なり」。
若き曹操は、汝南の許子将に「あなたは太平の世なら有能な臣下、だが乱世に巡り合えば奸知に長けた英雄となろう」と鑑定されました。

許子将は、当時における最も評判の高かった人物評論家でした。
毎月の一日に、人物評を行い、人々はそれに注目しました。
マスコミのなかった時代に、彼の人物評は大きな権威を持ったのだそうで、世の人はそれを汝南(許子将の住所)の月旦(月の一日)評ともてはやしました。
品定めのことを月旦と言うんだそうですが、これに由来するそうです。

褒められていることなのか、けなされているのかが判らないところですが、曹操は余程我が意を得た様で、返って自慢にしていたそうです。

彼の祖父は宦官の最高峰「大長秋(中宮の事務総長)」まで登り詰めた人で、巨万の富も得た人物でありました。
宦官と云うことで子を生せないわけで、でも立場上養子を取ることを許されており、後に曹操の父となる人を養子としました。

祖父の蓄財で、曹操の父も曹操自身も表向きは豪華な暮しが出来、名門となるのですが、誰が口に出すのでもなくとも、頭脳明晰で多情多感だった曹操は、聞こえざる罵詈を感じていたのです。
「宦官の家の子・・・」。

聖人と言われた「孔子」も宦官を汚らわしいと誹りました。

少年の曹操は口惜しくて父の前で涙を流しました。
父は「いいではないか」と言うのが口癖みたいな人で、「だから、この私が一生懸命に勉めて、その恥を拭い消そうとしておるのじゃ」と、霊帝が「売官」を始めたので、大枚を叩き「大尉」の官位を買いました。
父は子煩悩とも言える人で、息子の曹操の為、大尉の子としての箔をつけてやりたかったのです。

祖父、父、そして自分。
曹操は自分の代に何を成すべきかと思いあぐねていたところに、許子将の「治世の能臣、乱世の姦雄なり」の言葉が大きく曹操の行くべき道を示しました。

曹操が出所や身分に関わらず、埋もれている有能な人材を多く欲しがったのは、宦官の家の子・・・と云うコンプレックスが常に付きまとっていたせいです。
また、実力主義、現実主義者でもありました。
なので、口先ばかりの理想主義の「儒」を嫌ったわけです。

余談ですが、或る見る者が、ある時は曹操が大きく見えて、またある時にはとても小さく見えてしまった事があるんだそうです。

どうやら、女性が絡めば、曹操は小さく見えてしまうみたい。

ちなみに、曹操は太った女が苦手な様で。



昨日も、ホント何気に忙しく、大掃除って事もないが、「待てよッ、こうしたらイイかナ!?」な模様替えで、ついで掃除になるわけで、TVが映らなくともそれほどな退屈はありませんでした。
がッ、日課として、朝起きて直ぐにTVを着けてワールドニュースを見るクセは満たされなく、自分的には若干時間が狂うナってとこでした。

新しい地デジTVは、液晶が壊れた様で、PCでも経験があるけれど、今どきの物はとても便利だけれど故障してしまったなら手に負えないものですねッ。
年末年始にTVが見られないと云うのも寂しいもので、新しいTVをもう一台買う覚悟をしていたんですよ。
修理から帰って来たなら、もう一台は二階にでも置けばいいだろうと思って・・・。

でも、修理中の間に借りられたのにはホッとしました。
貸し出しTVはそう何台もある様じゃなく、一日でも違っていれば借りられなかったカモ知れないです。

返す返すも年末と年始の事ですから、メーカー側の営業の事情もある事で、通常どおりの修理期間をハッキリと言えないみたいで、私は「こうしてお借りできたのだから、いつでもいいです」と言う。
大画面のTVだったんで、家には置き場もないので持って行ってもらいました。
また、全然保証期間なので、費用はいっさいかかりません。

ホッとしたせいで、その後はドッと疲れ(?)が出て、晩の7時には寝てしまったのです。
そうすると朝と勘違いし、夜中に目を覚ますんですね。
その時に、枕元に本があるのが好都合です。

そうだそうだ。
それに昨日は、干してあったハーブ類でポプリを作って、タンスや押入れに置いたりしました。
玄関には袋に詰めたローリエの巨大ポプリを下げ、自然な匂いに私は気持ちが好くなったのです。


そして、玄関の外にはお正月飾りを下げました。

もう~ いくつ寝ると お正月~ (〃'∀')⌒♪

お正月には、新しいデジカメを買おうと思っているのが楽しみです。




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蒼天はすでに死せり 黄天まさに立つべし  

2010-12-28 04:34:09 | Weblog


黄巾の乱のスローガン。
蒼天はとは漢王朝のこと。
黄天は道教の一派「太平道」が祖師と仰ぐ黄帝を象徴する。
決起した主に信者たちは頭に黄色の布を巻いていたので「黄巾軍」と呼ばれた。


意味不明なタイトルですが、タイトルって何でもイイつもりで、「三国志」の名言(?)なども使って行こうかナと思っています。
「秘本三国志」はこの黄巾賊のスローガンから始まりました。

昼間に時間がないわけではないのだけれど、何気色々と雑多な事だけど忙しくて本は読めないから、晩に早くから休んで、案外夢中になって読んだりしています。
それこそ「三国志演義」を主にして書かれた三国志を先ず先に読み、それからこの本を読んでみた方が解りやすいし、面白さが増すだろうと思います。

時々は、イヤ、毎日かナ!?、主人を相手に「こうだったんだね。知ってる?」とか、「私はこう思うんだよねッ」って、三国志のことや、超ヒーローの曹操の事を喋っています。

本のことを喋る時ならイキイキして居るかも知れないが、普段はポカ~ンとしている事って多くって、まだ越せてはいない虚しさがあるのです。
それを紛らわせてくれるのが本なわけで、子どもの頃からの一番の親友であったなと感じます。

人を友として行けないとこが、自分のコンプレックスかも知れませんね。


こんなに雪の少ない年末も珍しいもので、またいつ大雪や寒波が来たって不思議じゃない予報ですが、札幌は何故か免れています。
お陰、除雪もせずに済んでいるわけだけど、朝一番に多少の除雪が出来た方が、私的には冬の日の一日のリズムって出来るんですが。


昨夕、ご近所に新築されたお家のご夫婦が引越しのご挨拶に来られました。
30代のご夫婦と小学生のお子さんの4人家族の様です。
主人が対応に出たのですが話を聞いて、若い人や子どもが住まれる事は嬉しいし、明るい気になりました。
今まで、まわり近所、年寄りばっかしで何かね・・・。
主人は「立派な家ですね」と言った様ですが、ホント、あのお家は良いお家だナと思います。
実に丁寧に、時間をかけて創られて行く過程を毎日見ていましたし。
新年を新しいお家で迎えるんだね~。ステキな事だ。

それと、バランス的に我が家も夏にリフォームしておいて好かったって思ったのは本心なところです。

そんな昨日でした。







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朔日ごとに餅は食えぬ

2010-12-27 04:41:30 | Weblog


いつも好いことばかりはないと云うこと。
正月一日に餅が食えたからといって、毎月一日に餅が食えるとは限らない。
「朔日(ついたち)」は「つきたち(月立)」の音便で、月が出始めるの意。
今は月の第一日目を言うが、古くは陰暦で月初めの十日ほどを指した。



昨日は朝から有馬記念が楽しみでしたが、楽しみだナァって事が先にあれば、何だか張り切っちゃいますよね。久々な感覚でした。

私の馬券は残念ながら外れたけれども、主人は大当たり。
お陰で私もご相伴にあずかれたわけですが、今日少し贅沢をしても今日だっけの事で、明日からはまた普段どおりにして行こうって思いました。
好い事はたまにあるから好い事で、好い事も馴れ合いになってしまえば、好い事も好い事に感じなくなってしまいますから。

「ショウガナイ」って割り切りみたいなものが、私は生きている上で絶対に必要な事だと思っています。
お金とか物とかで充たす方法もあるのかも知れないですが、それ以外、例えば身の程を知ると云う、精神的な余裕が要りますね~。
諸行無常は、人の心とか物のカタチは常に変わって行くものだと云うことでしょう。

私は新年がやって来るのが実は愉しみなのです。
年が明けたらまた一つ齢(とし)を取るんだヨ~・・・って後ろ向きな意見もあろうかと思いますが、齢を取らない人が何処に存在するものか?
一日一日もそうだけれど、自身が半世紀以上もこうして元気で居られるって、想えば実に不思議な感じがしますし、ある意味で奇跡じゃなかろうかと思っています。
来年のことも、その先のことも判らないけども、一応単純に、来年の目標は、自分の手で庭(花壇)に少しばかし熱を入れてみたいって思っているんですよッ。
その前、家の中の事でも、それこそ自分で遣りたいことがある。
例として、押入れの襖貼りとか。
自分でやってみるって面白いものですよ。
そして、楽しい気持ちでやれば健康にもなります。



「ピーターパンの日」。
1904(明治37)年のこの日、イギリスの劇作家ジェームス・バリーの童話劇「ピーターパン」がロンドンで初演されました。

「ピーターパン」は大人に成らない子供たちのネバーランドと云う国での楽しい冒険を描いた物語です。











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有馬記念

2010-12-26 15:48:20 | Weblog


1 ヴィクトワールピサ
2 ブエナビスタ
3 トゥザグローリー
4 ペルーサ
5 トーセンジョーダン
6 ルーラシップ
7 エイシンフラッシュ
8 ネヴァブション
9 ダノンシャンティ
10 フォゲッタブル
11 オウケンブルースリ
12 メイショウベルーガ
13 ドリームジャーニー
14 レッドディザイアー
15 ジャミール
出走取り消し ローズキングダム 

う~ん・・・、人気どころで決まってしまえばどうしようもないです。

特に前に行く馬も見当たらないので、先行可能な馬、私は2枠4番トーセンジョーダンを軸に選びました。

馬連
2-4 1000
4-8 500
4-10 1000
4-13 1000
4-14 1000
4-16 500

スローペースに持ち込んで前残りを狙ったのでしたが、3コーナー手前から1枠1番ヴィクトワールピサが早めに上がって来たとこから雲行きが怪しくなりました。
それと、外からブエナビスタがキレのある足で上がって来るしッ。

案の定、馬番1-7 550円で決まった。

もし、数十万でも賭けられるなら5.5倍でも好いかも知れませんが、私はもっと大きな夢のゲットを狙っていました。

長い写真判定で、優勝はヴィクトワールピサに確定。
ミルコ・デムーロ騎手の「ホント ニ アリガトウ ゴザイマス」と涙を流したのを見たら、「好かったネ」って私も人が良いものだからもらい泣きをしそうになりました。
(・_・、)ホロッ
馬券は外したけれども、いい夢を見ましたし、競馬は、他の何かでは味わえない感動があります。

また、競馬場に戻ってみようかと思ったりする。


ところで、うちの主人が有馬記念を当てましてね。
馬連単 1-7-11
6万台の大馬券をゲットしました~。幾らで買ったかは不明。

早速夕飯はお寿司を食べに出て、ケーキとデンドロビューム買いました。(ノO⌒*)

プチな贅沢でした。


デンドロビューム Dendrobium  我がままな美人 天性の華を持つ

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人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し

2010-12-26 04:26:06 | Weblog

シクラメン 冬桜



人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。
怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。
己を責めても人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。

                                    徳川家康





あと6日もすれば、今年も終ってしまうって思い、クリスマスの昨日は寝具系の洗濯に大わらわでした。
古くなったタオルケットは、捨てる前にニャンたちの敷物とかにし、しまってあった新しい物にしました。
布団カバー類も全部外して洗いました。

洗濯した物を干すのが好きです。

洗濯した物は二階の主人が寝ている部屋に干すことにしています。
二階にもポータブルストーブを置いたけれど、階下のストーブの温かさが玄関や階段を伝って、階下のドアさえ開けておけば、結構好く乾いてくれるのです。
そして、乾くのを急がない物はまた二階の隣の部屋にかけておきます。
今年は物類を色々整理したから、部屋がスッキリとしているので、干し場には困らなくなりましたし。

幾度も言うけれど、今年はリフォームが出来たことが嬉しいし、それ以前に雑多だった物類をガッサリと片付けて捨てられた事が更に嬉しかったでした。
それは、快感!にまで至りました。
どこかしら物に縛られていた精神や気持ちが解放されたって思うのです。
それに伴いと云うのも可笑しいか、思考の仕方もずい分変化した来た様にも思う。
例えば、物を大切にするって意味で、本当に大切な物とは何か?って解って来るんですよね。

BSじゃ関心の持てる番組の再放送等をチラチラ見ているうち、中山大障害が始まってしまって、今日はお風呂をお休みする事にした。
と云うことは、今日は一歩も外に出ていないって事になるナァ。

明日は有馬記念が始まる前にお風呂に出ておこうと思い、明日の段取りなんぞを考え、早めに夕飯の準備を始めました。
もう4時くらいになれば暗くなって来るから、ホント一日が短くって、遣り忘れた事がいっぱいある気がするけれど。

夕飯を終えたなら私は直ぐに寝る用意をします。
本を読む為になのですが、「曹操 魏の曹一族 上・下」「曹操残夢 魏の曹一族」を読み終え、「中国傑物伝」の曹操のところだけ読み、また「秘本三国志」を読み始めているところです。
通常読まれている三国志とは違う視点なので面白いんですよッ。

今年は本当に「三国志」で楽しみましたし、そこからの枝葉ってことで、色んな故事や成語も覚えました。
諳んじられるのじゃないけれど、漢詩とか詩文もよく読めました。
自分が本当にしたい事の多少が出来たと云うことで、ありがたい今年だったナと思っています。
それもこれも、始末とか整理整頓が出来たお陰でしょうか。



「プロ野球誕生の日」。
1934(昭和9)年12月26日、東京・丸の内の日本興業倶楽部で大日本東京野球倶楽部の設立総会が開かれ、日本初のプロ野球チームが誕生しました。

これが、読売巨人軍の前身です。







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中山大障害

2010-12-25 15:03:10 | Weblog


チョ~久々に、BS-hiで競馬中継を見る。
解説が大江原隆調教助手ってスゴイ懐かしい。
彼が現役の時によく馬券を買ったのですよ。

昔はこの障害レースってヤツも好きで、札幌競馬場に4or5レースあたりから行ったものでした。
だから、トンデンファームに居た「シンコウリーダー」のこともよく記憶していたんですよ。

何故、俄かに今日「中山大障害」を見たかと云えば、明日の有馬記念を買ってみようって思うんで、気合づけの為なのです。

大障害のコースは、年に二度あるレースの為にだっけあります。
12頭だて、途中1頭落馬がありましたが、馬はカラ馬でも走っていたから無事ってことでホッとしました。
人気のマルカラスカルが入線後にジョッキーが下馬したので、少し心配ですが・・・。

1着 バシケーン
2着 タマモグレアー
3着 マイネルネオス
4着 テイエムトッパズレ
5着 メルシーエイタイム

単勝8 5680
枠 5-6 1710
馬連 6-8 12450


明日の有馬記念は軸は決めてあり、ウイニング競馬で調教の具合を見て、デカイとこで勝負してみようと思いまぁ~す。
(▼▼メ)--┛~~




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私と小鳥と鈴と

2010-12-25 04:24:29 | Weblog



私と小鳥と鈴と     金子みすゞ

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速く走れない。

私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


お釈迦様の言葉に「天上天下唯我独尊」と云う言葉があります。

天地間に個として存在する「我」よりも尊い存在はないのだと云うことですが、お釈迦様が生まれた時、一方の手では天を、一方の手では地を指して、七歩進んでから四方を顧みて言ったと云う言葉であり、「唯我独尊」を自分だけが優れていると思い上がる自惚れの意でも使ったりしますが、それは本来の意味合いとは全然違っています。

「独尊」とはどう云うことかと言うと、たった一つの尊い使命と云うことで、我々人間は、天上天下広しと言えどもたった一つしかない聖なる使命を果たすべく、この世へ生まれて来たのだと云うことです。

みすゞさんが言われる通り、「みんなちがって、みんないい」。

お互いにそれぞれ尊い存在で在り、お互いの色んな違い、背が高かったり低かったり、何を成したとか成さないとか、病気のある人無い人、人種の違いや習慣の違いとか、男女だって、認め合い理解し合うことが大切だよと云うことでしょう。

日本語にはとても素敵な言葉がありますね。
「お互いさま」。
両方とも同じ立場や状態に置かれていることを云いますが、慎ましくも優しいこの言葉を、なるべくならば私も多く使って行きたいものだって思っています。





昨日のクリスマスイブは、例年よりか雪が少ないせいのと暖か(?)で、何気に気分が出ない風でした。

子どもやお年寄りが居れば、年中行事や記念日等をそれなりに雰囲気でも味合わせてあげなきゃって考えるかも知れないが、こうして中年夫婦の二人暮らしであれば、面倒だったりどうでもイイことを端折るって事が何よりか気楽なものであります。
まあ、それも年齢(とし)のせいって事もあり、座右の銘「まあ~、イイかぁ~」なここ数年で、何の日とは云え、フツーにいつも通りな夕食を囲めたのは何よりかでした。
(*ё)o▽▽o(ё*)

でも、ただボサーッとして過しているのでもない。
自分のやるべき事はやっているつもりだし、TVや新聞等から関心のあるものはよく見ています。
特にBSの番組のワールド的なものと、日本の良さや素晴らしさを再発見出来るものが好きで見ていますし、地上波ってほとんど私は見ていません。
面白くもないッ!ってとこなんですが、それについて、良くないって思う事も考えも起きるけれど、ワザワザと口に出すこともあるまいと思うのです。

ただ、麻木大桃はアホみたいだって思いました。( ̄ー ̄)y-~~~~


「昭和の日」。
1926(大正15年・昭和元年)、大正天皇が崩御され、皇太子であった裕仁親王が践祚しました。

東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、早くから新しい元号は「光文」になるらしいと云う情報を得ていた為、政府の公式発表の前に元号は「光文」に決定と報じてしまいました。
しかし政府は元号を「昭和」と発表したので、この大特ダネは、結局は「大誤報」となってしまい、編輯主幹の木戸元亮は責任をとって辞任したそうです。




「クリスマス」
イエス・キリストの降誕記念日。

西暦336年にイエス・キリストの降誕の日と決定されました。

キリストがこの日に生まれたという確証はなく、ローマの冬至を祝う「太陽の祝日」と結び附けられたものと言われています。

日本では1874年に最初のクリスマスパーティーが開かれたそうですが、現在では宗教を越えた年末の国民行事となっています。

   。+* ★ ゜+*
  。*。
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 ☆+☆
   ☆リン J|Jl ★
      `ししl
   o∠⌒ヽ ヽ((っ
o∠⌒ヽ∋ニ⊃ /・\
 @ニニ(*'ω)/ 丶_●
 (*'д)/  つミ ミ
* /  つ_つ ミミ
 (__つ    ヽヽ
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  ミ__ /[[/
 * ///    ☆
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☆+☆+ ☆ o ゜
 入 + o ゜_†
oノ乂。  _/ /ヽ +
+乂jゝ o/ i_ i i o
彡jj八/  / /ヽ\
彡ミヾ| ̄ ̄|E|∥E|
E||E|∩∩| |∥ |
"""`"""卅卅---"`"""

















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柳暗花明

2010-12-24 04:26:54 | Weblog

シンビジウム クィーンズティアラ

遊山西村     陸游

笑ふ莫(なか)れ農家の臘酒(ろうしゅ)渾れるを
豊年 客を留むるに鶏豚足る
山重水複路無きかと疑へば
柳暗花明又た一村
簫鼓(しょうこ)追随して春社近く
衣冠簡朴にして古風存す
今より若し閑に月に乗ずるを許さば
杖を拄き時と無く 夜門を叩かん

年の暮れに仕込んだ農家の酒が濁り酒だなどと笑われるな
昨年は豊作で、客人をもてなす鶏肉や豚肉はたっぷりありますぞ、とのお誘い
山々が重なって川筋は曲がりくねり、道は行き止まりかと思っていると
柳が小暗く茂り花は明るく咲き誇っている村里が現れる             
笛や太鼓が鳴り響き、春の祭りが近いらしい                    
村人の衣服は簡素で、古い時代の名残りをとどめている               
これから閑なとき月の光に乗じて訪れてもいいと言われるのなら
気の向くままに杖をついて、夜中にお邪魔することにしよう

「柳暗花明」。
柳が薄暗く茂って、花が明るく咲く、春の美しい景色。
また、行き詰まったかと思った途端に新しい展開がひらけることにもたとえる。
「遊里」を云うこともある。

陸游は、中国の南宋時代の詩人であり政治家。



あいにくのお天気だった昨日の休日。
こちらはベタベタな雪が終日降り続いておりました。

今度の日曜日は主人はお休みではないので、何気今のうちに買っておきたいもの、お花類や正月飾り、居間の隣の部屋の新しい照明を買いに出ました。

お花は念願のシンビジウムとシクラメンの珍しい品種「冬桜」を買いました。
シンビジウムは高かったでしたが、今年頑張った自分、またこれからも元気でやって行きたい自分へのご褒美で、自分から自分へのクリスマスプレゼント。
気持ちの問題で、サンタクロースは誰にでもやって来るッ!って感じです。
匂い芳しくって、何とも心地が好くなりました。(⌒ー⌒)

大事なことっていっぱいあるけれど、先ずは自分の気持ちを好くし、そんな環境を自分で創ることでしょう。
その為に、一年中何かしらの花々を側に置いておきたい気持ちです。

これで好いと思った照明を、主人は間違って高いモノを買ってしまった。
でも、照明って大事なものだし、省エネって事も思えば、多少は高くても好いのだヨとした。
面白がって、試しに何度も着けたり消したりしてみた。
新しいものって嬉しいね~。d(-_^)good!!

一つの事や人との出会いっていつか終わり、別れる日が来るもの。
そして、また新しい事が始まり、新しい出会いもあったりする。
どんなにか自分には馴染んで都合好い事が終っても、心の扉はオープンにしておきたい。
そうすれば、恐れなどないし、寂しくもないのだと思う。
だってそこに、幸せがなくなってしまったわけじゃないだろう。



「クリスマスイブ」。
イエス・キリストの生誕を祝う、キリスト降誕祭前日がクリスマスイブです。
((())))))
)∪ ∪(((
(“∇" ((
(ξ)



Kさんより、クリスマスプレゼント (^^_)ルン♪

午後5時11分。

私が子どもの頃、ただの一度もサンタクロースは来た事がありませんでした、正直・・・。


でも、大人に成るってイイと思ったことは、お友だちや恋人がサンタクロースをしてくれた事です。
心づくし程、嬉しい事ってありません。
好いイブだナァ~と思っています。



Merry Christmas
   ∧∧
  (*゜ー゜)
☆☆"∪∪"ミ☆☆
‥‥‥▲‥*‥‥
‥*‥▲▲‥‥‥
‥‥▲▲▲‥‥*
*‥▲▲▲▲‥‥
‥‥‥■‥‥*‥







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天知る 地知る 我知る 人知る

2010-12-23 05:12:29 | Weblog


楊震は後漢初年に刺史や太守を歴任し、清廉な政治家として名を成した人物であります。

ある時、楊震がある地方の太守に任命され、赴任の途中で宿泊した時に、夜遅く県令の王密が秘かに訪ねて来ました。

久しぶりに会ったので、二人とも話しがはずみましたが、やがて王密は懐から黄金十斤を取りだし、楊震の前に差し出すと言いました。

「これは別に賄賂などではございません。ただの昔のご恩返しでございます 今は夜中ですから誰も知るものはおりませんから。」

「天が知っている。地も知っている。お前も知っている。私も知っている。どうして知るものがいないと言えるのか」と言って、楊震は受け取りを拒否しました。


「天知る 地知る 我知る 人知る」。
いくら二人だけの秘密にしたくとも、天も知り地も知り自分も相手も知っているのだから、不正は必ず露見するのだと云うこと。
「後漢書・楊震伝」の故事に基づきます。



昨日は血液センターに成分献血ドナーをしに行ったことを書きました。

装置で血液の成分のみ摂取し、また血液を身体に戻す時に、戻って来てる・・・って体感で判る時があります。
それで気分が悪くなったり、痺れ等が起きるのでもないけど、何か気持ち悪い様な感じになりましてね。
でも終了して、コーヒーやお菓子をいただいてみれば、そんなのは治ってしまいます。

「A型の成分が底をついたとこで困ってたのよ」と看護師さんは言っていた。
年末とは云え、病に苦しむ人々は大勢あるんだろうし、また病院側だって救いたいあまりに成分への要求が細かになる。
私は良血(家柄ではなく)だから、きっと何処かの誰かが助かる事だろう。
人の命を陰ながら支えられた事は何よりか嬉しいことです。

ただ、やっぱり一応の身を削る的なことなのだし、若干疲れてしまいまして・・・。
(;゜▽゜A
なので、口先は元気なものの、気分は少しだけ落ち込み気味です。

でも、それもこれも1~2日もすれば回復してしまう。
もし、若ければの話だが、一晩で回復って事もある。

人間の身体ってスゴイことに成っているんだナァ~と身を持って感じる事が出来ます。

自身では、素晴らしい事がやれているって自負があります。
人の為や世の為って、こうして生まれたからには役に立ちたいボランティアスピリッツが起きないわけではなかったが、自分が自分がッ!とあたかも出しゃばる様なボランティアなどはご免だと思っていた。
ボランティア集団の中で、仕切るのも仕切られるのもイヤな事だ。
でも、こう云うことならば「個人」として、あくまでも目立たずに奉仕が出来るって、私には最適な事だったと思っています。
そして、個人的なことだと言え、その精神として、広い広い宇宙を覚えることだってあります。

誰々の様にとも言えないけれど、高く貴く、そんな事をいつだって想います。


疲れた時ってヘンな夢をみたりするもので、昨夜も、起きれば忘れる程度の夢をみました。

忘れられない夢として、今年2月の頭に、実弟(享年51)を愛知県岡崎市で葬儀をし送って、札幌に戻って来た数日後に、お坊様と云うか法師様の様な方が夢枕に立たれ、「それで良いのですよ」と確かに言われた。
その言葉の色々が、とても私にはすんなり受け入れられ心地が好かった。
弟の亡骸のその顔は、今思えば菩薩の様に、或いはお地蔵様の様に穏やかで安らかだったと想う。
お釈迦様のお弟子となって召した弟だったカモ知れない。

色んな怒りや葛藤は確かにあったけれど、それからの私の心境は、迷いもなく、とても大きく変ったと感じています。
自分の道、自分が信じられることを粛々と成し遂げ、歩くべきだろう。
それは誰に遠慮とか義理を持つものではないのである。




「天皇誕生日」。
天皇の誕生日を祝う国民の祝日です。

1933(昭和8)年、皇太子継宮明仁親王(今上天皇)が誕生されました。















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手を翻せば雲となり 手を覆せば雨となる

2010-12-22 04:26:49 | Weblog
貧交行 杜甫

翻手作雲覆手雨   手を翻せば雲と作り手を覆せば雨 
紛紛輕薄何須數   紛紛たる輕薄 何ぞ數ふるを須ひん
君不見管鮑貧時交  君見ずや 管鮑貧時の交
此道今人棄如土   此の道 今人棄てて土の如し

掌を上に向ければ雲となり 下に向ければ雨となる、
紛紛たる輕薄が世上にあふれている
君はかの管鮑の貧時の交わりを見たことがないだろうか
そのような友情も今ではすたれて誰も気に留めるものがない

人情がたちまちのうちに変わり、いっこうに頼みとならない事の意味。
手のひらをちょっと上に向けただけで雲が湧き、下に向けただけで雨が降る。
それほどに人の心は軽薄だとして、唐の詩人杜甫は「今や交情は軽薄、人情は紙のごとし」と嘆きました。

また、管鮑の貧時の交わりとは、お互いの立場理解し、信頼し合って利害に捕らわれない親密な交わりのことですが、中国の春秋時代、斉の名宰相と言われた管仲とその親友鮑叔の交際のことを言っています。



昨日は、これから春に向かうのではないかって勘違いさせる様な陽気となりました。
家で、また少し大掃除のつもりで台所の壁の高いとこを拭き掃除なんかしていたら、暑い様な気になりましたし、結構疲れちゃったりした。(´ε`)
で、どうしようかと思ったけれど、自分で決めておいたから、山の手の血液センターに成分献血の予約のTELを入れておきました。

そして、ちょうど網走からお魚類が贈られて来たので、KさんとK山さんにお裾分けと思い用意をしお風呂に出ました。
K山さんは来られなかったので、Kさんにお渡しをした。
Kさんには前日、クリスマスプレゼントと思い、「マルセイバターサンド」をあげていた。
Kさんもご主人もお好きらしく、良かったナァ~って思ったし、続け様にお魚も差し上げたけれど、自分ン家も夕飯にいただいたお魚を焼いて食べ、美味しかったから、多分Kさん宅でも美味しいッって思って下さったのじゃないかと思う。
Kさんは、ピンブローチ(?)を私に下さった。

私はお昼頃になると、何かボワ~ンと頭痛じゃないけれど頭痛の様な、でもサウナと水風呂に入れば治るのですよ、それこそ年齢(とし)のせいでしょうかって話したのですが、Kさんは、何言ってんの!、私の娘みたいな年齢でッといつも言われる。
Kさんご夫婦も我が家と同じで子どもがいないお家だが、確かに年齢だけの事を言えばそうかも知れないけど、娘の様な年齢も50も過ぎれば、幾ら丈夫な方でも些細な事で結構疲れてしまうのですよ。
それに、年が明けて7月になれば私は55歳だヨ。
昔の55歳と云ったら大婆さんだった憶えがあるし、それを思えば私は40代に見えるんじゃないだろうかとも思うけど、北海道弁で言う「コワい」ものはコワいのだ。
私より全然若いはずがずい分とクタびれている人だナとお風呂で秘かに思う事があるんだけれど、若々しいって年齢ではなく、生き方とか生活の在り方じゃないだろうかって思うんだよね。

Kさんは、それこそ私の親の年代の方だけれど、キレイだし頭もシッカリとされている。
ご主人とご自分で、手広くご商売をされ、使用人も大勢居たそうで、お若い頃にはお姑さんにも仕えている。
お見受けする限り、活発で明るくて人に好かれるタイプの方。それと、返す返すも美人だ。
そんな人生がKさんを如何にもババ臭くなく、返ってお若く見せているんだと思う。
私もあやかりたいゾとか日頃思っています。
素敵な人と会うことは、何と気持ちの好いものか。
素敵って造作ではなし、心持ちなのだろうと私は思います。

皆既月食が見られると云うんで外に出てみたがよく判らなかったでした。



「冬至」。
冬至は「日短きこと至る」という意味で、一年で一番太陽が出ている時間が短い日で旧暦十一月、子の月の中気です。

一年で最も夜が長い為、昔は生命の終わる時期と考えられ、その厄を払う様、太陽の黄色にあやかって、柚子湯に入ったり、南瓜を食べて無病息災を祈り、小豆粥や冷酒を飲んだそうです。






山の手の血液センターから帰宅しました。
雪はほとんどないのですが、相当に寒い日です。(>-<:)ぅー寒いッ!

だけど、今年も無事にクリスマスが過せそう。
クリスマスには、どんなに小さな事でも好いから、世の中や人の為に成れる様な、自分の「徳」を重ねようと思いました。
ねだったり、欲しがったり、施しを受けたいと云うばかりのクリスマスじゃなく、心の問題としてクリスマスを迎えたいと考えています。
「若草物語」や「クリスマスキャロル」、「星の王子様」等々、少女時代からたくさんの好い本との出合いがあり、何故感動するのかと想っていました。

「うちはキリスト教じゃない!」と祖父は野暮な事を言ったものでしたが、その祖父はクリスマスの日には幼い私と弟に、たくさんお菓子を買ってくれました。

私はもしかして悪いこともたくさんやって来たかも知れませんが、いつも天から見て居られる方があるんだと、恐れなきゃ行けないものだし、賢明に正直に生きなきゃと思っています。

キリスト教とか仏教とか言うのじゃなく、信心する気持ちって同じではないかナと思うのです。

誰にでもと云うわけには行かないのが、私は凡人である証拠なのですけど、この事とかこの人、また全然知らない人であっても、私の有る力を捧げたいのだと思います。

こうして相変わらず健康で元気して居られる事は、神様や仏様(お釈迦様)のお導きのお陰と思いました。
((/((\\
,)δ δ∠|
(”ン“∠/
_> _<__
_(ξ)_ \










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恋は盲目 Love Is Blind

2010-12-21 04:25:53 | Weblog


「恋は盲目」。
恋愛は理性を奪い、分別を失わせると云うこと。…(*Ⅴ.Ⅴ)

私たちの世代だとJanis Ian の「Love is blind」を思い出したりしますね。
♪~(´δ`)



積もった雪がほとんど融けてしまった昨日でしたが、前晩出かけたからどんなにか疲れて起きる事かって心配でしたけど、案外とスッキリとして起きられました。
心配なのはこの気候の方で、私はヌルいと返って風邪を引く。
それと、巷じゃまたインフルエンザが流行し、旧西支部婦人部の奥さんたちの中でも風邪を引かれている方が居られたし、ご家族がと云う話も耳に入って来ました。
ずい分とインフルエンザの予防注射が浸透している感じがしますが、私はそれって一度も受けた事がありません。
お友だちでも、K山さんやKさんの様に大病を経験された人は用意周到みたいです。
私の様な普段丈夫な者は、怪しくなれば市販の薬で済んでしまうのですけど、引いてから飲むよりか、引きそうッかな~!?くらいの時に飲むと好い。

する事がたくさんありそうで、また、そうでもなかったりと何だかよく判らない毎日だけれど、自分なりの規則正しい生活は、何よりか健康的でありがたいものだと思っています。
嫌だナ~と思う事がないわけではないけれど、関わり合いたくないと決めたなら、イヤだと思う事だって忘れてしまおうと決める。

天網恢恢疎にして漏らさず。
天の張る網は、広くて一見目が粗い様だけど、悪人を網の目から漏らすことはない。
悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰を被ると云う意味。

好い戒めと云うか、言葉を知ったと思って、自分のかなりな抑止になっているのだと思います。
自分のやった事に報いが来たり、報われたりして日々を過して行くのだ。

クリスマスとかクリスマス前に限るのでもないけれど、クリスマス前には善い事をしておきゃなきゃ行けないと考えてます。
今日あたり、予約のTELを入れておこうかと思います。



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ありがたい (* ̄- ̄)人 i~

2010-12-20 03:47:42 | Weblog


釈尊が「たとえば大海の底に1匹の盲亀が居て、100年に1度、波の上に浮かび上がる。ところがその海に一本の浮木が流れていて、その木の真ん中に一つの穴がある。
100年に一度浮かぶこの亀が、丁度この浮木の穴から頭を出すことが一度でもあるだろうか」と尋ねられた。

阿難という弟子が「そんなことはほとんど考えられません」と答えると、
釈尊は「誰でも、そんなことは全くあり得ないと思うだろう。
しかし、全くないとは言い切れぬ。
人間に生まれると云うことは、今の例えよりも更にありえぬ難いことなのだ」とおっしゃられています。

「盲亀の浮木」、このことから、出会うのが容易でないこと、容易になしがたいことのたとえで言います。

また「ありえぬ難い」。
私たちは日常で「有り難い」と言いますが、「あることがまれだ」と云うことから出た言葉だそうです。



昨日は、旧西支部の臨時総会と懇親会が夕方からあったから、昼間は自宅待機(?)ってとこでしたが、二階の主人が寝ている部屋の照明も新しくしようって、買い物には出ました。
何でも、どんな小さなものでも新しくなるって嬉しい気がします。
今度は、居間の隣の部屋ですが、PC3台の側にそれぞれ照明があるんで、全体は要らないだろうと思っていたけれど、たまに不便だったりで次に買う予定にしました。

それに、買い物に出た際、お花の鉢一つくらいはいつも買うのですが、ポインセチアやシクラメンも飽きたから、次の休みの時にファレノプシス(胡蝶蘭)とかシンビジウムを思い切って買おうと思っています。
これは自分へのクリスマスプレゼントって事にしていいでしょう。
ラン科はとても日持ちがするから楽しみです。

総会と懇親会は相変わらず大盛況に終わりました。
1月1日から西支部は、中支部と合併になりますが、それに伴い婦人部も合併になります。
話に寄れば、中支部には難しい人(?)が居られるそうで、これまで何事もなく親しくして来た西支部婦人部は名残が惜しい様です。
私も先日お誘いを受けたので、加入を快諾してますが、正直なところは人の中に居るのって不安と云うか苦なところがあります。
でも、末席の賑わいにでもなればと思うし、親しくして下さった旧西支部の為とかって思って、先ず場慣れをしておこうと思うのです。

お料理も美味しかったし、案の定でワインもたくさん飲ませていただいた。

家でクリスマスをしなくてイイよね!とかって、我が家じゃ話しています。








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