Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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アーサー・コナン・ドイル (1859~1930年) イギリス 名探偵の生みの親は霊の存在を信じていた?

2017-07-20 13:51:36 | Weblog


世界一有名な名探偵シャーロック・ホームズの生みの親、それがアーサー・コナン・ドイルだ。
しかし、本人は人からそう言われることを嫌ったと云う。
ドイルにとって、ホームズ物語は生活の為に仕方なく執筆しているものであり、推理小説は文学として劣ったものと考えていたのだ。ドイルが作家としての自らを語る時、他の作品群、つまり恐怖や幻想を描いた作品を真っ先に上げていた程なのだ。
だが「作家」と云うアイデンティティ自体も、ドイルの中ではほんの一部に過ぎなかった。
彼が、自分の活動の中で最も価値があると考えていたのは、心霊学の普及活動だったのだ。「サー」の称号を持つドイルが、
実はスピリチュアリズムの信奉者だったのである。
元々ドイルは眼科の医師だった。1859年にスコットランドのエディンバラで生まれた彼は、エディンバラ大学で医学を学ぶ。
卒業後、1882年にはイギリス南部のポーツマスで眼科の診療所を開業するも、中々患者を得ることができず、暫くは開店休業の日々が続いた。そんな時代の暇つぶしとして書いた作品がホームズ物語だったわけだが、これが爆発的に当たったことでドイルは経済的に潤い、名士として社交界に出入りする様になる。
ところで、19世紀のロンドンの社交界では一つの新しい学問が大いに流行っていた。「心霊学」である。
心霊学とは、フランスの哲学者であるアラン・カルデックが、1857年に『霊の書』を出したことによって始まった学問で、ドイルが初めてこれに接したのは1886年のことだった。
ドイルは偶然『エドマンズ判事の回想録』と云うアメリカの書物を手に入れたのだが、そこにはニューヨーク州の最高裁の判事が自ら体験した交霊会での体験が書かれていた。
ドイルは当初、これを懐疑的に見ていた。だが、何か琴線に触れるものがあったのだろう。ドイルの著書『新しき啓示』の中で「その後、私は片っ端からスピリチュアリズム関係の本を読んで行った」と語っている。そして、遂に自分で交霊会を催すまでになるが、これは見事に失敗してしまう。その為、再び懐疑心が深まったものの、それでも完全拒否する気にはならず、遂には「英国心霊研究協会(SPR)」へ入会するに至る。
この頃からドイルは心霊学に強く傾倒して行くのだが、この間に偽造された妖精写真を「本物」と認めてしまった「コティングリー妖精事件」や、後に当事者が「インチキだった」と告白した「ハイズヴィル事件」をスピリチュアル肯定の証拠として認定する(ただし、後でその告白は本人によって撤回されている)など、度々勇み足の失敗を犯している。
しかし、ドイルにとってのスピリチュアリズムとは、信仰でも興味本位でもなく、列記とした科学であり、そしてこれを「退廃の極みにある」と考えていた世間に対して警鐘を鳴らせる唯一の手段だと考えていたのだ。

晩年、ドイルは欧米各国でスピリチュアリズムの啓蒙講演をして回り、死後の世界があることを説き続けた。そうしたドイルに、
人々はイエスの教えを伝え広めた使徒の姿と重ね、「心霊主義の聖パウロ」と云う名を奉ったのである。

(画像・ドイル、「コティングリー妖精事件」、ドイルの著作)

        

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