現の世の初発の時、国祖 国常立尊は、神霊(みたま)を分ち、それぞれの神に役目を持たせて世を修理固成(つくりかため)たのであるぞ。
あまりにも厳格なきびしい神でありた故、下々の神々は不足を申し、挟蝿(さばえ)なす如く荒びて治らぬようになりた故、やむえず、艮(うしとら)へ隠退いたし、陰から世の守護をいたす事となりて、それ以来、表に出て居る神々や人民の自由自在に、構う世となりたのであるが、是も深い神策のありての事であり、確(しっ)かりと、現の世が構いてゆける人民に育つように、苦労もせよ、頭打ちもして目醒めよと、陰から見守りておりたのであるが、利己主義の念の凝りた思凝霊の力が強くなりて、表に出ておりた神々も、手のつけられないような世となりたのであるぞ。
もう、これ以上、思凝霊の自在にさせては、おけぬと、時節まつりて、艮の金神 国常立尊は、明治維新二十五年、丹後の沓島から表に現れ、丹波綾部の出口直殿の手をかりて、世の立替立直しの神示をお筆先をして出し、世の裏には封じられておりた、世の元からの神々を、御出しいたす神の業も始まりたのであるぞ。
世の始めの時、国常立尊は神霊(みたま)を二十二に分け、太占奇路(ニ十0ニ九四六)の要(かなめ)のところに鎮めたのであるが、それ等の神霊(みたま)も艮金神と同じく、封じられて来たのであるぞ。
熊野の奥院玉置神社にも国常立尊の神霊が封じられておりたのであるが、この度、瀬織津比売の神が〇〇の御魂に、鍵を持たせて、神を押し込めて居る、封印の扉を開きたから、玉置の国常立尊はら大なる白き、大鳥(白鵬)
と化して、この龍華館へ参られたのであるぞ。
この水戸谷の地は、神世からの大事な御地場でありたぞよ。
扨も、修聖に始めて、玉置の宮へ参らせたのら、昭和四十八年四月四日(旧三月三日)の事であり、その年の八月四日の玉置神社の本殿で言霊の修法を授けたぞよ。
(注、鬼雷示す。小長谷修聖師の、祭祀には、言霊が響くなり。
各々の身魂を介して宣り給う。
私の体験を述べれば、シタテル彦さんと共に。
「すおあえい、天の扉は開かれて、新しき世と、時は変わりて。
甲山、六甲の山、神の山、降す神示を受けて、立たなん。
高砂の、沖に浮かべる、神の島、瑞の御魂の、光を受けなん。
前の世が、恵比寿の神に、仕えたる、御魂の今に、甦り。
世の人の、迷える時に、己が身は、勇みて暮らす、鏡となるべし。
様々に、禊の道は、あるなれど、越さねばならぬ、今のこの道。
この道を、通りて知れる、悟りあり、己が心の、扉開かん。」等を言霊にて歌われます。
天意を述べる言霊歌は、素晴らしいものでありました。)
それより、四十三年経ちた、この年、五月十四日、熊野玉置の宮へ参らせた証が出たのであるぞ。
国常立尊の本神霊(もとつみたま)はもう大本教を出て、丹後真名井の磐座に鎮まりてあるぞよ。
各地に封じられて居りた国常立尊の神霊(みたま)も真名井ヶ原へ御集まりであるぞよ。
昭和四十一年八月十六日、上山田の大栗坂を修聖、単車で走っておる時、突然「世界一の悪神が憑かりておるから、その身は地獄へ落ちねばならぬ」と響き、それ以来、三ヶ月家に、閉じ籠りて、心身共に身動きならぬ、地獄の行をさせたのは、国常立尊の計らいでありて、その事が、但馬豊岡の宝観主光のもとへ修聖を参らせ、神の言霊の取次に育てる為でありたぞよ。
御用のある身魂は、逆捩をくらわせても、御用の道に立たせると申してあるぞよ。
国常立尊は、世界の悪神邪神と言われて、艮へ押し込められたのであるが、修聖に憑いたと言う、世界の一の悪神とは、国常立尊でありた事を証しておくぞよ。
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