Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

陳舜臣 唐代伝奇 郭翰と織姫

2017-07-02 17:03:45 | Weblog

旧暦七月七日の夜、織姫星(蟹座ヴェガ)と牽牛星(鷲座アルタイル)が、銀河を渡って年に一度の逢う瀬を楽しむと云うのは、中国生まれのロマンスである。
少し後の『荊楚歳時記』(六世紀前半)と云う本には、織姫は天帝の娘と記されている。彼女はいつも雲錦の天衣を織るので、父なる天帝がそのご褒美に、河西の牽牛に嫁に行かせたところ、夫婦生活の楽しみに現を抜かしたのか、天衣を織ることをすっかり怠った。天帝は怒って、彼女を河東に連れ戻し、夫の牽牛とは一年に一度しか会えないようにした。と言う。
機織りをサボったくらいで、男女の仲を引き裂くなど、この処分は酷すぎる。---一年に一度ではあんまりだ。せめて時々浮気をしても良いことにしてやろうではないか。そんな風に同情する人が出るのは、当然かも知れない。
唐代の伝奇に、天上の女である織姫と、地上の男との愛をテーマにしたのがある。その主人公の名は郭翰と云って、太原(現在の山西省)の人なのだ。郭翰は少年の頃から、さっぱりして優雅で、容姿端麗、話し上手な上に筆も達つと云う、素敵な男性であった。早くから両親を亡くし、一人で暮らしていたが、盛夏のある晩、庭に出て月の下で寝ていると、爽やかな風が吹き、かすかな香りが漂い、それが次第に濃厚になって来た。

                                                       『陳舜臣 唐代伝奇 郭翰と織姫』

*******************************************************************************



昔、郭翰と云う男がいた。
ある日庭に居る時、ふいに爽やかな風が吹いたと思うと、 かすかに芳しい香りが漂って来た。 その香りが段々と強くなる。 郭翰が不思議に思って空を見上げると、ユックリと人が舞い下りて来るのが見えた。 真っ直ぐ郭翰の前まで降りて来たのは、何と若い女であった。 この世に二人といない艶っぽさで、その美しいこと目に余るほどであった。 彼女は黒い薄い衣を身に纏い、白い薄絹の肩掛けを羽織っていた。 カワセミの羽をあしらった鳳凰の帽子をかぶり、瓊文九章の靴を履いている。 また従えている二人の侍女は共に驚くほどの美しさである。
郭翰は衣を整え跪き拝謁して言った。
「このような尊貴な仙女様においでいただけるとは思いもよりませんでした。 良きお言葉をいただければ幸いで御座います」
女は微笑んで言った。
「私は天上の織女です。 久しく夫と会うことができず、寂しい思いをしています。 上帝のお恵みで人間界を訪ねることをお許しいただきました。 貴方の清廉なお人柄をお慕いしておりました。身をお任せしたいと思います」
郭翰は言った。
「思いもよらぬお言葉に感激しております」

織女は侍女に命じて、部屋を清めさせ、白地に細かい朱をあしらった帳を広げ、 水晶の玉で作った敷きものを敷き、団扇で扇がせると、 まるで爽やかな秋のようであった。
二人は手を取り合って、部屋に入ると衣を解いて枕を共にした。
織女は薄紅色をした薄い衣を身に纏い、 まるで匂い袋のように芳しい香りが室内に満ちた。 丸い竜脳の枕、二本の糸で刺繍した鴛鴦模様の布団。 柔らかく滑らかな肌、親しげで愛情溢れる仕草、 どれも比類のない艶美を具えていた。
夜が明け織女が帰ろうと云う時になっても、顔のおしろいは元のままである。 郭翰が擦ってみると、それは素肌だった。
郭翰が外まで見送ると、彼女は空高く昇って去って行った。

これより、織女は毎晩やって来た。よりいっそう親しくなっていった。 あるとき郭翰がふざけて、「ご主人の牽牛はどちらにおいでなのですか。 お一人で出ていらして構わないのですか」と聞いた。
すると、織女は
「男女のことがあの人と何の関わり合いがありましょう。 ましてや、遠く銀河に隔てられておりますもの、分かるはずがありませんわ。 知れたとしても気にするほどのことではありません」
彼女は郭翰の胸元をなぜながら、「この世の人は見てもわからないでしょうけど」と言う。
郭翰がまた聞いた。
「あなたは星々の世界の方です。星々のことについて教えて下さいませんか」

「人が天空を見上げても、ただ星が見えるだけですが、 その中には宮室や住まいがあり、たくさんの神仙たちが遊んでいます。 万物の精もあらわれは天上にあり、形枠は地上にあります。 下界の変化は必ず天上にも反映されます。今こうして見ても全て分かります」

そこで、郭翰に星ぼしの分布を指差しながら天上の決まりを詳しく教えた。 その為当時の人々には分からなかったことも郭翰にはすっかり分かった。

やがて、七月七日の晩になった。織女は姿を見せず、数日してからようやく現れた。
郭翰が「再会は楽しかったですか」と訊ねると、
織女は、「天上は人の世とは違いますもの。心を通い合わすだけで、他には何もありませんの。 嫉妬なさることはありませんわ」と微笑んだ。
郭翰が、「どうして何日もいらっしゃらなかったのですか」と聞くと、「人間界の五日が天上の一晩にあたります」

また織女は天上界の料理を郭翰に振舞った。 どれもこの世にはないものばかりであった。 郭翰が何気なく彼女の衣を見ると、全く縫い目がない。 どういうことかと訊ねると、「天上界の衣は元々針と糸で作るものではありませんから」と答えた。
毎回帰る時になると、彼女の衣はひとりでに身によって来る。

一年が過ぎたある晩、織女は悲しげに涙を流し、郭翰の手を握って、「天帝からいただいたお許しの期限が参りました。永遠にお別れで御座います」
そう言って泣き崩れた。
郭翰が驚き惜しんで、「あと何日あるのですか」と聞くと、「今夜限りで御座います」と言う。
彼らは悲しみに暮れ、夜が明けるまで眠らなかった。
空が白むと織女は抱きしめて別れを告げた。 織女は七宝の碗を郭翰に贈り、来年のいついつの日にお手紙を差し上げますと告げた。
郭翰は玉の腕飾りを贈った。
織女は空へと昇り、振り向いて手を振っていたが、やがて消えてしまった。 郭翰は彼女を思うあまり病気になり、ひと時も忘れることができなかった。

翌年、約束の日に織女は侍女に手紙を持たせて寄こした。
これ以後連絡は途絶えた。

この年、宮廷の書記官が皇帝に織女星の光が失われていると報告している。 郭翰の思いは尽きず、この世のどんな美しい人を見ても心が動かされなかった。 後に家督を残す為に程家の娘を我慢して娶ったが、 意に適わず、息子もできなかったことから仲が悪かった。
郭翰は侍御史の官職にまで就いて亡くなった。

                                                                     『霊怪集』

*******************************************************************************

この物語は『霊怪集』(一本には『霊怪録』)という書物に載っている。作者は張薦ともいい、牛嶠ともいう。
張薦といえば、紫式部が源氏のヒントを得たといわれる『遊仙窟』の作者張鷟の孫である。牛嶠は唐末の人で、唐の滅亡後、五代十国時代の「前蜀」に仕えた文人である。
                                                        『陳舜臣 唐代伝奇 郭翰と織姫』


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宦官ってどんな人がなるの? 「宦官列伝・簡単宦官講座より」

2017-07-02 16:59:28 | Weblog

宦官になるには幾つかのパターンがあります。

一、異民族の捕虜に対して雑役に使う為に去勢を行い、宦官にしてしまう場合。
……これは商(殷)の時代に戦争で得た捕虜に対して行われた方法で、野生の動物を飼い慣らす為に用いた去勢と云う方々を異民族支配に採用したのが始まりです。去勢してしまうと性格が従順になり、使う側からみれば非常に使いやすい奴隷になると云う事です。宦官と云うものが発生した理由の一つでしょう。

二、罪に寄って宮刑に処せられ、罰として宮廷に送り込まれる場合。
……西漢の景帝の頃、死罪になった者でも本人の希望により宮刑に処し、罪一等を減じる事ができる様になりました。
そして次の武帝の頃に、司馬遷を始め、大量の宮刑者を生み出すことになります。

三、個人的な理由から自ら進んで、また親の命令に寄って手術を受け、
宮廷に入る場合。
……主に貧困が理由で自宮したり、子供を去勢させて宮廷に送り込むのですが、宋代から急激に増えて来ます。
「宦官になり運良く出世出来れば、一気に富貴に成れるから」と云う理由で自宮する怠け者もかなり居たのです。
明代になるとこの傾向は強まり、一攫千金のチャンスを掴む為に自宮する者が後を絶たなくなります。

四、庶民の子を買ったり、騙したり誘拐したりして去勢し、
訓練して宮廷に売りつける場合。
……これは単なる人買いや人さらいと同じで、単に高く売れるからと云う理由で去勢されてしまいます。

この他にも学問をするのに色欲が邪魔になると云う理由で、自宮する人もいたそうですが、これは例外です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする