神の御用に立つ者は、一度は、生きながら死んでくれよと申してあるぞ。
死んでくれと申すのは、現の世を去る事では無いぞ。
いらぬ、悩みや苦しみの利己主義(われよし)の思いを捨てて、蘇り生まれ替わりて、神に生かされ、活きる勇気、喜びを知る、真の神民になれと申すのであるぞ。
人の思いは一つで無く、神から授けられた御魂(直霊なおひ)の神理を見る、慈悲仁愛の正しい思いと、御魂の器(うつわ)である、肉体の霊(魄)の我を守らんとする、利己主義の思いがあるのであり、渾然として心に映るのであるぞ。
肉体は現の世に人の種が成りてより、この方、子々孫々の血のつながりを持って、今まで続いておるのであるぞ。
何時しか、元の土に帰らねばならぬ肉体であるが、御魂が現の世で働く為には、生宮として肉体も大事なものであるぞ。
されど、肉体霊の我を守らんとする自我や欲が強すぎると、念の凝りた思凝霊(しこりがみ)を生じ、神の授けた御魂は岩戸に押し込められた如くになり、正しい判断が出来ぬようになるのであるぞ。
常に祈り、心鎮めて、霊体(魂魄)の一致を目ざすのが、神交(信仰)の大事であるぞ。
人類発生以来、血の流れには、善き事、悪しき事諸々の因縁(遺伝子)が、組み込まれておるのであり、その因縁が浄化の為に浮かび上がるのが、悩み苦しみやら病気の様々の不幸であるぞ。
誰も辛い目、悲しい目、痛い目には会いたくないが……原因結果(めぐり)は浮かび上がりて浄化されるのが、未完である人間の住まう、現の世の定めであるから、それを越さねば因縁は浄化されず、霊体一致の完成には到れぬのであり、御魂の岩戸も開かぬのであるぞ。
辛い時も悲しい時も、御魂の親神は常に見ており、誠の祈りあり、真の改心あれば、縁(ゆかり)ある人をして、助けるのであるぞ。
悩み苦しみの闇(病)の世界をぬけ出て、これまでの我は死に、御魂輝ける人と生まれ替わる事が出来るのであるぞ。
悩み苦しみ病気も総て、身魂の浄化成長の為にある事が判れば結構であるぞ。
浄化は人の身の事だけでは無く、自然界にも世の中にもあり、荒れて荒れて、浄化され、その末、新しき生まれ替わりの道が開けるのであるぞ。
中々、人間の自我強き故、そう易(やす)く替らぬ世界の様であるが、三千世界を浄め祓いて、地上の天国を開かむとする、国常立大神を始め、世の元からの神々の念願を、次の代に継承する役目の真澄人(ますひと 神民)等、一日も早く利己主義の念(おも)いを捨て、身も心も軽やかに、神と共に喜びて、暮らせる神民と生まれ替わりてくれよ。
男島女島の昔より、艮金神 国常立尊が艱難辛苦を堪へ忍び、仕組みを図りし、神の意が、天之浮橋を通て、現の世に実らせる、天之橋立真名井原……日の出の神の守護の世になりたのであるぞ。
高千穂の水、白山中居神社の水、秋元神社の水、烏帽子岩(丹後にある、小長谷修聖師の自宅兼龍華館にある磐座)に結びておけよ。
ン。
日の出神と龍宮乙姫、連れそうて、世を立直すと申してあるぞ。
日の出の神は、霊(ひ)の出の神のでもあるぞ。
霊だけでは事たらぬ…霊なる神理の言霊(九十0)を現す働きであり、乙姫は音秘めじゃ。
霊(日・ひ)の出の神の九十0を実らせてゆくのが、音霊の神、龍宮乙姫でもあるのじゃぞ。
ン。