Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

菜根譚 後集20項

2023-08-22 12:01:26 | Weblog

 

都来眼前事、知足者仙境、不知足者凡境。
総出世上因、善用者生機、不善用者殺機。

都て眼前に来たるの事は、足るを知る者には仙境にして、
足るを知らざる者には凡境なり。
総て世上に出ずるの因は、善く用うる者には生機にして、
善く用いざる者には殺機なり。
 

「足るを知り、善く用いる」
すべて目の前に起こって来る現実の問題は、
満足することを知る者にとっては、仙人が住んでいるとされる理想郷のようなものであり、
満足することを知らない者にとっては、凡人の欲望に満ちた世界である。
また、すべて世間一般に現れる事柄は、その本来の姿に従ってよく用いる人にとっては、
ものを生かす働きであり、本来の姿を損なうような人にとっては、ものを殺す働きとなる。

 


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菜根譚 後集15項

2023-08-16 16:53:57 | Weblog


マリーゴールド


人肯当下休、便当下了。
若要尋個歇処、則婚嫁雖完、事亦不少。
僧道雖好、心亦不了。
前人云、如今休去便休去。
若覓了時無了時。
見之卓矣。


人、肯て当下に休さば、便ち当下に了ず。
若し、個の歇む処を尋ぬるを要れば、則ち婚嫁完しと雖も、
事も亦少なからず。
僧道好しと雖も、心も亦了せず。
前人云う、「如今休し去んとらせば、便ち休し去る。
若し了時を覓めば、了時無からん」と。
之を見るに卓なり。
 


「如今、当下で悟る」
人は何事につけても、思い切ってその場で止めてしまうと、
その場で全てが解決してしまう。
ところが、もしそれを止める適当な時を訊ね求めると、
たとえば嫁入りなどの大切なことを済ましてからと思っても、
遣らなければ為らないことは少しも減らないし、
かと言って、出家して僧や道士になったら良いと思っても、
そんなことをしたところで心の問題はちっとも解決できない。
古人の詩にも「今直ぐ休止しようと思ったら休止することは簡単にできる。
しかし、もし休ませずに解決できる時を求めても、解決できる時はあり得ない」とある。
この言葉を見るに、非常に優れた見解である。






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菜根譚 後集12項

2023-08-13 15:17:10 | Weblog


ハイビスカス


山河大地、已属微塵。
而況塵中之塵。
血肉身軀、且帰泡影。
而況影外之影。
非上上智、無了了心。


山河大地も、已に微塵に属す。
而るに況んや塵中の塵をや。
血肉身軀も、且つ泡影に帰す。
而るを況んや影外の影をや。
上々の智に非ずば、了々の心無し。



「小さな人間存在、儚い立身出世」
山河や大地のような、一見大きく見えるものも、
もっと大きなものから見れば、微塵のようにちっぽけなものである。
ましてや塵の中の塵ともいうべき小さな生物は、
もっと取るに足りないものであることは言うまでもない。
人間の肉体のような、一見実体があるように見えるものも、
流れに浮かぶ泡や物の影のように、結局は消えてしまうものである。
ましてや影のまた影とも言うべき実体のない名誉や
地位が更に虚しいものであることは言うまでもない。
最上の智慧でなかったならば、このようにものを明察する心は出て来ない。


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菜根譚 後集4項

2023-08-05 16:17:50 | Weblog


百日草


歳月本長。
而忙者自促。
天地本寛。
而鄙者自隘。
風花雪月本間。
而労攘者自冗。


歳月は本より長し。
而れども忙しき者は自ら促れりとす。
天地は本より寛し。
而れども鄙しき者は自ら隘しとす。
風花雪月は本より間なり。
而れども労攘の者は自ら冗なりとす。
 

「自ら世界を狭くする」
歳月というものは元々長久のものである。
けれども、気の忙しい者は自分から時が迫っていると思ってしまう。
天地というものは元々広々としたものである。
けれども、世間の広さを知らない者は、自分から世の中を狭いものとしてしまう。
夏の風、春の花、冬の雪、秋の月と、
四季折々の眺めを楽しむことができるのは、元々のゆとりである。
けれども、あくせくとしている者は、四季を楽しむゆとりもなく、
自分から自分の生活を煩わしいものとしてしまっている。






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菜根譚 後集2項

2023-08-03 17:10:58 | Weblog


ヘブンリーブルー

釣水逸事也、尚持生殺之柄。
奕棋清戯也、且動戦争之心。
可見、喜事不如省事之為適、多能不若無能之全真。

水に釣るは逸事なるも、尚お生殺の柄を持す。
奕棋は清戯なるも、且つ戦争の心を動かす。
見るべし、事を喜ぶは事を省くの適為るに如かず、
多能は無能の真を全くするに若かざることを。


「真を全うする道」
水辺に臨んで魚を釣っているのは、一見浮世離れのした気楽なことのようではあるが、
それでいて尚、魚を生かし殺しもすることのできる道具を持っているのである。
また、碁盤を囲んで碁を打っているのは、あたかも世事に関わらない遊び事のように見えるが、
見方を変えれば、勝負にこだわる争い闘う心を動かしていることになる。
このようなことから、何か物事を成して喜ぶのは、何もせずに、而も悠々自適しているのには及ばず、
多くの能力を持っているのは、何の能力も持たないことが、
これこそ人間の本来の姿を全うすることであるのに及ばないことをよく見極めるべきである。


           ・٭☾·̩͙⋆★·̩͙✧‬‪*・٭☾·̩͙⋆★·̩͙✧‬‪*・٭☾·̩͙⋆★·̩͙✧‬‪*・٭☾·̩͙⋆★·̩͙✧









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