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加賀前田藩の参勤交代費用 総額5億7000万円以上 参勤交代で大名行列の費用は藩財政の5割を超えるのが普通

2017-07-29 13:35:24 | Weblog

 

*2000人以上の大名行列を190回も行なっていた加賀藩

一見華やかな大名行列として見られている参勤交代だが、その実、大変な裏事情があった様だ。
元々参勤交代の制度は、おカネを消費させ各藩の財力を削ぎ、幕府への反抗を抑える役割りもあった。
その為、当時の藩財政は、参勤の年は五~六割を参勤交代の費用で使い、二割位を江戸の生活費、残りの二割が国元での政治や生活の費用になっていた。

特に日本一の大藩である加賀藩の参勤交代は約2000人から4000人規模の大人数での移動となる。
それだけの大人数での移動に際し、莫大な経費が計上されていた。
加賀百万石に恥じない様な伝統と格式に裏付けされた華やかな大名行列は、沿道の庶民に藩と幕府の権威を示したのだった。
寛永12(1635)年~文久2(1862)年の227年間、加賀藩では参勤93回、交代97回の合計190回の大名行列が実施されている。行列は総距離120里(約480㌔)を、1日平均10里(40㌔)を行進した。所要日数は最短で6泊7日、最長で18泊19日の記録がある。平均的には12~13泊の旅程だった。宿泊場所も一度に2000人以上を宿泊させる場所など当時はなかった為、事前に予約し周囲の民家、寺なども宿泊場所としていた。また、川を渡る場合に氾濫などで足止めをされた時などは、予約していた宿泊所へ予約延期の連絡をしなければならない。ちなみに、参勤者2000人と馬200頭が12泊する為に支払わなければならない金額は約1億9950万円だった。

また金沢から北国下街道で江戸へ達するまでに、5m以上の川幅の河川が84流れており、その内38の河川には橋が架けられていなかった。例えば富士川の川銭に各24文(約500円)、川越え人足の肩車で渡る安部川で各64文(約1300円)、大井川では蓮台に乗って240文(約4800円)、善光寺の南を流れる犀川の川越えを47文とする記録がある。2000人渡れば9万4000文。馬は120文にして200頭だと2万4000文。合計11万8000文で、現在の通貨で直すと236万円の計算になる。川越え費用だけでも約8900万円である。

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*金沢名物の金箔伝統工芸品も参勤交代の進物用に作られた

参勤交代で江戸に着いても、将軍とその世子、奥方への献上品、老中をはじめとする幕府要人への贈答品が必要になる。
「御老中並びに御側衆などへの御進物判金百枚の御召上代、但し判金一枚は二拾二両二歩なり」とある。
判金とは大判・小判の事だが進物判金と断りがあるのは大判の事。大判は10両なので1両小判10枚分。
これは幕府の最高権力者への贈答品なので、市場に出回っている10両大判ではなく、特別に鋳造させた1枚が22両2歩。即ち22.5両の価値を持った特注大判である。この「判金百枚」は2250両になり、現在の1両=10万円に換算すると2億2500万円になる。この江戸時代の将軍並びに奥方様、或いは側近の重臣の方々への贈答品を献上する事の重大さを重んじた加賀藩は、自分の領地で貢物を製作する事を考えた。現在でも続いている金箔工芸、象嵌、蒔絵、漆器工芸に焼物陶芸など伝統工芸の数々は、その名残なのである。

画像・華麗な大名行列
   加賀前田藩の江戸屋敷の門(現在の東京大学赤門)

   

   





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