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玄徳道

道を語るブログです。

先天坐道雑記7

2021-10-12 19:41:00 | 私的考察
ああ、ダリぃ。

なんか、面白くない。いや、いつだって、面白くない自分であり、他人を面白く、おかしく出来る人間ならば、自分も面白く出来る。

つまんねえ。詰まるところは、それである。そんな気分に成る時もあるってだけの話しでございます。しかし、つまらない自分にも安心はするのです。

生きている大部分は、仕事で、精神を消耗し、また、高揚し、また、挫折し、また、馬鹿となり、馬鹿となれば、猪突猛進するのみ。

仕事で失敗もするし、人材育成で失敗もする。(注 すみません。そんなに失敗はしていませんがそんな感じの気持ちでございます。)

やれやれだ。

一つの間違いが、尾を引き、つまづき転覆する。

しかしだ、神は何とも無い。吾が内鳴る神は、自若万全と吾が内に響いている。

何故か、それは毎日、朝に坐し、夕べに鎮魂をしているからである。

これにより、吾が神は、我が心が、クヨクヨ悩み、泣き、悔やんでも、散らないのである。

毎朝、朝飯昼飯段取り、ゴミ出し、筋トレで忙しいけれど、必ず坐する。

仕事から帰り、風呂に入ったら、焼酎を飲みたいけれど、鎮魂する。その後に飲む。

坐は、私を本来の自神を顕現させる。

鎮魂法は、転霊の法であり、いずれ役に立つと思われる。(大本教では、鎮魂とは純粋な本田霊学の鎮魂法では無く、病気治しの機能となっておりました。これは、鎮魂石による集中が実に、一本指整体(ケン ヤマモト氏)と同様の機能があると考えます。)

今は、元気の無い時。なんせ、仕事が忙しい。躓き転倒する日々の連続であります。いえいえ、転びませんが、そんな感傷があるのです。


しかしだ、段取り良く仕事して、工程をこなし、さらに工程を追い越して見せる。私も頑張り、職人さんや、若手にも頑張って貰い、先へ先へ行き、私がズル休みを取れるようにして、磐座に赴き、元気を回復する予定であります。

しんどい、しんどいと、言いながら、現場なんて、何とかなるさあと、言いながら、生真面目になり、お馬鹿にお気楽になり、「ああ、俺って本当にアホだ。馬鹿馬鹿、鬼雷の馬鹿」と日々反省し、屁をこいて寝て、起きたの繰り返し。

ああ、あおうえい。

すおあえい、寝ても起きても、かむながら。

坐の道を 歩まず神に 祈りても 誠の神に 届く道なし。

転霊の 法は古き みことのり 石の笛吹き 究めてしがな。

いにしえの 法は古きに 非ずして 真の己を 悟る道なり。

天地の 自然の働き 守る為 人為の悪意 喰らいて糞す。


コメント (4)
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